【8】どーなるんだろうな、この先
「アタシたち、どうなっちゃうんだろうね」
カイの隣で、赤毛の少女がどこか諦めたように笑った。お揃いのゴーグルを額にのせて、サンゴのような縮れ毛も今日はどこか元気がない。
彼女の名はシュリ。カイほどとはいかないが、こちらも健康的な褐色肌を輝かせている。この都市で数少ない同性同年代とあって、ふたりは一緒に組まされることが多かった。
「いいから手を動かせよ。早く終わらせてメシ食いたいんだ、オレは」
「そんなこと言ったって、重いよ、これ」
ふたりは横並びになって一本の太い鎖を横に引いている。その先は小さな滑車が集まって、カニが泡を吹くようなその連なりが、最終的には百メートル四方はありそうな巨大屋根のフィルターを少しずつずり動かしていた。
「いま、どれくらいまでいった?」
「あと半分」
ぶっきらぼうに応えて、カイは引く手に力を込めた。
やっと半分だ。かれこれ三十分、力いっぱい引き続けているがなかなか終わりが見えてこない。
上空の太陽はまだまだ高い位置で張り切って、じりじりと肌をいじめてくる。この暑さの中ではなかなかの重労働だ。
もっと人手があればよいのだろうが、カイたちがいる居住エリアの屋上だけで同じフィルターが十個、ほか四つのエリアにも同じものが同じ数だけ並んでいる。男たちは皆そっちに散らばってしまって、とても助力は望めそうにない。
「ほら、もうひと踏ん張りだよ。シャワーまでもうすぐだ」
カイの背後の車いすからマムが声を張り上げた。
シャワー、またはスコールとも呼ぶ局所的な豪雨。それが来る前にカイたちはハイビスカスの屋根という屋根を開けなくてはならない。閉めるではなく開ける。雨への対応なら普通は逆だ。
「こんなことまで、アタシらがやらなきゃいけないなんてね」
「まったくだ。泣けてくるよ。……おっと、涙も節約しないとな」
そうおどけるカイだったが、シュリは乾いた笑いを浮かべるだけだった。
要するに水、それも飲料水の確保が、いま彼女たちの死活問題と化しているということだ。
海水であれば文字通り無尽蔵にあるものの、真水となるとそうはいかない。
それを得る仕組みは主に二つ。一つは淡水化フローという仕組みで、ハイビスカスの五つの花びら、その外縁部で常に動いている。海水を大量に取り込んで、蒸留と逆浸透を繰り返して真水を作るものだ。が、当然それにはエネルギーを消費する。
ティムの時計が示す未来、ハイビスカスのエンストは、都市の中のありとあらゆる機能が停止することを意味する。この淡水化フローも例外ではなく、つまりあと三日で飲み水が作れなくなるかもしれないということだ。
だからもう一つの仕組みが重要だった。
それは単純に雨水を利用するというもの。花びらの表層に用意された幾つもの
唯一の難点は、雨は気まぐれにしか見込めない、ということになるが。
「ほんとに雨なんか降るのかな」
と、こぼすシュリ。つられてカイもまた空を見やった。
確かに入道雲らしきものは浮かんでいるが、今もまだ空はその青さを嫌というほどに見せつけてくる。むしろ雲よりもあの空飛ぶクジラのほうが存在感がある、とさえ言えそうだ。
「どーなるんだろうな、この先……」
さっき打ち消したはずの言葉が、思わずカイの口からも滑り出た。
貯水槽のフィルターだって、ハイビスカスの動力をもってすれば、ものの六十秒とかからず開くのだ。ひとつでなく、計五十個あるそれら全て、全自動で。それが人手では散々な有り様だ。
空はどこまでも遠く、海だって果てしない。あのクジラもハイビスカスも結局はそのほんの一部でしかなくて、その中でもがく自分たちがカイにはどうしようもなくちっぽけなものに感じられた。
「カイはさ、どうするの?」
「なにが?」
「アタシはさ、次のマムはカイがいいな」
シュリの言葉に、カイは目を丸くした。
「はぁ? オレは嫌だぜ。まだそんな歳じゃねぇし」
「えー? 合うと思うけどなぁ。今のマムだって、十八歳でなったんでしょ。ちょっと早いかもだけど、早すぎるってことはないんじゃない?」
