第2話 将軍ギルバート

「ギルバート様お待ち下さい!」

「将軍!ギルバート将軍!なにとぞお待ちください!」


 数名の騎士たちが慌てて数歩前を行く自国の将軍の後を追う。大国カーラ・トラヴィスの筆頭将軍にして現国王の甥でもあるギルバート・エル・グランディ侯爵は、追ってくる部下たちの静止を全く気に留めることなく、不機嫌な顔つきで騎士団の廊下を大股で歩いていく。

 部下たちが何を自分に言わんとしているのか、話を聞かなくても分かっているからだ。


 堅苦しい恰好をして、女と踊り酒を飲んでいるくらいなら、剣を振っていたほうがどれだけマシか


 今夜催される夜会に出席しろという陳情だ。他の貴族たちが勝手に催する夜会の誘いであれば、招待状を開くことなく破り捨てるのだが、この国の国王でもあり伯父でもあるセルゲイの口添えがあるとなると、話はそう簡単にいかなくなる。ギルバートの直属の部下であり副将軍のグレンもそれを踏まえて、何度断られようと、ギルバートが首を縦に振るまで決して引き下がらない。


 騎士団用の建物の奥にある自室へ、乱暴に戸を開け入ると、着ていたコートを椅子に投げ捨て、中央に置かれている長椅子にどかりとギルバートは腰を下ろした。もちろん、ギルバートについてきた副将軍のグレンや騎士団長のハロルドも扉が閉じられる前に素早く部屋へ入り、ギルバートを失礼のない距離で取り囲む。

 期日はもう今夜なのだ。時間はないに等しい。

 騎士たちを代表するように直立不動の姿勢をとったグレンが重々しく口を開く。


「ギルバート様にとって耳痛い話だとは私共も重々承知しております。しかしそのお歳になられましてもご結婚されず独り身でいらっしゃるギルバート様を国王陛下が案じてくださってのご配慮です。陛下のお気持ちをそのように無碍にされましては、騎士としても礼に反すると思われます」


 大国カーラ・トラヴィス国王の甥にして軍を束ねる筆頭将軍、国内の主要都市の一つでもある港街を含む広大な土地を保有するグランディ侯爵家の当主。父親であり国王セルゲイの弟でもあった父はギルバートが25歳の時に流行り病で逝ってしまい、ギルバートが侯爵の地位を継いだため家柄や身分は下手な国より断然上だ。

 しかも恵まれた体格で剣や武術の腕も抜きんでており、何かと諍いが絶えない隣国との戦争では兵たちの先頭に立って敵軍に突っ込み、その赤き猛将と讃えるに相応しい戦いぶりと戦略で国に勝利をもたらした英雄でもある。


 燃え盛る炎のような紅い髪と、眼差しだけで立ちはだかる相手を射すくめると言わしめる朝焼けの紫雲を思わせる紫の瞳はどこまでも鋭い。切れ長の瞳にすっと通った高い鼻梁の精悍な容姿は、軍の旗印としてだけでなく国の英雄として国民からも絶大な人気を集めている。しかし戦争があったころならいざ知らず、休戦条約が結ばれ落ち着いた今でも独身を貫いているギルバートの年齢は今年36歳になろうとしていた。

 いくら男だとしても貴族としての結婚適齢期は十分すぎている。周りもギルバートにそれとなく女性を紹介したり、見合い話を持ってくるのだが、当の本人は全く相手にせず、


「俺は一生誰とも結婚などせぬ。何度も言っているだろう」

「そうなりますとグランディ侯爵家が途絶えてしまいます」

「別にグランディ家が潰れようと俺は全くかまわん。だいたい今ですら滅多に帰らぬ家だ」


 侯爵家本宅にギルバートが帰るのは、月に1,2度あるかないかだ。他はほとんどを今いる騎士団用の建物の中に勝手に自室を作りそこで寝泊まりし、城で行われる会議のほかは騎士たちに混ざって剣を振ったり稽古をつけたりして、体を動かして毎日が終わる。

 たまにグレンたちと酒を飲んで、気が向けば女を抱いたりもするが、決して女と朝まで一緒に過ごすことはない。事が終わってしまえば、女がどんなに引き留めようとさっさと出て行く。


