【13】いまさら後戻りなんかできねぇよな

「おいティム、ふざけんな! なんでオレまで!」


 と憤るカイだったが、


「残念ながらこれは決定事項デス」


 その言葉通り、繰り返す警報は止まらない。

 まずい、とカイが振り返った時にはすべてが遅かった。すでにエレベーターはそこになく、代わりに真っ黒な大穴だけが開いている。


「くそっ、マジかよ」


 駆け寄って下穴を覗き込んだとき、


 カシャカシャカシャカシャ――


 異様な物音が奥底から響いてきた。


 なんだ?


 と目を凝らした瞬間、カイはぎょっとして思わず立ちすくんだ。

 穴の底の暗黒を埋め尽くしていたのは幾千もの赤い目。それが奇妙な機械音を響かせながら昇ってくる。穴の側面をぞわぞわと伝いながら。

 まるで虫の大群だ。生理的な嫌悪感が呼び起こされる。


「な、なんだ、こいつら!?」


 即座にマンタを下に構えるも、


「トリガーをロックしマス」


「いぃ!?」


 照準の十字が赤へと変わり、トリガーが動かない。

 ティムに与えられた武器ならば、それも当然だ。


「カイ、落ち着いテ」


 いつの間にか、クゥがカイのすぐ後ろまで来ていた。

 肩に置かれた手がゆっくりとなでるようにマンタに触れて、


「まぶし……」


 光とともに照準は青に戻る。まるで魔法だ。


捕縛機キャプチャークラブヨ。捕まると面倒なことになル。お願い、押しとどめテ」


「ああ、いや、でもよ……」


 本当に撃って大丈夫なのか、という迷いがカイの頭にはよぎってはいた。照準を見据える目がかすかに揺らぐ。

 しかし、それも一瞬。


「いまさら後戻りなんかできねぇよな」


 そう言って、ギンとにらみ直した青い目は以前の鋭さを取り戻していた。

 空を知る少女と、それを隠す人工知能ティム。どちらにつくかなんて、はなから明白なはずだった。その決断を自分はついさっきしたはずだ。空に届くには、ここでビビッてなんかいられない。

 それは天空塔スカイタワーから飛び出すような決意。後戻りのできない一方通行。その勇気をカイは確かに持ち合わせていた。


「なるようになれだ!」


 そう言って、


 バシュ――


 カイは力強く光球を撃ち放つ。続けざまに連射、連射、連射に次ぐ連射。もう指を止めることはない。

 しかし相手も無尽蔵。撃ちもらした赤目が続々とよじ登ってくる。


「カイ、抵抗はやめてくだサイ」


「うるせぇよティム、そっちこそやめろって!」


「カイ、気を付けテ。上からも来ル」


「上?」


 クゥの助言。見上げたカイの鼻先を、


 ブン――


 と赤目がかすめていった。


「うわっと」


 のけ反る勢いで宙返り。

 着地と同時に放った光球が、その赤目を粉々に砕き散らした。

 しかしその破片を踏み荒らしながら、第二、第三が迫りくる。


「息をつく暇もないぜ」


 マンタを構え直すカイ。その瞳がとらえた赤目の姿は、カニのようなシルエットだった。

 赤い単眼を中心とした丸い胴体。左右に広がる八本の黒い脚。振り上げる二本のU字のアーム。それでカイたちを捕えようというのか。


「カイ、撃っテ」


「言われるまでもねぇ!」


 咆哮ほうこうと共にカイは射撃を繰り返した。

 この場所で横への射撃は相当に危険な芸当だ。下手に外せば奥のガラスを破壊して、大量の海水が流れ込みかねない。


「うららららぁっ!!」


 しかしカイは臆することなく、ときに豪胆な、ときに繊細な銃さばきを披露する。訓練していたのは操縦スキルだけじゃない。そうティムに見せつけるかのように。

 思えば、海上での射撃訓練はマムにはいい顔をされなかった。

 無意味だとも言われていた鍛錬が、いまこうして自分自身を助けている。カイはそれで多少なりとも誇らしい気分だった。


「カイ、無駄デス。エネルギーを浪費させないでくだサイ」


 だが相手は圧倒的な物量だ。エレベーターの穴の上下から、赤目のカニの大群がどっと流れ込んでくる。いったいどれだけの数がいるのだろう。


「くそっ、クゥ! このままじゃじり貧だ。なんとか逃げる方法を――」


 振り返ったカイの視界に、信じられないものが飛び込んできた。

 光り輝くクゥ、ではなくその後ろ。逆光をもってしても隠せないほどの存在がクゥの背後に迫っている。管理室コントロールルームの室内に、ではない。さらに外、海の中にだ。巨大な影が現れて、逃げ惑う魚たちを押しのけ、ガラス窓一面を埋め尽くすかのように広がっていく。


