第21話 分水嶺 は 過ぎ去った



 漏れ聞こえた言葉は、魔法を使っていたプラミアには十分に聞き取れていたが。

 しかし、ルクレツィアには所々しか聞き取れず。


(――あれ? プラミア義姉様が怖い顔で睨んでいらっしゃいますわ。え、もしかしてわたし危ないです?)


(ルクレツィアが不義を? ――チッ、聞こえていないか。今はこの密会を見届けて…………)


 リヒトとルクレツィアの関係を知ってしまったプラミアではあったが、彼女の王女としての勘が衝動的に問いつめる行動を押しとどめる。

 二人の会話は、彼女の知らない事実に溢れていて。


(リヒターテが…………男っ!?)


(メノウが女で魔族だとっ!? リヒターテもかっ!? しかも魔王の子だとっ!?)


(何だあの銀髪のメイドはっ!? カラード? カラードと呼ばれたかっ!?)


 信じていた義妹の不義を始め、数々の情報に圧倒されていたプラミアの目の前に、更なる光景が。

 リヒターテの使い魔と同じ名を持つ美しい女は、プラミア達と同じメディスの欠片を持ち合わせ。

 メノウと共に魔族の王子に預けたと思いきや。


(化け物がっ!?)


 拳の一つで空気が震え、木々がなぎ倒される。

 踏みしめた地面は砕かれ、東屋と中心とした庭園は見るも無惨な姿に。

 それを前に、生け垣に隠れていた少女の一人。

 ――プラミア王女は、戦慄と共に。


(駄目だ、駄目だ駄目だっ、これを放置していては駄目だ――――)


 目の前に広がる暴力の嵐、それに圧倒されながら王女は必死に情報を纏める。


 あの自分に劣らない絶世の美少女が男である。

 とても信じられないが、かの者から出された声色は確かに男性のそれ。

 思えば、男勝りなところが多々見られたが。

 その上、彼と彼がカラードと呼んだ謎のメイド、そしてメノウは女で魔族であるという。

 メノウは勇者の仲間だ、勇者は知っていてこの事を黙っていたのだろうか。


「ルクレ……――――」


 義妹の名を言い掛けて、プラミアは口を噤んだ。

 一刻も早く、この異常な危険地帯から脱出しなければならない。

 一刻も早く、正しい情報を手に入れなければならなうい。

 だが、義妹の表情を見てゾッと怖気が走る。


(何故、何故動揺していないのだそなたはっ!? いや、思い出せ我。先ほどの会話は何と言っておったか?)


 勇者レフの、将来の夫の仲間であり、今はプラミアの騎士。

 そして同じ妻となるリヒターテとの秘密の会話。

 不義を働くとは思えなかったが、気になることは気になる。

 先日の戦いの続きをするつもりなら、観戦しつつ頃合いの良い時に止めに入るつもりだった。

 会話から弱みを握れるなら、それもまた面白いと、ルクレツィアを誘って。


 だが、これは何だ。

 三人は魔族であり、しかも魔王の子。

 否、そうではない。

 メノウがメイドと戦う前、リヒターテと何と言っていたか?


(――――ルクレツィアの純血が奪われた?)


 あって間もない、しかも女に扮した卑劣なる男に、人類の怨敵である魔族に。

 体を許したとは思い難い。

 しかし。


(何が起こっている、我らのこの学院でっ!?)


 今の義妹の表情は驚きは見られるものの、呆れと関心。

 無理強いされた女性のそれには見えない。

 そして、プラミアはもう一つの事実に気づく。


(何故だ、――何故、誰も来ないっ!? 誰の悲鳴一つしない?)


 近く校舎の窓や、少し遠く寄宿舎の窓は空気の震えや地響きの影響で割れている。

 だが、何故ただの一つも悲鳴がないのだろうか。

 こんな事態になったのならば、混乱の一つ、学院を守る騎士の一人ぐらいは駆けつけても不思議ではない。


(――――い、いったい。何時から学院は彼らに侵略されていたのだっ!?)


 愕然と彷徨うプラミアの瞳は、ルクレツィアの首にあるべき物が無い事に気づいた。


(メディスの欠片っ!? まさか奪われたのかルクレツィアっ!?)