 しかし貴族が集まる夜会に出席するとなると、そうはいかない。堅苦しい正装に身をつつみ飾り立てられたマントを肩にかけ、話しかけられれば、相応の挨拶を返さなくてはならないし、香水の甘ったるい匂いをぷんぷんさせた女性たちに取り囲まれダンスをせがまれるだろう。図々しい者の中には自分の娘はどうのこうのと自分に取り入ろうとする者もいる。


「帰らぬ家であろうとギルバート様がグランディ侯爵でいらっしゃることは、揺るぎない事実であります。何度も申し上げたことではございますが、夜会は貴族同士の交流の場でもあります。周りから大国と言われる我が国も決して一人だけで守っているわけではないのです。貴族同士の強固な繋がりや連携を疎かにすることは愚の骨頂かと思われます」

「……皆まで言うな。それは俺も分かっている」


 ギルバートもそれを言われると苦々しそうな表情になった。

 戦争を経験したからこそのグレンの言葉の重さをギルバートも十分わかっている。民は単にギルバートが統率した軍が敵軍を破ったという英雄譚を喜んだが、実際の中身は国中の貴族たちと話し合い、国の持つ軍だけではなく兵士を出せるところは出してもらい連携しつつ、兵士を出せない貴族からは金や物資の援助を受けて勝った戦争なのだ。

 ギルバートも決して夜会で夜通し騒ぐのが好きなだけの貴族と軽んじているわけではない。


「でしたら、どうか今夜の夜会へご出席していただけますよう我ら一同、心からお願い申し上げます」


 深く頭を下げて頼み込むグレンに、取り囲む騎士たちも一斉に頭を下げる。

 対してギルバートはむすっとしたまま無言だ。


「………………」


 反論が返らないということは了承と同義である。やっとギルバートを夜会に出席させれそうだと、態度に出さずグレンはほっと胸をなでおろした。


 実は今夜の夜会には別の意図が含まれていることを、夜会出席の口添えをしてくれたセルゲイから何をいわれることなくグレンは察している。

 現国王セルゲイに子は一人。それも高齢になって生まれた娘のマリアだけだ。歳は19歳でそろそろ結婚相手を見つけなければならない年齢だが、体が弱く何事も大人しく控えめな性格からセルゲイの跡を継ぎ女王としてたてる性質ではない。本人も自分が女王として国を守るのは無理だと明言している。


 かといってマリアの婚姻相手が王となったところで、王家の正当な血を引き、軍を掌握するギルバートと衝突するのは目に見えていた。ギルバートにその気がなくても、相手は国の英雄を意識しないでいるのは無理な話だ。であればギルバートとマリアが結婚すればいいという話が当然上がるのだが、これはギルバートとマリアの二人そろって拒否したためあえなくこの話も消えた。


(体の弱いマリアには出産は命に係わるだろうと随分前から王室かかりつけの医師が首を横にふり、さらに長身で筋肉隆々の逞しいギルバートの夜の相手は到底無理だというのが暗黙の周知であるのは、二人には内緒である)


 最終的に、次期国王は王家の血を継ぎ、国の英雄でもあるギルバートが立つというのが国としては安泰なのである。将軍としてだけでなく、政治的な手腕や政策提案など、政事に関してもギルバートは国王の補佐として大臣たちと円滑に話し合う度量も持っており、王としての才覚は申し分ない。が、本人が全く女性を寄せ付けず、結婚の気配がないことが周囲をやきもきさせる要因になっていた。


 どうにかしてギルバートの目にかなう女性をみつけ、子を作ってもらわねば。結婚してくれればこの上ないが、最悪、子さえできれば相手の女性は貴族でなくてもいい。とにかく王家の血を継ぐ子を。

 途絶えるのはグランディ侯爵家の血筋だけではない。カーラ・トラヴィス王家の血筋自体が途絶えかねないのだ。そうしてセルゲイの口添えという決して無視できない外堀を作り、嫌がるギルバートの夜会出席を成功させたのである。


 日が十分に沈んだ頃、王都アルバの一等区に建てられた王室所縁の豪奢な邸宅に、贅を尽くした宮廷服や最新デザインのドレスに身を包んだ紳士淑女たちが我先にと集まってくる。王家所縁の邸宅が夜会の会場ということはセルゲイの了承があっての夜会だ。

 となればギルバートへの縁談もありということになり、自分の娘をあわよくばと考える貴族たちで邸宅は主役が到着する前から、表面上にこやかながら、裏では熾烈な争いが行われていた。


