第6話 女神の願いを叶えるためには


生まれ育った家ではあるが、月に1,2度しか帰らないグランディ邸だった。その切っ掛けになったのは隣国との戦争が迫り、毎日のように行われる王宮や軍の会議でわざわざ家に帰るより近くの騎士団で寝泊まりしたほうが便利が良かったからだ。

戦争が終わっても贅が尽くされた自宅に戻るより、気軽な恰好で好きに行動できる騎士団の方が居心地がよくて半ば住み着いてしまっていた。


そんな疎遠になっている自宅に戻るのは1か月ぶりだろうか。

馬車から降りてアイカを横抱きに抱え玄関前にやってくると何も言わずに玄関の扉が開き、返るという連絡もしていないのに屋敷中の使用人たちが出迎える。


「お帰りなさいませ、ギルバート様」


自分がまだ生まれる前からグランディ家に仕えてくれている老年の執事アルフレッドが礼をとると、並ぶ召使いたちが一分の乱れもなく頭を下げた。そしてギルバートが抱きかかえる少女に気が付くと、


「お部屋の用意をさせましょう。だれか、湯の用意と着替えも」


アルフレッドが言うや熟練のメイドたちがさっと動き出す。間違ってもギルバートが突然連れ帰った女性の素性を尋ねるような差し出がましい真似はしない。


「野菊の間でよろしいでしょうか?」

「ああ」

「かしこまりました」


野菊の間は広いグランディ家に数多ある客室だが、ギルバートの自室から最も近い部屋でもある。アルフレッドのその配慮を流石だと思う反面、子供のころから知っているギルバートの考えを読んだような行動が鬱陶しくもあった。

通された野菊の間は主が滅多に帰宅せずにいても隅々まで手入れされ埃一つない。

そして客室用のベッド前にくると、アルフレッドはベッドにかけてある布団をさっと上げて少女が横たわるスペースを作る。


それから間もなくちょうどよい温度に調節された湯と清潔な布巾を乗せたキャスターがメイドたちによって運ばれてきた。


「ギルバート様、お嬢様の体を拭きますので少しだけお隣のお部屋に」

「俺が拭く。着替えはそこらへんに置いて部屋は俺が呼ぶまで誰も近づくな」

「ギルバート様お自らですか?」


アイカの体を拭く用意をしていたメイドたちが驚いたように声をあげる。しかしチラリとギルバートが一瞥し、アルフレッドも無言でメイドに首を横に振ったのを見て、お湯や着替えを運んできたメイドたちは「失礼しました」とだけ謝り、さっと部屋からでていく。

アルフレッドも、何かご用があればいつでもお呼びください、とだけ言い残し出ていけば、部屋にはアイカとギルバートだけになった。


そこでようやくギルバートは一息つく。自分の育った家であるはずなのに落ち着かず、気を張ってしまう。それはこの家にいると若くして当主の座を突いたグランディ家の家長であるという責任やプレッシャーがまざまざと迫ってくるせいなのかもしれない。

家のことなどどうでもいいと普段から周りに言っているが、それはグランディ家のことをか考えるのをあえて避けているせいでもある。


500年の歴史を持つ大国カーラ・トラヴィス。その名門グランディ家。母親は当時グランディ家の当主であった祖父の一人娘で、国王の弟である父と結婚しても身分の釣り合った政治的結婚だった。

幸いなことに両親の仲が非常によかったのを、ギルバートは覚えている。しかし流行り病で父が亡くなったあと、気を弱くした母親も数年後に父を追うようにして亡くなってしまった。自分の他に兄弟姉妹はおらず、問答無用で25歳だった自分にグランディ家の全てが圧し掛かってきた。しかもずっと不穏な情勢だった隣国との戦争も近づいており、将軍だった自分は怒涛のような忙しさに追われた日々を過ごした記憶しかない。

周りが望む自分の結婚など二の次だ。


このまま自分は一生誰とも結婚しないで一生を終えるのだと思っていた時、夜会から抜け出した池で運命の女神に出会うことができた。

月の光を浴びながら池の上を駆ける幻想的な美しさを思い出し、無意識に張りつめていたギルバートの頬が緩む。


メイドたちが持ってきた湯桶に乾いた布巾を浸してからきつく絞る。軽く布巾を畳みなおし、眠る女神を起こさないように気を付けながらギルバートはその体を清めていった。



▼▼▼



温かい。気持ちいい。たぶん朝だろうけどまだあと少し眠いっていたいわ


酷く寝心地のよいベッドの中で、眠りから目覚めるまでのまどろみを堪能していた。しかし、ふと重い瞼を開いた視界に映った室内は、見知らぬ天井だった。間違っても結晶に包まれた池の中の洞窟ではない。

それに気づくと意識が急にクリアになっていく。


「ここは……」

「起きたか、アイカ。ここは俺の屋敷だ」


声がするほうを振り向く。ベッド傍にある椅子に腰かけて自分を見ているのがギルバートであることを認識すると同時に、昨夜自分がギルバートと池のほとりでした行為を思い出し、恥ずかしさでばっと布団の中に潜り込んだ。


わたし、きのうギルバートと……!

どうしよう恥ずかしくて顔が見られない!


