【12】元通りじゃダメなんだ

 ハイビスカスで唯一の銃、マンタ。

 そんなものを差し出すティムの意図をカイは測りかねた。

 ジェリーとマムも同じだろう。一瞬の沈黙がカイの周りを支配する。


 そもそもティムに意図を感じる、そのこと自体がおかしいとも言える。

 ティムは人工知能AIだ。質問されれば答えるし、答えられないことにはエラーを返す。人が水から上がれば警告する。一定のルールに基づいて動くプログラム。本来そこに意図などあるはずがない。


「ティム、そんなものを持たせて、カイに何をさせるつもりだい?」


 マムが尋ねた通りだ。ティムは明らかにカイに何かをさせようとしている。


「それは下で伝えマス。カイ、受け取ってエレベーターで下へ向かってくだサイ」


 それでもティムは無感情。後ろめたいことなど何もない、とでも言わんばかりに。

 そして目的を隠しているようにも聞こえる。意図的に。


 ウゥゥン――


 低い駆動音を響かせて、カイの足元に円形のカーゴエレベーターが到着した。

 おそらくこの下にクゥはいる。 


 ごくり――


 唾を飲み込んで、カイはマンタのグリップに触れた。 

 銃。ここハイビスカスでは紛れもない異物だ。

 なぜならそれは破壊をもたらすから。

 破壊は取り返しがつかないから。

 

「カイ、まだ戻れるよ。少なくともオヤジ達を待った方がいい」


 とジェリーは言う。


「ああ、どうにもきなくさいね。危ない真似はよしな」


 とマムも言う。

 それでもカイは息を深く吐き出して、マンタのグリップを力強く握りこんだ。


「いや、さっきも言ったとおりだ。オレは行くよ」

 

 そう言うや否や、まるで身でも投げるかのようにエレベーターへ飛び乗っていく。


「あ、このバカ!」


 マムが叫ぶがもう遅い。


「カイ、協力ありがとうございマス」


 ティムの礼と同時に、ウゥゥンとエレベーターが降下を始めた。

 ホバーバイクが一台やっと収まる大きさ。広かったはずのカイの周りが、降下に伴って配管に囲まれた狭い空間へと変わっていく。


「悪い。でもここまできてさ、指くわえて待つなんて無理だって」


「まったくもう。行動力がありすぎるのも考えもの――」


 ザザ、と雑音を残して、マムの声が不自然に立ち消えた。裏でバーナクを急かすジェリーの声も、ともにプツリと途切れてしまう。


「おい、ティム、通信切ったな?」


 慌てる様子もなくカイが問いかける。

 応答はない。

 チ、と舌打ちをしながらも、カイの瞳は揺るがなかった。


 もうカイには我慢ならなかったのだ。

 クジラが空に浮かぶのも、都市のタイムリミットが削られるのも、クゥが突然姿を消すのだって、何もかも理屈がわからない。

 もうたくさんだ。このまま何もわからないままなんて、そんなのは嫌だ。

 この下で何かが起きている。今まではティムのエラーで隠されていた何かだ。それをティムが見せようとしている。なら、この目で確かめてやるんだ。たとえこの身を危険にさらしたっていい。

 それがカイの紛れもない本心だった。


 それにしても長い。もう二十メートルは降りているだろうか。

 見えるのはずっと緑色の配管ばかり。上との距離感がつかめない。

 中を流れているのが、ジェリーの言う重力資源アース・エナジーなのだろうか。都市の動力源。花でいえば導管だ。ぼんやりと光る様は脈を打っているかのようにさえ見える。


 ィィ――……ィィ――……ィィ――……


 やがて音が聞こえてきた。下からだった。


 ィィィィ――……ィィィィ――……ィィィィ――……


 断片的な音が、徐々にはっきりと聞こえてくる。 


 ヴィィィィ――――ヴィィィィ――――ヴィィィィ――――


 警報だ。

 生まれて初めて聞くそれにも、本能的にカイの表情に緊張が走る。

 おもむろにマンタを構えた次の瞬間、


「カイ、ようこそ、ここがハイビスカスの管理室コントロールルームデス」


 ティムの無機質な歓迎と同時に視界が一気に広がった。

 円形の空間だった。黒い端末やパネルが規則正しく配置され、表面で幾つもの白い光が点滅を繰り返している。まさに回遊する魚の群れのよう。

 ともすれば、カイはその光景に見とれていたかもしれない。真っ赤に部屋を照らす警告灯の明かりがなければ、の話になるが。

 外側は強化ガラスで取り囲まれて、そこから先は海の中。本物の魚たちがいったい何事かと内部の様子をうかがっている。


「警告しマス。その操作は都市の運営に深刻な影響をもたらしマス。直ちに操作を中断してくだサイ」


 ティムの警告があたりに響いた。半ば懇願にも聞こえる。


「各主要エリアへのエネルギー供給量、四十パーセントにまで低下。管理権限でロックを実施、供給量を維持しマス……ロックが解除されまシタ。供給量さらに低下。警告しマス。今の供給量では養殖エリアの機能を維持できまセン」


 騒動の中心にいるのは、もはや言うまでもない。

 緑の配管が集まるフロアの中央、暖炉のような形状の装置の前にカイは探していた姿を見つけた。

 クゥだ。その後ろ姿。赤い警告灯の明かりをかき消すがごとく白い輝きを放っている。


「供給量、三十五パーセントにまで低下。栽培エリアの維持が困難になりマス。管理者権限で供給量回復措置を行い……措置はキャンセルされまシタ。供給量さらに低下」


 クゥは装置に向かってしゃがみ込み、左手をかざしていた。

 カイは直感的に理解した。これはクゥとティムの戦いだと。

 ハイビスカスの動力を落とそうとするクゥに、守ろうとするティム。けれどそれは拮抗というには程遠い。クゥはまさにオーバーテクノロジーだ。ティムの技術をもってしても食い止めることができない。

