【7】綺麗な名前だな、まるで空みたいに

 カイが到着したとき、すでに救護室前の水路は何か祭りでも始まっているかのようだった。

 褐色の男たちが我先にと上陸を争うように、透明な扉に向かって押し寄せている。

 動物園なんて施設はこのハイビスカスにはありはしないが、もし開園してもここまでの騒ぎにはならないだろう。ある意味で最高の見世物が扉の向こうにいる。


「おい、お前どけよ。よく見えねぇ」

「お前こそクジラみてぇな図体しやがって、空でも飛んでろ」

「あんだとてめぇ」

「うるせぇな。あ、おい、寝顔がこっち向いたぞ」

「「「おぉー……」」」


 大の男たちが揃いも揃って鼻の下を伸ばしている様を見て、カイはどうしようもなくやれやれという気分になった。


「あー、あー、お兄さんがた。アホ面さらしてないで、ちょっとそこどいてもらえると助かるんだけど」


「なんだよ、こっちだって見たい……あ、カイ! カイじゃねぇか!」


 最後尾の三人が一斉に振り向いた。ハギ、イスタ、ロブ、今朝のクジラ狩りに駆けつけた面々だった。

 細顔のハギが真剣な面持ちで、水をバシャバシャとかき分けてカイに寄ってくる。そして彼女の両肩をガシリとつかんで言った。


「お前!」


「な、なに?」


「最っっっっ高に最高な仕事をしたな!」


「へ?」


 激しく同意とばかりに、イスタとロブ、ふたりのゴツゴツ頭もぶんぶんと縦に振られる。もげそうな勢いだ。鼻息も荒い。

 さすがのカイもたじたじで、ここが水路じゃなければ後ずさりをしただろう。


「お前が助けたあの子な」


 ハギが続けた。ほとんど血まなこで。


「ありゃ天使だ」


「……はぁ?」


「かぁああああ! ぬるい反応しやがって!」


 まるでこの世の終わりかのように、ハギは大げさに頭を抱えた。

 カイの冷ややかな視線には目もくれず。


「あの超絶なる可愛さがお前にはわからんのか! なんとも嘆かわ……まぁ確かにお前みたいな野蛮人にはわからんかもしれんが――」


「あぁ!?」


「と・に・か・く、ありゃ奇跡の産物だ。この地球の、いやこの宇宙の、いやこの世界の宝といっても過言じゃない。つまりお前は世界を救ったも同然だ。誇っていいぞ」


 カイもたまらず頭を抱えた。この非常事態に何をのん気な、と。


「で、兄さんがたは、その天使をただ見守ってるだけなのかい?」


「まぁ、そういうことになるな。こっちもさっき着いたばかりだが、あの子には触るなってマムからのお達しだ」


「そんな悠長な。知ってんのか、この都市のタイムリミット」


「ああ知ってる。とりあえずあの子が目覚めるまで……っておい、カイ!」


「悪いけど、こちとら気が短くてね。はいはい兄さんがた、邪魔だよ」


 ハギの制止も聞かず、カイはずかずかと集団の真ん中へ割っていき、並んだ尻を次々に蹴飛ばしていく。そして網膜認証の扉をためらいもなく開いて、ざぶざぶと中へ進んでいった。


「ああ、マムの説教コースだなこりゃあ」


 とは嘆きつつも、カイが扉を開けてしまえば好奇心がまさるのだろう。ハギたち男連中も恐る恐る後に続いていく。


 白銀の少女は広い救護室の真ん中にいた。ベッドも例の卵型だ。ただし相当特大の。

 その中で少女は眠っているようだった。作り物のような静けさ。ピコン、ピコン、と脇のモニターが規則正しく音を立てるのみで、それが心拍数を教えてくれなければ、死んでいるんじゃないか、とさえ疑うほどに。

 卵の底からは透明な酸素チューブ以外にも、細いチューブが何本も伸びて、少女の白い肢体に集まっている。一瞬、カイの目にはそれがへその緒のようにも映った。透明な水の中で揺らめく銀の髪、折りたたまれた白い身体は、誕生の瞬間を待つ生命のような、確かに神秘的な何かを感じさせた。


「えっと、このボタンでよかったっけな?」


 カイがなにやら操作をすると、卵の形が突如として崩れ、左右から水が盛大にあふれ出した。底が浮き上がって、少女の身体をすくい上げたかと思えば、そのまま小舟のようにカイたちの目前へ泳ぎ出てくる。

 これは手術オペ時の操作だった。もちろんカイに手術などできるわけがなく、続く操作はお預けのままとなる。


「この肌……」


 少女の身体が近づくにつれ、カイはひとつの特徴に気づいた。

 真っ白な全身、そのほとんどは薄い衣服の色であったが、肘と膝から先は素肌のままだ。その素肌が天井のイオン照明を反射して、キラキラと光り輝いている。彼女の額やほほ、首筋だって例外なく。