 だが、これは逆に好機でもあった。

 今ならば、この破壊に紛れてルクレツィアを強引に連れ去ることが出来る。

 本能的にそう直感したプラミアは。


「――――『眠れ』」


 魔力を言葉に乗せて、力ある言葉に。

 即ちそれは、魔法を行使する為の呪文。

 次の瞬間、ぐったりとしたルクレツィアを抱え脇目も振らず逃げ出して。


「――――――っ!! はぁ、はぁ、はぁ、っ、こ、ここまで来れば。…………おい、誰か居るかっ!!」


 寄宿舎の自室に戻ったプラミアは、専属のメイドを呼ぶ。

 三人居る内の一人がすぐに来て、驚きに目を見開いた。


「はい、王女様。――ルクレツィア様っ!? どこかお体がっ!?」


「うむ、どうやら体調が悪いのを隠して無理しておったみたいでな。魔法で眠らせた、取り急ぎ城の医者を呼べ、――否、使いを送るだけでいい。我も共に向かうので馬車の用意を」


「ははっ、ただいまっ!!」


 手配しに行く者、ルクレツィアの容態を見る者。

 そして息が荒いままのプラミアに、水を注ぐ者。

 最後の一人に王女は問いかける。


「……なぁ、お前。リヒターテをどう思う? あやつは信頼出来るか?」


「リヒターテ様ですか? ええ、信頼できる良いお方ですわ。皆もそういってますし、わたくしもそう思います。かの方からは、信頼申し上げる殿下と同じ印象を受けました」


「直接会ったのか?」


「いえ、メノウ様との戦いの時に遠くから。それから…………ああ、昨日廊下で一度だけすれ違いましたか。それがどうかしましたか?」


「いや、つまらぬ事を聞いた。許せ」


 古くから側に居るメイドの答えに、プラミアは舌打ちしたい気分だった。

 戦いの音は今も聞こえている、そしてこの答えだ。

 どう考えても、リヒターテ達が何かしたに違いない。


(レフ、レフよ……っ!! どうしてそなたは今ここに居ないのだっ!!)


 この学院は最早、魔族の手に落ちたと言っても過言ではない。

 どこまで彼らの手が延びているか判らない状況、信じられるのはメディスの欠片で守られている己。

 そして、遠方に居る勇者レフ。


(ははっ、はははっ、どうしてこうなっているっ!?)


 プラミアは悲壮な顔で、メディスの欠片を堅く握りしめ。


(助けて………………――違う。違う違う、これは、――これは、試練だ。我が勇者の真なる妻となる試練っ!!)


 かっと目を見開いて、歯を食いしばる。

 これは王女として、妻として乗り越えるべき尊き試練。

 魔族がこの学院に侵入したという事は、誰かが手引きしたという事。

 裏切り者も引きずり出す、またとない機会。

 この手で、――――魔族の王の子を、魔族の希望をくびり殺す機会。


(先ずは医者だ、反応を見て魔族の手に落ちていた時には――――)


 最悪、国捨てて勇者の元へ。

 最善、城の騎士と魔法使い全てを伴って。

 仮に正常な者がプラミアたった一人だったとしても、せめてリヒターテだけは――――殺す。


(すまない、我が友達よ。忠実なる臣下となるべく学んでいた者達よ…………)


 どうか、平和への礎となってくれと。

 プラミアは王族に伝わる、学院の秘を使う覚悟を決めた。





 カラードとオニキスの戦いの翌日。

 リヒトは午前の授業をサボり、一人屋上で寝ころんで。


(あー、不味った。学院で活動するのも限界か)


 天気は快晴、雲一つない穏やかな。

 そう、穏やかなのだこの学院は。


(ルクが帰ってこなかったかと思えば、プラミアに浚われてるし。そのプラミアも王城に行って不在だし)


 オニキスの記憶を取り戻す為とはいえ、派手に行動し過ぎたのだ。

 リヒトの魔眼が効き過ぎて、被害が数多く出ているというのに生徒達の反応も不自然極まりない。


(つーか、昨日の夜。カラードは東屋の天井に潜んでたって言うし、となると生け垣の気配はルクとプラミアしかあり得ない訳で)


