【21】あったりまえだろ!
「月が落ちてきたら……その……やばいんだよな?」
間抜けなことを言っているな、という自覚はあった。
夜明け前に
話の規模が大きすぎて、まだカイはいまいちピンときていなかった。
ブラットンが言う。
「あともう一日ほどで、月の接近は臨界点を越える。それを過ぎると重力を元に戻しても手遅れなのだ。やがてロッシュ限界を超え、
「じゃあ、ハイビスカスは、みんなは――」
「残念だが、君の故郷があるのは月の周回軌道の真下だ。最も深刻な被害が見込まれるエリアになる。生存は……厳しいと言わざるを得ない」
「嘘……だろ……」
カイは
ハイビスカスを飛び出すときは、どこかで野垂れ死んだって後悔はしないつもりだった。
けれどその裏で逃れられない破滅が着々と迫っていただなんて。
そんなのは話が違う、とカイは思った。努力をすれば、知恵と工夫を凝らせば、あるいは運があれば見つかる抜け道が、いつだって未来には用意されているものだと思っていた。
けどそうでないのなら理不尽で、悔しくて、とても素直には受け入れられそうになかった。
「まだ時間はあるんだろ? どうにかできないのかよ」
「できる。できるさ。まだ希望は捨ててはいない」
ブラットンの目に曇りはなかった。ふたつのまなざしがじっとカイの青い瞳を見つめ返す。それは
「言っただろう。この地球を元に戻す、と。いま月は楕円状の軌道を描きながら地球に接近している。残り時間内に重力がもとに戻れば、月の軌道が膨らんで衝突を回避できるのだ。そしてその鍵となるのが――」
「ハイビスカス、あなたの街だっタ」
突如、白い空洞の中を星々のきらめきのような輝きが巡った。
ふわりと浮かぶように現れる白銀の身体。
その小柄な姿は立体映像ではなかった。
「クゥ!」
「クゥ、無茶をするな。まだ寝ていなくては」
さとすようにブラットンが言う。
けれどクゥは、
「爺や、ごめんなさイ。でも直接伝えたかったかラ。どうしてモ」
そう言ってカイに真正面から向き合った。
「カイには何度も助けられタ。……アリガトウ」
お礼の言葉は、いつか聞いた時と同じで、どこかぎこちなかった。
今ならその理由もわかる気がした。長い間、この空間で独りぼっちだったなら。
「お礼なんかいいって」
カイの言葉に偽りはなかった。
ここまでの道のりは全てカイ自身が望んできたことだから。
「それより話してくれるんだろ?」
どうしてハイビスカスを止めるなんてことをしたのか。先延ばしにされていたその答え。いよいよそれを知る時が来たのだと、カイは悟った。
コクリと小さく頷いたクゥ。その左耳で星型の髪飾りが揺れた。海の底へ沈んでしまったあの髪飾りだ。
「私が……終わらせてなければいけなかっタ」
やらなければならないことは単純だった。
ハイビスカスの天空塔は地中深くを貫き、重力エネルギーを吸い出している。ゆえにそこからエネルギーの消滅を狙えるはずだったのだ。長年の研究の成果である反重力エネルギーを注ぎ込むことにより、地球の内部に蓄えられた重力エネルギーの
まさしくそれがクゥに課せられたミッションであり、ブラットンたちの狙いであった。
誤算は早々に訪れた。
クゥがコバンザメに乗って降りてきたあの日。着水してすぐ、クゥは意識を失った。月面での重力に慣れた身体には、強化された地球の重力はあまりにも負担が大きすぎたのだ。
時折地球に飛来して重力を身に受ける訓練は重ねてはいたけれど、まだ十分でないうちに動かなくてはいけなかったのは彼女にとっては不幸だった。
「この中に反重力エネルギーを凝縮させていル」
そう言って差し出された星型の髪飾り。
「へぇ……不思議なもんだな」
その輝きをカイはまじまじと覗き込んだ。
この小さな塊が地中深くへ入り込み、マントルの奥まで潜り込んだとき、圧力によって砕かれ、対消滅が始まるのだという。
