第29話 魔族/勇者 殺すべし



 司令室となった謁見の間には今、ルクレツィアと戦艦テラの艦長が居た。

 二人は用意された席に座り、艦長は大きなスクリーンを真剣な眼差しで。

 ルクレツィアといえば、手元に表示された立体映像を興味深そうに操作し。


(これはまた……、ええ凄いです。現存する機器が少なくて魔族の中でも一部でしか使われていないと言っていましたが)


 感嘆、その心は驚きと関心に満ちて。

 彼女の手元の立体映像は、この場に居ないリヒトとカラード、オニキスの三人と。

 そして。


(お兄さま達のお姿までこんなにはっきりと……どういう仕組みなのでしょうか)


 どんな職人ですら作れないような、精緻な描写。

 記憶にあるより幾分か逞しくなっている兄。

 学院の先輩にして苛烈な魔法使い、灼炎のリプカ。

 残る一人の美人は見覚えがないが、あの白衣からすると狂宴のトゥール。

 拡大してみれば、口元の動き、服の皺が変化する様が文字通り手に取るように分かる。


(縮小はこうして、――予定通り、現在地に変更は無しと)


 これは高度な地図なのだ、と聡明なルクレツィアは立体映像の本質を理解した。

 斜めと斜めを掴み少し腕を広げると、兄が居る酒場の映像は建物の外観。

 そこを中心とした周囲の映像が切り替わり、すると西にある噴水広場の建物の上階にリヒト達が分散して潜んでいる事が分かる。


(この技術が魔族に行き渡っていたら、それだけでも人類の存亡は危うかったかもしれません)


 そして同時に思う。


「――――わたしも、お連れして欲しかったです」


「仕方ありますまい、欲を言えば私もこの場の者も。否、全魔族がリヒト殿下とこの作戦行動を共にしたいと願っているのですから」


「皆さんが来てから良く感じるのですが、リヒト様はとても慕われているのですね」


 零れ出た言葉に同調した艦長へ、ルクレツィアは柔らかに微笑む。

 ――映像の中では変わらず、兄と仲間達が真剣な顔で話し合って。

 事態に変化はない、今はまだ切迫した空気ではなく。

 故に、彼女は一つの質問を艦長に投げかけた。


「艦長、何故貴男はリヒト様が直々に作戦を行う事に賛同を? 魔族では常に王族が前に出るのですか?」


「ああ、当然の疑問ですな次期第二王妃様。魔族では常に王族が前に、その通りと言いたいところですが……」


「違う、と?」


「肯定であります。個々の力は圧倒的に優位である我ら魔族も、こうした事は人間のそれと違いありません」


「こうした作戦には、専門の訓練をした兵を使い。指揮官や王族は離れたところで指揮をする」


「というのが定石ですな。実際に、歴代の魔王様の御代にもそれを徹底した時代があります。――ですが」


 苦笑とも懐かしみともとれる艦長の表情。

 そして二人の話を聞いていた、周囲の兵達の顔も艦長と同じで。


「なるほど、リヒト様のお父上。魔王ナハトヴェール様のご影響だと?」


「ええ、歴代の魔王様の中でもナハトヴェール前王は特に前線に出たがる癖があったのです。実際、その行動は我々にもとても心強くあって。――リヒト様はナハトヴェール前王と良く似ている」


 次の瞬間、ルクレツィアは躊躇いを見せたものの。

 好奇心には勝てず踏み込んだ。


「……失礼を承知で訊ねますが。リヒト様は前王様と血の繋がりは無かったと聞き及んでおります。そしてその身に宿す力も、まったく違う物だと」


「ふふっ、そう畏まって聞かなくても大丈夫ですよ。その手の質問は新兵に良くあるモノです」


 艦長は朗らかに笑うと、少し思案して。


「――そうですな。こう答えれば理解しやすいでしょう。前王様は着いていく事で安心出来る方でした。そしてリヒト殿下は……、着いていき支えたい。そう思える方です。前王様と血の繋がりは無くとも、殿下は我らが赤子の頃より見守り、中には一緒に育ち学んだ者も居るお方だ」


「リヒト様は正しく魔族の王の器である、と」


「端的に言えばそうなりましょう。我ら一同、四天王の方々から末兵に至るまで、殿下を認めておりますれば」


 そして艦長は付け加えた。


「ルクレツィア様も、ご心配ならずとも大丈夫です。歴史を紐解けば我らの先祖もまた、様々な地から寄り集まった者達。魔族の中に種族による区別はあっても、差別はありません。――敵である人類種だったとしても、貴女は殿下が直々に引き入れた方だ。羨ましがる者は居るかもしれませんが、それ以上の事はありませんよ」