 だからこそカイが呼ばれたのだ。デジタルでクゥを止めることができないなら、物理的に止めんとするがために。


「カイ、見ての通り、ハイビスカスはいま危機に瀕していマス。彼女を、クゥを止めてくだサイ」


 ゴーグルから、ティムの願いが届く。


「手段は問いまセン」


 殺してもいい、と。銃を持たせるということは、つまりそういうことだ。

 普通なら戸惑いに支配されてもおかしくないこの場面で、しかしカイに気後れは微塵もなかった。


「おいクゥ、お前いったい何やってるんだ」


 素早くマンタの口を銀髪が輝く後頭部に向ける。

 ずっと手元に集中していたクゥが、そこで初めて後ろを気にするそぶりを見せた。

 しかしカイの姿を見るや、すぐさま視線を戻してしまう。


「供給量、三十パーセントにまで低下。居住エリアの水質、維持できまセン」

 

 やめるつもりはない。

 その意思を、ティムの警告が代弁する。


「クゥ、こっちは本気だぞ。ティム、安全装置セーフティをアンロック」


「了解デス。アンロックしマス」


 本気だ、と言うカイの言葉に偽りはなかった。もしクゥがこのハイビスカスに害意をもってシステムダウンを目論んでいるなら、そう確信できたなら、カイは迷わず撃つつもりだった。相手が自分より小さい少女だとか、そんなことはトリガーを引く指を鈍らせることさえなかっただろう。

 けれど、次に聞こえたクゥの言葉はその正反対のものだった。


「カイ、信じテ。わたしはあなたたちの敵じゃなイ」


 切られたはずの通信で、クゥの声が届く。

 迷いのないクリアな声だった。

 それは機械で翻訳されているからか、それとも――


「クゥ!」


 名を叫び、さらにカイは一歩踏み出した。

 青く光る十字の照準、その中心はクゥの頭からわずかでも外れることはない。


「わたしはこのシステムを止めル。でもそれは決してあなた達を困らせるためじゃなイ。その逆。あなた達を助けるためニ!」


 ギリ、とカイは歯を食いしばった。マンタを握る手に血管がくっきりと浮き出るほどに。

 しかし撃たない。撃てなかった。


「供給量、二十五パーセントにまで低下。再処理エリアの稼働停止。環境維持への影響深刻。再度、供給量回復措置を開始……できまセン。供給量さらに低下」


 こうしている間にも、エネルギー供給はどんどん閉じられていく。配管の緑色が目に見えて光を失っていくのだ。


「助けるって、どういうことだよ。説明――」


 そこまで叫んで、カイは気づいた。クゥの声こそ通信で届くが、果たしてカイの言葉はクゥに届くのか。もともと言葉は違うのに。


「くそっ、ティム!」


 カイは虚空に向けて叫ぶ。


「クゥを止めて、そのあとどうなるっ!?」


「急ぎ供給量の回復に努めマス。少々時間がかかるかもしれまセン。しかしそのあとはすべて元通りデス」


「元通りって、何が!?」


「ここでの生活が、デス。衣食住全てにおいて不自由ない暮らしを――」


「カイ、ティムに耳を貸しちゃダメ。ティムはこの都市を守るのが役目。でも今、本当に危機に瀕しているのハ――」


「カイ、ただちにクゥを止めてくだサイ。供給量、二十パーセントまで低下。居住エリアを除く全機能を停止。このままでは再稼働も困難に――」


「ああああああああああああああああああああああああっ!!」


 絶叫。

 しかしカイの指はとうとうトリガーを動かすことはなかった。

 がくりと膝をつき、照準も床へおろしてしまう。


「ダメだよ、ティム……。元通りじゃダメなんだ」


 絞り出すように、カイはつぶやいた。


「オレが見たかったのは、その先なのに……」


 ティムは応えない。


「供給量、十五パーセントまで低下」


 ただ無機質な声でカウントダウンを続けていく。

 十パーセント、五パーセント、四、三、二、一、


「供給、完全に停止しました。全システムシャットダウン」


 そのアナウンスとともに管理室全体は暗闇に沈んだ。ただクゥの光が中心となって、あたりをうっすらと照らしている。


「プハッ」


 そのクゥが、カイの前で大きく崩れ落ちた。ぜいぜいと息を切らしながら、しかし白い顔には満足そうな表情を浮かべて。


「カイ、ありがとウ」


 それはまさしく天使のほほ笑みだった。


「信じてくれテ」


「ふん、別にまだ信じたわけじゃねぇよ。あー、マムになんて言おうか――」

 

 ヴィィィィ――――ヴィィィィ――――ヴィィィィ―――― 


 天を見上げたカイの言葉を再びの警報がかき消した。

 真っ赤に染まる管理室。


「おい、どういうことだよ。完全に停止したんじゃなかったのか?」


 カイの問いに答えるように、


緊急動力源サブシステムへの切り替え、完了しまシタ」


 ティムの冷たい声が辺りに響いた。


「阻止は失敗。よって対処手段を一段階強化しマス。カイ、クゥ両名を都市機能維持における危険因子と認定――」


 カイは思わずぞっとした。

 ティムの声はいつもと変わらないはずなのに、嫌な予感が止まらない。

 続くティムの宣言は、まさにその予感通りの内容だった。


「これより両名の強制排除を開始しマス」

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