【10】人が空飛んじゃいけないのかよ
「大変なこと? どんな?」
カイの疑問に答える代わりに、ジェリーは、
「ボンっ!」
と言って両手を広げた。それはまるで、
「爆発?」
を意味するかのようだった。
「どうだろうね。少なくともクゥの
「でもジェリー、爆発するものなんて、ここにあるのかよ」
「なんだ、忘れたの? 今朝、君が爆発させたばかりじゃないか」
「あ……」
確かに、ホバーバイクのエナジータンク。
だけどその爆発だってそう大きなものじゃない。都市の危機というなら大げさすぎる。
「それに……あれ? そもそもバイクってなんで爆発するんだ?」
カイの疑問に、ジェリーは待ち構えていたように目を細めた。
「それならカイ、バイクの動力源はわかる?」
問い返され、カイは考え込んだ。普段そういうことを考えたことがなかったから。
乗り終えたら格納庫に戻しておけば不自由なく使い続けられる環境だ。これまで故障も不調もない。次第に仕組みなんて気にしなくなっていたことに気づく。
ハイビスカスで暮らすほかの人々も、実際みな似たり寄ったりなのだ。衣食住をはじめ、多くのことは都市が先回りで解決してくれる。そうなると人は細かいことを気にしなくなるらしい。
例えば食。食堂に行って
ティムなら教えてくれるよ。
いつだかジェリーがそう言っていた。ハイビスカスの花びらのうちのふたつ、養殖エリアで育てた魚由来のたんぱく質とミネラル、栽培エリアで採れる食物繊維とビタミン、それらを混ぜ合わせて作られているのだとか。
誰かが何とかしてくれないかな。
屋根明け作業のとき、共にいたシュリからうっすらと感じたのは他力本願なその本音。都市の終わりが見えてなお期待せずにはいられない。都市が独りでに解決してくれることを。
未来ってのは、そうじゃないだろう。
そんなふうにもどかしく思う気持ちもカイにはあった。
だけどこうしてホバーバイクの問いを突きつけられると、カイもさして変わらないと言われたような気がして、海水でも舐めさせられたような歯がゆい気持ちになるのだった。
「電気……で動くもんだと思ってた」
「うん、半分は正解だ。タンク内で発電してるからね。でも発電にも材料が必要で、それが何かって話。答えは
「
聞きなれない言葉だった。
カイは噛み砕くようにゆっくりと繰り返す。それでもなおそのイメージは、目に見えない重力の名の通り、どうにも掴みどころがない。
「そう、
「大惨事……だな」
少なくとも都市の支柱が砕かれるのだ。五枚の花びら全てが沈んだっておかしくない。
「でもジェリー、なんだってそれが爆発しなきゃいけないんだ。月が沈むときって言うけどさ、月と何の関係があるんだよ」
「さぁ……ね。重力資源の組成、性質がわかれば、何かつかめるかもしれないんだけど」
不意にエメラルドの瞳がカイを見て、
「それ、クラスエラーになっちゃうんだよね」
「おい、それって……」
クラスエラー。クジラの正体を探ると必ずぶちあたる壁。
それがハイビスカスの奥底にも隠れていた。空と海、ふたつを何かが繋いでるような気がして、でもそれが何かわからなくて、のどの奥が詰まったようにカイの言葉は続かなかった。
「クゥが教えてくれたら早いんだけどね……」
ジェリーが視線を落とした先で、クゥはじっと前を見つめている。バーナクやマム、飛び交う議論の行く末を。
そしてバーナクがこちらを向いた。手招きしている。
「呼び出しだ」
ジェリーが深く息を吐いた。
「まぁそういうわけだからさ、カイからもきいてみてよ」
クゥをよろしくね。
そう言い残して、さっさとジェリーは行ってしまう。
「いや、そうは言うけどよ」
ひとり残され、口をとがらせながらカイは頭をかいた。
クゥはずっと静かなままで、物言わぬ機械のようだ。カイを気にするそぶりも、立ち去るジェリーを目で追うこともない。
議論の方は、ジェリーが加わることでまた違った空気になった。
大型ディスプレイにクゥの顔が映し出される。救護室の風景だ。ジェリーによる試行錯誤のインタビュー。どうやらさっきカイにした話を皆に向けてもするつもりらしい。
内容はカイの頭にはさっぱり入ってこなかった。
クゥはわかってるんだろうか。いま皆が話してる内容を。
皆がクゥに酷いことをするかもしれないってのに。
そんなことを考えながら、その無垢な顔に教えてやろうにも脅そうにも、その手段がないことがカイにはもどかしく感じられた。
ぐぅぅぅ――
その沈黙を、低いくぐもった音が打ち破る。
見ると、クゥが少し恥ずかしそうにしながらおなかの辺りを押さえていた。
それでカイは思い出した。おあつらえ向きのものをポケットに忍ばせてあるじゃないか。
「ほら、食うか?」
取り出されたスティック栄養食を、はじめクゥは不思議そうにのぞき込んでいた。やがて鼻をならし、小さな口でかじりつき、あっという間に頬張って、
「ンッ!」
満面の笑み。
「お、うまいか?」
もうひとつ取り出して手渡してみると、今度は
どこか機械みたいだと思っていたけれど、そんなことはない。クゥもひとりの女の子なのだ。
「なぁ、クゥはどうしてここに来たんだ?」
伝わらないのはわかっている。
だけどいま、カイの口は滑らかだった。
「そんな小さな身体でさ、こんなところくんだりまで降りてくるのは大変だったろ?」
