【26】こんなの一生に一度きりだぜ

「クゥ!」


 身体の自由を奪われたカイにできることは多くない。

 あるとすればそれは叫ぶこと。そして無防備なクゥの背中に捕縛機キャプチャークラブの群れが押し寄せる様をその目に焼き付けることくらいだろう。

 その波はきっと白い小さな身体を難なく飲み込んで、自分たちの希望を奪い去ってしまうのだ。覚悟を決める暇すらなく、それがカイに予測できた全てだった。

 クゥまでの距離はたったの一メートル。その距離が今、絶望的なほどに遠い。

 だが、一匹の捕縛機がクゥの背中に触れようとしたその時だ。


 バチィィッ!!


 弾けるような音がして、真っ先に飛び込んだ一匹が感電したように床に転がり落ちた。

 次も、その次も、クゥに触れた途端に不自然に動きを止める。

 その様は電気ウナギの放電を見るようだ。


「んなっ!?」


 何が起きているのか。

 いや、確かにクゥであれば、カニが触れた瞬間に電子制御を乗っ取って一瞬で行動不能に陥れることができるのかもしれない。でも、それなら身体への負担は相当なもののように思えた。そして後ろにはまだ途方もない数が控えている。


「供給量、四十パーセントにまで低下」


 ティムが進捗を告げる。終わりまではまだ遠い。

 そして捕縛機の群れは決して手を緩めることはない。押しつぶさんばかりの勢いでクゥの上にのしかかっていく。


「ウグ……グゥ……」


 積み上がった捕縛機の黒い脚の隙間から、クゥの苦悶に歪む表情が見えた。つぅ、と鼻から赤い液体が流れている。

 それでも、無茶をするな、とカイは言えなかった。

 言えるわけがない。いま地球に住まう生命の命運はすべて彼女にかかっているのだから。


「カイ、もう伝えられないかもしれないかラ……」


 クゥからの通信だ。


「ありがとウ。私と一緒に来てくれテ。短い間だったけど、カイと一緒に過ごした時間は……とても楽しかっタ」


「な、なんだよ、それ。やめろよ、もう終わりみたいな言い方。そんなの後でいっぱい聞くから」


「うン、でもごめン、ちょっと……限界みたイ……」


「そんな、おいクゥ!」


 謝りたいのはこっちの方だ、とカイは強く奥歯を噛みしめた。

 本当ならクゥをしっかり守って、ちゃちゃっとコトを終わらせて、ふたりでみんなのところに戻って賞賛の拍手喝采を浴びるはずだったのに。

 それが最初の役目すら満足にこなせなかった。


「キ、キョ、供給量、二十パーセントにマ、マ、まで低下」


 ティムの言葉がわずかに乱れる。

 とうとう終わりが見える数値までやってきた。

 これなら、あるいは、ひょっとして。

 どうしたって膨らんでしまうその期待。けれど、 


「ゲホ、ゲフッ……」


 クゥが嫌な咳をした。床に赤い水溜まりができる。

 構うことなく捕縛機はクゥの上に集まって残骸の山を作り上げていった。菌類が無限に増殖するかのようだ。動かなくなった個体を押しのけて、また新たなカニが飛び込んでいく。


「ティム! こんなん絶対間違ってる!! やめろよ、クゥが死んじまうって!! 」


 わめき散らすカイ。

 カニの山に隠れて、クゥの姿はもうほとんど見えなくなってしまった。見えるのは装置に触れる左腕。それだけだ。

 それが必死に装置を離すまいと小刻みに震え、やがて重量に押されるようにずるずると下がっていく。

 そしてついに、


「キョ、キョ、供給量の低下、十五パーセントでテ、テ、テ、停止。カ、カ、回復措置を開始しマス」


 最後に残った左腕まで飲み込まれてしまうのだった。


「クゥ、おいクゥ! 大丈夫かよ、返事しろよ!」


 泣きそうな声。カイは必死に呼びかけた。

 けれど応えるものは何もない。


「う、うぅぅぅああああああ、くそぉああああああ!!」


 全身を床に押し付けられたまま、カイはがむしゃらに叫んだ。腕を、脚を、なんとかずり動かして、クゥのもとへたどり着かなければ。

 しかしカイを押さえつけるのは、数えきれないほどのアームの牢獄だ。どれだけ力を込めたところで、身体はピクリとも動かなかった。重力そのものがカイに襲い掛かっているようですらあった。


「ああああああああああっ!!」


 それでもカイは諦めない。

 全身の筋肉という筋肉に、神経という神経に、細胞という細胞に、たったひとつの指令を送り続ける。

 抗え、と。

 次の瞬間、


「うらああああああっ――――――!?」


 咆哮ほうこうと共に、カイは勢いよく立ち上がった。四肢を押さえつけていたカニたちが軽々と吹き飛ばされて、四方八方に激突していく。


「……あ、あれっ?」


 突然のことに、カイは自分でも驚きを隠せない。

 いきなり超常的な力が湧いてきた、なんてことがあるはずがない。

 見ればカニたちが一匹残らず機能不全に陥っている。真ん中の赤い単眼をビカビカと点滅させながら、ずっと麻痺したように震えているのだ。

 故障か?

