第26話 海からのコエ
来るわ
あの子がこの海へやって来る
生まれたばかりのあの子
まだ世界を何も知らないまっさらなあの子
けれど月の光を浴びてこの世界に生まれでた希望
どうか
どうか
ワタシをここから助けて
▼▼▼
「アイカ?アイカどうした?」
身体を軽く揺さ振られて、アイカはハッと振り向いた。
ギルバートだけでなくグレンやココも自分を心配そうに見ている。
わたし、何していたんだっけ?
ずっと窓から遠くの海を眺めていた。風に乗って届く海の香りも好きだった。白い雲が流れる青い空を、海鳥が自由気ままに飛んでいる姿が気持ち良さそうだった。
なのに意識が途中から途絶えて、よく思い出せない。
「ご、ごめんなさい。ちょっと居眠りしてたみたい」
「……もうすぐでラグナにつく。ずっと馬車に乗ってて疲れたんだろう。少し横になるといい」
そうギルバートは言ったものの、上半身だけでも横になれば楽になると、自分に膝枕をし、着ていたコートを脱いで掛けてくれる。
疲れていないと言えば嘘になる。途中途中で休憩は取っているが、ずっと馬車に乗っているというのが思っている以上に疲れるものだ。
けれど、
「アイカ、何か声が聞こえた?居眠りの割に目を開いて遠くを見てたよ?」
グレンの膝の上に乗って抱かれているココの問いに、瞳を一度閉じてまた開いた。
「聞こえたような気もするんだけど、何も思い出せないの……。夢のような気もするし……でも真っ暗で……」
分からない。そうして今度こそ目を閉じると、ギルバートの膝の暖かさに深い睡魔がアイカを襲ってきた。
ギルバートを乗せた馬車と、護衛の騎士団がラグナに入ると沿道は歓迎する人々で溢れていた。ギルバートが海運都市ラグナ周辺を治める領主であるだけでなく、国の英雄ということもあって民からの人気は王都アルバに勝るとも劣らない。
ちなみに今回の護衛は第4騎士団だが、10ある騎士団全部が今回の視察同行に名乗りを上げたため、厳正なるじゃんけんの元、第4騎士団が選抜されている。
「すこしだけでも外見たらだめ?」
「後で町を案内するから、あとすこしだけ我慢してくれ。アインもこちらに来ているとバレると少々面倒なことになるんだ。」
馬車の窓は完全に締め切り、カーテンも締め切ってある。沿道沿いには定間隔で警備兵が道にはみ出してきたり、不審な者がいないか監視している。モノを投げられることはないだろうが、ギルバートが乗っている馬車に見慣れぬ美しい少女が同乗しているとなれば、別の騒ぎになると首を横に振った。
他にも近隣の貴族たちがアイカに一目なりとも会いたいと押しかけてくるだろう。すでに先日、王都アルバで催された祝賀パーティーの件は伝わっているはずだ。一言お祝いをと先走った貴族が押しかけてきてもおかしくない。
海運都市ラグナにあるギルバートの邸宅は王都アルバの屋敷より広い。元々王都アルバの屋敷はグランディ家の当主がアルバで生活するための別宅として建てられた経緯があり、ギルバートが将軍職についたことでそこを本宅代わりに使っていた。
そして本宅はグランディ家が治める領地、その中で最も栄えている海運都市ラグナにあり、騎士団1つが駐留しても問題なく寝泊りできる別邸も本宅の隣に併設される広さを持っていた。
「お帰りなさいませ、ギルバート様。アルバよりの長旅お疲れ様でした。グレン様もお久しぶりでございます」
護衛の騎士団には隣接する別宅の方へ案内を頼み、ギルバートとグレン、ココを抱いたアイカは本宅の方へ招き入れられる。
玄関入った広間では屋敷中の使用人たちが集まり、主の帰宅を出迎えた。ここの召使たちを纏めている執事セバスチャンはギルバートと同年齢だ。
しかし幼少の頃から召使として仕え、先代の執事長が引退したときに、先代直々に若くして執事長に抜擢されていた。
「みなに変わりはないか?」
「はい。ギルバート様が昨年の不漁の際、税を緩和してくださったことを漁師たちが感謝し、屋敷の方に取れたての新鮮な魚が届いております。今夜はそちらを随行された騎士団の皆様にも振舞いたいと存じます」
「たのむ。馬もアルバからずっと歩きとおしで疲れているだろう。精力のつくものを食べさせてやってくれ」
「かしこまりました。失礼ですが、そちらの方は?」
屋敷内に入ったにも関わらず、ギルバートの隣に立ち、マントを羽織り目深にフードをかぶった人物をセバスチャンは問いかける。ギルバートが連れて来たなら大事な客には違いないが、どう接すればいいのかが分からない。屋敷内でもフードをずっとかぶったままでいるというならそれはそれで構わないのだ。その対応方法を確認しておきたかった。
「アインだ。見習い騎士で俺専属の従者だが、騎士団の者たちとは別でこの屋敷で世話を任せたい」
紹介しながらギルバート自らアインのマントを脱がせてやる。その顔が久方ぶりに見るほど穏やかなことに驚き、そしてマントの中から現れた美しさに広間に集まった全員が釘付けになった。
「アイン・キャベンディッシュです。お世話になります……」
だらんと力なく垂れたココを抱いたまま、アイカは出迎えてくれた全員にぎこちなくお辞儀した。
アルバのお屋敷だってかなり豪華で広かったのに、ここはもっと広くて大きいだなんて、ギルバートってばどれだけお金持ちなのよ!?
