第6章 砂時計をひっくり返しに来たんだ

【23】砂時計をひっくり返しに来たんだ

「少しまずいことになった」


 クジラの開口部へ戻ったカイとクゥ。出迎えたブラットンの立体映像ホログラムはふたりを見るなりそう言った。

 隣にはカイ愛用のホバーバイクと瓜ふたつの複製コピーが置かれている。夜のうちにブラットンが用意したものだ。


 昨晩の彼の説明によると、クジラの内部の機構を駆使すれば設計図次第で何でも作ることができるのだという。そしてハイビスカスを造った彼らのもとにはその設計図が残っているのだ。

 複製とはいえ性能は遥かに上。エンジンとタービンの回転数を強化し、自由飛行を可能にしたモデル。これに乗ってカイとクゥはハイビスカスへ向かう算段だ。

 滑らかな曲線を描くボディーフレームが陽の光を浴びて、きらきらと輝きを放っている。活躍の場を今か今かと待ちわびるように。

 まずいことなど何ひとつないようにカイには思えた。


「バイクの調子でも悪いのか?」


「いや、そこは順調そのものだ。自動運転オートでのテスト飛行も済んでいるよ」


「じゃあどうしたんだよ」


 カイが尋ねると、ブラットンはまた右手を掲げ、四角いビジョンを立ち上げた。その中では棒状の進行バーがゆっくりと伸長している。


「これは?」


「ハイビスカスのエネルギー供給量だよ」


「ん? 止めたはずじゃなかったのか?」


 カイは驚いてクゥを見た。

 クゥもまた同じような表情をしていた。


「うそ、ワタシはしっかりとロックをかけタ。二度と吸い上げられないようニ」


「そうだろう。だが実際にロックは外されている。ハイビスカスにその芸当ができる人物がいたということだ」


 ジェリーだ、とカイは瞬時に思い至った。

 そんなことができるのは彼しかいない。


「そんナ……」


 そう言ってクゥは俯いてしまった。

 吸い上げの再開。それは間違いなく事態をややこしくする。反重力エネルギーでの対消滅には激しい爆発が伴うからだ。水面近く、都市の真ん中でそれが起これば甚大な被害は避けられない。

 思えばクゥは、最初の降下のときも星の耳飾りを落としてしまったり、空港エアポートでは潮風病で倒れてしまったり、これまでも詰めが甘いところがあった。

 この大一番を前にしてのマイナス材料に、自責の念が込み上げたとしても不思議はない。


「ふむ、いやしかし、これはなかなか……ふふっ」


 ただ、向き合うブラットンにクゥを責める様子はない。むしろ満足そうな笑みすら浮かべていた。


「いや、実にあっぱれだ。確かに仕掛けたロックは単純だったかもしれないが、それを外せるとはね。地球側の技術力は相当に低下していたとばかり思っていたが、いやはや、人間はなかなか捨てたもんじゃないらしい」


