第8話 少女 ルクレティア



「王立デフェール女学院へようこそ、リヒターテ様。お会いできて嬉しいわ」


 扉を開けば、待ち受けたるは話に違わぬ可憐な美少女。

 彼女は、部屋の真ん中で優雅にカーテシー。

 リヒトもまた、反射的に礼を返した。


「わたしはルクレツィア・レクシオン。お話は兄から聞いていますわ、仲良くしてもらえると嬉しいです」


「ありがとう、私はリヒターテ。新参者だから迷惑かけるかもしれないけど、こちらこそ仲良くしてくれると嬉しいわ」


 彼女の初対面は、リヒトが想像した以上に穏やかに行われた。


(チッ、やりにくいな。本当にただのガキじゃねぇか)


 脳裏に焼き付いた勇者と同じ茶色の、しかして柔らかに波打つ長い髪。

 首が細ければ肩や腕も華奢、守ってあげたくなる可愛い女の子というのは、一般的にこんな風なのだろう。


(――ああ、やはり例のペンダントを持ってますね)


(当面の課題は、コイツからペンダントを離す事だな)


 大きな目で可愛らしく微笑むルクレティアを前に、リヒトは遠慮無く室内を観察する。


「……へぇ、中々悪くないわね」


「うふふ、お気に召して頂いて安心したわ。わたしの好みで整えてしまっていたから」


 標的を目の前にしたとはいえ、暗殺が目的な訳ではない。

 焦りは禁物である。

 また実際の所、口で言った通り室内はそう悪いモノでは無かった。


(ま、流石に俺の部屋より狭いか)


(調度品も幾らか質が落ちますね。……しかし、学生という身分であるならば、こんな所でしょう)


 室内の間取りは。

 右壁――、上下二段のベッド。

 左壁――、大きなクローゼット。

 扉から正面の窓際には、二つの机が隣合って。


(どれも花柄だな、……なんだったか? この花)


(これは――、エディニース。こちらでは雪解けを象徴する小さな花ですね)


「…………エディニース」


「あ、お分かりになりましたか!? えへへ、好きな花なんですっ」


 ずずいっと身を乗り出し、リヒトの手を取るルクレティア。

 瞬間ふわりと、爽やかで少し甘い花の香り。


「もしかして、アナタが付けている香水も?」


「あたりですっ! 良い香りでしょう? あ、お近づきの印に、おひとつどうですか?」


 ぱたぱたと、小動物の様に机まで。

 その引き出しから香水を探し始める彼女の姿を見て、リヒトは気が付いた。

 憎き相手の縁者とはいえ、筋は通すべきだろう。


「忘れてたわルクレツィア、この子も一緒に暮すのけど大丈夫?」


「わん!(言っておきますが、愛玩動物じゃないですよ! リヒト様の唯一無二の腹心なんですからね!)」


 リヒトは抱いたままだった、カラードを床に下ろす。

 彼女も心得たもので、小動物、もとい子犬っぽくチョコチョコしながらルクレツィアの足下に向かい、ふんふんと嗅いでみせた。

 すると案の定、まぁまぁ、と黄色い声を上げてしゃがみ込み。


「ええ、大丈夫ですわリヒターテ様。……ふふっ、白くてふわふわで、まるくって可愛いですっ! 触ってもよろしくて?」


「ええ、カラードっていうの。よろしくね」


「わん!」


「あら、お返事できるのね! 賢い子!」


 少しの間カラードと戯れていた彼女だったが、ほんの一瞬、終始ほんわかしていたルクレツィアの顔が陰る。

 そしてそれを見逃さないリヒト達ではない。

 カラードはくぅんと寂しげな声をだし、彼女の手を舐め。


(取り敢えず――、ツッコんで聞いてみて。場合によっちゃ口説くか)


 憎き仇の妹、可憐な少女を手折る。

 復讐の名の下に、正当化されてしまった不道徳な行為へ、リヒトの心がずくんと暗く疼いて。

 そして、そんな事をおくびにも出さずに。


「――ねぇ、何か悩み事でもあるの?」


「ふぇっ!? いきなり何を――ふええっ!?」


 リヒトはルクレティアを立ち上がらせると同時に、カラードは暗黙の了解で机の椅子を引き。

 とん、と押せば。


「ね、せっかく一緒に暮らすし。――将来、家族になるかもしれないでしょう?」


「――っ!? そ、それは……」


 椅子に座ったルクレティアに、リヒトは胸元からペンダントを出して。

 彼女がそれに目を奪われた瞬間、その細い顎をクイっと掴んで瞳をあわせる。


(虹色の、目……なんて、キレイ――――)


(うん? この反応どっかで……)