「…………わたしも、将来の第二婦人として研鑽を積まなければなりませんね。ありがとうございます艦長」


 意表を突かれ口をぽかんと開けたルクレツィアであったが、苦笑して頷いた。

 それは、無意識に感じていた不安。

 今リヒト達の側に居ないのは、人間であるから。


(馬鹿な悩みでした、ええ、そう考えてしまった事が愚かだったのかもしれません)


 共に戦えると、どこかで思いこんでいた。

 実際、あの時手にした力を使えばそうであろう。

 だが。


(人には役割がありますもの)


 自分に言い聞かせるように、心を沈めて。


 彼女は現在の所、万全に力を使えるとは言い難い。

 彼女は実際の所、兄とその仲間達への距離が近い。

 なにより彼女は。


(リヒト様は優しいです。……けれど、釣った魚にはもう少し餌をあげても良いと思うの)


 かの魔眼王子はルクレツィアが戦う事を望まないだろう。

 カラード達に比べれば短い付き合いだが、それでもはっきりと理解できる。

 ――何を犠牲にしていも勇者に復讐を。

 口ではそう言うが、実際にそうする覚悟と決意はあるが。


(貴男は優しいのです、リヒト様…………)


 でなければ、今の自分に自由意志は無いだろう。

 そもそも、命があったかすら怪しい。

 この場で見守る事しかできない自分に、何が為せるのか。

 彼女が胸元のメディスの欠片を、強く握りしめた瞬間であった。


『――――アイツ等、今夜はもう動く気は無ぇな』


『撤退いたしますかリヒト様?』


『冗談キツいぜカラード、今から始める。ダミーを起動させてくれ』


 勇者達の様子を伺っていたリヒトが、行動を開始した。

 とたん、司令室である謁見の間の空気は締まり。


「始まります、申し訳ありませんが――」


「いえ、了解しております。感謝を艦長、職務を全うしてくださいませ」


「こちらとしても中々面白い退屈しのぎでした。――技術班!」


「ダミー起動中……! 起動完了! 問題無し、いつでも行けます!」


「殿下!」


『こっちも起動を確認した、――――これより作戦を開始する!』


 勇者達に対する威力偵察が今、始まった。





 目の前で起動したダミー人形を前に、リヒトは感嘆した。


「――しっかし良く出来てるよなァこれ。昔の俺を元にしてるんだっけ?」


『正確には、魔王様に女装を命じられた初めての時です』


『懐かしいなぁ、あの時の親父様はベロンベロンに酔ってってたっけか。そうそう、カラード。お前も女装したリヒトの姿に鼻血を――』


『黙りなさい鬼女、貴女だって――』


 頼もしい仲間のくだらない言い争いを聞き流し、ダミー人形をを動かしながら、しみじみと観察した。


(流石俺、子供の頃から美しい……)


