第19話 リアナの戦士
頭痛で目が覚めるなんて、予防接種を受けなかったときに限ってインフルエンザにかかってしまった時以来だ。
ズキズキ痛む頭を押さえ、重い瞼をどうにか開いてもあたりは薄暗く、静まり返り床は冷たい。
「痛……ここはどこ?わたしは……」
部屋の天井角にある小さな小窓からは外の光が差し込み、その光の筋を頼りに部屋を見渡す。ホコリ臭く、部屋の隅には大きな木箱が積み重なっている。
そして立ち上がる高さもない檻の中に入れられていることに気づく。掴んだ格子は硬くびくともしない。
どうして自分はこんなところにいるのだろう?
痛む頭を押さえながら、何が起きたのか記憶を遡る。たしか屋敷のメイドたちがギルバートが怪我をしたと話しているのが聞こえて、心配でたまらず庭の小川の精霊に頼んで街の方へ運んでもらったのだった。
そこでフレッドにギルバートの容態を聞いて安心して、屋敷に戻ろうとして………そこからの記憶がない。
「ココ?どこにいるの?」
いつも一緒の友達。気を失う直前まで一緒にいたはずだった。けれど静まり返った部屋に返事は帰ってこない。
それに、指にはめていた指輪がなくなっている……。また落としてしまったのだろうか。それともここに連れて来られる時に誰かに奪われたのだろうか。
大切な指輪なのに。
今は何時だろう。気を失ってからどれくらい時間が経ったのだろう。それに頭が痛くて思考が霞みがかっている。
「やぁ、目覚めたみたいだね。檻に入れておくだけでいいと言っておいたのに、睡眠薬を嗅がせるなんて余計な真似をしたものだから、ずっとキミが目を覚ますのを待っていた。」
誰もいないと思っていた室内から聞こえた若い男の声に、ゆるりと振り向く。小窓から差し込む光に逆光になって、暗闇に包まれていた木箱の陰からフードをかぶった男がでてきた。
「貴方、橋の上で私たちを襲ってきた……?」
「あのときはあと少しというところでキミたちに逃げられてしまった。雪解けの川に落ちてよくぞ誰も死ななかったものだ。お陰で自分たちがこの王都に潜んでいることを知られてしまった。それに……あの時の川の異常。あれはキミの仕業かい?」
「え?」
突然問われた言葉にドキリとするも、深く考えるにはまだ頭がぼーっとして上手く考えが纏まらない。
そうしているうちに、男は檻のすぐ前までやってきた。
「美しい金の瞳だ。これほど見事な銀の髪もそうそう見ないだろう。市場に出せばどれほど高値になるか。ギルバートがキミの虜になるのも理解できる。キミは宝石なのだね、その輝きで人々を魅了する素晴らしい宝玉。キミがいなくなったと知ったギルバートは今頃焦っているだろうね。考えるだけでも心が躍るよ」
「……貴方は、誰?」
霞がかった頭で男に問う。するりと男はフードを下ろした。
肩を超える艶やかな長い髪。蒼い瞳に浅黒の肌はこの国の者ではないのかもしれないと漠然と思う。20半ばくらいだろうか。ほんの少し微笑みを湛えた細身の優しげな男。けれど印象的なのは男の鼻の上あたりに横一文字に入った傷だった。
何かの事故でついたのではなく、鋭い刃物で斬られた傷跡だ。
「僕の名など知る必要はないさ。すでに家からも絶縁され名を名乗ることも許されない身だ。ギルバートを誘い出すときまで、ギルバートにも僕と同じ傷を作るときまで、ここでゆっくりするといい」
皮肉った笑顔でクッと喉奥で笑うと男はまたフードをかぶり直し、それ以上何も言わずに地下へ入るのだろう階段から地上へと上がっていった。
地下倉庫から地上へと戻った男を待っていたように、男が倉庫の入り口前に立っている。
「ジャファル様、女は目覚めましたか?」
「その名前で僕を呼ぶなと何度言ったら分かる。アブドゥと呼べ」
「申し訳ございません。アブドゥ様」
「その名は父に禁じられたのではない。僕自ら捨てたのだ」
「かしこまりました」
フードをかぶった男が捨てた元の名はジャファル・アブドゥラーと言った。リアナでアブドゥラーの家を知らないものはいないだろう。皇帝に何代も仕える名門貴族であり、また多くの強い戦士を輩出してきた。
そしてジャファルが二十歳を迎えたときに起こったリアナとカーラ・トラヴィスの戦争が、初初陣となったのだ。体格は妾だった母親に似たのか細身だったが、幼い頃から剣の腕だけをひたすら磨き、体格差と腕力にものをいわせた敵にも怯まず互角に戦える強さを手に入れ、立派なアブドゥラー家の戦士として父親に認められた。