聞けば、本宅の隣に建てられている客人用邸宅(今回は騎士団が泊まる予定)を含めると、使用人の数は、庭師から料理人も含めて50人強が働いていたアルバの2倍の人数がいるのだという。それでもギルバートの父親が当主だった先代のときより使用人の数は減っているらしく、軽い眩暈を覚えた。
本人もいずれこの国の王になると言っていたが、一般サラリーマン家庭で育った人間の記憶が残っている自分には、ギルバートの感覚はあまりにもかけ離れている。
ここにも高そうな壷がいっぱい置いてあるわ!アルバの屋敷での失敗をここでは絶対にしないように気をつけないと!
いずれギルバートと結婚する約束をしているのに、ドジな女が来たと使用人たちに思われてしまったらプロポーズしてくれたギルバートに申し訳なさ過ぎる。
そしてアイカの紹介に、セバスチャンがチラとギルバートに視線だけやれば小さく頷く。格好は騎士見習いとしての男モノの服を着ているが、あまりの美しい容姿とギルバートの扱い方、そしてラグナにまで聞こえてくる噂どおりの特徴。本宅でギルバート自ら世話を頼んでくる時点で間違いなく騎士見習いの男装をした少女が、先日の祝賀パーティーでギルバートが伴った女性だと察せられた。
ただし、あくまで騎士見習いとして視察に同行してきたのであり、女性を領地に同行したことを内密に伏せておきたいギルバートの意向を無言で了解する。
「………。かしこまりました、心より、お世話をさせていただきます。アイン様も御用がありましたら何なりとお申し付けください」
もしかすると、ギルバートは噂の女性を同行させてくるかもしれない、とセバスチャンは考えていた。しかし今回は例年通りの領地見回りや領地の税の確認や民衆からの訴えに目を通すだけでなく、今年はさらに海洋国家イエニから外遊で訪れているディアーノ王子との会談も予定されているため、女性に付きっ切りでラグナを案内するわけにはいかない。
ましてギルバートが女性を同行させていると広まれば、騒ぎになるだろう。
それをまさか騎士見習いとして騎士団に紛れこませて連れてくるとは考えていなかった。
しかも、それだけではなく、
「セバスチャン、アインの客室は用意しなくていい」
「しかし」
本宅で世話を頼むといいながら客人に部屋を用意せず、ではアインはどこで寝泊まりするのか疑問に思うと、
「俺の部屋を使う」
「え?」
ギルバートを見上げたのは隣に立っていたアインだ。声こそ出さなかったがセバスチャンも自分の耳を疑った。
「おいで、アイン。俺の部屋へ案内しよう」
おいでと簡単に言われても、アルバの屋敷ですら部屋は別々だったのに、結婚もしていないのにギルバートの私室に泊まってもいいものかアイカは困惑する。
しかしギルバートは戸惑うアインの肩を引いて、並ぶ使用人たちの真ん中を通り、さっさと屋敷の階段を登っていく。いつもニコリともせず、淡々と領地視察と収税処理をこなし、笑顔を浮かべていたとしても社交辞令の仮面を貼り付けるだけだったギルバートが、女性に対してああも和やかに微笑むようになるものだろうか。
呆気に取られ取り残されたセバスチャンに声をかけたのは、多少のことでは動じなくなったグレンである。
「たぶん、ここが他の者の目のあるアルバではないので、少しタガが外れていらっしゃるんだと思います。あくまでアインは騎士見習いということでお願いします」
「かしこまりました。グレン様のお部屋はいつものお部屋をご用意しております。馬車のお荷物もそちらに運ばせております」
「分かりました。ありがとうございます。あと、アインが抱いていた猫のココですが、ハムが好物なんですが、飯は魚とか中心でお願いします。太るし塩分過多だと言ってもハムばかり食べて困ってるんですよね。エサを退けたら自分がそう言っていたと言っていいので」
「はぁ、魚中心ですね……」
「よろしくおねがいします」
言うとグレンはさっさとラグナ視察に来たときいつも使っている部屋へと向かってしまう。
好き嫌いをする猫に自らの名前を出して魚を食べさせろとは、どういう意味なのか。まさか猫が人間の言葉を理解するとでもいうのか。
あり得ないと内心一蹴したところで、
「セバスチャンさん、皆さまはお部屋に行かれてしまいましたがいがが致しましょう?」
老年のメイド長に控えめに声をかけられハッと我に戻る。パンパンと2回手を叩き、
「すまない。ではみんな持ち場に戻ってくれ。事前の打ち合わせ通りに、騎士団の皆さまには決して失礼の無いようにお世話をお願いします。食事は一時間後に。手が空いた者は荷物を運び込む手伝いを。それとアイン様についてはくれぐれも屋敷外の者へ話さないように」
「かしこまりました」
メイド長のお辞儀に合わせて、ギルバートたちを出迎えるために集まっていた他の使用人達も礼をして一斉に持ち場に戻っていく。
やるべき仕事や山のようにある。その前に、一度だけセバスチャンはギルバートの部屋の方を見た。いつも事務的で決まりきったような受け答えしかしない領地視察が、今年はいつもと違うような気配をセバスチャンは感じた。
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