第39話 光の船

「お願い、アイカ。この魂たちを救って。私たちをラグナの港へ連れて行ってほしい」


 ゼシルの願いは言葉にしなくてもアイカに伝わってきた。

 救いたいのだ。愛する者と、そして船に乗っていた者たちの魂を救ってやりたい。けれど船の上で殺されてしまったショックで、魂は船に捕われて動くことができない。

 その場にいながら守れなかったからこそ、ゼシルは悔やみ、ずっと海底で魂たちと共に待ち続けた。そして船もまた何百年と深い海底でゆっくりと朽ちていき、ほとんど船の形状をとどめていない。

 

 なによりこの場所がどこかが分からない。場所が陽の光が全く届かない真っ暗な海底なせいか、見かける精霊はほとんどいなかった。たまに通りがかった精霊にアイカが声をかけても、物珍しそうに見て笑っているだけで助けてくれる様子はない。


 『どうすれば………』


 見捨てるのは簡単だが、海底で漂っている魂をこのまま放ってはおけない。ゼシルたちの船が海に沈んだ時代から何百年と年月が経ち、ゼシルが見せてくれた昔のラグナの港の光景と、アイカがレオナルドたちと見て回ったラグナの港はだいぶ様変わりしている。

  

 魂たちの家族も遠い昔に亡くなっていないだろう。それでも、愛する者たちが待っていた港へ帰りたいのだ。長い航海を耐えて暮らしてきた船と共に。


 それに船に捕われているのは魂たちだけじゃないんだわ。

 魂もこの船が好きなのよ。この船で、ゼシルの船で愛する家族がいるラグナに帰りたい。だから船から離れようとしないのね。


 魂たちを包み込んでいるゼシルの身体に入っているせいか、その気持ちが痛いほどアイカに伝わってくる。


 『帰りたい……。愛する人の下へ……。帰りたいの……』


 そう思った瞬間、アイカに脳裏に浮かんだのはギルバートの姿だった。突然消えてしまった自分をギルバートは探してくれているだろう。

 あの腕の中に、もう一度帰りたい。





▼▼▼





『ギルバート、どこにいるの?』


「ーッ!?」


 ソファに背もたれているうちに、いつの間にか肘掛に肘をつき顔をついて転寝していたらしいギルバートの意識が一瞬で目覚める。がばっと上半身を起こし、周囲を見渡す。もちろんあたりにアイカの姿はない。

 時間も夜半をすぎ、部屋を照らしていたランプが辛うじて小さな灯りを点すだけだ。

窓の外の街も明かりは完全に落ちて、空に浮かぶ月と星々の白い光が街の屋根を照らしている。


 夢か?

 このところゼシルのことであまり眠れていなくて、疲れてアイカの夢を見たのか?


 けれど夢にしては、あまりにもハッキリ聞こえた。夢だというのにアイカの姿を見た覚えはない。ただ、暗闇の中から声だけが聞こえてきたと言ったほうがいい。

 すでに夜半を過ぎて、ギルバートがシャツ一枚にズボンという軽装、そして灯りがほとんどない暗い室内という偶然の重なりのお陰だった。襟元のボタンを2つ開けた寛いだ胸元が、シャツ越しに淡く光っていることにギルバートは気が付いた。


 「なんだ……」


 首にかけたネックレスのチェーンを引っ張る。

 するとチェーンに通していたアイカの指輪、その指輪にはまったムーンストーンの石が淡い光を帯びて光の筋が伸びた。


 これはアイカが賊に捕まった時、捕らえられた倉庫を示したのと同じ……。


 あの時も指輪は、数多く並ぶ武器商の倉庫の中から、アイカが捕われている倉庫の位置を示した。助けを求めるアイカの願いに反応して。

 それに考え至った瞬間、ギルバートはソファから立ち上がり、クローゼットの中から適当に服を着込む。


「ギルバート様!?如何されたのですか!?」

「外へ出る」

「こんなお時間から外出ですか!?」


 外着に着がえたギルバートが部屋から出てきたことに気付いたのは、今夜の寝ずの見張りをしていた騎士たちだった。定期的な屋敷内外の見回りをし、不審人物がいないかチェックし、また不測の事態に備えて玄関に出る広間で待機していたところに、只ならない様子のギルバートが出てきて何事かと慌てる。

 居合わせた騎士2人が外に行こうとするギルバートを引き止め、残る1人がもう休んでいるだろうグレンを呼びに走った。護衛をつけずにギルバートをこんな夜中に1人で外に行かせるわけにはいかない。


「お待ちください!ギルバート様!何とぞお待ちください!只今グレン様をお呼びに行っておりますので!」


 ギルバートに何と言われようとも、決して行かせてはならないと引き止める。ギルバートの身に何かあれば国に関わる大事になるのだ。だがギルバートの行動を止められる人物となると限られている。

 早くグレンを叩き起こしてくれと藁にも縋る思いでいると、寝巻きにガウンを慌てて羽織っただけのグレンが二階の部屋から飛び出て、廊下から一階に身を乗り出した。


「止めはしませんが少しだけお待ちください。自分も行きます。決してギルバート様お1での外出はなりません。お前たち、ギルバート様を絶対1人で外に出すな」


 言うや、ギルバートの返事は待たず部屋に戻る。この場合、将軍であるギルバートより副将軍であるグレンの命令の方が正しいと引き止める騎士たちは判断する。

 何より自分達の判断ではなく<グレンの命令>という後ろ盾を得たのだから、後で何を言われようともグレンが責任を持ってくれるだろう。


 後ろ盾を得た騎士たちの毅然とした眼差しに、自分がこれ以上何を言っても意味と悟ったギルバートは憮然とした顔で押し黙った。

 その隙にグレンを呼びに行った騎士はそのまま隣の別宅へと走った。こちらはレオナルドを呼びに行ったのだ。普通に考えて、ギルバート1人で外出は論外中の論外だが、グレンと2人だけというのもありえない。