 強いて言うなら天使の様な美貌、特徴的な瞳こそ再現されていないが。

 美しい金髪はツインテールに、――もっとも平民の子という設定なので実物より格段に色褪せてはいるが。

 同じく設定故に、華美さの欠片もなく勿論の事、色褪せたワンピース、――しかし良く似合っている。


「……この手に持たせた熊の縫いぐるみ、確か一歳ぐらいの頃にカラードが作ったヤツじゃねぇの? これも再現したのか?」


 作戦はこうだ。

 夜半に賑わう酒場に現れた、勇者の好みをくすぐる容姿の幼い少女。

 彼女は涙ながらに魔族の非道を語り――。


「上手く誘い出せたら儲け者、駄目なら自爆っと」


 鎧を着込んだリヒトは、兜の視界とダミー人形の視界を同調させて。

 動き出した人形の、その懐かしい視線の高さに苦笑しながら酒場への到着を待つ。


『しかしリヒト様、やはり私が彼らに声を』


『いや、俺にやらせてくれカラード』


『……………………了解致しました』


『いや、流石に過保護すぎじゃないか犬ころ?』


『最初にやりたがってたのはオニキス、貴女の方では?』


「二人とも……、もうそろそろ着くから黙れ」


 何故、姉と従者はこんなにも言い争うのか。

 そんな思考を隅に、ダミー人形は酒場の中に。

 そして魔眼王子の目の前には、勇者とその仲間達のテーブルが。


『油断してくれよ…………? うん? 一人、二人、三人、――四人? おい、報告より一人多いぞ。どうなっているッ!? あの白髪のジジイは誰だッ!?』


『――? いえリヒト様、こちらからは勇者と残りの仲間二名の女性しかしか見えませんが』


 多い、多いのだ一人。

 ダミー人形越しに見えるのは四人、慌てて司令室から経由されている内部映像を確認すると三人。


『司令室では見えず、人形を通じてなら見えると。――――こりゃあヤバイ臭いがするぞ我が弟よ』


『こちらのテクノロジーを上回る者が居る? リヒト様、ダミーを自爆させましょう。惜しい機会ですが不確定要素が強すぎると』


 逡巡するリヒト、だが様子のおかしいダミー人形。

 もとい美少女の姿に気づいたのか、勇者は笑いかけて手招いて。


『――いや、このまま行く。領内の魔族は直ちに戦艦テラに避難を始めろ。最悪の場合、王都ごと消し飛ばす』


 リヒトは自分の運を信じない。

 この様な状況で、どうして不可解な老人がただの老人だと思えようか。


『オニキス、念のため貴女のメディスの欠片を寄越しなさい』


『最悪になる前に、リヒトの魔眼を覚醒させてケリを付けるのだな。了解した』


 女と姉の会話を余所に、リヒトはダミーを通じて渾身の。


「ふぇ、そ、その……。ゆ、ゆうしゃさまですか? ――――おかあさんをたすけてくださいっ!」


 幼女の演技をしたのだった。





 ぼちぼち夜も更ける時間、酒場で酔いどれる荒くれ者達も船をこぎ出す夜半に現れたるは金髪の美幼女。

 服装こそ、やや困窮している平民といった印象であったが。

 それゆえに、レフ達の目に止まった。


「これは、……もしかしてアレかな?」


「ええ、アレでしょうレフ」


「まぁ有名税って所だね、幸いにして糞お師匠様も居るし。今日の終わりに一日一善ってね」


 美しい幼女は不安と恐怖に震え、しかし懸命に誰かを捜して。

 ――もしレフ達が、ただの気の良い人間ならば。彼女を諭し、家まで送り届けただろう。

 ――もしレフ達が、冷血非道の一行なら弱者の弱みを握り、さらに虐げんと舌なめずりしただろう。

 ――だが、レフ達は勇者とその一行だ。


(嗚呼。もし『そう』なら……放っておけないな)


 レフはその幼女に笑顔で、躊躇無く手招きする。

 深夜の酒場に今にも泣きそうな幼女、こういう状況など沢山経験して来た。

 時には鬼気迫った老婆、時には絶望を眼に宿した壮年の男性、時には――――。


「――――君に何があったか分からない。だがこの俺、勇者レフを探しに。助けを求めに来たんじゃないかい?」


「ふふっ、安心するがいい見知らぬ幼子よ。人類でもっとも勇気のある男が話を聞こうじゃないか!」


「さ、こっちに座って。まずは水でも飲んで落ち着いて……」


 見知らぬ幼女に代わる代わる優しい言葉と笑顔を向ける三人。

 彼女はほっとしたのか瞳を潤ませて。


「ふぇ、そ、その……。ゆ、ゆうしゃさまですか? ――――おかあさんをたすけてくださいっ!」

(やべ、言ってて気持ち悪くなってきた。今すぐ死ねよ勇者ァ!!)


 予想通り、否。予想以上の歓迎っぷりにリヒト本体はうんざりした顔で苛立ちながらため息。


「君が困っているのは見て分かる、――だが先ずはお互いに名乗ろうじゃないか。俺は勇者レフ。君は?」


「…………りーた」


「うんうん、リータちゃんか。良い名だ。ささ、お姉さん達に何でも話しておくれよ」


「ちょっとトゥール、こんな小さな子にぐいぐい行き過ぎよ。――ゆっくりで良いの、先ずは…………魔族が関わってる?」


「おいおいリプカ、ちょいと先走り過ぎじゃないかい?」


「――――――――――ぁ」


 リータ/リヒトは言葉が出なかった。

 理不尽だ、あまりにも理不尽ではないか。

 予想はしていた、しかしあまりにも目の前の光景が受け入れがたい。

 リヒト/リータは硬直した、心配そうに彼らが顔をのぞき込む、安心させるように微笑む。

 それはとても暖かくて、もう大丈夫だとう言葉通りの安心と信頼感があって。

 それが何より――――癪に障る。気に障る。虫酸が走る。


 下腹にどろどろとした灼熱の疼きが、全身を復讐の悦楽に震わせる。

 心臓が高く早く脈打ち、ごうごうと血流が五月蠅いほどにざわめく。

 怒りが、体中を駆けめぐり戦慄く。



(殺す)