そして夜会が始まったであろう時間に、急ぐことなく優雅に馬を走らせ夜会へと向かう豪奢な馬車があった。

今夜の夜会の主役は紛れもなくギルバートだ。主役は出席者がみな集まってからゆっくり登場するのが暗黙のルールであり、現れたギルバートを皆が出迎えるだろう。


 その馬車の中で、今夜の主役であるギルバートの機嫌は最高潮に悪かった。


 まったく下らない。こんな夜会、適当に相手をしたら早めに退出してやる。

無駄な手回ししたところで、どうせ俺は誰とも結婚しないのに。


 僅かに開いた馬車の戸から、流れていく外の景色を眺めながらギルバートは内心愚痴る。

 そんなギルバートの愚痴を見透かしたように、隣に座っているグレンが声静かに諌める。


「ギルバート様、今夜の夜会出席が不本意なのは分かっておりますが、屋敷に入られましたらお心を静め、にこやかにお願いいたします。そのように敵を睨み殺すような顔でいらっしゃいますと、ご婦人方が怖がられて誰も近寄ってこられません」

「剣を抜かないだけマシだと思え」

「………ならさっさと結婚してしまえば」


 自分たちもこんな気苦労から解放されるのに。

 と、ついグレンの心の声が漏れかける。その漏れかけた声にギルバートはグレンを睨みつけ、


「何か言ったか?」

「いえ、何も申しておりません」


 涼しい顔でグレンは否定し、ひとつ咳払いする。

 ややあって走らせていた馬車がゆっくりと止まる。夜会が行われいる屋敷に着いたのだ。


 馬車を走らせていた御者が素早く降りて、馬車の扉を開く。そこからグレン、そしてギルバートが降りたった。


「おお!国の英雄がいらっしゃられたぞ!」

「ギルバート様だわ!」


 屋敷に入る廊下を伝い、優雅な演奏が流れる広間が一際大きな歓声に包まれる。広間でダンスを踊っていた者たちはダンスをやめ、談笑していた者たちも話を止めてギルバートに注目する。


 ボリュームのある最高級の毛皮に縁取られた漆黒のマントを肩に羽織り、同じく金色の刺繍が施された漆黒の軍服は胸元には武功を讃えた勲章が飾られていた。燃える炎と詩人に謳われる赤髪は、前髪の中央を少し前に垂らすだけで、両サイドを香油でオールバックにすることで、その精悍な顔立ちが際立つ。

 将軍として、侯爵として、英雄として相応しい贅を凝らした衣装と圧倒的な威厳と風格に、集まった貴族、とりわけ女性たちの至る場所で口元を扇で隠しながら黄色い囁き声が止まる気配は一向にない。


 グレンも同じように軍人として正装に身を包み、ギルバートの数歩後ろに控えている。長身ゆえに細身にみられがちだが、軍人として常日頃から体を鍛え、剣の鍛錬を一日と怠ることはなく引き締まっている。肩を超える黒髪はオールバックにし、後ろで一つに結び、戦争時は参謀としてギルバートを支え、それが認められて若くして副将軍となった知将だ。

 そして切れ長の灰色の瞳で注目を集めるギルバートをグレンは見やりながら、


 この中で誰でもいいから、この人を酔い潰してお持ち帰りついでに既成事実作ってくれる猛者がいないものかな


 そうすればどんなにギルバートが嫌がろうと、既成事実を元になし崩しに結婚させられるのに。と物騒なことを考えていた。もし既成事実を作ってくれるなら、自分は協力してもいいとさえ半分本気で考えている。それくらいしなければ、堅物のギルバートは一生結婚しないだろう。


 はじめこそ階級の高い紳士貴族がギルバートへ順々に挨拶をしていけば、どこからともなく淑やかな女性たちが、我こそはギルバートとダンスをと取り囲むのに時間はかからない。そんな女性たちを、いやいやであっても失礼のないよう手頃に相手をするギルバートはさすがだろう。腐っても幼少時から厳しく貴族マナーを叩き込まれた侯爵家当主である。


「ギルバート様、わたしくはキエル子爵家のアリアナと申します。かの有名なギルバート様に今宵お会いできる夢が叶い、胸が張り裂けそうですわ」

「大変光栄ですね、お父上のキエル子爵とは以前お話しさせて頂いたことがあります。バルギア国との貿易交渉では大変お力添えをいただきました。お父上には私が礼を言っていたとお伝えいただけたら幸いです」

