【18】オレだけじゃなかったんだな
「すっげぇ、なんだこれ……」
いまだ追手は止まらない。しかし思わずそれを忘れてしまうほどの光景がカイの前に広がっていた。
カイとクゥ、ふたりを乗せた四輪カートが走り抜けているのはターミナルに繋がる
吊るされているのだ。その広い天井に。人類の夢、その長年の歴史というべき機体の数々が。どれもが廃墟で見た絵の鳥のようなフォルムをしていた。
「飛行機だよ。大昔の……小型のものばかりだがね。見るのは初めてかい?」
飛行機、これが……。
カイが想像していたものとは、全部が全部違っていた。腕を大きく広げた人のような。
空を飛ぶものとして、カイはこれまでクジラしか見たことがなかったから、きっとそれを小さくしたものだとばかり思っていた。
その群れの下を、カイはひとつひとつ追い抜いていく。
まるでタイムスリップをしてその発展を追いかけていくかのような体験だった。
「こんなに、いろんな形があるんだな。翼、二枚あるのとか……」
「どれも先人たちの知恵と工夫と努力の結晶だ。遥か太古の昔から、人は空を自在に飛ぶことを夢見てきたものさ。命がけの挑戦だよ。最初は鳥の羽根を
「そんなに……。なぁ爺さん、どうして昔の人は空を目指したんだ? そんな、命をかけてまで」
「様々な理由があっただろう。もっと遠くに行きたい。もっと速く移動したい。あるいは強大な力を得たい。そんな動機もあっただろう。飛行機の登場は人々の争いさえ一変させたものだ。……だけどね、つまるところその奥底は、空を知りたい、その純粋な興味だったんじゃないかと私は思う」
カイはどこかはっとしたような顔になった。
空を知りたい。その思いはとてもよく理解できたから。痛いくらいに。
「そうか……。オレだけじゃなかったんだな」
これまでずっとカイは異端だった。閉ざされた世界、ハイビスカス。その中で周りのみんなは何の不満もなく暮らしていたから。
空を目指していたのはカイひとり。笑われることもあった。マムからは叱られてばかり。どうして自分だけがこうなんだろうと思うことさえあった。
それが世界を広げれば、時をさかのぼれば、たくさんの仲間がいたのだと知る。
カイは少しばかり心が晴れるような気がしていた。
と、そんなカイの前方に、黒い人影がまたぞろぞろと現れた。
進路をふさぐ壁となる。挟み撃ちだ。
「カイ、逃げるのもここまでデス。諦めて投降してくだサイ」
ティムの呼びかけが響き渡るが、当然素直に従うカイではない。
「おい爺さん、あの奥に向かう、で良いんだろ? 少し右に曲がってくれ」
「ふむ、こうかな?」
「……ああ、いい感じだ」
進路を変えたカイに呼応するように、ロボットたちも動きを変えた。
思い通りに釣り出せた、とカイは不敵に笑う。
バシュバシュ――
マンタから放たれた光球。それは向かい来るロボットではなく、上を狙っていた。
横長の機体を吊るすワイアーだ。破断すれば、あとは万有引力の支配下だ。
落下した超重量は
「あぁあぁ、貴重なゴールデンフライヤーが……。これから空を飛ぶというのに縁起でもないことだ」
ゴーグルの向こうで嘆きが聞こえる。
けれどカイは笑っていた。満面の笑みで。
「さぁいっくぞぉ!」
なんでもかかってこい、という気分だった。
ロボットだろうと、人工知能だろうと、運命だろうと何もかも、今なら全部飛び越えていけそうな気がしていた。
勢いそのままに巨大なシャッターも吹き飛ばし、カイを乗せたカートは屋外に飛び出していく。
炎天下のアスファルト。
通り過ぎてきたものよりもさらにひと回り小さい機体。よりスリムになったシルエットはまさに鳥に似ていた。
その周りを見ると、数体の黒いロボットが取り囲んでいる。が、よく見ると追手とは様子が違った。目は青く輝いて、翼のあたりを磨いたり、機体にホースを接続したりしている。
「整備はこちらでしておいた。これも古い型だが我慢しておくれよ。新しい機体は電子制御を外すのが大変でね」
「へっ、飛べりゃなんだっていいさ」
カイのその言葉に嘘はなかった。むしろ古い方がいい、とさえ思っていた。空を目指したその情熱がまだ機体に残っていそうな気がしたから。
翼が陽光を反射して青くきらめく。青い翼、あの歌と一緒だ。なにもかもがぴったりだ、とカイは思った。
カートは機体の目の前で停止して、カイは急いでクゥを抱き起こす。
立てかけられた
「おいクゥ、起きろ。飛ぶぞ」
「ウ……ウゥン」
まだ意識のはっきりしないクゥを、ほとんど投げ込むように席に置いて、肩掛けにベルトを締めた。
その前の席にカイも飛び乗って、
「いざ空へ……えぇ?」
前に並ぶ計器を見るなり、カイは素っ頓狂な声をあげるのだった。
円盤に針、魚のウロコみたいなボタンの群れ、足元の長い棒に至っては何をどうしたらいいか想像もつかない。
もっと簡単な仕組みだとばかり思っていた。スロットルを回せば動くバイクのような。
カシャン――カシャン――
カシャン――カシャン――
足音に振り返ると、黒いロボットの群れが波のように押し寄せてくる。