クゥがようやくカイを見る。
月を映したようなダイヤモンドグレーの瞳だ。
「何か役目があったとか? 爆発を警告しにきたのかい?」
気にせずカイは続けた。
いや、言わずにはいられなかった。
「ここにもさ、役目があるみたいなんだ。マムって役目さ。女衆をまとめるだけじゃない。誰かとつがいになって、子供を産んで……このハイビスカスを存続させなきゃいけないって。今のマムだけじゃない、みんながそう言うよ。人間ってのはそういう風に作られているから、そうするのが自然なんだって。そうするのが正しいんだって……。でもさ――」
ギリ、とカイは唇を噛んで、言った。
「人が空飛んじゃいけないのかよ」
ここハイビスカスでは女性は大切な存在だ。ただでさえ低い生存率。世代の存続のために女性はひとりでも多く生きなくてはならない。
それゆえカイの存在は異端だった。空という無益なものを目指して、時に自身さえ危険にさらすこともある。
最も象徴的だったのはジェリーが
「あの高い塔があるだろ」
カイが指さして、つられてクゥも目で追った。
「男連中はさ、あのてっぺんで度胸試しをやるんだ。ホバーバイクで、フルスロットルかけて、どこまで端ギリギリに止められるかって。ジェリーはずっと嫌がってたけど、結局やるはめになってさ。でもあいつ運動神経はからきしで、おもいっきり飛び出しやがったんだ」
思い出して、カイはいまでも肝を冷やす。
あのときはとっさで、必死だった。別のホバーバイクで急発進。天空塔から飛び降りたのもそれが初めてのことだ。落ちるジェリーをひったくって浮力最大。それでも速すぎるからと、マンタでジェリーのバイクを爆破した。爆風の抵抗で速度を落とし、大水路への着水。ほとんど墜落と言っていい。ふたりとも生還できたのはまさに奇跡と呼ぶべきものだった。
「あんとき一瞬、空を感じたような気がするんだよな……」
まぁそん時からジェリーは高所恐怖症なんだけど、なんて続けながら、
「あれから何度か天空塔から飛び立とうとしてみたけど、ダメだった。落ちるだけで飛べやしない。なぁ、クゥはあのクジラから来たんだろ? どうやったらあんなふうに空を飛べるんだ?」
答えなど、正直期待していなかった。
だけど――
「アリ……ガト……ウ」
おずおずと組み立てられたのはお礼の言葉だ。
「お前――」
何に対して?
食べ物か、それとも海から助けたことか。
しかし問いただすこともできず、カイは続ける言葉を失った。
クゥが光り輝いている。
何度見たってこれには慣れないだろう。チョウチンアンコウの光に魅せられた小魚みたいに、カイはすっかり
気づけばクゥの左手が伸びていた。前と同じ、カイのゴーグルに向かって。
光はさらに強まって、カイの視界は完全に白一色になった。
何十秒、はたまた永遠にも感じたその光の中で、
「カイ、ありがとウ」
カイの耳に届いたのは機械音声。でもそれはティムのものとは少し違う。
そもそもティムがこんな風にお礼を言うことなんて、これまで一度としてなかったはずだ。
カイは一瞬で確信した。
「わたしを助けてくれテ」
これはクゥだ。
通信でならクゥの言葉がわかる。
なら、それなら、この都市の問題だって、クジラのことだって――
膨らむ期待。
でもその後のクゥの言葉はいくら待っても聞こえなかった。
目がくらむほどの光はゆっくりと収まって、徐々に視界が戻り始める。
すると広場の全員がカイに注目していた。信じられないものを見たかのように、ぽかんと口を開けながら。
夜にあれだけの光を発すれば、さもありなんといったところか。
「あ、と、今のはクゥが――」
わけもなく弁明しようとして、カイは気づいた。
「おい、クゥ? クゥ!?」
クゥがカイの膝にぐったりともたれかかっている。
「……意識がない」
まさか、また潮風病だろうか。
「とりあえず救護室に運んでやるんだ。おい、誰か手伝ってやりな」
マムが真っ先に声を上げた。
そこから皆の、特に男たちの動きは早かった。さすがに天使と持てはやしていただけはある。
でもそれで結局、会議はうやむやのままで終わってしまった。
都市の機能が全て停止してしまうまでの猶予はわずかに三日。今できるのは、都市の機能を必要最低限にまで抑えて延命させること。
それからどうするのか。クジラが資源を奪うなら奪い返すのか。それとも都市機能に依存せずに生きる道を探すのか。どちらにしても、その方法など誰にもわからないままだった。
夜明け前、月が沈む頃にみんなで起きて備えよう。
決まったのはそれが精いっぱいだった。何に備えるのか。それすらもはっきりとわからないままで。
ただひとつ希望があるとすれば、クゥだろう。この小さな少女から何かきっかけが得られるはずだ、と考える人は少なからずいた。
もちろんカイもそのひとりだ。クゥの言葉を聞いた今となっては、その思いはがぜん強まるばかりだ。
だからカイは考えていた。月が沈む前に救護室に行って話そう、と。
けれど、その計画はあっさり出鼻からつまづくことになる。
カイが目を覚ました時にはもう、救護室にクゥの姿はなかったから。
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