地球規模の変化がこんな指先ほどの物体から生み出されることに、カイはどこか半信半疑だった。
「対消滅と一言で言っても、その現象はすさまじいものだ。強い光と熱をあたり一帯に放出する。要するに爆発するということだ。ゆえに重力エネルギーを地表まで吸い上げている状態は危険なのだ」
「だから止めさせてもらっタ。あとはもう一度戻って、これを放り込めばいイ」
そう言ってクゥは手のひらの星をぎゅうと握りこむ。
全てを理解できたわけじゃない。
けれど、この
「オーケーだ。正直言ってさ、今の話も半分くらいもわかってないけど、でもあんたらはオレらを助けようとしてくれてる。それはよくわかったよ。……で、オレは何をしたらいい?」
カイとしては自然な問いだった。
しかしその問いに、クゥもブラットンもキョトンと目を丸くして、互いに目を見合わせてしまう。
「んん? なんだよ、オレなんか変なこと言ったか?」
「いや、なんというかね、君たちはもっと我々を憎んでいるかと思っていた」
「はぁ? そんなことは――」
ないぜ、と言いかけて、確かにそう見えたかもな、とカイは思い直した。
実際、クゥが降りてきたとき、カイはクジラを銃撃しようとしていた。オヤジたちだってクジラを見かけたら攻撃することしか考えていなかった。それが過去のいざこざが尾を引いているのだとしたら。
ついさっきブラットンに殴りかかったのだって、変な誤解を与えたとしても不思議じゃない。
「まぁ……でも今はそんなこと言ってる場合じゃないってのもわかったしな。だいたいあんたらだってもっと早く説明してくれればよかったのにさ。そしたらオレらだってもっと協力してたって」
「ふむ、それに関してはこうべを垂れるしかないな。だが長い月日を経て君らの言葉も変わっていたのがわかってね、翻訳プログラムを修正するのに時間がかかってしまったのだよ。だからその間、こちらの事情を優先させてもらった。まぁ何を言っても言い訳にしかならないが……ともかく、この事態への対処は我々の責任でもあり、罪滅ぼしでもある。だからあとは我々に任せて――」
「カイがもしよかったラ!」
そこでクゥが割り込んできた。ほとんど叫ぶような語気の強さで。
今までのクゥからは考えにくいことだった。
「この後も、一緒に……来てほしイ」
それがどんどん消え入るような声に変わっていく。
ブラットンは少しだけ驚いたような顔をして、
「……なるほど」
そう言って何かを理解したように満足そうな笑顔を浮かべるのだった。
「ふむ、どうかね、カイ。さっきも言った通り、本来これは我々の責任だ。だから君に負担をかけるのは筋違いと言ってもいい。だが我らの小さな実行メンバーはまだ誰かのサポートが必要で、どうもそれは君じゃなければ務まらなそうだ。心苦しい限りだが、まだもう少しだけ力を貸してはくれないだろうか」
くどくどしくブラットンが問う。
だがそれが一種の儀式みたいなものだとカイはわかっていた。言うなれば、友情の儀式とでもいうような。
「そんなの――」
カイは肺一杯に空気を吸い込んだ。
答えなんて最初から決まっていた。それはたぶんハイビスカスを発ったときから。
そこから幾つかの困難を乗り越えて、空にだって飛び立ったのだ。いまならなんだってできる気がしていた。この地球を救うことだって。
「――あったりまえだろ!」
割れんばかりに叫んだその先で、白銀の花が咲いた。やはり彼女には笑顔が似合う。
「ふむ、良きかな良きかな。ではその準備もしないと」
しきりに頷くブラットンの前で、カイはひょいと手を掲げた。おずおずとクゥが手で応じる。
不格好な最初のハイタッチは、それでも間違いなくふたりの間の何かを変えていたのだった。
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