今まで整備に回っていた青目のロボットたちが、なんとか食い止めようとしているが、時間の猶予はありそうにない。
「落ち着いて。手順を君のゴーグルに表示させよう」
「助かる!」
返事と共に、おでこのゴーグルを装着しなおすカイ。すると計器の一点が赤く光り出す。輪っかのような金具だ。
ブオン――
引っ張ると機体はさも機嫌が悪そうに音を立て、黒煙を上げた。長年の鬱憤を晴らすかのように。
「もう一回」
ブババババ――
破裂音のような音を立て、機体は激しく震えだす。そして前方のプロペラが回り始めた。ホバーバイクのタービンのようだった。
なるほど、この飛行機はこうして空を飛ぶわけか。
理屈がわかると否応なしに実感が湧いた。カイの心臓もエンジンに負けないくらいに暴れ出す。
「ぼんやりしている暇はないよ。シートベルトは締めたかな?」
促されるまま、カイは装置に触れていった。フラップ、
同属の防波堤を乗り越えてきたロボットたちがようやく間近に迫るも、その頃にはもう手の届かないほどにまで機体はスピードに乗っていた。
「お、おぉ……おおおおぉ!!」
流れ出す景色。道に沿ってまっすぐに。
こんな速度は今までに感じたことがなかった。
「このままだ。このまま、スピードに乗って、風に身を任せるように」
その言葉を聞いた直後、ふっ、とカイは地面を失った。
そんな感触だった。
「飛んでる……。これ、飛んでるんだよな。すげぇ、やった、ついにやったぜ。ジェリー、オレ、空を飛んだぞ!」
だんだんと小さくなっていく地面。あれだけ大きかった
雲ひとつない、あたりはどこまでも青い空だった。こんなにも広い。近づくほどにその果てしなさを思い知るようだった。
「このまま……ハイビスカスまで飛んで行きたいなぁ」
半分放心しきったまま、カイは言った。
この時間が永遠に続けばいいのに、とさえ思った。本当に空を飛ぶことができるなんて、これまで想像できたことさえなかったから。
けれど同時に、この時間がもうすぐ終わってしまうこともよくわかっていた。
前方でクジラが大きく口を広げていく。そこにたどり着くまでの短い旅路だ。
「進路よし。そのまま上昇を続けてくれたまえ。あとはこちらで受け止める」
残り数十秒もあれば着くだろう。そう考えると、今の時間がなんだかとても名残惜しいような気もした。
次の言葉を聞くまでは。
「……ふむ、やはり対空システムに引っかかったか」
「おい、なんだよ、そのタイクーシステムって」
無視できない言葉だった。
そういえばクゥが言ってなかったか。攻撃を受ける、と。
「君が気にする必要はない。こちらで何とかしよう」
「いや、そうは言うけどよ……」
どこか消化不良のまま首を左右に振ると、
「なんだ、あれ」
見つけたものに、カイは思わずぎょっと目を見開いた。
地上のあちこちから白い線が引かれているのだ。空に向かって。もっと言えば、カイに向かって。
それらは噴煙だった。何か尖ったものがやってくる。白い煙を勢いよく吐き出しながら、カイの飛行機めがけて、猛スピードで。
「おい、追いつかれるぞ! これ、追いつかれたらまずいやつだろ、絶対!」
「大丈夫。そのまま直進だ。いいかい、絶対に進路を曲げないようにね」
通信の向こうはあくまでも落ち着いていた。
何が大丈夫なのかはさっぱりわからない。四方八方から迫りくる噴煙は今にもカイに追いつこうと……ああ、だめだ、ぶつかる――
「発射」
ビィ――
寸前で放たれたのは幾つもの光だった。
目の前のクジラの口、その暗い空間の中から空をすじ状に切り裂いていったかと思えば、
ドドォォォォ!!
大爆発を引き起こす。
「うわああああっ!?」
あおりを受けた機体は尾翼を振り上げて縦回転。曲芸飛行士も真っ青な動きでクジラの中へ突っ込んでいく。着陸どころの話じゃない。
「どぉすんだよこれええぇぇ――」
激突、カイたちを待ち受ける未来はそれしかない。
そう思われたその瞬間、クジラの口の中から何本もの黒い鞭が伸びてくるのをカイは目の端でとらえていた。あのコバンザメから伸びていたのを、もっと大きくしたような。
「――ぇぇぇぇええええ、えぐっ!?」
回転が止まる。絶妙な力加減で、鞭の網は機体をふわりと受け止めていた。
もっともその姿勢は直角に真下を向いた状態で、ベルトが身体をぎゅうと締め付ける。
カイの最初の飛行体験は、こんな散々な形で終わりを迎えるのだった。
「……くくっ、くくく、あはははっ!!」
それでもカイは笑っていた。
こんな滅茶苦茶な体験、他の誰にできるっていうんだろう。
早くハイビスカスのみんなに聞かせてやりたい。ジェリーはなんて言うだろうか。マムならまた大目玉だろうな。
「ふむ、無事のようで何よりだ。新しい客など何年ぶりのことか……」
通信の向こうも、満足そうに頷いているようだった。
「ともあれ歓迎しよう。ようこそ、空飛ぶクジラ、コフチェク号へ」
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