第5章 翼を持たずに生まれてきたって
【19】オレは本物に用があったんだ
適者生存という言葉が、カイはあまり好きではなかった。
ティムが教えてくれた言葉だった。大昔の有名な学者が唱えたものらしい。
この世界では環境に適応できた生物だけが生き残るのだという。
カイにしてみたら面白くない話だった。
別にいいじゃないか。適応できないものが生きていたって。
不適合なものが生き残れないなら、この世界はあまりにも冷たすぎる。
けれど事実、世界は冷たいものらしい。
ティムが教える進化の歴史、それを聞くに、この
環境に適さなかったから。
それをその一言で済ませてしまうのは、いささか冷淡が過ぎるんじゃないかとカイには思えてならなかった。
それにカイは納得がいかなかった。
もし仮に適者生存が世のルールなら、いま生きている自分たちはどうしてこんなにも適応できていないのだろう。
だって水の中で暮らしているのだ。空気を吸って生きているのに。水から外に出ようにも時間制限つきという有様で、ハイビスカスでの人間はどう見ても不自由だった。
だからカイは思っていた。クジラの中は違うのだろうか、と。もっと適応した存在がいるのなら、きっとあの中に。
「ここには……誰もいないのか?」
垂直にぶら下がったままの飛行機。その操縦席からなんとか抜け出してカイが降り立った先は、巨大な白い空洞だった。
クゥの姿はない。すでに黒い鞭が拾い上げてどこかへ連れていってしまった。おそらくはここにも救護室のようなところがあるのだろう。いずれにせよ、カイとしてはそこは誰かに任せるしかなかった。
「失礼、客人をもてなすのが少々遅れてしまったな。空腹なのだろう。もっとも、食べ物はこういったものしかないが……」
ゴーグルが爺やの声を伝える。
同時に白い床から金属製の柱が立ち昇ってきた。その仕組みはハイビスカスのものとよく似ていた。エレベーターホールでマンタを受け取ったあの時の。
差し出されたのはビニールのパック。赤いゼリー状のものが包まれている。
カイはためらうことなく鷲づかみにして、のど奥に流し込んでいった。
薄味だった。空腹のスパイスをもってしても期待したほどの味ではない。
「……で、ここに来ればアンタに会えると思ってたんだけど」
空になったパックを後ろへ放り投げて、カイは白い空間に語りかけた。
「もう会っているよ。ただ、君が望むような面会を果たすなら、
その言葉と同時に、どこからともなくカイの眼前に人影が現れた。
男性だ。白髪で、クゥと同じように全身が白。違うのはその顔には何本ものしわがあって、銀縁のメガネをかけていること。そして丈の長いコートをまとっていることだった。
「ふんっ!」
姿を認めるや否や、カイは大きく一歩を踏み出して渾身の右ストレートを叩き込む。
「……っと、と、と、あれ?」
そのはずだった。しかし拳はするりと頭をすり抜けて、それどころかカイの身体さえも彼の白い身体を通り抜けていく。
「ほっほっほ、勇ましいことだ。自己紹介が遅れたね。私の名はブラットン。みなには爺やとも呼ばれているがね。まぁ好きなように呼ぶといい」
「なんだよ。オレは本物に用があったんだ。ハイビスカスのお返しをしてやりたかったのに」
「ふむ、直接話したいのは私も同じだよ。だが残念ながら、それはもう叶わないのだ。私の身体はとっくになくなってしまったものでね」
身体がない。
それがどういうことなのか、カイにはいまいち理解ができなかった。
「……爺さん、あんたはティムと同じってことなのか?」
ニマリと、ブラットンはかすかに笑みを浮かべた。
「同じとも言えるし、そうでもないとも言える。ひとつ決定的に違うのは、私はかつて生きていたということだ。少なくとも五千年ほど前には君と同じような肉体を持っていた。いま映しているホログラムはその頃の姿で、自動翻訳の声も当時の肉声を使っている。どうだ、聞きやすいものになっていればいいが……」
「よく……わかんねぇよ。ここにはクゥみたいな人がたくさんいるんだと思ってた」
「人なら大勢いるさ。ざっと二千人ほど。みな身体を捨ててしまったがね。ここ、コフチェク号のシステムに同化しているよ。だからこの船は私自身でもあり、みなの集合体でもあるというわけだ」
なんだか愕然とするような気分だった。
これが環境に適応して、適応して、それを繰り返した生命の最終地点なのだろうか。
ここに来ればわかるかもしれないと思っていた。ハイビスカスの暮らしが楽になる方法。潮風病を防ぐコツだって。
