第4章 そしてクジラは空を飛んだ、か

【15】一発ぶん殴ってやる

 天候、晴れ。波やや高し。進路は北西を向いてヨーソロー。

 意気揚々とハイビスカスを発ってから約半日。カイはまだコバンザメの黒い背の上にいた。


「あいっかわらず海と空しか見えねぇなぁ」


 外に行けばすぐに見知らぬ何かに出会えると思っていた。

 しかしその旅路のなか、変わったのは朝陽が夕陽になったくらい。いまも見渡す限りの大海原がカイを取り囲んでいる。

 期待に胸を膨らませていたカイの心は次第にすっかりいでしまった。


「あいつもまだ付いてきてるか」


 ごろんと寝転んだカイの遥か上に、白い流線形が腹を見せて浮かんでいる。

 クジラ。ハイビスカス上空に漂っていたそれが、カイの乗るコバンザメをしっかりと追ってきていた。その姿は子供を心配する親のようにも見える。


「みんな、今頃どうしてるかな」


 ふとカイの脳裏にハイビスカスの皆の顔が浮かんだ。

 心細いというよりは気がかりであった。問題をほとんどほっぽり出してひとり抜け出してしまったのだから。

 でもジェリーがいれば、なんとかなるんじゃないかとカイは思う。

 

 カイ、聞いてよ、都市機能維持期限サステナビリティ・リミットのことなんだけど――


 別れを告げてからしばらくは、まだジェリーとの通信は続いていた。

 彼らは彼らで引き続き立ち向かわなければならない。都市機能が停止するという事態に対して。

 マムの知識も必要だろうが、解決のカギになるのはジェリーだとカイは思っていた。彼は皆の期待を上回る意気込みで解決策を探し求めている。聞くに、彼は昨晩ほとんど寝ずに情報収集に没頭し、ある発見をしたらしい。


 都市機能維持期限サステナビリティ・リミットって、いままで都市の資源が枯渇することへの警告だと思ってた。いや、実際そうだったはずなんだ。

 でもいまその数値が大幅に減って、だから調べてみたんだけど、記録されている貯蓄量はそんな極端に減ってるわけじゃない。食物、繊維、薬剤、数十年分の見通しは十分に立ってる。重力資源アース・エナジーの埋蔵量は無尽蔵と言ってもいいくらいだ。

 変なのはそれだけじゃないよ。いまエネルギー供給は止まっているから、本来なら数字の減りは停止するはずなんだ。それなのに一秒一秒、いまも着実に減っていってる。まるで何か別のもので上書きされたみたいに――


 早口でまくし立てられた言葉の数々は、カイには全くのちんぷんかんぷんだった。

 ただ、その口ぶりから解決に向かっていっている雰囲気は感じられたし、


 ――とにかく、資源に問題がないなら、吸い上げを再開できればいいはずだ。いまそれに取り掛かってる。予備動力があるうちが勝負だね。


 そんな具体的な方針が聞けたこともあって、カイは決して悲観することはなかった。むしろジェリーに任せれば安心だと思えたくらい。


 しかしだとすれば、どうしてクゥはエネルギー供給を止めるなんて行動にでたのか。その謎も残ることになる。

 カイはまだクゥを測りかねていた。先刻のやりとりを思い出す。


 クジラに戻るなら、付いて行っていいか?


 そんなカイの申し出を、クゥは驚くほどあっさりと受け入れた。ほとんど表情さえ変えずに。

 まるで自分の意思を持っていないかのようにさえ見えて、カイは逆に心配になった。


「あの中に、がいるんだよな」


 オレンジ色に反射するクジラを見上げながら、ぼんやりとつぶやく。


 爺やに言われたかラ――


 どうしてハイビスカスを止めるんだ、と問いただすカイに対して、クゥの答えはそれだけだった。

 そのときのカイはマンボウのように間の抜けた顔をしていただろう。

 要するに、クジラの中にはクゥの言うがいて、そいつがハイビスカスを止めろと言ったから、クゥは従っただけということになる。

 じゃあ爺やはなんでハイビスカスを止めたかったのか。

 繰り返し問うカイの言葉に、クゥは首を横に振るばかり。

 あまり体調も良くないのだろう。彼女は出発後すぐに横になってコバンザメの白い内壁にくるまってしまうのだった。

 そうなるともう無理に起こすわけにもいかない。長い間コバンザメの中に留まってカイが知ることができたのは、クジラの中の爺やの存在と、天井を二度続けて叩くとにゅるりと背中の上に出してくれるコバンザメの機能くらいだった。


 はっきり言えばカイは不機嫌だった。

 まず、爺やに言われたから、の動機からして理解できない。自分なら、人にやれと言われても自分が納得できなければ絶対に行動には移さなかった。

 人に言われたから、の理由しか出てこないのはカイにとってはほとんど意味不明だった。

 いや、百歩譲って爺やにちゃんとした理由があったとしよう。そしてクゥにしっかりと説明がなされたとしよう。それでもなんでクゥにやらせたのか。

 ハイビスカスを止める必要があったなら、爺や本人だって降りてくるべきじゃなかったのか。なんであんなか弱い少女ひとりに押し付けたのか。現にクゥは疲労困憊でぐったりという有様だ。


