【25】力づくでやらせてもらうからな!

 管理室コントロールルームへ向かう穴の中は暗い。まるで洞窟の中を行くようだ。配管がうっすらと緑色に光って、光源はそれだけ。

 カイはゴーグルのライトをともして、速度を落としながら慎重に降下していった。


 クゥを探して降りた昨日も同じような光景だった。しかし今とは全く状況が違う。

 わずか一日あまりでカイは色々なことを知った。大地があって、都市の残骸があって、クジラは月に住まう人々の船で、五千年前には地球の重力が増大していた。それに何より空を知ることだってできた。

 けれど、まだまだ知らないことがあるのだろう。大地の果てには何があるのか。宇宙は、月は、あの星々はどういうものなのか。重力が弱まった世界はどんな姿をしているのか。

 単純に知りたいと思った。知らないままではいられないと。

 だからこのまま月が落ちてきて終わりなんてのは絶対に納得できないと。


 後ろでクゥは一言も発しない。

 ぎゅうとカイの胴にしがみついて、それゆえに鼓動がドクンドクンと響いてくる。

 やらなければいけないのだ。クゥのためにも。彼女が本当の意味で自分の生を手にするためにも。


「着いたぞ」


「うン」


 小さく言葉を交わすカイとクゥ。

 本来なら視界が広がるはずの管理室。しかしその空間は真っ暗闇に沈んでいた。

 少し前まで海水が入り込んでいた場所だ。かすかに潮のにおいが残っている。


「急ごう」


 穴のふちへバイクを停め、床に降りるふたり。

 目指すはフロアの中央、暖炉のような形状の装置だ。それが都市の資源配分をコントロールしているらしい。

 装置には緑の配管が集まっており、暗がりの中でもその位置は簡単に把握することができた。

 クゥが小走りで駆け寄っていき、手をかざす。

 その後をカイは簡単に予測することができた。クゥの身体が白く光ってこの場所を照らしてくれるはずだと。

 しかし実際に部屋を照らしたのは白ではなく、警告の真っ赤なランプだった。


「カイ、クゥ、そこまでデス」


 ティムの冷たい言葉と共に、カイは自分たちの置かれている状況を知った。

 周囲を取り囲むのはカニのような姿をした赤目の捕縛機キャプチャークラブの群れ。その数、ざっと五十は下らない。一匹一匹が威嚇いかくでもするようにU字状のアームを高々と掲げていた。

 ある程度予想はしていたが、完全に待ち伏せされていたらしい。


「逃げ場はありまセン。諦めて投降してくだサイ」


 ティムの言う通り、窓という窓はすべて金属か何かの分厚いプレートで隙間なくふさがれてしまっていた。海中の景色など望むべくもない。前と同じ手で逃げるわけにはいかないようだ。

 通ってきた上穴も、下穴も、すでにカニの群れが埋め尽くしてしまっている。まさにカイたちは網にかかった魚だった。


「ティム、止めるなよ。オレたちはやらなきゃいけないんだ」


 それでもカイに気後れはなかった。

 二丁のマンタを構えてぐるりと見渡し、ギン、と青い瞳でにらみつける。


「月が地球に迫ってる。衝突したら大変なことになる。回避するにはここのエネルギーを止めるしかないんだ。なぁティム、わかるだろ」


「それは認められまセン。エネルギー供給を止めた場合、ハイビスカスでの生命維持は困難になりマス」


「だ・か・ら、月が迫ってるんだって! それが粉々に砕かれてここへ落ちてくるんだ。そしたら生命維持もクソもないだろ!」


「確かに月の接近は観測されていマス。しかし私の使命はハイビスカスに住まう命を守るコト。カイ、いまあなたが行おうとしていることは認められないのデス。どうしテモ。それが私の使命なのデス」


「くそっ、らちが明かねぇ!」


 どうしてこんな風にティムを造っちまったんだ。

 そう思わずにはいられなかった。

 造ったブラットンの考えが足りなかったのだとすれば、やっぱり空で一発ぶん殴っておくんだった、とカイは完全に頭に血がのぼっていた。

 しかし、


「カイ、私はあなたたち人間とは違うのデス。イ、イ、一度設計通りに造られてシ、シ、シ、しまったら、そのト、ト、通りに動くしかないのデス」


 ティムの様子がおかしい。

 思わずカイはクゥと目を見合わせる。


「カイ、私もア、ア、ア、あなたのようだったなら、モ、モ、もっと違う方法があるでショウ。ケ、ケ、けれど残念ながらそうではないのデス。だから、カイ、ア、ア、ア、あなたのすることはド、ド、ド、どうしても認められないのデス」