 輝きの正体は模様だった。細い医療チューブとはまた違う。銀色の直線が何本も、部屋の配管よりずっと整った並びで肌に敷き詰められていた。


 海の上、輝いていたのはこれだったか。


 カイはひとり合点がいったが、その意味となるとさっぱりわからない。

 不思議に思うまま、カイは頬の模様にそっと触れてみる。どうやら描かれたものじゃない。最初からそういう皮膚として生まれてきたかのような感触だった。


「ウゥ……」


 刺激に、白銀の少女がかすかなうめき声をもらした。


「おい、気づいたぞ」


 後ろでハギが小さく叫ぶ。

 カイがじっと見つめる先で、大きな両の瞳が開かれていく。水に浮かぶように揺れていた焦点が、やがてカイの顔めがけてピタリと定まり、驚きによって見開かれた。


「ア――」


 何かを言おうとしたらしい。酸素マスクが外れて、だけど言葉は続かなかった。パクパクと、陸に上げられた魚のように小さな唇が動くだけだ。


「オレはカイ。わかる? カイだ。天使さん、あんたの名前は?」


 カイとしては助け船のつもりだった。だけど、その質問も通じていないようだ。グレーの澄んだ瞳はただひたすら右往左往――もっとも、目覚めに褐色の大男たちに囲まれれば、これが自然な反応なのかもしれないが。


「スウェスタ、スウェスタ……」


 最初は、単に混乱しているのか、とカイは思っていた。だけど、どうも何かに困っているようだ。少女はしきりに自分の左耳を指さして、そこは、たしか星形の髪飾りがあったはずだ。


「あー、悪いな。それなら今は海の底だよ。海の底。もう取りにいけない」


 カイは右手で下向きの矢印を作って、何度か水に沈めてみた。

 それでなんとか伝わったらしい。少女の顔がどんよりと曇って下を向いた。落ち込んでいるのは誰の目にも明らかだった。


「なぁティム、この子の言葉、わかるか? すえすた、って何だ?」


「お待ちくだサイ。言語データベースを検索中……クラスエラー、処理を継続できまセン」


 なんだよ、と落胆する男衆。

 でもカイにとっては想定の範囲内。決して悪いだけの展開じゃない。彼女はクジラからやってきた、それが裏付けられたようにも思えた。


「なあ天使さん、教えてくれよ。あんたが何者なのか」


 カイはじっと少女の目を見すえた。

 下を向いていた少女の瞳も、やがてカイの青い瞳をじっと見返して、


「カイ」


 指さして名を呼んだ。続いて自らを指しなおし、


「クゥ」


 透き通るような声でそう名乗る。


「クゥ……クゥっていうんだな、あんた、クゥ」


 問いかけに、コクリと小さな頭がうなずいた。


「そうか。綺麗な名前だな、まるで空みたいに」


 カイも満足げにうなずいた。

 それは紛れもなく未知を自ら解いた瞬間だったから。ティムやジェリーに頼るのではない。カイにはそれが生まれて初めての経験のようにも思えた。


「カイ」


 今度は白銀の少女がお返しとばかり、カイのほほにむけて左腕を伸ばしてきた。

 しかし褐色の肌には触れもせず、さらに上を目指してくる。


「おい、ちょっと待て」


 柔らかな白い指先が触れたのはゴーグルのベルト。でもその指の感触さえ消え去ってしまうほど、カイは信じられないものを目の当たりにしていた。


 光――


 クゥが、白銀の少女の全身が、敷き詰められた銀線の一本一本がまばゆいほどに発光して、ケミカルな青白い色で救護室の壁を塗り変えていくのだ。


「ほら見ろ、やっぱり天使なんだ……」


 カイの後ろでハギたちが呆然とつぶやいていた。

 あながち間違いじゃないかも、とカイも思わずにはいられなかった。それほどまでに輝く少女の姿は神々しく、超現実的で――


「何やってんだい、あんたたち!」


 突然、背後から凛とした声が響き渡り、誰もがギクリと動きを止めた。白銀の少女の輝きも元に戻ってしまっている。まるで夢でも見ていたかのように。

 そしてひとり、イタズラをとがめられた子供みたいな飛び切りバツの悪い表情を浮かべていた。無論、カイである。


「カイ、いい加減あんたには大人しくするってことを学んでほしいね」


 入ってきたのはマムだった。水路ではさすがに車椅子ともいかず、太い赤白ストライプの浮き輪を身に付けている。そんなコミカルな姿のせいで、本来の威厳から何割かは損なわれているに違いなかった。


「だって、マム、のんびりしてる場合じゃ――」


「わかってるよ。でもあんたに任せたら何だって壊しちまうからね。女の子は無事かい? 救急ベッドも。大丈夫そうだね、安心したよ」


 あからさまな嫌味を言われて思わず顔をしかめるカイだったが、


「そんな目をしなさんな。あんたの仕事は別にある。こういうのはもっと向いてる人がするもんさ」


 そう言ってマムは背後を親指で指し示した。そこには立派なひげを蓄えたバーナクが自信ありげな笑みを浮かべ――


「ん? こら、あんたじゃないよ。なに笑ってるのさ」


「いでででで、耳を引っ張るんじゃねえ!」


 バーナクが退いた脇から、ジェリーの苦笑いが顔を見せる。


 まぁ、ジェリーなら……。


 まだカイとしては納得には程遠い。だけど、こういうことをジェリーよりうまくやれるかと言われたら、それはいなだと認めざるを得なかった。


「はぁ、しょーがない。ジェリー、後は頼んだ」


「うん、なんとかやってみるよ」


 そう言ってジェリーは笑う。

 その笑顔が本当にうらやましい、とカイは思った。


「それじゃあメシでも食うかね。気が抜けたら腹が減ったよ」


「ちょっと待ちな、カイ。仕事があるって言ったろ」


「うええ!?」


 カイの不平も意に介さず、マムはその場の男たちをぐるりと見渡して言った。


「さ、ほかのみんなは外だ。これからシャワーが降るよ」

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