(勇者と同じですね、流石兄妹。人の好みが似ているのでしょう)


 カラードはその光景に、無理もない、と軽い同情の念をルクレティアに送った。

 元々リヒトは、美少女に見間違う美少年だ。

 それが完璧な女装をすると、美少女そのもの。


(けど、元が男ですから。妙な色気があるんですよねぇ……)


 加えて虹色の魔眼は、力を使わなくても非常に妖しく魅力を持って。

 事情を知っている者さえ、見入って新たな扉を開きかけるのだ。

 温室で育てられてきたお嬢様など、あらがえる筈がない。


「ふふっ、レフさんと同じ反応をするのね。面白いわ」


「――――はわっ!? ご、ご、ご、ごめんなさいっ。じろじろ見てしまってっ」


「減るもんじゃないわ、遠慮しないでいいのよ? ……それより」


 リヒトは彼女の華奢な手を、己の手で絡め取りながら耳元で囁く。


「アナタの気持ち――、話して? 知りたいの」


「~~~~うぅ、は、はい…………」


 ルクレティアはコクンと頷いた。

 初対面で、しかも将来の義姉。

 兄の身分を考えると、送ってきたのが兄本人だとしても警戒すべきだ。

 だが、その虹色の瞳に見つめられると。

 けれど、女の子にしてはほんの少しだけ低い声で、甘く、言の葉を紡がれると。


(に、兄さんがお嫁さんに加えた理由が、わ、分かる気がします……)


 この人ならば、この人ならば。


(…………軽率な判断かもしれませんが。うん。悪い人では無いと、そんな気がします)


(うーん、あっさり気を許すとは。ちょっと不用心すぎないかこの子?)


 ともあれ、話す気になったのなら儲けものだ。

 リヒトはカラードを抱き上げると、彼女に微笑む。

 もう一押し、これで駄目なら今は引くべきだろう。


「無理にとは言わないわ。――でも、誰かに話す事で気持ちが軽くなるって事もあるでしょう?」


「……ありがとうございますリヒターテ義姉様。――少し、少しだけ、嫉妬、してしまったのです」


「嫉妬?」


 そして、ルクレティアは語り出した。


「この子、リヒターテ義姉様の使い魔でしょう? ならば、当然、義姉様は高位の魔法使い様で」


「――それにくらべて、自分は?」


「はい、そうです。……うふふ、会ったばかりなのに。全部見抜かれてるみたい」


(つーても、よくある悩みだけどなそれ。まぁ温室育ちじゃ仕方ないか)


 が、それで終わらせては意味がない。

 とはいえ、長ったらしく相談に乗る気もない訳で。


(ここは、肯定でもしとけばいいか)


 なんて適当な答えを出す。


「ねぇ、ルクレティア。――アタシの秘密、教えてあげよっか?」


「義姉様の、秘密?」


 彼女が可愛らしく首を傾げた瞬間、リヒトはその頬に軽い口づけを。


「――――ん」


「………………っ!? ~~~~~~~っ!?」


「アタシはね、女の子もイケるの。――特に、アナタの様な可愛くて素敵な女の子は」


「リっ、リ、リリっ、リリリリっ!?」


「リ? ――ああ、その髪のリボン、良く似合ってるわ。……あそこのベッドで、解いてもいいかしら?」


「リヒターテ義姉様っ!? か、からかわないくださいっ!!」


 顔を真っ赤にして身を捩るも、逃げ出さないルクレティア。

 リヒトは反対側の頬にキスをすると、にかっと笑って頭を撫でた。


「よしよし、よしよし。大丈夫、アナタは彼の妹として、十分役割を果たしてる。――レフ様の、心の支えになってる」


「な、なんでそんな事っ!?」


「わかるわ。――――だってアタシは、レフ様から沢山アナタの事を聞いてきたから」


 真剣な表情で、慈しみを携えた虹瞳で。

 日の光に照らされた金髪は、天使の輪を描き。

 ――それは、ルクレティアにとって彼女の『本当』だと感じた。


「助け出されたアタシが目覚めて、レフ様と恋に落ちて。――でも、レフ様の話の殆どがアナタに関する事だったわ」


 なお、嘘八百である。

 かの勇者は、ひたすらリヒトの気を惹こうと涙ぐましい努力をしていた。


「だから、ね。アナタは立派に役目を果たしているの。戦えないから、それは劣等感や嫉妬を覚える理由にはならないのよ」


「リヒターテ、義姉様ぁ…………」


 腕を広げるリヒト、飛び込むルクレティア。

 カラードはそれを、冷めた目で見つめ。

 出会ってから小一時間も経過せず、勇者の妹は陥落の様子をみせたのだった。


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