 それはどこか泣いているようにも聞こえた。不治の病に苦しんで、苦しんで、苦しんで、早く助けてほしいと。

 言うなれば、それは不自由という名の病だろうか。

 カイは今ようやく、自分がするべきことを本当の意味で理解できたような気がした。

 ティムはいま自己矛盾に陥っている。ハイビスカスを守らなければいけない。その前提が強すぎるがゆえの出口のない袋小路だ。

 ならばその突破口は、自分たちが作らなければいけないのではないだろうか。


「……そうかい、ティム、わかったよ。それじゃあ力づくでやらせてもらうからな!」


 カイとクゥは互いに目くばせをして、小さくうなづき合った。

 それが始まりの合図となる。

 クゥは全身を輝かせて装置への干渉を開始すると、そうはさせまい、と近くの捕縛機数匹がクゥめがけて躍りかかる。それをカイの射撃が的確に撃ち落していった。


「供給量への変更操作を検知しまシタ。管理者権限による遮断を実行……できまセン。供給量、九十五パーセントにまで低下」


 ティムが進捗を読み上げる。

 これがゼロになるまで、何が何でもクゥを守り抜く。はた目には勝ち目の薄い策にも思えるかもしれない。しかし今、ふたりに残された手段はこれしかないのだ。


「くそっ、ティム、少しは手加減しろって!」


 中央の赤いランプを輝かせながら、次々とカニの群れが襲いくる。

 多勢に無勢は明らかだった。

 カシャカシャとかき鳴らす足音が束になって集まると、うねりを伴う波のように聞こえることをカイは知った。

 それに銃で立ち向かうのはどうやったって無謀にも思えた。波にいくら銃を撃っても形が崩れないのと同じように。


「うららららぁっ!!」


 けれど今は、今だけは、ひるむわけにはいかないのだ。

 二丁の銃の乱れ撃ち。クゥに飛びかかった十匹のカニは、その一瞬ですべて中心を撃ち抜かれてガラクタへと成り果てる。

 だが休む間はない。尽きぬ波同様、上下の穴からすぐさま次が押し寄せ、ふたりの周りを取り囲むのだ。


「供給量、八十パーセントにまで低下」


「まだそんだけかよ……っとぉ!」


 不意にカイの足元をカニのハサミが襲った。狙いはクゥだけじゃない。カイにもハサミの連撃が見舞われる。

 超人的な反射神経で身をひるがえし、なんとか反撃を繰り出すも、


「しまっ、クゥ!」


 その隙に残りがクゥに襲いかかる。


「させるかぁぁぁぁああああっ!!」


 腹の底から雄叫びをとどろかせ、カイは足元に転がったカニの残骸をぶん投げた。だらしなく広がる二対のアームが他のカニを巻き込んで、そのまま下穴へと転がり落ちていく。


 その間もクゥはただひたすら手元に集中していた。じっと目を閉じ、周りの狂乱には見向きもしない。まるで台風の目のような静けさで。

 言い換えれば、それはカイへの信頼の表れでもあった。


「供給量、六十パーセントにまで低下」


「まだ……半分以上あるってか」


 その信頼に応えたい。応えなくちゃいけない。

 その気持ちに嘘偽りはなく、このハイビスカスのどんなものより固い決意がカイの胸に宿っていたのは間違いない。

 けれどすでに息は乱れ、マンタを拾い上げた右腕は軽く痙攣けいれんを始めていた。

 肉体的な限界はどうにもごまかしようがなかった。


 あるいはその震えは恐怖だったのかもしれない。

 もし、自分が失敗したら……。

 尽きぬカニの大群に、ふとそんな考えがカイの頭をかすめた。そして一度かすめたが最後、その悪い考えはぶくぶくと膨らんで、思考の全部を埋め尽くしてしまうのだ。

 全てが奪い取られてしまう。自分の未来だけじゃない。クゥの自由も、ハイビスカスの皆の笑顔も、すべて、すべて、いまここで失敗してしまったら。


「うらああああああああっ!!」


 それは心臓を氷水にひたしたような悪寒。

 そんなものに負けたくない。拭い去ろうとするかのようにカイは叫んで、ただただトリガーの指を動かし続けた。

 しかし不安は焦りを生み、焦りはあらを生み、あらは大きな隙を生む。


「あっ――」


 背後からのアーム。

 それもカイはしっかりと把握できていたはずだった。

 しかし振り返りざまの反撃は大きく的を外してしまう。

 バランスを崩すカイ。ステップの最中、床に散らばった破片に足をとられていた。


「くそっ!」


 急いで体勢を直し、目の前の相手に至近距離の射撃を見舞う。

 続けて右へ、左へ、後ろへ下へ。撃って、撃って、撃ちまくる。

 だが相手は機械の精密さ。一度できた隙など見逃すはずがなく、始めは右脚、そして腰、背中、首と次々とカニが飛びついてくる。


「う、あっ!! ……クゥ!!」


 もう自分はダメだ。せめてクゥだけは、と彼女に迫る二匹を撃ち抜いたのを最後に、カイは床に組み伏せられていくのだった。

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