 その光景を、カラードもオニキスも、司令室の全員を見守っていた。


『カラード』『ええオニキス、言うまでもありませんわ』

『ははぁ、やはりというか』『まったく殿下らしい』『まぁそれでこそ殿下ですよね』『というか我々も同じですし』


 彼らの反応に、ルクレツィアは首を傾げる。


「いえ、わたしも薄々。次の展開が読めてきたのですが……――良いのですか艦長?」


「殿下のなさりようは、良くも悪くも実に魔族らしいのですよ。何せ我々は利益と感情を重視して動く生命だという風潮がありますれば」


「感情を優先して、計画が台無しになろうとしていても?」


 艦長は苦笑して、しかし瞳は画面に写る勇者一行を憎々しげに鋭く。


「我々魔族の欠点ですな。なにぶん理性を徹底できる者が少ない、それでも結果的に何とかなってしまっているのが直らない原因なのでしょうが。――――殿下の行動を臨機応変に支援するぞ! 計画を第二案に変更!」


「殿下! 魔王様の仇を!」「幼馴染みが殺されたんだ! 殺してくれ!」「俺の親友はあの時城に居たんだ! アイツに殺れたんだっ!!」


 司令室から届く声に、リヒトの復讐心がいっそう燃え上がる。

 何故、親父を殺した男がのうのうと笑っているのだろうか。

 何故、まともなフリをして助けるとのたまうのか。

 何故、何故、何故。


(嗚呼、許せるものか。冷静でなど居られるものかよォッ!!)


 愛しい者が奪われたのだ。

 家族同然の者が喪われたのだ。

 そもそも、どうして威力偵察に誘き出すなど迂遠な方法を選択したのか。

 勇者レフは魔族にとって、なによりリヒトにとって不倶戴天の天敵。


 視界に入れば殺すし、声を聞いても殺すし、足音一つ、衣擦れの音一つで殺す理由足り得る。

 復讐するは今、行動しない数々の不利な理由は理由になどならない。




「死ね」




 それは端的な言葉、何より率直な殺意の具現化にして酒場一つ消し飛ばす対消滅の自爆命令。

 言われた側は意味を理解する前に、光が満ちあふれて。


 ――次の瞬間、光に満ちて。


 同時に、魔王リヒトは持ち場から飛び立つ。

 同時に、勇者レフは己の持ちうる最大限の防御をし。

 

 轟音が響いた、周囲に居た罪なき人が建物ごと光に巻き込まれて。

 一拍遅れ、光が収縮し灰が巻き上がる。

 その中に。


「やっぱ生きてるよなァああああああ!!」


「――――魔族、殺すべしいいいいいいい!!」


 飛び出す者一人。

 暗い茶色の髪を持つ、長身の男が空に飛び出て。


「ほうほう、よもや反物質爆弾を生成していたとは。新しき魔王は中々やるのう」


 勇者も魔眼使いも、老人が生き残って笑っていた事も、勇者の女達が気絶しているが彼に守られて無事な事を。

 視界に入っていたが、関係ない。


 目の前には無辜の民を巻き込んで襲撃してきた魔族が。

 目の前には父と家族を殺した殺戮者が存在しているのだ。



 戦う他に、すべき事は無い。



「死ねよ、死ねよ死ねよォ! 死ね死ね死ね死ねェ!!」


「何故奪う! 奪う事しか出来ないの貴様等はっ! 疾くと死ねぇ!!」



 深夜の王都の空で、現実を逸した戦いが始まる。

 火を吹いて空を飛ぶ金色の鎧は、数々の雷を繰り出し。

 対する勇者は五本の魔剣/聖剣で迎撃。


 雷を切り裂き、雷を燃やし、雷を吹き飛ばし、雷を散らし、雷を砕き。

 光を雷で反らし、炎も雷でかき消し、風を雷で貫き、氷を雷で粉砕し、岩を粉々にし。


 ぶつかり合う余波で人々の暮らしが破壊される、尊い命が消えていく。


「面倒くせぇなァ! オマエはよォ!! とっとと死ねって言ってるだろうがッ!!」


「見ろ! 貴様の所為でまた人々が死んだ! ああ見知らぬ民よ! 助けられなかった者達よ! 安心するといい、オレがこの卑劣なる魔族の命をもって償わせようぞ!」


 夜空に弧を描くように、くるくる、くるくると踊り狂う様に二人は激突する。

 一撃を放つごとに、一撃が阻まれるごとに、怒りと悲しみが増して、――――憎悪。


(埒が開かないッ)

