【9】そんなのオレの知ったこっちゃないね

 ハイビスカスの食堂は、夕暮れには少し早い十八時。食事の時間としては中途半端な時刻ともあって人影はまばらだ。

 そうでなくとも屋根開け作業を終えて、大勢が休息に入っている。まだ共同スペースに姿を見せているのはわずかな人数にとどまっていた。


「わかるまで何度でも言わせてもらうけどね」


 その食堂の中央、水面からかろうじて顔を出したテーブルを挟んで、カイとマム、ふたりが向かい合っている。

 口を開いたのはマムだ。背筋はピンと伸びてはいるが、もううんざりだとその口調が伝えている。


「物を大切にしましょう。ここハイビスカスで最も大事な教えだ。いい加減その小エビ並みの脳みそに叩き込んでおくことだね」


「もう耳タコだよ、マム。んなのはガキでも知ってる話だ」


 マムが目くじらを立てて睨み付けるその前で、カイはすっかりどこ吹く風。疲れた顔で片肘をついて、興味なさげにバリボリとスティック状の栄養食を頬張っている。

 さすがにマムも堪忍袋の緒が切れる寸前といった様子で、


「その教えを守れって言ってるんだよ。またバイクを一機、これであんたがぶっ壊したホバーバイクは計六つ。歴代最高記録を更新だ」


「ぶっちぎりだな」


「笑い事じゃないんだよ!」


 片手でバンとテーブルを叩き、マムは声を荒げた。


「おまけに手元に残ったマンタまで海に投げ捨てちまったって話だ」


「しょーがなかったんだって」


 カイもそこでようやく前のめりになった。まだ口に残っていたものをゴクリと飲みこんで、


「そうでもしなきゃクゥは助からなかった」


「あの白い女の子かい?」


 マムの細い眉がピクリと跳ねる。


「ふん、言葉も通じないあの子供にどれだけ意味があるんだか」


「いや、きっと――」


 クジラの秘密がわかるんだって、なんて言葉を継ぐ暇もなく、


「そ・れ・に、あんた、その子のために海に潜ったっていうじゃないか。命綱もつけずにだ。助かったからいいけどね、自殺行為だよ、まったく」


 立て続けの糾弾きゅうだんに、たまらずカイは閉口した。クジラの来訪、都市の期限、白銀の少女、課題はすでに山積みではあるが、マムとしてはとにかく今はカイを反省させなければ気が済まないらしい。


「まだある。天空搭スカイタワーからの飛び降りだ。あれはもうやるなって厳禁しておいたはずなんだけどね」


「や、オレはやってな――」


「ごまかしは通用しないよ! やったらティムが教えてくれるんだ。ジェリーにそう設定してもらったからね」


 その切り返しに、すかさず降参とカイは両手を挙げる。内心、余計なことしてくれて、なんて毒づきながら。

 あるいはそう口に出したってよかった。とはいえジェリーにも、ティムにも、言葉を届ける手段が今はない。


 ゴーグルのことは黙っておこうっと。


 そうカイは心に決めた。

 いま話したら何を言われるかわかったもんじゃない。明日話そう。マムの説教ばっかり聞いていたら壊れました、ということにして。


 そんなカイの前ではまだマムが物を大切にする意義について説いている。

 徳とか精神とか、そういうご立派な要素を削ぎ落としていけば残る要点はひとつ。とどのつまり、直せないのだ。

 ハイビスカスの都市構造も、水面に浮かぶバイクも、光球を放つ双子の銃も、全てをコントロールするAIティムも。それらは五千年前に作られたきり、ノウハウはとうに失われてしまっている。何かを壊してしまえば、それは都市にとって致命傷になりかねない。


「あたしが言いたいのはね」


 気づけばマムがため息をついていた。目の光も柔らかなものへと変わっている。


「命を投げ捨てるような真似はするなってことさ」


 まっすぐに見つめられて、カイは今度こそ返す言葉を失った。

 しかし、


「あんたにはそろそろ、自分が次のマムの候補だ、ってことを自覚してほしいね」


「はぁ? なんだよそれ。そんなのオレの知ったこっちゃないね」


 一転カイは憤慨した。

 マムが気にしているのはいつだって都市全体だ。皆が幸せに存続していけるかどうか。そのためには今の男女代表制を続けるべきだと信じているようだった。

 カイの身を案じるそぶりの裏で、別の何かを優先している匂いがする。カイはそれがとことん気にくわなかった。


「いいかい、ここでは女はいつだって少数派だ。男連中の無茶を止めるには、マムには主張する強さが要る。カイ、あんたにはそれがある。あたしはそこだけは買ってるんだ」


 マムの言うことは、筋としては通っていた。

 傾向として、潮風病は女性のほうがかかりやすい。三十歳までの生存率には如実に差があるのだ。それは先のシャワー対策での担当エリアが、男が四、女が一に割り振られた通り。

