第15話 女神の気持ち
グレンは自分が何を見ているのか、まるで目を開けながら夢でも見ているような心地だった。
会議のあと、そのまま招かれたグランディ邸。
テーブルに置かれた大皿の中に満たされた水、その上にアイカは手を広げ瞳を閉じると、その手のひらの真ん中が小さく光はじめ、結晶が生まれそして成長し大きくなっていくのだ。
「ちょっとは上手くなったかしら」
祈るのをやめたアイカの手の平の上に、結晶がぽとりと落ちる。それをアイカは左右交互に斜めにして確めている。
「これは?」
「水晶よ。原料は水素とケイ素」
「ガラスではなく?」
「ガラスは石英とか石灰が材料で、水晶とは硬さが全く違うわね。結晶の形も違うし」
はい、と無邪気な笑顔で水晶を渡されたギルバートは目の前にもってきて、アイカと同じように結晶を見てから、自分の方へと手渡す。上司に手渡されたら受け取らないわけにはいかない。
宝飾品としてまだ何も加工が施されていない水晶。ふと頭を横切ったのはギルバートが自分に鑑定を頼んだダイヤモンドの原石だった。アイカが出所だということまでは判明している。
まさかと自分が思い当たった考えに冷や汗がでた。
あのダイヤモンドの原石もアイカが作り出したというのか?
ありえないと何度も自分の考えを否定し、けれど手の中にはアイカが作り出したばかりの水晶がある。
「これは何の真似でしょうか……」
「見ただろう?アイカは本物の女神だ。あの夜会の日、屋敷の奥にある池で出会った」
「女神が住む池……、つまり……人ではないと……?」
「そうだな」
困惑している自分をギルバートは苦笑して、アイカの方は恐々と自分をみている。信じてくれるのか疑っているのだと分かる。
「信じるか?」
「信じるもなにも、すでに私は雪解けの川に飛び込んだのに、この家の噴水に出るという珍事を経験しておりますからね。本物の女神でというのも頷けます。だだ、女神という存在は御伽噺の中だけの存在と思っておりましたので驚いております……」
賊に囲まれ飛び込んだ冷たい水が流れる川が、突然巨大な口をあけ自分達を飲み込んだ。
広場での歌もそうだ。知らない歌に誰とも知れず音を重ね始め、最後にはアイカの歌声に合わせて大合奏になった。
これがアイカの秘密。
「俺が身元を調べても無駄だと言った理由も分かったか?」
「納得はできませんが、真の女神であれば自分がいくら素性を調べても判明しないわけです」
そういうと女神を抱き寄せてギルバートは満足そうに微笑む。
その腕の中で女神は少し驚き戸惑ったような表情を浮かべている。
この人は<女神>を本気で娶ろうと考えているのか
どんな貴族であろうと、身分の低い平民であろうと、ギルバートが望めば手に入らないものはない。しかし相手が<女神>ならば、こうもギルバートが翻弄され、そして焦る気持ちが理解できる気がした。
▼▼▼
賊に襲われた花祭りの日を境に生活は突然一変した。
賊に自分が女であることをバレてしまい危険だから騎士団にはしばらく戻れないとギルバートに言われてしまい、グレンもスリを妨害した自分に狙いをつけているようだから危ないと首を横に振られている。
騎士団からグランディ邸に再び戻った自分を待っていたのは動きにくドレスと増えた警護の数。グランディ家の敷地内であればどこへでも行けるけれど外へは行けない。
ギルバートもあの賊の件で毎日お仕事で帰ってくるのは遅いものね
グランディ家には使用人をはじめ沢山の人はいても、騎士団にいた時のように自分に気さくに話しかけてくれる者はいない。
どこか一歩引いた位置にいて、甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
そして視線を少し横に向ければ庭を散策している自分達を警護の者たちが木の陰からこちらの様子を覗っているのが分かる。彼らがギルバートに命じられて自分を守ってくれているのは知っていた。けれど、どうしても見張られているような窮屈感を感じてしまう。
「いつになったら騎士団にもどれるのかな、ココ」
「まだ戻りたいの?もう騎士ごっこは十分楽しんだんじゃ?」
「だってここは私が好きなファンタジーの世界よ?もっと外の世界のことを色々知りたいわ!」
数人の庭師たちがいつも手入れをしてくれているグランディ邸の庭は、冬以外は色とりどりの花が咲き乱れ目を楽しませてくれる。花は好き。でも街の人々がが行き交う通りや祭りはもっと楽しかった。
騎士団でみんなで笑いあい食べる料理は、グランディ家で出されるコース料理に負けず劣らず美味しかった。
何もすることがない部屋にいるよりは外をココと散策していた方が気が晴れる。
