【16】そんでクジラは空を飛んだ、か
「すると、すまん、オレのせいか。あのときバイクを爆破して、それで傷がついたんだろ?」
「ううン、カイのせいじゃなイ。むしろわたしが無茶をさせたかラ。事前にちゃんと考えておけバ……」
コバンザメの問題は単純だった。黒い外皮に想定以上のダメージがあったのだ。
水中を進むだけなら問題ないが、電磁気を使う加速となると相当にデリケートなものらしい。下手をすると軌道が明後日の方向にずれて、大事故につながる可能性があるのだとか。
確かにコバンザメが最初投下された際、カイがホバーバイクを爆破して妨害していたし、
「で、どーなんだ? 直るのか?」
冷たい金属の床にもかかわらず、あぐらをかいて壁にもたれかかるカイ。
その視線の先で、クゥはずっと直立不動。とはいえその身体はまたフル稼働の最中だ。向き合う四角いモニターでは様々な文字や幾何学模様が現れては消えていく。
見慣れぬ文字だった。最初の三十秒くらいは肩越しに覗き込んでいたカイだったが、早々に諦めてあくび混じりに見守っている。
「直ル。けド……」
モニターの動きが止まり、完全に意気消沈といった様子でクゥが振り返る。
「間に合わなイ」
「ん? 何にさ?」
少し迷う様子を見せながらも、クゥはモニターに手をかざした。すると数字が画面に浮かび上がる。
『1.83』
その数字にカイは思い当たる節があった。
「それ、まさか、サステナ……なんだっけ?」
「サステナビリティ・リミット」
「そう、それそれ」
「あと二日、六十時間を切っタ。急いで母船に戻らないト――」
「なぁクゥ、そのカウントダウンは何なんだ? ゼロになると何が起きるんだよ」
「月が沈ム」
「うん。……それだけ?」
「それだけ、じゃなイ。大変なことが起きル」
やたらと深刻そうに、クゥは両腕を広げてそう言った。
カイはいまいちピンと来なかった。
そういえばジェリーからも聞いたな。クゥがそんなことを言ってたって。
そう思い起こしながら、ゆっくりとカイは起き上がって、背後の丸い窓から外を眺めてみた。
見知らぬ街の整備室。
雑草が生い茂る道の上を幾重もの立体通路が交差して、ほとんど
そしてその上から、月が明るく照らしている。昨晩に続いて真ん丸の月だ。
「大変なこと……ねぇ」
そう呟いたカイ。その視界がうっすらとぼやけて、月が夜空に滲んだ気がした。
あ、まずい。
瞬時にカイは悟った。
けれど、そうなるともう遅い、ということも経験上よくわかっていた。
視界が傾く。身体が倒れていくのだ。
潮風病――
「カイ!」
クゥの叫びを遠くに感じながら、カイの意識は急速に薄れていった。
「ねぇティム、この海の向こうには何があるの?」
「海はどこまでも広がっていマスよ、カイ。地球をぐるりとひと回りしていマス」
「でもジェリーは言ってたよ。海の向こうには大地が広がってるって」
「確かに地表の二割は陸地、カイの言う大地となっていマス」
「大地にはさ、何があるの?」
「カイ、大地のことを知ろうとしてはいけまセン」
「えー、なんでさ」
「大地は人間の生存に適した場所ではなくなってしまいまシタ。存続が可能なのは唯一このハイビスカスの中だけなのデス。ハイビスカスであれば不自由のない生活が送れマス。外のことを知る必要はないのデス」
「そんなこと言ったって、気になるよ。ね、昔はみんな大地の上で暮らしてたんでしょ? こんな水の中じゃなくてさ」
「カイ、大地のことを知ろうとしてはいけまセン」
「ちぇー、ティムのケチ」
まどろみから目覚めたとき、カイは自身を包み込む温かい感触に気づいた。
白いキルト生地のシート。生まれて初めてのベッドの感触。
それが何かはわからぬまま、なぜだかカイはとても懐かしい気持ちになった。無意識にぎゅうと抱きよせる。
「……えほっ、げほげほっ」
その拍子にホコリが舞って、たまらずカイは上体を起こした。
「クゥ……?」
すぐさま記憶がよみがえってくる。
陸地に上がったこと、そして意識を失ったこと。
見回すと、すぐ脇の床にジャケットがきちんと四角に折りたたまれ、ゴーグルが乗せられていた。持ち込んでいたマンタも隣に置かれている。コップ一杯の水と共に。
まさか、置いてかれた?