「待ってろよ。一発ぶん殴ってやる」


 にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、カイはパシリとこぶしを叩いた。

 ハイビスカスの皆が苦労する羽目になったのだ。それぐらい当然という気分だった。

 新しく加わった空を目指す理由に、カイの心にはまた火がつきかけたところだったが、


 ぐぅぅぅ――


 けたたましい腹の音に、カイのこぶしもへなへなとしおれていく。


「だめだ。腹減った。……クゥ、まだ目的地には着かないのか?」


 空に向けて呼びかけるも返答はない。

 ジャケットに忍ばせておいた食料も、昼に食べた分ですでにすっからかんだ。


「くそぉ、何も見ないまま飢え死にだけは勘弁……おっ?」


 と、そこでカイの顔を大きな影が覆った。

 クジラだ。気づいたら、その姿がいやに大きくなっている。降下してきたのだ。

 そしてそのまま頭上を追い抜いて、コバンザメの先へ先へと向かっていく。


「おっ……おっ……おおっ?」


 向かう先に何かが見えたような気がした。

 水平線と雲の間。爪の先にも満たない小さな小さな黒い影。それが水平線の上に付着したように見えて、次の瞬間、真横へ一気に広がった。


「おおおおおおーーーーーーっ!!」


 まだ遠く離れたその姿。それなのにあんなにも広い。ハイビスカスより、クジラより、そんなもの比べ物にならないくらい。


「すげぇ! 大地、大地だよな!? ジェリー、すげぇよ! オレはこの目で大地を見てる!!」


 すでにハイビスカスの通信範囲から外れて随分経つが、それでも呼びかけずにはいられない。これまで話でしか聞いていなかった大地。それはカイの想像以上に巨大なものだった。

 空のことやハイビスカスのことなど、一瞬で頭から消え去ってしまうくらいの興奮。カイはしばらく飛び跳ねまわって、危うく足を滑らせて海に落ちる寸前だった。それでもゲラゲラと陽気に笑い続ける。


「カイ、そろそろ着ク。中に戻っテ」


 クゥからの通信。しっかりと直前で起きてきたらしい。


「クゥ、大地ってすげぇ広いな。こんなのを何度も見てるのか?」


「うン。カイもそのうち慣れル」


 慣れる。そういうものだろうか。いま目にしているものならしばらく圧倒させられっぱなしだろう、とカイは自信をもって言えた。


「なぁ、中に戻らないとダメか? もうちょっと見てたいんだ」


「そういうことなら、まだいいけれド……。じゃあまた声をかけル」


 クゥはそう言うが、カイには少し不思議に思えた。岸に着くならむしろ外に出たほうがいいんじゃないか、と。

 その疑問の答えも探すべく、カイは前の光景に向き直った。


 近づくにつれて大地の細かな表情がわかってくる。それは決してハイビスカスのような、どこも同じような外見をしているわけではなかった。

 岸にしたって、灰色の護岸もあれば、白い砂浜も混じっている。並行して背の高い緑が立ち並び、その奥には高低さまざま、魚の骨を頭から地面に突き刺したような崩れかけの建造物が乱立していた。

 しかし何と言っても目立つのは、カイの真正面、それら有象無象をひざ元に従えて鎮座する巨大な白い円形のドームだ。天井からは一本ななめに突き出た角のような突起物もある。この場所を統べるボスは自分だと、その角が誇っているようにも見えた。


 その角の先、延長線上にクジラが悠々と浮かんでいる。

 先に進んでいたはずが、また空中一点に留まって、カイは追い抜きざまその姿を振り返ることになる。


「口が開いてる……」


 初めて見る姿だった。白い流線形の前方、ドームの角に向けてぽっかりと穴が開いている。何かを射出しようとしているか、あるいは受け止めようとしているのだろうか。


 ふと視線を落とすと、水の中にも様々なものが見える。かつては直線的で幾何学的な形状だったであろう人工物の群れ。水流で、長い年月をかけてボロボロになったものだろう。

 それがある一線を越えたあたりから、板を敷いたような平面へと変わっていく。道だ。海の中に道が敷かれている。その道にそってコバンザメは進んでいくのだ。


「カイ、もう中に戻っテ。レールに乗るかラ」


「レール?」


 にゅるりとまた黒い鞭によって内部に導かれ、カイは尋ねた。


「そウ。レールで加速して、母船へ飛ブ」


 クゥが説明するには、水中にコバンザメ専用の入り口があり、そこから電磁気を用いてレール上を延々と加速、最終的にはあのドームの角から射出してクジラのもとへ届けられるのだという。

 仕組みに関してカイは半分くらいしか理解できなかったが、


「そりゃ、確かに外にはいられないわな」


 と納得せざるを得なかった。

 そしてこのままいけば、カイは念願の空へと飛び立つことになる。

 ただそれは飛ぶというよりは、放り投げられる、という表現の方が近い気がした。であれば天空塔スカイタワーから飛び出すのと、そう大きく変わらないような気も。

 それにコバンザメの内部に閉じこもったままでは、景色を味わうこともできない。


「なぁ、どうしてそんな面倒なことをするんだよ。あのクジラが海にまで降りてきてさ、拾い上げてくれればいいのに」


 カイとしてはずっとそれが疑問だった。どうしてクジラに戻るのに、半日もかけてこんな遠いところまで向かうのだろう、と。


「攻撃されるかラ」


「攻撃? 何に?」


「街ニ。それも世界中ノ。ある高さまで降りてくると、自動的に対空システムが起動してしまウ」


「タイクーシステム?」


「攻撃を受けるってこト。だからこうして専用の仕組みで母船まで届けてもらう必要があっテ――」


「うーん、よくわかんねぇ。なんで攻撃を受けなきゃなんねぇんだ」


「それハ――」


 ガクン――


 急にコバンザメの動きが止まり、ふたりは揃って前に投げ出された。クッションになって受け止めた内壁が、同時に赤い光を発してせわしなく点滅し始める。

 今度はカイにだって理解できた。何かイレギュラーが起きたのだ。


「おいクゥ、何がおきたんだ?」


 すでにクゥは全身を光らせていた。

 無言の時間が続いて、やがてクゥはカイを振り返り、シンプルに状況を伝えるのだった。


「……困ったことになっタ」

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