第3章 グッバイ! ハイビスカス!

【11】この目で確かめたいんだ

「俺たちの天使をどこにやったんだよ!」


 通信の向こうで、ハギが鼻息荒くまくし立てている。

 クゥの言葉が届いて以降、カイの通信はすっかり元通りになっていた。理屈はさっぱりわからない。心当たりがあるとすれば、クゥの光る手が触れたことくらい。

 結果だけ見れば最高だ。これでマムに説教されずにすむ、と安堵して、昨晩のカイは短いながらもぐっすりと眠りにつくことができた。


 ただ、それで聞こえるようになったのが男たちの阿鼻叫喚あびきょうかんとあってはしまらない。

 クゥがいなくなったとわかってから、彼らの騒ぎようは酷いものだった。ほとんど世界の終わりのよう。まさか溺れてしまっちゃいないか、と救護室前の水路で右往左往が続いている。


「だからオレが知るかっての。ティムにでもきいてろ」


 そんな彼らの嘆きに、カイはぴしゃりと言い放つ。


 そんな安いヘマをする子じゃない。直感的にカイはそう感じていた。

 確かに体調面で不安はあるだろう。けれど今回クゥが消えたのは、トラブルのたぐいではなくて彼女の意思に基づいたもののように思えた。


「くそぉ、ティム、クゥはどこへいったんだよぉ」


「クラスエラー発生。処理を継続できまセン」


 すがるようなハギの問いかけに、ティムまでもが冷たく応じる。もちろんそれはカイにとっても望んだ答えではない。このやりとりが、諦めきれないハギたちのせいで、かれこれ十回は繰り返されている。


「相変わらずこんな感じだけど、ジェリー、なんかわかったか?」


 鏡面のような水路をボードで勢いよく進みながら、カイは声をかけた。

 ジェリーが今回も頼みの綱だ。


「うん、あ、でもちょっと待って……そもそもクゥがどうやって救護室を抜け出したかなんだけど、あそこ、網膜認証じゃないか、クゥは認証できないはずなのに……いや、すごいよこれ」


「すごいって、何が」


 しびれを切らして、カイが先を促す。


「うん、あのね、救護室の中から認証したの、カイってことになってる」


「オレぇ?」


「一時間前だ。カイ、その時間に救護室へ行ってないよね?」


「まさか、ずっと寝てたよ」


「だよね。そもそも妙なんだ。入室記録は昨晩クゥを運び込んだ頃が最後で、そこから誰も部屋に入ってない」


「ん? 待てよ。じゃあクゥはどうやって――」


「だからカイ、君なんだ。記録上はね。たぶんクゥは君の網膜情報をコピーして流し込んだ。目の辺りをスキャンされたりしてないかい?」


 聞きながら、カイは半分信じられない気持ちだった。

 だけど最初に救護室で出会ったとき、クゥは輝きながらずっとカイの目を見つめていたのではなかったか。その時に網膜情報をとられていたなんてこと。ない、とは言い切れなかった。


「それだけじゃないよ。記録によると救護室を出る前、クゥは装置を操作して自分自身にジギタリスっていう薬品を投与してる」


「ジギ……なんだって?」


「ジギタリス。僕も初めて聞く名だけどね。まずそんなものをあの子が知っていること自体が驚きだ。化学エリアからわざわざ調合させて用意してる」


「で、そのジギなんとかって、結局なんなんだよ」


「いまその詳細を読んでるけど、一種の強心剤だね。心臓の働きを強めるみたいだ」


「はぁ?」


 いまいちピンと来ないカイに対し、ジェリーが付け加えるには、


「つまり、これは潮風病対策なんだ。潮風病の症状は重度の貧血と同じだからね、なるほど、血流を強めることでその発症を抑えることができる。いやすごい、こんな対処法があったなんてね」


 これで潮風病対策に道筋が、と興奮するジェリーをよそに、カイは考えていた。

 クゥは何をするつもりなんだろう。これまでは潮風病が彼女にとって大きな障壁だったはずだ。何かをするにしても、途中で意識を失ったんじゃたまらない。その対策をしたということは、それだけの何かをやるつもりということになる。


「カイ、僕らはもう少し危機感を持ったほうがいいかもしれない」


 改まったようにジェリーは言った。


「危機感もなにも、危機の真っただ中だろ、ここは」


「カイに関しちゃ心配してないさ。でもクゥのこと、天使だって騒いでるけど、逆の可能性も考えとかないとね」


「というと?」


「クジラは僕らの資源を奪ってく。彼女も同じ使命を持ってるかもしれないってことさ。彼女はとんでもない技術力を備えてる。知識も。あのクジラからやってきただけはあるね。資源を奪いつくしたらここハイビスカスは用済みだ。そのあとどうする? 僕は悪い想像ばかりが膨らむよ」


 爆破。クゥのジェスチャーが、まさしく自身が行うことの予告だとしたら――


「おいジェリー、それでクゥはどこへ行った? 追えるか?」


「うん、救護室のボードがひとつ、外されてる。そこから先は難しいね。ボードはオフラインだから。でも手掛かりはある。ねぇカイ、起きてから救護室以外にどこか立ち寄ったかい?」