急いで着込んで見知らぬ部屋を飛び出した。
窓からは朝の陽光が差し込んでいる。随分長いこと眠っていたらしい。
「クゥ!」
しかし、それは
短い廊下を渡った先の広い部屋、倉庫と思われる場所の真ん中にクゥはいた。ガラクタだらけの床にぐったりと横たわっているその姿。慌ててそばに駆け寄るも、聞こえてきたのはすぅすぅと繰り返す静かな寝息。
カイは安堵でその場にへたり込んだ。
「クゥ、ありがとな」
隣には整備中と思しきホバーバイクの機体が置かれていた。カイの馴染みのものと形状はよく似ている。
周りには乱雑に配電盤やナットなどの部品が散らばっていた。骨董品を掘り出して、途中で力尽き寝てしまったというところだろうか。天使がごとき白銀の身体が、いまや油汚れのまだら模様だ。
「何か拭くものは……」
と見回して、ある一点でカイの視線はくぎ付けになった。
「これは……」
絵だった。壁一面に掛けられた大きな風景画。
まだ人が住んでいた頃のこの街を描いたものだろうか。浜辺に人が遊んで、緑が飾られて、そして青い空には何かが飛び交っている。
カイは吸い寄せられるように一歩、また一歩と近づいていった。
ところどころ腐敗も混じってはいるが、空を我が物顔で飛ぶ何かをカイは確かに見て取ることができた。
「……カイ?」
クゥが背後から声をかけた。起きてきたのか。
しかしそれでもカイは目を離せなかった。
「なぁクゥ、これ……なんだ?」
「これっテ?」
「この空にあるやつ。手の代わりに、帆みたいなものを広げてさ――」
「ん、あぁ、それは鳥」
「鳥……」
カイは初めて知る存在だった。ティムはいままで、そんなものを教えてくれたことがない。ジェリーは知っているのだろうか。
「これってやっぱり空を飛んでるんだよな? 昔は普通だったのか? 今もいるのか?」
上ずった声で質問を繰り返すカイ。
クゥはまだ少し眠たそうな目をして、残りの部品を手に取り始めた。
「今はもういなイ。でも昔、空は鳥たちのものだっタ」
「どうしていなくなっちゃったんだ?」
「絶滅してしまったかラ」
「絶滅……」
「大昔、五千年くらい前に天変地異があっタ。それは地球の生き物すべてに大きな影響を与えるものだっタ。鳥は空から姿を消シ、人は海へ移り住ミ――」
「そんでクジラは空を飛んだ、か……」
カイは遥か昔に思いを
その時いったい何が起きたのか。人々は故郷を捨て、何を想ったのだろう。
空は鳥たち失って、悲しみの雨でも降らせたのだろうか。
「詳しいことは爺やに聞くといイ。爺やは詳しいから、その話」
そう言ってクゥはホバーバイクのボディにパチリとパーツを埋めこんで、自らの右手を光らせた。
とたんにギュィィィンとモーター音が鳴り響く。
突風で倉庫のホコリというホコリが舞って、カイもクゥも、どちらの顔も真っ黒になった。
「――ぷ、あは、あははははっ!」
ふたりはどちらからともなく笑いあった。
何がそんなにおかしいのかはよくわからなかった。ただ、かつて人が消え去ってしまったこの場所で、それでもふたりは泥臭く生きている。そのことがとても掛け替えのないことのように思えた。
それからカイは、クゥを後ろに乗せてホバーバイクで走りだした。ナビゲートされるまま立体通路の上を進んでいく。
クゥが言うには、この掘り出し物でも空に向かうだけの出力はないらしい。だから、それができる機体がある場所まで移動するのだ、と。
その場所とは
飛行機。懐かしい単語に、カイの胸は躍った。
あの曲を歌い出す。止められようはずがない。
君を想って 今日も歌っているよ
大事に作ったこの曲を
君は今 どうしているんだい
ああ あの青い翼に乗って
かつての街はこの曲を聴いただろうか。その頃の営みはいまはもうないけれど。あるのはふたつの小さな命。彼女たちはこんなにも輝いている。
懐かしむように、名残惜しむように、励ますように、一陣の風がふたりの背中を押した。
向かうのは空に浮かぶあの白いクジラ。
「飛んでいきたいよ、ベイベー」
ハンドルから離した手でカイは力強く指さした。
何千メートルものその距離も、カイにはずっと縮まっているように感じられるのだった。
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