「おい待て、まさか――」


 ゴォッ――――――


 次の瞬間、凄まじい衝撃がカイたちを襲った。

 コバンザメ。クゥを乗せてきた巨大な黒い楕円の塊が、外から突っ込んできたのだ。

 バランスを崩した赤目の軍勢が、バラバラと下穴になだれ落ちていく。

 なんとか踏みとどまった数匹がカイに襲い掛かろうとするも、


 ザバァァァァ――


 流れ込んだ水流に巻き込まれ、一匹残らず穴の中へ押し流されていった。


「うわぁ!」


 しかしそれはカイも例外ではない。

 水に足を取られ、なすすべなく押し流される。


「じょ、じょーだんじゃねぇぞ!」


 奈落が迫る、まさにその瞬間、


 ぐるん――


 とカイの視界がひっくり返った。

 いつの間にかカイの腹周りに何かが絡みついている。タコ足のようにしなる黒い鞭だ。それがコバンザメからにゅるりと伸びている。


「た、助かった……のか?」


 こいつにこんなことができたなんて。


 驚きを隠せないカイが振り返ると、同じ鞭はもう一本、クゥの身体を絡めとって保護していた。


「これでもう大丈夫」


 そんな言葉をカイの耳に残して、クゥはにこりと微笑んだままコバンザメの中に取り込まれていった。いったいその黒い表皮はどういう仕組みなのか。

 そんなことを考える間もなく、カイも黒い楕円に引き寄せられていく。逃げようにも管理室はほとんど沈没状態だ。


緊急事態発生エマージェンシー緊急事態発生エマージェンシー! 大規模な浸水を確認! 至急外壁の修復を――」


 ティムも泡を食ったように大慌て。

 これじゃ残ろうにも残れない。


 だぁああ、もう好きなようにしてくれ!


 大きく息を吸って目をつぶり、カイは引き寄せられるがままに身をゆだねるのだった。






 ぬるい感触が全身を巡ったのは一瞬。気づいたらカイは白い空洞の中にいた。


「ここは……」


 コバンザメの内部。そこはカイが想像していたより、ずっと狭かった。

 角のない白い空間は中からは輪郭がつかめない。球体のようにも見えるし、サイコロのような立方体に思えなくもない。

 進む足の感触はとても柔らかで、肉でも踏むかのようだった。


「結局どういうことなんだよ、クゥ――」


 説明してもらわないと気が済まない。

 そう呼び掛けたところで、カイは目当ての姿を見つけた。その足元に。


「クゥ、おいクゥ、どうした!?」


 カイの声に緊張が混ざる。

 見つけたクゥは床に無造作に倒れていたのだから。

 慌てて駆け寄るカイだったが、


「熱っ」


 思わず触れた手を引っ込めてしまう。

 それほどの高熱。生半可な風邪じゃこうはならないだろうという熱が、クゥの全身を襲っていた。


「お前、大丈夫かよ!?」


 愚問だった。どう見ても大丈夫ではない。

 抱え上げた腕は細かに痙攣けいれんを続け、わずかに開かれたまぶたの中は焦点を合わせようとすらしない。頭を支えてやった途端につぅと赤い液体が流れ出る。鼻血だ。


「おい、しっかりしろよ。救護室……は無理だな。えっと、どうしたらいいんだ。薬とかあるのか? というかお前、オレの言葉はわかるのかよ」


「カイ、心配しないデ。大丈夫。あなたの言葉も少しならわかル。しゃべる方は機械頼りだけド……」


 そこで耳元から聞き覚えのある機械音声が聞こえた。クゥからの通信だ。

 けれどそれはあまりにも目の前の姿とかけ離れていて、それがクゥからだとはカイはまだ半分くらい信じられずにいた。


「ほんとか? ほんとのほんとに、大丈夫なのか?」


 言葉が伝わる。その言葉に少しだけ安堵しながらも、しかしクゥの様子は決して油断できるものには思えない。


「少し無理しちゃっただケ。すぐに冷めるかラ。けどその前ニ」


「……冷める?」


 カイの疑問を置き去りに、またクゥの身体がぼんやりと光り始めた。

 それを合図にコバンザメの白い内壁が反応し始める。青や橙色の点滅があたりに広がっていくのだ。まるでサンゴの色彩、あるいは白い空にできた星空か。クゥのもとから四方八方、躍るような色合いが壁を余すところなく埋めつくしていく。

 

「はぁー……」


 あまりに現実離れした光景に、もうカイはため息しかでない。

 同時に少し身体が沈み込むような重さを感じた。コバンザメが浮上し始めたのだ。


「はぁ……はぁ……」


 腕の中では、クゥが荒い呼吸を繰り返している。


「まさか、操縦してるってのか?」


 ホバーバイクのハンドルとは全くの別次元。触れもせず、念動力か何かのように。

 この小さな身体には相当な負担じゃないのだろうか。事実、クゥの身体はさらに熱を帯びてきている。


 どうしてこんなに無理をしてまで――


 単にハイビスカスの動力を止める。それだけだったらカイは決して許せなかったし、納得もできなかっただろう。

 けれど今は知りたいと思っていた。非難ではなく、純粋な興味として。

 こうして全身全霊をかけてまでする意味があるのか、と。

 それにクゥは助けてくれた。カイを、あの沈みゆく管理室から。ハイビスカスを止めるだけならその必要はなかったはずだ。

 何か信念があるとしか思えない。文字通り、熱い何かがクゥの身体から伝わってくるのだから。


「ごめんなさイ」


 不意に目が合って、通信がクゥの謝罪の言葉を伝えた。


「理由、聞かせてくれるよな」


 カイとしては努めて優しく声をかけたつもりだった。

 それでもクゥは押し黙って下を向いてしまう。

 永遠のようにも感じた沈黙は、やがてふわりと浮き上がるような感覚と共に終わりを迎えた。海面に到達したのだ。

 クゥはそのまま決意のこもる目でカイを見て、こう言った。


「また、母船に戻らないト」

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