【24】オレたちのやるべきことをやろう

「うわわっ! っとぉ!」


 叫びながらカイはなんとか機体を制御する。

 エンジンパワーを増した機体はまさにじゃじゃ馬で、ハンドルを少し動かすだけで大きく揺れた。姿勢を戻そうとすると、今度は逆側へ大きく揺れる。

 その癖をカイはぶっつけ本番でつかまなくてはいけなかった。失敗すれば、およそ三千メートル下の海面まで真っ逆さまだ。


「ウゥ、グゥゥ!」


 振り落とされまい、と揺れるたびにクゥが歯を食いしばる。

 非力な彼女だ。ほとんど限界に近いのをカイは背中で感じていた。


「クゥ、悪い! くそ、コイツ、言うことを聞けって。……よし、よしよし、わかってきた!」


 天空塔スカイタワーから飛び降りるのとはまた違う。そのときは前後のタービンをがむしゃらに回転させるだけでよかった。この機体でそれをやると逆に浮上してしまう。

 下へ向かうには、ただタービンを弱めるだけじゃない。前の回転をさらに落として緩やかな前傾姿勢をとる。それで姿勢はかなり安定してきた。


「クゥ、残り時間は?」


「……あと七時間!」


 上書きされた都市機能維持期限サステナビリティ・リミット。その時間内にふたりは完遂しなければならない。

 管理室コントロールルームに向かうだけなら十分すぎるくらいだ。しかしやり直す時間はない。正真正銘、これが最後のチャンスだった。


「空も空でトラブルばかりみたいだね」


 苦笑するジェリーの声が届く。


「まぁその方がだいぶカイらしいけど」


「笑ってる場合じゃねぇ。すぐにそっちだっててんやわんやになるぞ」


「あ、それそれ。さっき避難って言ってたけど、結局何が起きてるのさ。ちゃんと説明してよ」


「あー、クゥ! 頼む!」


 ただでさえ小難しい話だというのに、いまはハンドル制御で手いっぱいだ。あっさりとカイは説明のバトンを手渡す。


「ええと、ハイビスカスが吸い上げてるのは、もとは宇宙に漂っていたエネルギー。地球はそれを取り込んで、重力が増大してしまっタ。それで月が引き寄せられて、もうすぐ激突してしまウ。重力が弱まれば回避できル。だからそのエネルギーをすべて消滅させる必要があっテ」


「なる……ほど、月が沈むって、そういう……」


「その時に爆発が起こル。だから、ハイビスカスの人たちはみんな避難する必要があっテ――」


「いやぁ、やっぱり直接話ができると違うね。いつの間にか意思疎通ができるようになってたなんて」


「で、ジェリー、どうなんだ?」


「オーケー、正直まだ半信半疑だけど、少なくとも避難しなきゃいけないってのはわかったよ。……でも、いったいどこへ?」


 そう、それが問題だ。

 避難できる場所など、ハイビスカスの周りにはどこにも――


「それは用意してあル」


「え? なっ、うわぁぁあっ!?」 


 突然、ジェリーが叫び声をあげた。


「おいジェリー、どうした!?」


「ははっ、びっくりした。コバンザメがいきなり大水路に浮かんできて」


「あっ――」


 コバンザメ。クジラから投下された黒い楕円形。カイとクゥが乗り込んだものに違いないが、確かに複数あったはずだ。

 その存在をカイは言われるまですっかり忘れていた。


「なるほど、準備万端ってわけか」


 感心したようにジェリーは言う。


「いつもはハイビスカスから資源を分けてもらって、母船に持ち帰るもノ。でももうその役目は終わっタ。それに皆で乗り込んデ……カイ、後ろ、気を付けテ!」


 クゥの声にカイが振り返ると、上空でクジラがゆっくりと向きを変えていた。その大きな口が下を向く。つまり、カイの方へ。


「まず――」


 ほとんど脊髄反射でハンドルを傾けたカイの脇を極太の光が貫いていく。たなびいた髪の先が、ジュウ、と焦げた音を発した。光の先では勢いよく水柱が立ち昇る。天空塔がもうひとつ増えたかのように。


「いぃぃぃ!? ティムの野郎、本気かよ!!」


「カイ、大丈夫!? なんだよ、いまの」


 ハイビスカスの方でも目の当たりにしたらしい。

 泡を食ったように慌てだす皆の声が聞こえてくる。


「カイ、ハイビスカスと船の間になるように飛んデ! そしたらティムは撃てない」


「なるほどな!」


 しきりに背後を確認し、カイは進路を調整していく。攻撃されたらハイビスカスにも被害が及ぶ位置。それならクジラからの追撃はない。都市を守るのがティムの使命なのだから。

 狂いのない操作が要求されるが、こういうことをさせたらカイには天性の才能があった。


「ジェリー、とりあえず避難だ! こっちはこっちで何とかする!」


「オーケー、お互い気を付けて!」


「ああ!」


 さぁ、大水路へ集まって! 避難するよ! もうすぐここは爆発する!