 これは、完全に正体が露見したと考えて間違いない。

 現在、撤退に向けてカラードとオニキスが各種資料を回収、及び痕跡を消している途中だが。


(しっかしなぁ、間に合うかねこれ)


 創立から勇者に関わってきただけあって、残された情報は多岐に渡り数も膨大だ。

 また王城が慌ただしく動き、王女を旗として屈強な重兵装の兵士が出撃する準備も程なく完了するだろう。


(いや、もう包囲されていても不思議じゃないな)


 無論リヒト達とて、援軍を頼んでいる。

 魔族がこの地に降り立った時より前の古くさい代物で、攻撃能力を失った航宙戦艦だが。

 移動という点では申し分ない。


(あわよくば王国まで、と思ったが。まぁそうそう上手く運ばないか)


 はぁ、とリヒトは青空に向けてため息を。

 一つの終わりが近いのだ。

 金髪の美少年はむくりと起きあがると、屋上の端まで行って校舎を睥睨する。


「俺の力は、何のためにあるんだろうな」


 虹色の魔眼、幻惑洗脳の力を持つ魔眼。

 人を惑わし、意志を歪め。

 害を与えるしか出来ない力。


 きっと、この学院の彼女たちは。

 リヒトによって洗脳されてしまった者達は、変わらぬ日常を過ごしているのだろう。

 そして恐らく、明日、明後日、未来永劫。

 ――彼の命令があるまでは。


「嗚呼、駄目だな。こんな事を考えるから、きっと親父は。俺を、戦いに連れて行かなかったんだ……」


 赤子の時に親に捨てられたという事実はあるが、リヒトは幸せに育った。

 そしてその自覚もある。

 父が、姉が、カラードが彼を愛し、育ててくれた。

 だから。


「……だからさ、そんな悲しい顔をすんなよ親父」


 視界の片隅に父の姿が見えていた。

 あの日、目が覚めた時からふとした拍子に現れる。

 魔眼を使う度、思い悩む度にその姿がちらつく。

 ――カラードと共に居るときだけ、心が安らいで。

 

 これは、魔眼の力による幻惑ではない。

 リヒトの精神が生み出した、愛と憎しみと悲しみと怒りの。

 ――未練。


「分かってる、勇者を殺したらさっぱり手を引くさ。憎しみも怒りも忘れて、愛だけを思うよ」


 答えが帰ってこないのは先刻承知、今のリヒトでは彼の姿が悲しみから変わらないのも。


「分かってる、分かってるさ」


 賽は疾うに投げられている、坂道を転がる石はもう止められない。

 ころりころり、ごろんごろん、日が経つ程に憎悪は増し。

 ふわりふわりと、白い小さな獣によって少しづつ癒されていって。


「ま、最悪カラードが無事ならそれでいい。なるようにしかならん」


 戦う動機はある。

 果たさなければならない理由がある。

 父の死は、勇者の命で贖わなけれなならない。


「嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、――――憎い」


 風が吹き、リヒトの美しい金髪がたなびいて。

 次の瞬間、背後から声と足音が。


「ああ、ここにいたのかリヒターテ。教室に居ないから何処に行ったのかと」


「プラミア、アナタこそ。昨日の夜からルクレツィア連れてどっか行っていたみたいじゃない?」


 対面する赤の王女、金の王子。

 取り囲むは分厚い鎧で全身を覆った騎士達、その後ろにはフードを目深に被ったローブ姿の魔法使い達。

 リヒトは彼女たちに向かって、皮肉気に口を歪めてみせて。


「なあに? こんなに大人数引き連れて、パーティでも始めるのかしら?」


「そうだ、だがその前に招待する客を見極めようと思ってな。――少し、話さないか?」


 瞬間、騎士達が剣を鞘から抜き、魔法使いは詠唱を始める。


「話? ええ、勿論。同じ男の妻となる人お誘いだもの、断る理由はないわ」


 騎士達には分厚い兜、恐らく守りの魔法もかかっていて魔眼は通じないだろう。

 その後ろの魔法使い達は、騎士達に守りの魔法を唱えて。

 加えて屋上の出入り口は彼らの背後、逃げ場は無い。

 この窮地に、リヒトは大胆不敵に笑って見せた。


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