(本気を出さないと、いやしかし。……迷う暇は無いか)


 方や喪われつつあった科学の粋。

 方や人域を越えた超常現象の先。


 両者は今、拮抗している様に見えた。

 だが。


「どうしたどうしたァ!! 親父を殺した力はそんなものかよッ! ならば死ねェえええええええ!!」


「魔族っ! 先ほどから同じ攻撃ばかりだ! 見飽きたから殺す!」


 拮抗はしていない。

 五本の剣に歪みの一つ、欠けの一つ無し。

 金色の鎧は所々欠け、雷を放つ槌にはヒビが入り、理論上壊れない筈の盾は弾き飛ばされ喪われ。


 勇者、――今こそが必殺の好機と捉える。

 魔王、――元より武装に頼る気など無く。

 故に。


「……必殺を行う、我が先祖達よ勝利を見守りたまえ」


「寄越せカラードッ! 俺の全てをくれてやるッ!!」


 瞬間、空気が変わった。

 勇者の周囲で自由自在に動き回っていた剣は静止し、目映い光を輝かせて。

 魔王の金色の鎧は兜が外れ、――虹色の瞳、輝いて。


(リヒト様、貴男に私の全てを捧げます)


 二つ組み合わさったメディスの欠片が、地表で見守っていたカラードの胸元で淡く光り。

 リヒトに力を与える。



「万物は俺の下で、その存在が引き上げられる。灯火は炎の嵐に、そして太陽の輝きに。――――世界の法則を上書きする一撃、受けるがいい」



「森羅万象、全てがオレの思うがままだ。空には海が満ち、地には星空が光ろうぞ。――――全てが改竄された世界で、悲劇と苦痛に満ちた生を送り絶望の中で死ぬがよい」



 二人の言葉が同時に終わり、王都に存在する、否、否、否、世界に存在する全てが大きな流れを感じ取った。

 目には見えない、音にも聞こえない、僅かな揺れも感じない。

 しかし、確かに軋みをあげていた。

 空気が、大気が、世界が、法則そのものが歪みに耐えかね悲鳴をあげていた。


 ――――神の域にある力に、生命は恐怖を感じた。


(カカカカカッ!! やっぱり隠してたじゃねぇかよッ!! 親父を殺した力!! ああ、殺せる訳だ相性が悪いッ! だがオレならなァ!!)


(そうか、貴様こそが次期魔王! 嗚呼、嗚呼、嗚呼、なんて世界は残酷なんだっ! こんなにも魔族は生汚い! 素直に滅亡すればいいものをおおおおおおお!! ならば! また殺すまで!!)


 だがここに『四人』

 恐怖を感じてない者が、勇者と魔王以外にも。

 一人はカラード。

 リヒトへの愛だけを思う彼女は、世界の異常状態など歯牙にもかけず。

 そして。


「ふぉっふぉっふぉ。森羅万象の改変、いいや改竄か。……うむ、うむ、まさしくカウンターに。神域に至った者として相応しい力じゃ」


 勇者達が大賢者と呼んだ老人だけが、二人を冷静に観察していた。


「だがのう……、まだまだじゃて。滅びに対抗するにはどちらもちぃと足りん」


 かの白髪の老人は、口元を歪め皺だらけの右手を掲げ。


「ひよっこ共よ、真の神域の力をみせてやろう。――――万物流転、どんな力も我に操作できぬ筈がなし」


 世界に二つの神の力が衝突し、そして今新たに二つの力を包み込む様に一つの力が加わって。



「――――誰だッ!? 邪魔するヤツは誰だッ!?」



「この力はまさか――――」



 光が弾ける。

 世界の空が虹色の帯に包まれて。

 意識さえも溶けそうな瞬間、リヒトは見た。


 吹き飛ばし消滅させた筈の酒場が、死した生命ごと再構築していく光景を。

 新しく現れた力が、己の魔眼を支配し王都全土に何かを改竄していった事を。


(――消える、何かがッ。何かが消えていくッ!?)


 それは恐怖だった。

 ひとつ、またひとつと繋がっていた筈の何かが消えていく。

 小さな何か、大きな何か、ぷつんぷつんと途切れて。

 確かに自分の中にはまだ存在するというのに、繋がる先からの反応がない。


 リヒトは魔眼の支配に抵抗する事も忘れ、喪われた何かを必死に手探ろうと、何かが何なのか言葉に出そうともがいて。

 しかし、無情。

 そんな意識でさえ、光に飲み込まれて。


(忘れないッ! あのジジイッ! 勇者の前にオマエだッ! 先ずはオマエを――――)


 王都の夜に、静寂が訪れた。





 ――――ドコだココ?

 リヒトが目を覚ました瞬間、最初に思った事はそれだった。

 ベッドやけにが堅いと思えば、石畳。

 生ゴミ臭いと思えば、隣にはゴミ箱。

 ジメジメしていると見渡せば、路地裏。


「ったく、本当にドコだよココ……?」


 頭と瞳がガンガンと痛み、くらくらする。

 纏まらない思考のなか立ち上がった瞬間、ボロボロと崩れ落ちる金色の鎧の残骸。

 それを見て、漸くリヒトは思い出した。


「――――ッ!? 勇者はどうなった!? あの変なジジイはッ!?」


 自分はあの時、勇者をもう少しで殺せた筈だった。

 愛する父の仇を討てた筈だった。


「横やりが入ったのは覚えてる。……つまりあのジジイも勇者の一人って事か」


 脅威が増えた。

 だが、今の問題はそこではない。

 何故自分はこんな所で寝ているのだ。


(仮に負けたとして、だ。あの糞野郎どもに捕まってるか、戦艦テラに回収されてる筈だ)


 それとも彼らも負けて殺されたのかと、慌てて周囲を見渡せばやはり不自然。

 遠目に見える城に異変は見られず、街行く人々も勝利に騒ぐ風でなく、戦いの被害に嘆く風でなく。

 そらを見上げれば、はるか彼方に戦艦テラが豆粒サイズで。


「どういう、こと、だ……?」


 不可解が頂点に達した瞬間、背後から声。


「ん……、騒がしい。誰です?」


「――――カラードッ!? カラード無事だったかッ!?」


 見知った愛する女に喜ぶリヒトであったが、次の瞬間、血の気が真っ青に凍り付いた。


「にん、げん……ですか? ここは…………。――――え、貴男誰です? というか、…………私は、誰?」


「え? は? うん? 何を寝ぼけてるんだカラード?」


 もしや、まさか、そんなバカな。

 一瞬にして駆けめぐる疑念は、彼女との付き合いの長さ故に否定されて。


 リヒトは良く知っている、たとえどんな泥酔の時でもカラードはリヒトを忘れたりしない。

 リヒトは良く知っている、たとえどんな寝起きの状況でもカラードは真っ先にリヒトに挨拶をするのだ。


 そんな彼女がリヒトを誰と言った。

 次に、自分は誰とかぬかした。

 ならば――――。


「記憶、喪失…………ッ!?」

 

 眠たげに目をこする銀髪メイド美少女を前に、リヒトは愕然とした。


(誰か医者ッ、いや違うテラの医務室ッ! けど連絡手段ないし、城に行くしかない!)


 不自然な街の光景、深く考えるまでもなく敵の、あの白髪の老人か勇者の罠。

 どこに敵が潜んでいるかも分からない、城も既に敵の手の可能性もある。

 まだ試していないが、あの時と同じように魔眼は暫くの間、使えないだろう。


 八方塞がりだ、だが、やるしかない。

 リヒトは悩む事無く決意、カラードに手を差し伸べる。


「取りあえず、移動するぞカラード」


 が、しかし。


「嫌、なぜ初対面の、それも人間の言う事を聞かなければいけないの? というカラードって何よ。貴男は私を知ってるの? まぁ、知っていたとしても人間なんかに従う義理はないわ」


 ぺしっと、差し出した手は素気なく払われて。


「マジかァ…………マジかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」


 移動もままならない前途多難っぷりに、リヒトは頭を抱えた。


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魔王殺しの勇者に贖いを 和鳳ハジメ @wappo-

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