けどその実態が、みな肉体を捨てていたなんてことは、これまで考えもしないことだった。
「じゃあクゥは、クゥはなんなんだよ。どうしてアイツは身体をもってる。どうしてハイビスカスを止めるなんてマネをしたんだ。この船はなんだ。あんたらの目的は――」
質問はとめどなくあふれてきた。
そのひとつひとつを発するたびに、自分が何も知らないのだということを思い知るようだった。
そしてそれを実体のない立体映像にぶつけていることが、どことなくむなしく感じられた。
「希望だよ」
それでもブラットンは優しい目をしていた。
カイが何も知らないことを決して非難するでも、さげすむでもない。見守るような、導くような。それは親が子に向ける眼差しに似ていた。
「クゥは私たちの最後の希望だ。カイ、君には感謝しているよ。この場所であの子はずっと独りぼっちだったからね。君をここに連れてきたいと言い出した時は反対意見も多かったが、こうしてよかったと思っているよ。君と一緒になってからあの子は目に見えて明るくなった」
そうか。
カイはようやく合点がいった。自分の同行をクゥが許した理由を。
この場所で身体を持つのはクゥただひとり。どれくらいの月日をここで過ごしたのだろう。その孤独はカイには想像もできそうになかった。
「希望と言うなら、カイ、君もだ。言うなればハイビスカスに住まう人たち全てがそうだ。君たちは強い。我々は個体を残すことができなかった。しかし君たちは生き残った。力強く命をつないでいる。だから我々は、我々の未来を君たちに託そうと思う」
「ちょ、ちょっと待て爺さん。言ってることが全然わかんねぇよ。順を追って説明してくれ。なんでクゥが、オレたちが希望なんだ」
「そう……だな……」
そこでブラットンは初めて目を伏せた。
遠い過去を思い返すかのように。
「すべては五千年前に起きた
「もっと……前?」
「今から六千六百万年も前の話だ。カイ、君は恐竜を知っているかね?」
恐竜。突然挙げられた名前に、カイは少々面食らった。
それがどう関係あるというのだろう。
「大昔にいた大きな生き物だろ」
「そう。大型の
「何が?」
「見回してみたまえ。そんなに大きな生物がいまこの惑星に生息しているかどうか。言ってしまえば人間が最も大きな部類になっているくらいだ。たった一、二メートルの我々が。昔はそんな大きな生物がいて、なぜ今はいない」
「それは……」
不思議ではないと言えば嘘になる。
確かにティムも言っていた。昔はもっと大きな生き物がいた。それこそ生物のクジラだってそうだ。
けれど五千年前に全てが変わってしまったのだという。身体の大きな生物はみなこの世からいなくなってしまったのだ。
「カイ、恐竜が絶滅した理由を聞いたことがあるかな?」
思考を見透かしたかのように、ブラットンが質問を重ねた。
「隕石が落っこちてきたんだろ? ティムから聞いた」
「そう、その説が有力だ。ユカタン半島沖には巨大なクレーターが残っている。その時代、大きな隕石が衝突したのは間違いない。マグニチュード十一クラスの衝撃が地球を襲った。大きな被害が出ただろう。……しかしだ、果たしてそれだけで栄華を極めた恐竜全てが死に絶えるものだろうか。確かに巨大津波が起きただろう。空は粉塵で覆われ、気候変動も起きたかもしれない。だが、それだけですべての種が絶滅するものだろうか」
「……他に原因があった、って言いたげだな」
ブラットンは満足げに目を細めて、
「恐竜にはひとつの謎が残されているのだよ。その大きさだ。最大で四十メートルを超えるような
「大きくなりすぎちまった、ってことか。間抜けな話だな」
「ところがだ、実際にはその恐竜は歩いていた。足跡の化石だって残されている」
「んん?」
「それが謎というわけさ、カイ。その大きさの恐竜がどうして生存できたのか。証明された答えはない。だがね、可能性がひとつある。そもそもの計算が間違っている可能性だ。例えば、昔はすべての物が今よりずっと軽いとしたら」
「ずっと軽い? なんだよ、それ………………あ、まさか」
カイは思わず目を見開いた。
いつもはこんな小難しい話なんて頭がついていかないのが常だった。けれど結びついてしまった。どうして自分たちが水の中で暮らしているのか。どうして大きな生き物がいないのか。
ブラットンは一度大きく頷いて、静かに言った。
「そうだ。恐竜を真に滅ぼしたもの。それは地球の重力の変化に違いない」
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