 疑問の答えはゴーグルの通信が教えてくれた。


「……ふむ、どうやら間に合ったようだな」


「爺さん!!」


 聞こえたのはブラットンの声。

 それは願ってもないタイミングでの助け船だった。


「いやはや、自分たちが造ったプログラムに侵食されかけるとはな。この五千年、初めて死というものを実感しかけたよ。だが侵食されるということは、こちらから干渉できるということでもある。少しティムの邪魔をさせてもらったよ」


「爺さん、助かったぜ。でもクゥが――」


「ふむ、慌てることはない。クゥなら大丈夫だ。バイタルはこちらで把握できているからね」


 そんな返事を聞きながら、カイは残骸の山をかき分けてクゥの白い身体を掘り返す。

 見つけた身体は尋常じゃないくらいに熱を帯びていた。

 でもまだ息はある。脈も。


「ウゥ………………カイ?」


「……ごめんな、こんな、無理させて」


 うっすらと目を開けたクゥ。大事には至ってないようだ。

 左耳には星型の髪飾りがきらめいている。

 カイはほっと息を吐き、その白い身体を肩に担いで、目の前の装置に向き直った。


「ハイビスカスのヒ、人々をマ、マ、守り……、シ、シ、使命、ハイビ、スカス、命を、マ、マ、守りマス……」


 いよいよティムの言葉もほとんど支離滅裂になっていた。最後に残ったのはプログラムの原点ともいえる部分。その原点を延々と復唱し続けている。

 思えばティムの言葉の乱れは、ブラットンがティムを妨害していたからなのかもしれない。


「もう……終わらせないとな」


 そんな言葉がこぼれ出る。

 これから世界が劇的に変わる。

 そう思うと、今の世界がほんの少しだけ名残惜しいような気もした。

 もうハイビスカスという都市は機能しなくなるのだから。


「ふむ、それは同時に始まりでもある」


 その通りだ、とカイは思った。

 これは解放だ。

 目に見えない重力の檻から。ティムという古いルールから。さらに言えば、ありとあらゆる固定観念から。

 これから自分たちはまったく新しい世界で、まったく新しい生き方をするのだ。


「ふむ、エネルギー供給、完全停止だ。準備完了だな」


 クゥの後を引き継いで、ブラットンが吸い上げを停止させていた。

 それで配管の緑色はすっかり薄れて、暗い暗い夜の空と同じ色になった。


「助かる。おい、クゥ、いよいよだぞ」


「……うン」


 まだどこか朦朧もうろうとしたままのクゥ。

 しかしそれでもカイが呼びかけると気丈に返事をする。


 カイは装置の真ん中にある円型のバルブに手を伸ばした。

 ここを開ければエネルギーの通り道だ、ということは直感的に理解できていた。

 クゥも遅れて手を添えた。

 そのままゆっくりとふたりの力で回していく。


「シ、シ、使命、使命、使命、ハイビスカス、マ、マ、守り……」


 ティムも変わらずこの調子だ。早く楽にしてやりたい。


 ガコン――


 やがて重い音がして、バルブが回り切った手ごたえを感じた。

 そのままゆっくりと丸い蓋を開け、


「クゥ」


「うン」


 クゥが星の髪飾りを外して、空になった配管へ慎重に放り込んで、蓋を締めた。

 音もなく星は落ちていく。いま、どのくらいの深さまで届いたのだろうか。 


「ふむ、ふたりともよくやって――――ここから逃げなく――――爆発に巻き込まれ――――」


「ん? おい、爺さん、声が途切れ途切れだぜ」


「む、まずいか。またティムが――――――」


 ザザ、と雑音を残して、ブラットンの声がまた途絶えた。

 カイが見回すと、捕縛機の群れはそれぞれ黒い脚を震わせながらも、何とか態勢を立て直しつつあるようにも見えた。

 またティムがコントロールを取り戻そうとしているのかもしれない。


「行こう」


 クゥを肩に担いだまま、穴のふちのホバーバイクへと向かうカイ。

 後はそれに乗って大空まで一直線に戻るだけだった。

 しかし、それも目前というタイミングで、


 ドォォオオ――――――――


 唸るような重低音が海の底から鳴り響いて、管理室全体が大きく揺れた。