「ずっと思っていたんだけれど、ココは私以外の人ともこうやって話せるの?ギルバートやグレンとか」
「話せるけど必要がない限り人間と話すつもりはないよ。猫は人間とは話さないものだからね」
「そうなんだ。私とお話しするだけじゃつまらなかったりしない?他に猫のお友達ができたのなら遊びに行ってもいいのよ?」
「アイカといて詰らない筈がないよ。猫の友達ができたら、アイカにも必ず紹介するから楽しみにしてて」
「ふふ、それは楽しみね」
猫の友達をココに紹介されている光景を想像したら、とたんに頬がほころぶ。
不意に足を止めたココがこちらを見上げる。
「つまらないなら外に出てみる?また川の精霊たちにお願いすれば外に連れていってくれると思うよ」
普通に玄関から出ようとすれば警護の者たちに危険だからと止められてしまうだろう。けれどココの言う通り川の精霊たちに頼めば、花祭りのときのように自分をこの閉じられた庭から街へ連出してくれるかもしれない。
けれどーーーううん、と首を横に振り、
「外に出たいのはやまやまだけど、そんなことをしたら私を守ってくれてる警護の人たちに迷惑がかかるし、すぐにギルバートに連絡がいって彼も心配するわ……」
急に自分がいなくなれば警護の者たちは慌てて自分を探すだろうし、今頃真面目に仕事をしているだろうギルバートにも余計な迷惑がかかってしまう。
自分がつまらないからって、そんなことしちゃダメよね……
「だったらさ、外の風景を見せてもらうっていうのは?街の風景とか違う国とか。それだったらここに居ながら外が見れる」
「それだわココ!ナイスアイディアよ!」
それなら誰にも迷惑をかけずに外に出れたような気分になれるだろう。
ココを抱いて川から水が引かれているらしい庭の小川に走る。庭の景観用に引かれた小さな小川にドレスの裾が濡れてしまわないよう気をつけながら、指先を小川の水につけてそっと祈る。
小川の精霊さん。どうか私にギルバートの姿を見せてください
すると波間に自分の顔が映っていた川がゆらりと揺らぎ、次に騎士団の奥にあるギルバートの自室だろう部屋の中の光景が映る。
光景が川に映るだけで声は聞こえなかった。しかし、数人の者たちに囲まれながら、ギルバートは真面目な顔で指示をしている。
かっこいいな
普段、自分には決して見せてくれない将軍としてのもう一つの顔。
しばらく音声のない光景を見ていて、ふと自分がやましいことをしているような気持ちになって、小川につけていた指を離した。
何してるんだろう私……。
こっそり隠れて見てるなんて、まるで盗撮みたい……。
ほんの少しだけでもギルバートの姿を見ることができただけで十分だと自分に言い聞かす。
いくらギルバートに会いたいからとこんな盗撮まがいのことをしてはいけない。
見るなら別のものにしておこう。
「アイカはギルバートのことが好きなの?」
隣でギルバートが映った小川を一緒に見ていただろうココに問われる。
その質問に一瞬驚いて、けれど今はココしか聞いていない。
「……好きよ」
たぶん初めて自分の気持ちを言葉にしたかもしれない。そっとココを抱き寄せて、柔らかな毛並みをなでる。
優しくて、かっこいいギルバート。出逢った時こそわけも分からず囁かれる愛に戸惑ったけれど、どんな時も自分を一番に考えてくれて、逞しい腕と優しい笑顔で抱きしめてくれた。
好きじゃなかったら、何度も肌を合わせたりなんてしない。その口付けを瞳を閉じて受け止めたりはしない。
今頃逃げ出して池の中に逃げている。
「でも、ギルバートはこの国の王様になるそうなの」
「王様になると、アイカと何か関係が?それって両想いってことだろ?」
「王様にはね、いつも綺麗なお姫様や王妃様が傍にいるの。女神といっても、力も上手く使えない半人前の私がギルバートの傍にいていいのかなって………」
騎士たちだけでなく街の人々にも慕われているギルバートはきっと素晴らしい王になるだろう。そのとき、グレンが素性の知れない自分を疑ったように、いずれ王に立つギルバートの傍に自分がいては彼の迷惑になったりしないだろうか。
「両想いなのによく分からないな。好きなら好きって伝えないと誰かに取られちゃうよ」
「ほんとココの言う通りよね」
ギルバートのことが好き。もう何度心の中で唱えただろう。
その姿を思い浮べるだけで胸が温かな気持ちになる。
いつかこの気持ちをギルバートに伝えられる日がくるのだろうか。
そう考えるとアイカの小さな胸が締め付けられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます