第二章 オルビオ・コロッセオ編
第26話 新生 カリエンテ王国
「しかし、少し見ないうちに随分と様変わりしたな」
「ですなローナン辺境泊、私も王都は久しぶりですが、町並みも王城もすっかり変わってしまって……、しかもディフェール女学院も突然に移転したとか」
「ああ、ガートランド辺境泊はご息女が学院に通っていましたな、突然の事でさぞ心配でしょう」
カリエンテ城の謁見の間に通じる廊下には、今二人の男性が並び立って歩いていた。
痩せているが大柄の男、ローナン辺境泊はやけに滑らかな壁や床に大きな不信感を覚え。
小柄なふとっちょの男、ガートランド辺境泊は学院の移転や、王城に詰める見知らぬ兵達の増加に、焦りに似た恐怖を覚えていた。
然もあらん、王国の守りとして王都から遠く離れていたが故に。
二人は知らないのだ、――――王都が魔族の手に落ちている事を。
だが彼らとて、名門貴族、そして共に名を馳せた武人。
「…………手遅れでなければ良いのですが」
「可能性があると?」
「然り、勇者が魔王を倒したとはいえ魔族は健在です。報復行動に出ていても不思議ではない」
二人は知っていた、ここ暫くの間に殆どの貴族が呼び出されている事を。
そして、呼び出された貴族が例外なく王に、或いはその上に居る誰かに心酔している事を調べ上げていた。
「まったく、後手に回ったものですな」
「しかし、確たる証拠が無いのではしょうがありません」
「最悪の場合は…………」
「ええ、解っておりますとも。――せめて、事前に王女殿下に会えていれば。いえ、今更ですな」
二人は腰の剣を意識しながら扉の前に。
全てが杞憂であればいい、王が乱心したのならまだマシな部類だろう。
だが、そうではないと確信していた。
万が一の為に兵を連れてきたが、彼らと連絡を取る手段は気づかぬ内に全てが封殺された。
「ローナン辺境泊様、ガートランド辺境泊様、どうぞお入りください」
「うむ」「ご苦労」
二人は衛兵の指示に従い、謁見の間に入り。
そして――――その後、二度と王国上層部への疑念を抱くことなく、絶対の忠誠を誓う事となった。
□
「はぁ、…………やっと終わった」
「ご苦労様でしたリヒト様、これでカリエンテ王国を真の意味で手中に収めましたね」
「思ったより時間かかったよなぁ、つーかプラミアッ! ああいう有能な人材が居るなら早く言えよッ! 真っ先に洗脳しておくヤツ等じゃねぇかッ!」
件の大貴族が帯出した後、豪華な執務室に戻った虹瞳を持つ金髪の少年。
魔族の王子リヒトは、メイド服に着替え側に控えるプラミアに向けて怒鳴った。
彼の隣には銀髪の絶世美少女メイド、カラードが彼女に向けてあざ笑い。
「ふふっ、可愛いものじゃないですかリヒト様。――彼女なりの抵抗というものですよ」
「抵抗? コイツはばっちり洗脳した筈だろう?」
「ええ、忠誠と服従は魂に深く刻まれているでしょう……、ですが感情は別です。いいえ、感情だけは辛うじて死守している、と申しますか」
「あー、そういえば前に研究者から聞いたことがあったなぁ」
「リヒト様の魔眼は、それこそ勇者や歴代の魔王様方にも効きますが……」
「どうしても個人差が出る、――今更だな。現にオマエや親父達は精神力で弾いているし、ルクレツィアに至っては命令の抜け道を見つけだして自由にやってるもんなァ」
ともあれ、これでリヒト達魔族は六代前の魔王以来果たせなかった人類への大きな楔を打ち込んだ事になる。
また、水面下では隣国への調略も始まっており、現在の所は順調そのものといえた。
「ではリヒト様、一仕事終えた事ですし」
「お、三時の休憩だな」
「いえ、その前にこちらの書類に目を通し捺印をお願いします」
「うげェ、午前中も山盛りやったじゃねぇか。なんでまだこんなにあるんだよ…………」
「ふふっ、頑張ってください次期魔王様」
「まだ決定してねぇよッ!?」
ぶつくさ言いながら書類を消化し始めたリヒトを眺めながら、カラードは柔らかに微笑んだ。
(――――束の間の平和、ええ、ずっと続けばいいのに)
あの日より三ヶ月、特に大きな波乱があった訳でもなく。
カラードは実に心穏やかな時間を過ごしていた。
(忌々しい勇者共、もう少し罠に……いえ、そうであるならば我らはもっと早くに人類を征服していたわね)
未来を考えれば憂鬱だ、勇者の到達はリヒトの戦いが再び始まる事と同義だからだ。
カリエンテ王都のみならず、各領地にも数々の罠を張り巡らせてはいるが。
(後数日ぐらいは到着を。――いえ、これ以上何かしたら不自然。嗚呼、こんな時間がずっと続けば良いのに)
朝はリヒトを起こし。
朝食の中に手作りの品を必ず一品忍ばせて。
腹ごなしに鍛錬の相手(オニキスや、挨拶に来た四天王達が混じる事も多々あったが)
