【14】グッバイ! ハイビスカス!

「「「コバンザメのなかぁ!?」」」


 ジェリーが、マムが、バーナクが、口をそろえて驚きの声をあげた。その響きはがっしりとタッグを組んで、カイの鼓膜をビリビリと震わせる。さすがのカイもゴーグルをずらして、少しばかり顔をしかめた。

 カイのほほくすぐる優しい潮風、その行く先にはハイビスカスのシンボル、天空塔スカイタワーがそびえ立っている。朝の光を浴びて輝く様はやはり綺麗なものだった。

 いつもならその頂上にカイはいるはずだった。それをいまカイは浮上したコバンザメの背、海に浮かぶ黒い島から眺めている。不思議な感覚だった。


 海面に戻ったカイの耳にまず届いたのは、必死に呼びかけを続けるジェリーの通信だった。

 カイが応答すると、盛大な安堵の渦が巻き起こる。どうやらバーナク達が天空塔に着いてすぐ、下へ降りる穴は海水で満たされてしまったらしい。通信も途絶え、カイの身を案じていたところにその浸水だ。半分はカイの死を覚悟した、というのがマムの談。皆、カイが無事かどうか、気が気ではなかったのだろう。

 続けて現状をかいつまんで話したら、先ほどの反応というわけである。


「がっはっは、お前の行動はいっつも読めんわ。たいしたもんだ」


 とバーナクは大笑い。


「笑ってる場合かい。危ない目にはあってないだろうね。そんなとこにいて大丈夫なのかい?」


 とマムは心配性。


「ねぇカイ、中ってどんな感じ? やっぱりハイビスカスとは全然ちがうの?」


 ジェリーに至ってはもう興味が別の方を向いたらしい。ジェリーらしいと言えばそれまでだが、三人の反応は見事にバラバラだった。

 ほかにもハイビスカスの面々が興味本位で、あるいはカイの労をねぎらって、思い思いの言葉を投げかけてくる。どう応えたものか、とカイは再び顔をしかめた。


「おいカイ、てことは白い嬢ちゃんを捕まえたってことでいいのか?」


 と問うのはバーナクだ。


「あー、逆かな。下で事故があってさ、クゥに助けてもらったんだ」


 嘘ではない。

 しかし、


「事故って、どんなさ?」


 間髪入れず、マムが疑問の声を上げる。

 ジェリーも質問を継いだ。


「カイ、下で何が起きたか教えてほしい。調べたらハイビスカスの動力が一度完全に落ちてる。どうも予備でなんとか保ってるみたいだけど、この通信だっていつまでもつか」


「そうは言ってもよ、よくわかんねぇんだ。クゥはずっと白く光ってただけだし……なぁジェリー、そっちでなんかわからないか? ティムはなんて言ってる?」


「それがね、ティムの反応がにぶいんだよ。事故のせいもあるのかな。呼びかけになかなか応えてくれなくて。こんなこと初めて……あ、反応があった。て、え? ちょっと、カイ、まずいよ」


「なんだ? どーした?」


「カイ……とクゥもだけど、ティムのブラックリストに追加されてる」


 一瞬にして、しん、と通信が静まり返る。あれだけ陽気だった場が凍り付いてしまったかのように。

 ブラックリスト。ハイビスカスの中で破壊を行ったり、秩序を乱すものに下されるティムの判定だ。あるいは烙印。居住エリアの末端、監獄地区に送られて、一定期間を経ないと出られない。最悪の場合、死ぬまで。


「あー……」


 半分納得しつつ、半分諦めたように、カイの口からゆるい声が漏れた。


「まぁ、ちょうどいいかな」


 という本音までは、皆に聞こえないように呟きながら。


「あんた、また何かしでかしたね」


 マムがため息まじりにやれやれと嘆く。

 そう言われると、さすがにカイもカチンとくるもので、


「いいや、オレは何もしてない。今回ばかりは本当だ。ティムがいきなり怒り出して……まぁ、そのあと捕縛機カニはバカスカ撃っちまったんだけど」


「ほら、してるじゃないか」


「だから何もしてないって。ティムのやつ、クゥを撃てって言うんだぜ? そんなのできるわけないだろ!?」


「ティムが……なんだって?」


「だからティムが、クゥを撃てって――」


「うぅん? なんだい、音が飛んでよく聞こえないよ」


 ちっ、とカイは大きく舌打ちした。

 ティムのやつ、妙な真似しやがって、と。


 そこでジェリーの声が響いた。


「ねぇカイ、とりあえず早く戻ってきなよ。事故の詳細を知りたい。ブラックリストのことだって、皆がお願いすればティムも撤回してくれるかもしれないからさ」


「いや、オレは戻らない」


 言ってから、カイは大きく息を吸って、静かにゆっくりと吐き出した。それでも心臓がバクバクと暴れて、その反響が頭の中にまとわりついてくる。


「え……っと、カイ?」


 ジェリーはまだピンときていない様子だった。

 それもそうだろう、とカイは思った。言った本人でさえちゃんと信じ切れず、どこか浮ついているのだから。


 自分の言葉を確かめるように、カイは前を見据えた。さっきよりも小さくなった天空塔が水平線へだんだんと同化していく。

 塔も、空も、海も、すべてが金色に輝いていた。カイの髪と同じ色に。


「クゥと話したんだ。クゥはこのままコバンザメで空に戻るらしい。あの白いクジラのところにだ。だからオレもクゥについていくことにした。しばらくお別れだ」


「そんな、カイ――」


「そんなの認められないよ!」


 ジェリーの戸惑いにのしかかるように、張り裂けんばかりにマムが叫んだ。


「あんた、いまの状況がわかって言っているのかい? ハイビスカスがエネルギー切れを起こして、少しでも人手が必要だ。みんなが協力しなきゃいけないってときに、ひとりだけ外に飛び出そうっていうのかい? 考えなしもほどほどにしな!」