「いんや、食堂ぐらいだ」


「そうだと思った。実は今朝、カイのアクセス記録が残ってる場所がある。救護室、食堂、そして――」


天空塔スカイタワー


 ぎらりと光る目で、カイがその先を横取りした。

 獲物を狩るサメの目だ。


「ご名答。エレベーターで何か操作しようとした形跡がある。悪いけど急いで天空塔に向かってくれ」


「もう向かってる。だいたい予想通りだ」


 がぶりとスティック栄養食を噛み砕いて、カイはボードへさらに体重を預けた。

 進むのは天空塔に向かう大水路。半月状の出口がもうすぐ見えてくる。


「さすがだね。……オヤジ、聞こえてるかい。天空塔だ。クゥはたぶんそこにいる」


「おうよジェリー。またお手柄だな。……おい野郎ども! 仕事だ。三人くらい俺と来い!」


 通信の向こうで、男連中が気合を入れ直している。

 が、カイとしては彼らを待つ気はさらさらなかった。むしろ独りでクゥと会いたい。直接真意を確かめたい。そういう気持ちが勝っていた。皆と一緒に対峙すればまた蚊帳かやの外に押し出されかねない。


「もっと信じてくれてもいいのによ」


 大水路の端で、カイはぼそりとつぶやいた。

 その言葉はジェリーにも拾われることなく、夜明け前、薄紫色の空に溶け出していく。

 見上げても頂上は遥か先の天空塔。剣のように鋭いその姿は、しかし根本は広い。放射状に広がるスロープの下、四角い横長の入り口がトンネルのように広がっている。


 水が敷かれているのはここまでだ。ここからは大気の中を行かなくてはならない。

 ずしり、とカイは全身で重みを感じた。


「域外への離脱を確認しまシタ。域外活動上限アクティビティ・リミットのカウントを開始しマス。推奨される時間は九十分までデス」


 カイの耳元でティムが告げる。いつもの忠告だ。

 何も応えずにカイは進む。


 内部は暗い。普段より照明を落としているぶんなおさらだ。

 見上げると、らせん状にイオン照明が上へ上へ続いていた。いつもなら、その光に囲まれながら中央のカーゴエレベーターで一気に頂上へ向かっていたところだ。

 けれど、クゥが向かったのはおそらく上ではないのだろう。


「中に入った」


「オーケー、カイ、こっちでも見えてるよ」


「で、これからどうしたらいいと思う?」


「うーん、とりあえず中央のエレベーター操作パネルかな。クゥが操作した痕跡があるかも――」


「おやおや、カイ、やっぱりあんたが一番乗りかい?」


 ジェリーとのやりとりに、凛とした声が割り込んできた。


「あんたのその行動力は、さすがだと褒めるしかないね」


「マム、ちょうどいいや、クゥを見つけたいんだ。知恵を貸してほしい」


「だいたいの話は聞いているよ。その子が向かうなら下だろうね」


「やっぱりか」


「あぁ、上は観測機能、通信設備、展望台があるぐらいだよ。ハイビスカスの資源配分はすべて根本がコントロールしているんだ」


「クゥの興味もそこにありそうだな」


「だけどあたしゃ下に行く方法なんか知らないよ。さっきの話もじいさんばあさんからのまた聞きだ。実際に根本がどうなってるのかなんて生で見た人間はいないんだ。カイ、危ないことはやめて、大人しくバーナク達が来るのを待ちな――」


「ジェリー、見ろよ。エレベーターのところ、底が抜けてる」


 耳を傾けるそぶりすらなく、カイは床の中央にできた大穴を覗き込んでいた。

 マムはたまらず、やれやれとため息ひとつ。

 それすら聞こえないかのように、カイはじっと下を見つめ続けた。


 いつもはここに穴なんてなかったはずだ。エレベーターだって頂上とこのフロアを行き来するだけ。

 それが今は、海の底にも届きそうな穴が下へ一直線に伸びている。そこは海水面よりはるかに下になるはずも、水で満ちているなんてことはなく、代わりに穴の側面には何本もの太い配管が並んでいた。うっすらと光る緑色は夜光虫のような妖しさだ。


「クゥの仕業かな」


「たぶんね。でもカイ、こんな穴は僕も初めて見るよ。危険かもしれない。やっぱりオヤジ達を待たないかい?」


「いや、オレは行くよ、ジェリー。何が起きてるのか、この目で確かめたいんだ」


 カイの決意は固かった。

 話しながら穴のふち、液晶パネルの前に立つ。

 網膜認証をクリアすると、ウゥゥン、と穴の底からかすかに低い駆動音が響いてきた。


 と、そのとき、


「よく来てくれまシタ、カイ」


「ティム?」


 呼びかけてきた機械音声に、カイは少しばかり顔をしかめた。

 前触れなくティムが話しかけてくるのは珍しい。

 

「カイにお願いしたいことがありマス」


 ティムがそう言うや否や、カイの手元で、地面から小さな金属製の柱が立ち昇ってくる。


「おいティム、これ……」


 そしてその先に突き出されたものを見て、カイはさらに表情を強張らせた。

 それは本来ホバーバイクに備え付けられている銃、マンタのグリップだった。

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