オヤジとマム、愛称でもあるそれらはハイビスカスの男女それぞれを代表する立場でもある。そして代々受け継がれていくものだ。跡継ぎは皆の総意で決まる。代わるタイミングに定めはないが、その多くは健康上の理由、あるいは死去したときだ。
カイはちらりとマムを振り返った。
車いすの上からはつらつと指示を飛ばしてはいるものの、目につくのはその細身。健康的と言うには程遠い。マムの役目を務められるのも、そう長くはないのかもしれない。
だけど、今回の貯水槽を使うアイディアはマムが出したものだ。普段は全く使われずに埋もれていたこの機能、マムが言い出さなければ誰も気づかなかっただろう。カイの倍以上の年月をこのハイビスカスで過ごして培われたその知識と経験は、まだまだこれからも――いや、むしろこういう事態にこそ必要なんじゃないか。そうカイは思わずにはいられなかった。
「えっ」
唐突にシュリが驚きの声をあげた。
「どーした?」
「ナティが倒れた、って。潮風病かも」
「マジかよ」
心配していたことが起きてしまった、とカイは苦い顔をした。
後ろではマムも同じような表情で、
「早く救護室に運んでやるんだよ。人命が最優先だ」
と指示を出す。
「早く終わらせないとね」
シュリの投げ掛けに、カイは無言のまま腕の引きで応える。
が、すぐに何かに引っ掛かったような顔になり、
「ちょい待て。今のナティの話、通信に流れてるか?」
「うん。今もオヤジが、誰かフォローに行けるか、って……え、まさかカイ、聞こえてないの? マムの指示もずっと耳元で響いてたよ?」
「くそっ、ティム、おいティム、返事しろ」
しかし無音。
カイは思わず天を仰いでゴーグルを外し、パンパンと手の平で叩いてみた。けれどこの手の機器がその程度で直るわけがない。それは経験上よくわかっていた。
いつだ?
頭のなかで記憶をさかのぼる。
そうだ、起きてから水路の中ではティムと繋がっていた。そのあとは白銀の少女、クゥと会って、そして――
「あの光」
クゥの全身が輝いていたとき、確かその手がカイのゴーグルに触れていた。でも、果たしてそれだけで故障なんてするだろうか。
確かに以降はティムと会話をしていない。マムの指示を直接聞いていたせいで気づくのが完全に遅くなってしまった。
「替えのゴーグル、まだ余ってたっけ?」
「わかんない……あ、雨――」
ぽつり、ぽつり。
追い討ちをかけるように、大粒の雨がカイと手元のゴーグルを打ち始めた。
気づけばあたりはすっかり薄暗くなって、一瞬のうちに雨の勢いは猛烈なものへと変わっていく。まるですべてを洗い流そうとでもするかのように。
「やむまで――屋根を全部――もうひと踏ん張り――」
マムが必死に皆を鼓舞するその声も、雨の勢いに負けてカイには途切れ途切れにしか聞こえない。それだって通信であればクリアに聞こえるだろうに。
「屋外で作業中の皆サン、
その雨の中でティムの警告が響き渡った。機関銃掃射のような雨粒の中を、その警告だけは着実にカイの耳元にたどり着くのだ。
域外活動上限。潮風病対策として設けられている時間制限だ。
水面からあがっての活動は、九十分以内にとどめることが推奨されている。ティムの集計によると、それを越えると潮風病発症のリスクが跳ね上がるのだという。
しかし、すでにひとり倒れている通り、その時間内だって安全というわけじゃない。残り三十分でもう何人かは倒れてしまうだろう。そんな予感がカイにはあった。
「ギリギリになっちゃいそうだねぇ」
シュリがどこか他人事のようにぼやいた。
ギリギリ、戻る時間も考えるとおそらく足りない。他のみんなはどうだろう。潮風病のことも考えれば、完遂できないところが幾つか残ってしまうに違いない。
「間に合わないかもな」
今回の作業に限って言えば別に問題ないのかもしれない。また明日、残りに取り掛かればいい。雨だってまた降るだろう。
けれど、都市の残り時間は刻々と削られている。それまでに有効な対処を済ますことができるだろうか。
雨はまだひっきりなしに降り注いでいる。
濡れたウェットスーツはずしりと重い。
その感触はカイの両腕にまとわりついて、なかなか消えてくれなかった。
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