会ってまだたったの2回目だったのに。

なんだかんだとギルバートから求められるのを断り切れず、雰囲気に流されてしまって、かなり恥ずかしいことをした記憶がある。


ギルバートにされるがままになって、全てがはじめてのことで頭が真っ白になって立ちくらみがして、倒れこみそうになったところをギルバートに横抱きにされて……そこから先を覚えていない。


「気分は?」


潜り込んだベッドが斜めに沈みこんだ。ギルバートがベッド縁に腰かけたのだろう。

かぶった布団の上からギルバートが声をかけてくる。


「大丈夫よ!」

「よかった。喉は乾いてないか?」

「平気!」

「アイカ、キミのかわいい顔を見せてほしい」


掴んでいる布団が下にゆっくり引っ張られていく。少しづつ布団が下がってくると、自分をのぞき込んでいるギルバートの顔はすぐ上にあった。


「おはよう、俺の女神」


微笑み、額にかかる前髪を避けて、額にキスを落とされた。そして先ほど要らないといった水の入ったコップを差し出される。昨夜からずっと何も飲んでおらず、本当は喉がすごく渇いていたりした。


「ありがとう……」


被っていた布団から上半身を起き上がらせ、一言お礼を言ってコップを受け取ると一息に水を飲み干す。空になったコップは、すぐにギルバートが受け取ってベッド傍に置かれたサイドテーブルに置いてくれる。

そしてまた椅子に深く腰掛けたギルバートが


「このお屋敷は?私の池がある場所じゃないの?」

「アイカの池がある屋敷ではない。ここは俺の屋敷だ」

「ギルバートのお屋敷?」

「そう。実質治めている領地は別にあるが、この屋敷がある周辺一帯も俺の治める領地だ。行きたい場所があればどこでも好きにしていい。そしてずっと俺の傍に」

「待って!」

「なんだい?」


ギルバートが話している途中で口を挟む。このままだと本当にずるずると流されてギルバートと一緒にいることになってしまいそうだった。


「ギルバートは私をからかったんじゃないの?だって私たち、会ってまだ2回目だもの」

「女神をからかうなど。俺はアイカを本気で愛している。」


真摯な表情でギルバートは本気だと訴えてくるが、どうにも信じるには不安が拭えない。

それに懸念はもう一つあった。

いつも夜だったためハッキリ見ることはできなかったけれど、今は太陽が昇る明るい朝だ。改めてギルバートを見やると、本当にファンタジーの中に登場する騎士然とした男性なのが分かる。


そして朝日の中だとギルバートの赤い髪はさらに鮮やかさを増す。自分を力強く抱きしめた体躯と整った容姿。自宅ということでいつもきっちり着込んでいた軍服ではない、ズボンに白シャツというラフな格好をしている。かっこいいのは確かだ。大人の女性にも、この容姿ならすごくモテるだろう。

しかし、どうにも気になってしまう。


「それに……」

「それに?」

「ギルバートは何歳?」

「今年で36だ」


予想通りの回答に、布団を手繰り寄せ顔半分隠しつつ、


「だよね……、つい流されてああいうことしちゃったけど、私、おじさん趣味はちょっと………」

「……………」


失礼にならないよう気を付けて言ったつもりだったが、ギルバートが無言でいるのを見ると少なからず傷つけてしまったかなと心の中で謝る。

でも女神としては生まれたばかりでも、人間だった頃の記憶があるため、そのときの常識で考えると36歳というのは随分年上に思える。


「歳のことは申し訳ないがどうしようもできない。ただ、できるだけ若作りを心がけるようにしよう……」


酷く言いにくそうにギルバートは答えた。


初めて出会ったときに、アイカから自分を<変態オヤジ>と罵倒されたときの言葉が脳裏をよぎり、らしくもなく気持ちが沈んでいくのを止められない。

まさか歳のことで自分の気持ちを躊躇されるとは思ってもみなかった。


アイカの歳がいくつかは知らないが、貴族であれば年齢より身分が重要になる。だから、社交デビューしたばかりのような15,6の少女と40過ぎの男が政略結婚するのも珍しくない。

その感覚でギルバートはいたのだが、女神であるアイカに人間の政略結婚など知ったことではないのだろう。


「ではどうしたらアイカに俺の気持ちを信じてもらえるだろうか。キミを得るためなら俺はなんでもするつもりだ」


年齢はいかんともしがたいので、他でアイカに気持ちを伝える方法を探す。

これまでの会話で、アイカと自分の感覚が微妙にズレてしまっているのは間違いない。となるとアイカの思考に自分が寄りそうことで、自分の気持ちを受け入れてもらいたい。


そう言うとアイカは困ったような顔になったが、その仕草も可愛らしくて仕方ないのだから、自分も末期だ。


「ギルバートは私の言うことを聞いてくれるのよね?」


「ああ、もちろんだ。アイカの言うことなら俺はなんでも聞こう」


やっぱり池に帰りたいとかいうふざけた願い以外であれば。


とは紳士然とした笑顔を顔に張り付けたギルバートの心の中だけの呟きである。自分の傍にいてほしいのに池に帰られては元も子もない。

しかし、ギルバートの不安をよそにアイカが期待に満ちた金の瞳を輝かせ、無邪気に言い出したのは


「わたし、騎士になりたいの。ギルバートはこの国の将軍なんでしょう?私を騎士団に入れてほしい」


そうきたか


貴族として礼節を徹底的に叩き込まれ、国の大臣貴族たちだけでなく他国代表との貿易交渉でも動揺することなく堂々と渡り合ってきた。その鉄の仮面を持つギルバートの口角がひくりとして、余裕を称えていた顔が引きつった。

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