 カイも、ポン、とクゥの肩を叩いた。


「クゥ、落ち込んだってしょうがないぜ。まだ間に合うんだろう? また行って止めりゃあいい話だ」


「ふむ、彼女の言う通りだよ、クゥ。悔やんだって時間は巻き戻らない。いま我々にできることをするだけさ」


 優しい声にクゥはまたゆっくりと顔を上げ、


「……うん、ありがとう、爺や、カイ」


 そしてまた、パン、と軽くハイタッチを交わす。カイとの間では馴染みの動作になりつつあった。


「そうだ、じいさん、ハイビスカスと連絡は取れないのか? たぶんジェリーの仕業だ。それならジェリーに言えば元に戻せるかも」


「ふむ、それは良い考え……うーむ……」


 カイの提案に一瞬乗りかけて、一転ブラットンは険しい表情に変わった。


「難しいのか?」


「少しリスキー……いや、ふむ、確かに、こうなった以上は彼らには避難を呼びかけるしかあるまい。カイ、それは君にしかできないことだ。頼めるかな?」


「できることはあるか、って昨日きいたばかりじゃないか」


 ぐっと親指を立てるカイ。

 ブラットンはまた満足そうに頷いた。


「――ふぁああ、はい、ジェリーですけど、どちら様?」


 続けてカイの耳に眠たげな声が流れ込んでくる。

 懐かしい声だ。一日しか経っていないのに、カイにはそう感じられた。


「よぉジェリー、オレだ。カイだ。戻ってきたぜ」


「なんだ、カイか、相変わらず朝から元気いっぱい……え、ええ? カイ? 本当に? わ、大変だ。ねぇみんな、カイだ! カイが連絡してきたよ!」


 途中で事態を理解して慌てだすジェリー。寝ぼけまなこには強烈な知らせには違いなかった。

 後ろでガヤガヤとオヤジたちが騒ぎ出すのが聞こえてくる。


「ねぇカイ、戻ってきたって言ったかい? いまどこにいるのさ?」


「おう、きっと驚くぜ。なんとクジラの中だ」


「まさか!」


 ほとんど予想通りのジェリーの反応に、思わずカイのほほも緩んだ。口をあんぐりとあけたジェリーの表情が手に取るようにわかる気がした。


「でも随分と早い戻りだね。まだ一日しか経ってないよ」


「オレだってこんなに早く戻るつもりもなかったさ。でも、そうしなきゃいけなくなってさ。なぁジェリー、ハイビスカス、また動き始めたんだろ?」


「そう、よくきいてくれたね。供給停止処理にかかってたロックを解除できたんだ。ティムの助けもあったけど。いま供給量は八十パーセントまで戻って――」


 無垢な子供のように得意げに成果を語るジェリーだったが、


「それだ。悪いんだけど、その吸い上げ、ストップできるか?」


「え?」


 カイの要求で、ジェリーの声から明るさが消えた。


「どうしてさ、カイ。せっかく元に戻せたのに。みんなの生活だってかかってるんだよ?」


「それはわかってる。けど、このままだともっとヤバいことが起こる」


「何さ、そのヤバいことって」


「月が落ちてくる」


「へ?」


 今度はジェリーには珍しいすっとんきょうな声。

 それも無理もない。逆の立場ならカイもきっと同じ反応をしただろう。

 すんなり納得してくれるとは思えない。だとしても、いまはジェリーを説き伏せなくてはいけない。


「それを防ぐには吸い上げを止めなきゃだめなんだ。だからクゥは止めようとしてた。エネルギーを消し飛ばすんだと。このまま吸い上げてたら、みんなが危険だ」


「そ、そうは言っても、これまでの僕らを支えてきた仕組みだよ。そんな簡単に決められるわけ――」


「なぁジェリー、いつか言ってたよな。オレがいつかみんなを救うって、砂時計をひっくり返すようにって。それが今だ。オレは砂時計をひっくり返しに来たんだ」


 力強く言い切ったカイにもう迷いはなかった。

 無言の間が一秒、二秒と続いて、


「……そう言われたら弱いよなぁ。あーあ、昨日も寝ずに作業したってのに」


 ジェリーは根負けしたようにため息をついた。


「月が落ちてくるだなんて、そんな話、とても信じられないけどさ。でもカイなら信じられる。信じるよ、カイを」


「ジェリー……ありがとうな」


「でもごめん、エネルギー供給を止めるのは無理だと思う。再開はティムの助けがあったからこそだ。止めるとなると今度はそのティムを相手にしなきゃいけない」


「むぅ、そうか……しゃーない。いまからオレとクゥが降りていって対処するから、ジェリーたちは避難を――」


 そこまで言ってカイは気づいた。

 避難って、どこへ避難しろと言うのだろう。ハイビスカスはいわば絶海の孤島。他に逃げる場所なんてどこにも――


「む、まずい、侵入されたか」


 ブラットンが割り込んできたのは、まさにその時だった。

 これまで余裕しか見せていなかった彼から初めて焦りのようなものが感じられた気がした。


「侵入? そりゃ何の話――」


「カイ、そこまでデス」


 カイの疑問は、まさにその答えによって遮られることになる。

 通信に入り込んできたのはティムだった。


「今の会話も聞かせてもらいまシタ。エネルギー供給を止めようとする意図は看過できまセン。コフチェク号とその乗員も危険因子として認定――」


「カイ、クゥ、今すぐ出るんだ。ホバーバイクに!」


「くそっ!」


 ブラットンが叫んだときにはもう、反射的にカイは走り出していた。クゥの手を引いて。


「これより強制排除を開始しマス」


 ティムの声が冷たくカイの鼓膜を揺らす。

 それが面倒なことを引き起こすのは、昨日カイが経験した通りだ。

 クジラの内壁が赤く染まり、大音量の警報が鳴り響く。あの管理室コントロールルームの再現だ。

 同時に一本の黒い鞭が側壁から現れた。タコ足のように自らをくねらせながら、びゅんと空気を切り裂いて襲いかかってくる。


 やられる――


 とっさに腕を交差して身を守るカイ。実際そんな防御など、本当ならなんの意味もなさなかっただろう。来たる衝撃に備えて目をつぶるが、いつまで待ってもそれはやってこない。

 恐る恐る目を開けると、目の前で鞭はウナギがのたうち回るようなデタラメな動きをしていた。


「カイ、急いデ」


 今度はクゥがカイの手を引いていた。全身をまばゆいまでの白に輝かせながら。


「船のコントロールを奪われた。まだ三割ほどだが、このままでは全てを取られかねん」


 ブラットンが苦悶の声を上げる。

 デジタルな存在の彼らにすれば、文字通り身を削られるようなものなのかもしれない。

 そうしている間にも一本、また一本と黒い鞭が現れては、カイ、クゥを捕えようと動き回る。それらはふたりに届く直前、不自然に方向を変え無力化されていった。ブラットンとクゥの必死の妨害だ。


「この場は何とか抑える。早く外に出るんだ」


「もちろんだ!」


 後ろにクゥを乗せ、操縦席にまたがるなりフルスロットル。

 ギュィィィンと唸りをあげるモーター音は、明らかにハイビスカスのものよりも激しさを増していた。

 機体は一気に浮かび上がって、危うく天井に激突しそうになるほどに。


「しっかりつかまってろよ!」


「うン!」


 ぎゅう、と細い腕がカイの胴にしがみつく。


「爺ヤ!」


 クゥが叫んだ。


「今まで、ありがとウ!」


「クゥ、未来を頼んだよ。カイ、クゥを……頼む」


 覚悟を決めたような言葉に、胸が締め付けられる。

 だからこそ、絶対にやり遂げなければ、とカイは心に刻み込んだ。


「ああ、やってやる!」


 急発進するホバーバイク。降りかかるような鞭の乱打を流れるような回転飛行ですり抜けて、ふたりは大空へと飛び出していった。


「待ってろよ!」


 振り返ることなく、カイは眼下の天空塔スカイタワーを睨みつけ、ハンドルをきつく握りこむ。


 世界の運命は今、急加速で動き出そうとしていた。

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