 急いで着がえたグレンが玄関に下りてくると同時に、別宅から騎士たち数人が走ってきた。レオナルドの姿はない。自分が着がえている間にギルバートたちが外へ行ってしまうことを考えて、とにかくすぐに護衛に行ける者たちを本宅へ向かわせ、自らも急ぎ着がえ終え次第、後を追うつもりなのだろう。


 寝ている街の人々を起こしてしまわないように馬車は馬は使わない。

 時間はかかるが徒歩でいく。後を追ってきたのだろうココが屋根の上からと飛び降り、ギルバートの隣を歩き始めた。


「突然どうされたのですか?教えてください」


 昼間のようにゼシルが動いたわけでも、アイカが消えた夜のように嵐が来たわけでもない。何があったのかとグレンがギルバートのすぐ後を歩きながら問いかける。


「アイカの声が聞こえた」

「え?」

「俺を探している」


 太陽の光すら届かない深い海の底から自分を呼んでいる。外着のコートを着ているせいで分からないが、ギルバートは首元からネックレスを取り出し淡い光を纏う指輪をグレンに見せる。


 親指と人差し指で指輪を持って向きを変えようと、ムーンストーンの石から伸びる光の筋は一定方向を指し示し続けた。


 光の筋の指し示すままに向かうと、着いたのは想像通り港だった。月と星の光が港に停まっている船を照らす。ゼシルが海の向こうをずっと眺めていたように今度はギルバートが遠くを見つめる。


「俺はここだ。俺はここにいる」


 光る指輪を握りしめ、自分はここにいるのだとギルバートは強く念じた。


 そしてギルバートたちが夜の港へやってきて時間をおかず、なんの連絡もしていないのに、ふわりと音も立てず空からゼシルがギルバートの隣へ舞い降りる。歩いてきた気配はない。もしかすると丘の上の別宅から空を飛んでやってきたのかもしれない。


 ギルバートがチラとゼシルを覗うっても、ゼシルはギルバートたちに構わず海を見ている。それが余計に確信させた。やはりアイカが海の底からラグナの港を探しているのだと。


 ゼシルに続き、しばらくすると丘の上へと続く坂の方から仰々しい集団がやってくる。

ディアーノだ。あくびを押し殺し、少し眠そうにしている。


「ギルバート将軍もいらっしゃったのですね」

「断っておきますが私が先に来たんです。ゼシルより先に」

「あれ?そうなんですか。では今度はこちらで何があるんでしょう?」


 ディアーノの問いに答える者は誰もいなかった。誰も何も分からないのだから答えようがない。もしかすると一番状況を知っているのはゼシルかもしれないが、だからと簡単に教えてくれる性格ではない。

 けれど、ギルバートがここにいる理由ならあった。


 何があろうと無かろうと、アイカが呼んでる。助けを求めている。

 自分がここに立っている理由はそれだけで十分だ。


 それにもう一つ、ギルバートの確信を強めるものがあった。心許なかった指輪の光が、時間と共に少しずつだが着実に光を強めているのだ。


 段々と空が薄紫がかり、暗闇に輝いていた星の明かりが太陽の光で弱まっていく。街の人々も置き始めたのか煙突から1つ、また1つと煙があがりはじめた。漁へ出ようとする船人たちが船の停めてある港へきて、ギルバートたちに気付き何事かと遠巻きに見てくるが、


 アイカがこの指輪を頼りに海底からここへ戻ろうとしている。

 ならば動くわけにはいかない。


 ギルバートが指輪を握りしめたとき、


『ギルバート』


 海の方角からハッキリとアイカの声が聞こえた。夢でも、聞き間違いでもない。


「来るぞ」


 独り言のようにギルバートが呟く。

 何をギルバートが言ったのか咄嗟に聞き捕らえられなかったグレンが聞き直そうとするが、それよりも全身から光を放ちはじめたゼシルに視線が向く。

 ギルバートやグレンだけでなく、夜からずっとこの港に来ていたディアーノや衛兵たちがゼシルの突然の変貌を目を見開き見ていた。


「ゼシル!?」


 どうしたのかとグレンが止める間もなく、ゼシルの姿が光と共に忽然と消える。

直後、静かだった海がうねりはじめ、高い波が岸壁を打ちつけはじめた。

港のすぐ先の海がぼこぼこと泡を立て大きく隆起しはじめる。


 上ろうとしている陽射しではなく、海の底から光が地上へと放たれ、それは現れた。


 激しい波しぶきをたて海の底から突然現れた光の船。船首像は精霊の女王を象ったもの。像の額には昔話で聞いていたとおりの大きな真珠がはめ込まれた額飾りが飾られている。長い航海に耐えれる巨大な帆船だ。


 しかし、船はいたる部分が朽ち果て、船底や側面に大きな穴が空いている。だがその朽ちた船全体を、透明な結晶が補強するように船の形に沿って覆う。船が帆に風を受けて動いているわけではないのは誰の目にも明白だ。人がオールで漕いでいるわけでもない。


 なのにその光の船はゆっくりと意思を持っているかのように、ギルバートが立っている桟橋の先へと近づいてきて、桟橋に船の先端がぶつかる直前で女神像は砕け散り、そこから銀色の長い髪をなびかせた女神が現れた。

 美しいけれど冷氷とした印象を受けるゼシルではない。柔らかな笑みを浮かべ、女神は微笑み、光と共にギルバートに降ってきた。



「ただいま、ギルバート」




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