午前の執務、リヒトの名代として動くことも少なからずあったが、基本は側で補佐をして。
そんな一日が夜まで続き、――時には朝まで共に。
(足りない、――――ええ、足りないわ)
側に居て、寵愛を受けて。
なお足りない。
カラードの心は狂おしい程に渇望している。
(私が、貴男を愛している証が足りない)
その為には、必要なのだメディスの欠片の全てが。
カラードが、リヒトを愛しているという証拠が。
彼女はそっと下腹部に手を当てて、表面上は穏やかに、そして内側では冷ややかに考える。
(赤ちゃん――勿論欲しいのだけれど、今は駄目)
時期が悪い、という事もあるが。
(私の愛の証には成り得ない、今のままでは駄目)
駄目、駄目、駄目、駄目なのだ。
知ってしまったから、愛の証があるのだと、それが手に入ると知ってしまったからこそ。
(嗚呼、早く来ないかしら。勇者と、その仲間達/エモノは)
下腹で疼く、暗い感情に浸りながら。
同時に。
(リヒト様を思い悩ませる勇者達など、我ら魔族から離反した愚か者の子孫など、このまま消え失せればいいのに)
相反する感情がぐるぐると堂々巡り。
けれど、そんな事は矜持に賭けても表に出さずに。
しかし。
(まぁた、なんか悩んでやがるなコイツ)
見抜く、感じる、詳細は解らずともリヒトはカラードの中を察していた。
実の両親の顔すら知らないリヒトではあったが、それ故に彼女は大切な相棒であり、従者であり。
(恋人……って言って良いんだろうけどさ)
言ってみれば、育ての母にも等しい。
そんな長い付き合いの仲であるから、思い悩む姿などいくら隠しても一目瞭然。
(深く考えて来なかったが、人間という種族を考えれば不謹慎な関係なのかもな。――まぁ、魔族だしどうでもいいけど)
流石に気づくというモノだ、彼女が彼女を愛する様に育てて来た事は。
だが、リヒトとしては些末な事だった。
どんな出会い方をしても、きっと彼女に惹かれていた。
それはカラードも同じであろう、という確信も。
(もし人間の側で育つもしもがあったなら、それこそ面倒な事になっていただろうし)
リヒトはぎゅ、ぺたんと判子を押しながらチラリと横目で銀の狼の従者を。
「――リヒト様、手元に集中しないと印がずれてしまいます」
「許せ、美しい女が隣に居るからな。つい見てしまう」
「お世辞を言っても、オヤツの品が増えるだけですよ」
「…………オマエも結構甘いよな」
「訂正、オヤツの時間を無しにしましょうか」
「あ、それはズルいぞカラードッ!?」
最近の楽しみを取り上げられそうになったリヒトは、悪戯っ気に笑うカラードに慌てふためく。
こうなったら、色仕掛けに訴えてもと彼女の細い腰に手をのばした瞬間であった。
「よう我が弟よ! 良い知らせを持ってきたぞっ!」
「ちょっとっ! 足の長さを考えてくださいオニキス様! なんでいつも小走りに――っと、どうもリヒト様、カラード様。ご報告にあがりました」
執務室の扉がバーンと勢いよく開かれ、ずかずかと無遠慮に入り込むは褐色の麗人にして、姉オニキス。
続いて、少し息を荒げて駆け込むは柔らかな栗毛の令嬢、妾一号(予定)のルクレツィア。
彼女はプラミアを複雑そうな顔で一瞥した後、リヒトに告げた。
「えー、ごほん。デフェール女学院跡地に建設していた闘技場が完成致しました」
「興行の手配も問題ない、明日から予定通りに始められる」
そう、この王都において一番の問題点。
綺麗さっぱり消滅し、大穴まで開いてしまった学院をどうするか。
その答えが闘技場であった。
「うむ、分かった。――ケケケッ、まったく良い案だったぜ」
「ええ、そのままでは怪しまれますし。完全に復元するには資料がまったく足りず」
「まさか闘技場にしてしまうとは、……これなら兄も罠と分かってなお足を踏み入れずにはいられないでしょう」
「というか、よくこんな案を思いついたな愛人ちゃんさ」
「愛人ちゃんではなく、せめてルクと呼んでくださいよ……何度言ったら聞いてくれるのですかオニキス義姉様?」
しみじみと述べたオニキスに、ルクレツィアはゲシゲシと彼女の脛を蹴りながらため息を一つ。
「はははっ、実際に妾になったらそう呼んでやる。――で、だ。ちょいと腕試ししないかリヒト?」
ニヤリと笑う姉に、リヒトは思い至る。
恐らく、頼んでいた対勇者用の新兵器(という名の古代兵器)と、目玉である挑戦用ゴーレムも出来上がったのだろう。
「そうだな、…………良いかカラード」
「そうですね、急を要する書類はもう終わりましたし」
「よっしゃ、なら行こう! 今すぐ行くぞっ!!」
わくわくと虹色の瞳を輝かせて立ち上がるリヒト。
今すぐ走りださんとするその姿に、カラードは苦笑しながら頷いたのだった。
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