 少数派として打ち負けない強さ、交渉力、タフネスが、マムという役割には求められる。


「おまけに身体も頑丈だ。あとはまともな分別さえつけば――」


「なぁ、こっちも何度でも言わせてもらうけどさ」


 くれた言葉をそのまま借りて、カイが話をさえぎった。


「オレはマムなんて絶対嫌だからな」


「嫌だ嫌だって言ったってね、誰かがやらなきゃいけないんだよ」


 この言葉もこれまで何度だって繰り返されてきたものだ。

 またか、とカイは心の中で白けてしまった。


 マムは頑固だ。だからこそ彼女はマムに選ばれたとも言える。

 カイだって頑固だった。素養としては必要かもしれないその性格が、この話をずっとこじれさせている。


 ハイビスカスには強いマムが必要だ。

 そうすることで男女の均衡は保たれて、バランスよく次の世代が続いていける。

 これは皆のためでもあるし、めぐりめぐってカイ自身のためにもなるんだよ。

 それがマムの言い分だった。


 本当にそうだろうか。

 カイはずっと疑問に思っていた。


「まぁこんな急転直下の状況になって、次のマムは荷が重いのはわかる。この難局は私の代でなんとかケリをつけるさ。それは信じてくれていい。カイ、あんたはそれをただ引き継いでくれればいいんだ」


「んなこと言ったって、嫌なもんは嫌だ」


「どうしてそこまで嫌がるんだい?」


「だってよぉ……」


 オレは空を飛びたいんだ。


 でかかった言葉はのどの辺りに引っ掛かって、結局奥に引っ込んでしまった。

 ずっとマムの多忙を近くで見ていたというのもある。加えて、カイには予感があったのだ。空を飛ぶにはいつか、このハイビスカスから外へ出なければいけない。マムになってしまったら、おそらく夢は叶えられない。

 だけど、その夢も結局はカイ個人のワガママでしかない。その負い目が、そう言葉にすることを阻んでいた。

 かといっていま軽々と受け入れられるわけでもない。


「とにかくオレは思うがままに生きたいんだ。誰かに決められた生き方なんてゴメンだね」


 そう言ってカイはきっとマムを睨み返した。


「どうしてこんなお転婆に育っちゃったのかねぇ……」


 マムは軽くため息を漏らしながらも、


「とにかく、無茶な真似はこれっきりにすることだね」


 そう言ってカイに釘を刺すのだった。






「――みたいなことがあってよぉ」


 カイがまた不平を漏らす。その受け口になるのは、前と変わらずジェリーの役目だった。


「まぁそれだけカイに期待してるってことだよ。それに、僕もいいと思うけどな」


「何が?」


「カイがマムになること」


「けっ」


 吐き捨てるように言って、カイは前を見やった。巨大モニターの前、その光景は四年前と似ている。

 違うのは空模様だ。一日の終わりも近いは雨上がり。夕焼けの赤ではなく、満月の輝く月夜の下で、バーナクとマムを中心に大勢が意見をぶつけ合っている。


 やれクジラに攻撃を。

 いや今は食糧の確保を。

 はたまたクゥを人質にしてクジラと交渉を、なんて突飛な案も出た。無論その具体的な方法などは雲を掴むようなものではあったが。


 クジラ対策会議。シャワー対応のせいで開始が遅れたものの、今回は熱の入りようが違う。なにしろまだクジラが上空に浮かんだままなのだ。対処すべき対象を視界に捉えての議論はさすがに白熱しようもの。

 もっとも、白熱し過ぎて結論がいっこうにまとまらない。そんな難点もあらわになっている。あくまでもクジラを攻撃したいバーナクと、食料管理に手を入れたいマム。議論はずっと平行線だ。


「あんな風にあーだこーだって、性に合わないね。やるべきと感じたらやる。それでいいだろ」


「ふふ、カイがマムになったらみんな苦労しそうだ」


 笑みをこぼすジェリーに、カイは不愉快そうに「ふんっ」と鼻をならして、それでもちらりとジェリーの方に視線を向けた。

 いつかのように居住ブロックの屋上に腰を下ろしたジェリー。その手前に、もうひとりがちょこんと座っている。

 クゥだ。月光を全身に浴びて、負けじと青白く輝くその姿。彼女はただじっと眼下の議論を見つめていた。

 小さな彼女を挟んで、両隣にはジェリーと自分。まるで親子みたいだ、なんてことを考えてしまって、あわててカイはその考えを頭から追い出した。


「なぁ、その子、なんかわかったか?」


 問いかけに、ジェリーは短く首を横に振った。


「あんまり。少なくともこの子は人間で、女の子だ。ただ……」


 ジェリーの指がクゥの手の甲にそっと触れた。


「この肌の模様、何かの回路かもしれない」


「回路? 機械みたいな?」


「ああ。ひょっとしたら、あのクジラと通信できるのかも」


 顔をあげるジェリー。つられて、カイも夜空を見上げた。


 クジラ。夜空に浮かぶもうひとつの満月のよう。

 まだそこに留まっているのは、確かにこの子と連絡をとるためかもしれない。


「あとね、この子が僕らに伝えたいこと、なんとなくわかったよ」


「ほんとか? よくわかったな」


「大変だったんだよ。絵を描いたりしながらね」


 ジェリーは苦笑を浮かべながら、ポンポンとクゥの頭を撫でた。

 そこでクゥもようやく少しばかり表情を崩した。どうやらこれまでの短い時間の中で、クゥもジェリーに対して多少は心を許したらしい。


「で、クゥはなんて?」


「うん……」


 まだちょっとあやふやなんだけど、と続けながらジェリーは月を見つめた。

 エメラルドの瞳が揺れる。


「あの月が沈むとき、ここハイビスカスで大変なことが起きる……って」

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