全体戦力だけならリアナとカーラ・トラヴィスはほぼ互角だったが、リアナから採れる豊富な鉄鉱石を元に作られた武器があった。それも大量生産されたような劣化武器ではなく、日頃から常に武器の研究が行われ、新しい武器は毎日のように開発されていた。
対してカーラ・トラヴィスの武器はリアナから輸入された鉄鉱石がほとんどだ。リアナ以外からも鉄を輸入しているだろうが、身分に関係なく命をかけた戦いで日々自身を鍛えているリアナと、平和を長年享受してきただけのカーラ・トラヴィスでは個人での戦力なら相手にならないだろうと思われていた。勝利は決して夢物語の話ではなかったのだ。
なのに、進軍途中のカジスの谷で休憩中だったリアナ軍の本体を、谷上からギルバートは奇襲をかけた。谷は深く切立ち、この崖を走れるのは谷に住む鹿くらいのものだといわれていた。だから上からの奇襲の心配はないと踏んでいたのに、同じ四本足なら馬でも走れるとギルバートは谷下めがけて斬りこんできた。
不意を突かれたのは進軍途中であろうと戦争中なのに気を抜いていた自分達が悪い。
いくら谷上からの襲撃であろうと、戦力は集まっていた。
慌てず対応できていれば、奇襲をしかけてきたギルバートの軍を返り討ちにすることもできた筈だ。
なのに、リアナの軍は奇襲に対応できず混乱に陥り、大きな被害を被った。
奇襲直前、カーラ・トラヴィスの兵など1人で10人同時に戦えると豪語していた兵士を思い出し嘲笑する。そいつは奇襲に対して誰よりも真っ先に逃げ出していた。
結果その奇襲により被った被害で、戦争は一時停戦という形になってしまった。自分の華々しい初陣は敗走という形で終わったのだ。
しかし、今、自分の手の内にはギルバートの大事な宝石がある。大事に大事に守ろうとしていた宝石は、ギルバート自ら張った罠に戸惑わされ、まんまと宝箱の中から自ら出てきてしまった。
昨夜、手の者が大きな木箱を倉庫に運び込み、そこから現れた宝石を見た時の歓喜はいかほどだったろう。
必ず殺してあげるよ、ギルバート。
リアナなんて関係ない。
僕の戦士としての誇りにかけて。
頭に焼き付いて離れないカジスの谷に切り込んできたギルバートの姿。闇夜よりも暗い漆黒のマントをはためかせ白く反射する剣を掲げ、トレードマークのような赤髪が朝日に照らされる様子は赤い炎のようだった。そしてリアナ軍を真ん中を割るように突き進んできたギルバートの剣が自分の顔に一閃の傷を刻んだ。
そして別の隊にいた父親はこの傷を敗北の証として、怪我を負った自分を容赦なく切り捨てた。
もう5年も前の傷だ。
けれど傷は完全に癒えたのにギルバートのことを考えるだけで疼きだす。
どんな風に殺してやろうか。切り刻んでやろうか。殴り殺してやろうか。けれどひとおもいに殺すことだけはしない。
毎日それだけを考えて生きてきた。
ふと。バタバタと慌てた様子で自分に駆けて来るものに気づいて、視線をそちらに向ける。
「アブドゥ様!大変です!ここら一帯、ヤツラに取り囲まれてます!!」
「何だと?」
この場所は時間をかけ自分達の拠点に選んだ。表向きは倉庫の持ち主である武器商人すら気づいていない。気づいていないと言うよりは覚えていないのだ。自分が催眠術でそう操っているから、表向きは疑われるようなことを喋る危険性はない。
では誰かがヘマをして後を付けられたのか。それとも
「あの宝石にネズミがくっついていたのか?」
しかしすぐに否定する。自分達の尻尾を掴むためだけにしてはエサが過ぎる。
例え自分たちのことに前々から気づいていたとして、自分を捕まえるためにワザと演技で女を大事に扱っていたと見せかけていたと考えても、あの男は非力な女を囮にできる性格ではない。
ではどうして店の店主ですら気づいていないこの場所を悟られてしまったのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
「あの男は?取り囲んだ敵の中にあの男の姿はあったか?」
「え!?男とは?」
「ギルバートのことだ」
「あ、ああ!!はい、いました!あの赤い髪。遠目でも見間違えません!」
期待した返事にジャファルの目に剣呑な光が宿り、ニンマリと口角が斜めに釣り上がる。
もはやどちらがどちらのエサに食いついてしまったのかは判別つかない。
しかしジャファルの獲物は確かにやってきたのだ。いつも騎士団の建物の奥に入り浸り、多くの騎士たちに守られて近寄ることもできなかった獲物が、わざわざ向こうからこちらにやってきてくれた。
これを慶ばずにどうしよう。
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