 怒声に荒々しい息継ぎが混ざる。これだけマムが感情を乱すことなんて、これまであっただろうか。相対していたら相当な剣幕だったに違いない。

 それでもカイは、


「ああ、それでも行くんだ」


 と静かに、力強く言い切るだけだった。


「ダメだ!」


「マム!」


「ダメったらダメだ! 外は危険だって何度も言ってきただろう? 今まで外に出て戻ってきた人間はいないんだ。あんたには次のマムって未来もある。そんな自分勝手は許さないよ。だいたいクゥとかいう子だって、このハイビスカスを停止させた張本人じゃないのかい? 本来あんたがやらなきゃいけないのは、その子をここに連れてきて何をしたのか説明させることだ。それが何だい、逆にその子にふらふらついていくなんて、みんなに対する裏切りもいいとこだよ」


「そう……かもな」


 カイはもうわかっていた。

 マムがどうこう言ったところで、もう誰も自分を止めることはできないのだ。だから無言でいなくなってもよかった。例えば浸水で死んだことにして。

 それでもこうして別れを口にするのは、心のどこかで認めてほしかったからだろうか。次のマムとしての自分ではなく、空を目指す自分自身を。


「でもマム、オレは思うんだ。このままじゃ限界だって。この世界はオレたちのわからないことばかりで、ティムは肝心なところでエラーの連続だ。中に閉じこもっているだけじゃ、いまの問題にゃ手も足も出ないんじゃないかって。なぁ、オレを外に行かせてくれよ。外になら、何かチャンスがあるかもしれない」


「いんや、それはただの現実逃避さ。バカ言ってないで戻ってくるんだ」


「いいや、オレは行く」


「こっの、わからずやめ!」


 どっちが、とカイは心の中でつぶやいた。

 どうやら確認するまでもなく、マムには受け入れられないものらしい。


「カイ、君の気持ちもわかるけど、やっぱり僕としてはここにいてほしいかな」


 見かねてか、ジェリーが口を挟んだ。


「ジェリー、悪い」


「どうしても行くっていうのかい?」


「ああ、行く」


「今じゃなきゃだめなのかい?」


「ああ、たぶん、きっとそうだ」


 カイの決意は固い。

 皆の反対などハナから予想の内だった。この程度で揺らぐ決意などカイにとっては決意に値しない。


「そっか……」


 ジェリーは、ふふ、と静かに笑って、


「まぁ、カイが一度こうと決めたら、もう曲げないからなぁ……。潮風病に気をつけるんだよ。定期的に水に入るのを忘れないようにね。あ、そうだ。クゥに対策を聞いておいてくれよ」


「ジェリー……。おう、任せろ。ほかにもたくさん聞いといてやるから」


「ちょっとジェリー、なに勝手に送り出してるんだい?」


 マムがたしなめるかたわらで、


「いつかはこの日が来ると思っていたぜ、カイ」


 そう話すしゃがれ声はやけに嬉しそうだった。


「たとえ死んでも、後悔だけはするんじゃねぇぞ」


 そう明るく言ってのけ、がはは、とバーナクは豪快に笑う。


「オヤジ……」


「あんたまで、背中を押すんじゃないよ」


「しかしなぁ、もうあいつは心を決めちまった。こうなると意見を曲げんのはお前もよう知ってるだろう。白い嬢ちゃんも一緒なら、それに賭けてみるのも悪くない」


「どうだか。あたしゃ分の悪い賭けにしか思えないけどねぇ」


「おいカイ、俺たちの天使は、そこにいるのか!?」


 ごちるマムを押しのけて、鼻息荒く飛び込んできたのはハギの声。ロブ、イスタのふたりも一緒らしい。


「おう、クゥも無事だぞ」


「かぁああああ、うらやましい! 超絶うらやましい! 独り占めは許さんぞ! 絶対にまた会わせろよな!」


「ハギ……またふたりで戻ってくるよ。約束する」


 カイはひとり頷いた。


 そうだ。これで終わりじゃない。またハイビスカスに戻ってきて、そして――


「ほんとに? 絶対だよ?」


 不安そうな声を上げたのはシュリだ。

 数少ない同性同年代。その中でも飛び切り目立つカイだ。それが抜けるとなればやはり心細いのだろう。


「シュリ、もちろん約束だ。ただ戻ってくるだけじゃない。戻ってきて、そしてハイビスカスの問題も全部解決する! どうやるかなんて、いまはまだわからないけど、この世界のこと、色々知って、絶対に!」


「うん、待ってるから。絶対だよ、カイ!」


「カイ!」


「カイ!」


「カイ!」


 惜別の声は寄せては返す波のように、次第に大きくなりこそすれ、決してしぼむことはなかった。


「揃いも揃って、まったく……もう好きにしなってんだ」


 そんなマムのぼやきも飲み込んで、カイのもとへと流れ続ける。

 カイの心臓は、またひとつ大きく拍動した。

 ハイビスカスはもうほとんど水平線へ隠れようかという小さい姿。

 カイは立ち上がる。一秒でも長く、その姿を目に焼き付けるために。

 両手をこれでもかと大きく掲げた。一秒でも長く、皆に見送ってもらえるように。

 胸の奥にたっぷり空気を吸い込んで、最後に力いっぱい、皆に届けとカイは大声で叫ぶのだった。


「グッバイ! ハイビスカス! また会う日まで!」

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