「まぁ!父には必ずお伝えいたしますわ!」


 ギルバートから社交辞令と微笑をむけられたアリアナが緊張で顔を真っ赤にして、その顔を見られるのを恥ずかしがるように顔を俯かせる。そのチャンスを逃さず隣に、ギルバートの赤髪をまねたように真っ赤なドレスと手袋、髪飾りで飾り立てた淑女が前でる。そして親しそうに軽くお辞儀し、


「お久しぶりですわ、ギルバート様。常日頃お忙しくていらっしゃるからなかなかお会いできず、私寂しく思っておりましたの」

「此方こそ、しばらくお会いしないうちにまた一段とお美しくなられましたね、ノーイ殿」


 自己紹介することなくギルバートに名を覚えてもらっているという羨望と嫉妬がノーイに集まる。そんな優越感をノーイはおくびにも出さず、自然な仕草でギルバートに手を差し出し、


「相変わらずお世辞がお上手ですわね。私、本気にしてしまいそうですわ」

「本気で思ってますよ」

「ではそのお気持ちを信じて、ダンスを一曲お願いしてもよろしいでしょうか?」

「願ってもない。是非に」


 流れるようにギルバートがノーイの手を取ると、背後に控えていたグレンが無言のままギルバートが肩にかけていたマントを預かる。そしてダンスをする広間中央へと誘導すれば、ギルバートを囲んでいた人垣が割れ、広間中央へと道ができた。。

その背後で悲鳴にもにた声が複数上がり、ギルバートのダンスの相手に選ばれたノーイの口元は勝者の優越感で最高潮である。


 しかし手をひくギルバートの口元は優雅に笑っていても、目は冷え切って全く笑っていないことに気づけるのは、この場では毎日のように顔を突き合わせているグレンくらいだった。

 女性たちに取り囲まれるのをうまく逃げたな。

ダンスをしている最中であれば、ギルバートに話しかけようとするのは無理であり、様々な香水が混ざったきつい匂いをかがされることもない。ノーイは周囲を出し抜きギルバートを一番にダンスに誘えたと考えているようだが、実は逆だ。ギルバートこそがノーイを利用して人垣から抜け出したのだ。


 それから立て続けに3曲、違う女性とダンスを踊ったギルバートは、少し休むと追いすがる女性たちを置いてテラスの方へ出ていく。グレンにしてみれば、何時間でも剣を振り続け、平気で馬を半日駆けている男がたった3曲で疲れるなどなんの冗談かと内心鼻で笑う。


「グレン、きつめの酒をとってこい。せめて酒の匂いでこの臭い匂いを消してやる」


 2階のテラスからは庭の奥へ広がる庭と奥の木々が風に気持ちよさそうに揺れているのが見渡せた。必要以上にギルバートに密着してくる女性たちのせいで、香水がギルバートの服にまでしみついたらしい。袖口に鼻を近づけると、ギルバートの眉間に皺がよる。生粋の軍人であるギルバートは香水の匂いを嫌う。だから女性たちを巻いてテラスに出てきたのかと納得しつつ、視線だけで辺りを確かめる。


 今いるテラスは二階で、出入り口は全て広間とつながっている。

基本的に夜会では広間にいる相手にはダンスなどを申し込んでよく、反対にテラスや別室などは休憩のための場所だ。グレンが目を離した隙に抜け出そうとしても、どの出入り口を使おうが広間に入れば待ち構えている女性たちがギルバートを捕まえるだろう。


「かしこまりました」


 一礼しグレンが度数の強い酒を取りに広間へと戻っていく。

 その後ろ姿を見送り、グレンの姿が見えなくなった瞬間、ギルバートは二階のテラスであるにも構わず、手すりに手をかけると躊躇せず身を乗り出し、宙へと飛び出した。


 ややあって、手に酒を二つ持って戻ってきたグレンを待っていたのは、誰もいないテラだ。広間を通って何処かへ行った様子は無い。

 となれば、まさかと思いつつテラスの手すりに手をかけ、下を覗き込む。表の玄関は不審者が入らないよう厳重に兵が警備していたが、敷地内の建物裏には1人の警備兵も見当たらなかった。


 「やられた」とだけ無表情にグレンは一言呟いたのだ。

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