 それは決してふたりに危害を加えるような揺れではなかったが、


「あ、しまっ――」


 それでも致命的なものとなる。

 揺さぶられたホバーバイクがずり動かされて、穴の中へ転がり落ちていくのだ。慌てて伸ばした腕は空気をつかむばかりで、ふたりの脱出手段はあっさりとなくなってしまった。


 ドドドドドドドドドド――――


 穴の底からは地獄のような音が迫ってきていた。天空塔の最下層、その構造が破壊され、海水が入り込んでいるのかもしれない。


「クゥ、どうし……」


 そして振り返ったとき、カイはまた自分たちが捕縛機の群れに囲まれていることに気づいた。


「コ、コ、これより、リョ、リョ、両名の確保をオ、オ、おこないマス」


 なんて執拗な。

 一転して窮地に立たされたふたりだったが、


「ティム、こんな時まで――」


 慌ててマンタを構えようとしたカイを、


「カイ、大丈夫ヨ」


 クゥが制止する。

 笑っていた。穏やかな笑顔だった。


「大丈夫って、何が」


「いいかラ」


 そう言ってクゥは目を閉じた。身体中に捕縛機が組み付いてくる。もはやされるがままの状態だ。

 そしてそれはカイも同じだ。マンタで迎撃しようにも、振りほどこうにも、すでにすっかり手遅れで、ふたりを包み込むようにカニの一匹一匹がぎゅうぎゅうに集まってくる。

 けれどようやくカイも気づいた。それは先ほどまでの動きを封じるような、拘束するようなものじゃない。隙間なく集まる様子は、まるで何かから守るような。


「ティム、お前、まさか……」


「ワ、ワ、私の使命は、ハイビスカスの人々の命を、マ、マ、マ、守るコト。オ、オ、大きく息を吸って、ト、ト、ト、止めてくだサイ」


 ドン、と強い衝撃がふたりを襲ったのは、そんなティムの言葉の直後だった。

 散々にかき回されるような感覚。しかし捕縛機が取りついていなかったら、この程度ではとても済まなかっただろう。爆発の余波か、それとも濁流の暴力か。何であれ結局、それが直接ふたりに届くことはなかった。

 暗闇の中で肌に触れる感触が徐々に変わっていく。無機質な冷たさから、じっくりと染みわたるような、それは液体の温かさ、滑らかさ、優しさだった。あるいは生命力そのもののような。


 気づけばカイは海の青い静寂の中にいた。クゥもすぐそばにいる。

 海面は遠く、ゆらゆらと光り輝いていた。

 少し前ならそれは絶望的な光景だったのかもしれない。重力に引かれて、底へ落ちていくだけだったから。


 浮いてる……。


 でも今は違う。

 初めての感覚にカイは言いようのない感情を覚えていた。

 気のせいなんかじゃない。海面が徐々に近づいているのだ。

 まるで天と地がひっくり返ったような感覚だ。

 新しい世界が始まった。間違いないとカイは断言できた。砂時計がひっくり返ったのだ。

 油断すれば笑いだして、叫び声をあげて、肺の空気を全部吐いてしまいそうな気がした。

 目の前でクゥも天使の笑みだ。

 ゆっくりと水を掻き分けて、魚の群れと共に白い身体が水面に昇っていく。カイもそれをひたすら追いかけていった。


「ぷはぁっ」


水面に達したふたりを待ち受けていたのは、巨大な光の柱だった。


「おい、クゥ、見ろよ。すげぇぞ」


 ハイビスカスのシンボルだった天空塔はすでにない。代わりに海底から無数の光の粒が浮き上がって、朝焼けの空へと一直線に放たれていくのだった。


「綺麗……」


 クゥもただ、その光の行方を目で追っていた。

 原理はとてもわからない。けれど、


「こんなの一生に一度きりだぜ、きっと」


 それだけは間違いないだろう。

 新しい時代の幕開け。それをこの惑星自身が祝っているかのようにも見えた。

 光の柱はどこまでも伸びていく。空をも貫いて、その先にまで。むしろ勢いは強まるばかりだ。

 カイとクゥ、ふたりは海面に肩を並べて静かにその先を見つめ続けていた。

 いつまでも、いつまでも。

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