エピローグ

【27】今度は宇宙かな

「よしっ! 最後のやつ、解除できたぜ」


 カイからの報告がスピーカーから鳴り響き、白い管制室内は大きな歓声で沸いた。


「よくやったね、カイ。これでようやく空の安全が確保できた」


 浮かび上がる巨大モニターの前で拍手を送るのはジェリー。そのすぐ後ろで、杖を片手にマムが優しく目を細めていた。もう車いすはそこにない。


 重力の再変動からおよそ三カ月、カイたちが最優先で取り掛かったのは世界中に散らばる対空システムの無力化だった。

 海上都市ハイビスカス、皆の故郷はその再変動の際の爆発で海の底へ沈んでしまい、空飛ぶクジラ、コフチェク号が新しい住みかとして選ばれることとなる。

 しかしコフチェク号の動力だって無尽蔵というわけにはいかない。地中に眠る重力エネルギーがすべて消滅した今、動力が尽きないうちにその船体を海面上に降ろさなければいけないのだ。

 その妨げになるのが、各地で今も稼働を続けるいにしえの対空システムだった。


「クゥ、やったな。今回もあっさり解除たぁ流石だぜ」


 解除を担当するのはカイとクゥ、お決まりのコンビだ。

 もっとも無力化はもっぱらクゥの仕事で、カイはその護衛として付いて行くだけではあったけれど。

 とはいえ道中は過酷。瓦礫がれきで埋め尽くされた市街地跡から生い茂る密林の奥地まで、向かうだけでも骨の折れる道のりの連続ではあったが、何より今は重力の重荷から解放されたばかりだ。ふたりは笑顔で難なくこなしていった。


「ふふー、楽勝だぜー!」


 クジラの管制室の画面に映し出されるのはカイの視界。その真ん中で、クゥの笑顔が咲いた。

 小麦色に焼けたその素肌は白いままの回路のせいで縞模様ができている。

 機械翻訳に頼らずとも直接会話できるようになったその口調は、誰かの影響で随分とやんちゃな色に染まっていた。

 憧れの天使がそんな風になってしまって、ハギたち男連中は幻滅するのではないかとも思われたが、「むしろそれがいい」ということで彼女は引き続き皆のアイドルであり続けている。


「よし、じゃあ早速だけど降下させよう。ティム、準備はいいかい?」


「万全デス」


 カイたちの最後の解除をきっかけに、コフチェク号の方では新たな動きが生まれていた。

 予定通り、クジラを海に降ろすのだ。


「オーケー、じゃあ降下開始だ。みんな、気を付けて、クジラを動かすよ!」


 その言葉を機にクジラを織りなす組織という組織が色鮮やかに点滅を始める。ティムがひとつひとつのステータスを順々に読み上げていった。


 ハイビスカスが海に沈んで存在自体がなくなったと思われたティム。しかしそのプログラムの活動記録は侵入したコフチェク号の中に残っていた。

 それにブラットンが手を入れる。改造して、コフチェク号管理用のプログラムとして再活用しようというのだ。


「ブラットンさん、ありがとうございました。あなたの助けがなければここまでスムーズにはいかなかったでしょう」


「ふむ、礼を言うのはこちらの方だ。君たちの働きぶりには感謝しているよ。私にはできないことが沢山あったからね」


 ジェリーの真っすぐなお礼に、ブラットンが言葉だけで応じる。

 立体映像ホログラムは起動していない。クジラに残る資源を無駄にしたくない、というのが本人の談だ。


「その……本当に、眠ってしまうんですか?」


「ふむ、それも予定通りだよ。私含めここコフチェクの住民は、言わば約五千年の時を休みなく生き続けてきたようなものだ。目的を果たした今、もう私たちがでしゃばることはない」


「でも……」


「そんな顔をするものじゃないさ、ジェリー。言ったろう。眠るだけさ。またティムが融通が利かず、皆を困らせることがあるかもしれない。そんな時、また起こしてくれればいい。それに――」


「おい、クゥ、こっからならクジラがよく見えるぜ!」


 ブラットンの声を遮って、再びカイのはつらつとした声が響き渡った。

 ホバーバイクに乗ったふたり。天にまで届きそうな大きな滝を昇りきってたどり着いた高台の上。そこからは遠くの海岸線と奥に広がる大海原が一望できた。

 ちぎれ雲の間を割ってクジラがゆっくりと降りていく。その背後で、抜けるような青空の上から、白昼の半月が見守っていた。


「な、クゥ、もっと高くまで行こうぜ」


「うん!」


「ちょ、ちょっとカイ、あんまり遠くまで行っちゃだめだよ」


「大丈夫だって。そらっ」


 ギュィィィィンとモーター音を響かせて、カイの視界はどんどん空に近づいていく。


「ふふふ、やりとりを聞いていると、やはりこれからの世界は君たちのものだと思えるものさ」


 そういうものだろうか、なんて考えがら画面の行方を追っていると、隣のマムもただじっとその景色を見つめていることに、ジェリーは気づいた。


「ん、なんだい?」


 そしてふと目が合う。


「あ、いや、珍しいな、と思って」


 これまでのマムなら、真っ先にカイの奔放ほんぽうな動きをたしなめるはずだった。


「ふん……まぁ、そのね」


 少しだけマムは言いにくそうにしながらも、


「あたしはずっとハイビスカスの存続のことだけを考えてきた。そのために何をすべきかをね。だからあの子のやること成すこと、全部が間違っているように思えてしかたがなかったよ。でも……」


 はぁ、と大きくため息をついて、


「結果はこのとおりさ」


 そう言ってマムはコツンと杖で床を叩く。


「それにこんな時くらいは、好きにさせてやりたいと思ってね」


「……ま、それもそうか」


 そしてジェリーも、うーん、と伸びをする。

 肩の荷が下りたのは、彼も同じなのだ。


「ね、カイ、この後はどうしようか」


 マムたちが見つめる先で、クゥが尋ねた。

 カイの視界は岩肌の急斜面を勢いよく飛び越えて、今にも空に届こうとしていた。


「今度は宇宙かな。ほら、約束したろ、月に行くって」


 カイはけらけらと笑って、そして歌い出す。

 クゥも続いた。なぞるように。

 彼女たちの歌声は、透き通るような青空の中をどこまでも、世界の果てまで届かんばかりに響いていくのだった。




――終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あのクジラの空を越えて 髭鯨 @higekujira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