 そんなジェリーの声を聞きながら、カイはハンドルを握り直す。

 けれどクゥは、


「もう……爺やハ……」


 悲鳴を押し殺すようにそんなことを言うのだった。

 自分たちを攻撃してきたということは、つまりクジラは完全にティムに支配されてしまったのかもしれない。


「大丈夫だって」


 それでもカイは言った。


「あの爺さんを信じろ。ティムを造ったのだって、爺さんたちなんだろ? なら、対処法も知ってるさ。オレたちは、オレたちのやるべきことをやろう」


「そう……だネ……。あ、ねぇカイ、前見て、前! ぶつかル!」


 クゥが心配そうに叫んだ。

 ようやく天空塔が近づいて、その姿がますます大きくなってくる。高度七百メートルのてっぺん、吹きっさらしの展望台が。


「いいんだ。このまま」


 カイはすでに心に決めていた。ハイビスカスに降り立つ方法はこれしかないと。

 いつだって一直線、最短距離を行く。それがカイの流儀だった。


「突っ込むぞ!」


 カイは右手でマンタを取り出して、


「出力最大!」


 そのトリガーを引き絞る。

 放たれた光球は乱暴に展望台の床を破砕して、むき出しになった空洞へ、ホバーバイクは飛び込んでいく。崩れ落ちる瓦礫がれきよりも速く。らせん状に連なる照明の空洞バレルの中を弾丸のように突き進む。


 中はまさにがら空きだった。てっきりティムが何かの妨害を企んでいるかと思っていたが、そういう様子はない。

 遥か先のエレベーターホールまでの距離を、カイははっきりと見通すことができた。


「いったい何事だい?」


 マムの声がカイの鼓膜に響く。

 どうやら今の爆発がさらなる騒ぎを引き起こしてしまったらしい。


「カイ! まったく、あんたは騒動しか呼び込まないね」


 マムはまだ冷静な部類だった。相当にご立腹なのは間違いないが。


「オレのせいみたいに言うなって!」


「似たようなもんさ。で、ここが爆発するって、確かなのかい?」


「ああ、クゥもそう言ってる」


「じゃあカイ、あんたはどうするのさ。いま天空塔にいるんだろ? 逃げなきゃいけないのは、あんたもじゃないか」


「いやオレは……」


 言葉に詰まった。

 そもそもカイは爆発を引き起こす側だ。逃げている場合ではない。


「あたしゃハイビスカス全員の無事を確認するまで動かないからね。避難するのはあたしが最後だ。……ほら! あんたたちも、子供が先だ! 男連中は手を貸してやるんだ。ひとりも残すんじゃないよ!」


「いいからマムも早く逃げろって! 足腰悪いんだろ」


「そうは言ってもね、マムの責任ってものがあるんだよ。他の連中を残してはおけないのさ。あんたもね」


「そんなのどうだっていいよ!」


 叫ばずにはいられなかった。なんて頑固なんだと。

 その責任感は、確かに賞賛されるべきなのかもしれない。けれど結局避難が遅れれば、それは自身を危険にさらすだけなのだ。

 そんなのは決して美談じゃない。役割に囚われているだけなら、いまのティムとおんなじだ。

 マムだからこうしなきゃいけないとか、ハイビスカスに住んでいるからだとか、女だから、人間だから、こうしなきゃいけないとか。そんな見えない檻をぶち壊して、ぶち壊して、ぶち壊して、ただぶち壊し尽くしてやりたい。いったいどうすればいいのだろう。

 歯がゆさにギリリとカイの奥歯がきしむような音を立てた。


「たまにゃあ若いやつの言うことも聞くもんだ」


 そこで不意に、馴染みのしゃがれ声が入り込んできた。

 バーナクだ。マムのそばにいるらしい。


「ちょっ、あんた、何するんだい! 」


「ハギ、お前らも手伝え。担いでくぞ」

 

 あいよー、と陽気な掛け声が続いて、まだ残る、降ろしな、とマムの文句が延々と聞こえてきた。バーナクの肩の上でジタバタと暴れているのだろうか。その様子をカイは容易に想像できた。


「オヤジ、マムを頼んだ」


「おう、任せとけ。ただカイ、お前も心配ではあるんだぜ。今すぐ避難しろ……っつっても聞かないだろうが」


「わりぃ、やらなきゃいけないことがあるんだ」


「ま、そんなこったろうよ。たとえ死んでも――」


「後悔だけはしないよ、オヤジ」


 清々しく言い切ったカイに、どこかバーナクは満足げだった。


「大きくなったもんだな……」


 なんて呟きながら。

 そしてその言葉で、カイは不思議と全身の力がみなぎるように感じていた。一人前として認めてもらえたような、そんな気がしたからだろうか。


「クゥ、いよいよだぞ」


「……うン」


 天空塔を根本まで降りきって、ポリマーの白い床が見えてきた。

 カーゴエレベーターはそこにはない。代わりに前と同じような黒い大穴が開いている。

 ティムが誘っている。そんなふうにカイには思えた。


 運命の瞬間はまさに、すぐそこまで近づいていた。

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