第16話 散華



 廊下を戻る中、リヒトは暗い興奮と後ろめたさを感じていた。

 前を歩く少女、ルクレツィア。


 明るい茶色の波打つ髪を腰まで伸ばした彼女は、例えるなら小さく咲く可憐な花。

 華奢な体と、優しい物腰は庇護欲をそそり。

 血統により限界まで極まった美貌は、神に選ばれた聖なる乙女と言われたら信じてしまいそうな。


(カラードが居なかったら、きっと躊躇っていたな)


 そんな。

 何の罪も恨みも無い、流されるままに生きている可愛そうな美少女を。

 ――今からその尊厳を奪い、支配し、壊すのだ。


 一歩一歩、部屋に近づく度にリヒト心臓が強く脈打つ。

 下腹にドロドロとした熱い何かが渦巻き、体全体を痺れるような刺激が犯す。


(落ち着いてください童貞)


(それはお前が奪ったろうがッ!? つーか、お前は何で落ち着いているだよ……)


(え? ハラワタが煮えくり返って、ぶりっ子を八つ裂きにしたいですが? ――理由をお求めで?)


(――……ああ、うん、すまない。いや、ありがとう。少しは冷静になった)


 カラードとの会話によって平静さ取り戻したリヒトは、何食わぬ顔でルクレツィア共に部屋に入る。

 何も知らない彼女は、楽し気な様子でリヒトに問いかけた。


「では、まずわたしは何をしましょうか?」


「じゃあ、ペンダントを外して。手元にあると効果が発動するから、机に置きましょう」


 リヒトは先ず、怪しまれない様に自分のを首から外してみせる。

 それを見たルクレツィアも続けて。

 二人は同時に机に置いて、手を離した瞬間、――それをカラードが奪った。


「え? カラードちゃん?」


「防音と施錠は終わったかカラード」


「っ!?」


 戸惑う彼女は、隣から聞こえて来た『男』の声に硬直した。

 然もあらん。

 さっきまでは女としては低い声だったが、確かに女の声だったのだ。

 それが突如として男のものになれば、誰だって困惑が襲うだろう。

 ――ルクレツィアの背筋に、ひやりと冷たいものが走る。


 そして、その隙を見逃すリヒトではない。

 彼女の形の良い顎をぐい掴み、己の顔合わせて。

 ――虹色の瞳、輝いて。


「動くな」


「なっ!? えっ? リヒターテ義姉様! わたしに何をしたのっ! 冗談が過ぎます!」


 言葉通り、身動きできない事態にルクレツィアは困惑交じりの悲鳴を上げた。

 何をされたのか、冗談であって欲しい。

 そんな感情が込められた叫びに、リヒトは冷徹に命令を下した。


「脆づいて足を舐めろ、――オマエはもう俺に逆らえない」


「嘘っ!? 体が勝手に、嫌ぁっ!! ……だ、だめっ!? 止まって! 止まってぇっ!?」


 ルクレツィアの体は脆づくと、顔をリヒトの足の甲へと近づける。

 彼女は必死になって抵抗する、――だが無意味な事だ。


(へぇ、一瞬だけ抵抗したか。意志は縛ってないとはいえ良くやる)


「ふぐっ、ふぐぅ……っ!」


 流石は勇者の血筋というモノだろうか。

 長い付き合いであるカラードも、最初は一瞬たりとも抵抗出来ずに従ったのだが。(なお、後でボコボコに殴られた)

 ともあれリヒトは、足を舐められる感触に顔を顰める。


「しっかし、足舐められても意外に気持ち悪いだけだな」


「気分を高めた状態でも、そういう雰囲気でもないのですから、当然では?」


「うぐっ!? ぐぅぅぅぅ……!?」


「何言ってるか分かりませんよ、お嬢様?」


 ルクレツィアはリヒトの言葉に劇度し、続いて言葉を発したカラードに驚いた。

 だが、ぴちゃぴちゃという湿った音と唸り声しか出す事が出来ない。


「さて。……自分が今、どういう状態かわかったな。立って楽にしていいぞ」


「ぷはっ!! ――うぷっ、うぅ、……はぁ、はぁ、はぁ。…………いったい、リヒターテ義姉様は……うっぷ、カラードちゃんは何者で、何が目的なんですかっ! わたしにこんな事をしてっ! お兄様やプラミア義姉様達が黙ってはいませんよっ!!」


 吐気を堪えながら涙目で怒鳴るルクレツィアを前に、リヒトは椅子にどかっと座る。

 勿論、彼女の肩が恐怖で震えている事を見逃してはいない。


「カカカッ、まだ俺を義姉様と呼ぶか。おめでたい頭をしているな」


「お忘れですか? 私達を此処に寄越したのは、貴女が信頼するそのお兄様だと云うことを」


「――――っ!? 誰かっ!! 誰か来てくださいっ! 助けてぇっ!!」


 大声で叫ぶ哀れな少女を前に、リヒトはからかう様に告げる。


「無駄だ、カラードが音を漏れない様にしたからな。――オマエの叫びは誰にも届かない。……なぁ、言われなかったか? 大好きなお兄様に、何時どんな時でもペンダントを外すなってなァ」


「残念でしたね、ペンダントを付けたままだったら、誰かが助けに来るまで身を守れたでしょうに」


「或いは、勇者サマが直々にやってきてたかもな、ああ、オマエの心が弱くてほんとに助かったぜ」


 少女の姿をした何か笑みは、小動物のふりをした何かの笑みは。

 まるで、悪魔の様にルクレツィアには見えて。


「――あぁ……お、義姉様達は……」


 恐怖に体が竦む少女へ、リヒトは虹色の瞳を爛々と光らせて睨んだ。


「貴様らの敵さ、ルクレツィア・レクシオン。――そろそろ本題に入ろう、お前には知って貰わなければならない事がある」


「な、何を言って――」


 だからこそ、その意志までは奪わなかったのだ。

 考えさせる為に、感じさせる為に。


「まず一つ、俺の親父はお前の兄に殺された。………つまりは、復讐さこれは」


「お兄様が、リヒターテ義姉様のお父様をっ!? そんなっ! 何かの間違いですっ!?」


「いいや、オマエはそれを知ってる筈だ。我が父、――魔王ナハトヴェールを殺したのが誰か」

 

「――魔、王…………っ!?」


 絶句したルクレツィアの前で、カラードはヒトの姿になって優雅なカーテシー。

 そして冷笑をひとつ、名乗りを上げる。


「申し遅れました。私はカラード、魔王が子、リヒト様に使える忠実な配下で御座います」


「魔王が子、リヒト……!? 嘘ですっ、魔王の子は女であると――」


「ああ、それは知ってたか。生憎と、俺は養い子でね」


「加えて、魔族の基準では成年ではありませんでしたからね、公的なお披露目もまだ。――勇者さえ知らない情報を、貴女が知る筈がないでしょう」


 ルクレツィアは衝撃と混乱で意識が飛びそうになった。

 広く知られる魔王の子、殲血のオニキス以外の子、そして。

 彼女の、人類の常識では魔族とは異形の姿。

 ヒトとなったカラードは、妖しげな美しさはあれど、その耳、尻尾、何より姿形を変えた事事態、魔族そのものに見える。

 だが。


「ま、待ってください。この学院は魔族の侵入を感知出来る筈ですっ。なら――」


「不確かな希望は抱かない方が良い、その魔法は確かに脅威で、俺達は長い間ここに手出しが出来なかった。――けどな、便利なもんだなァあのペンダントは」


「身に着けた私を、ただの使い魔としてしか認識してませんでしたね」


 嘲笑する二人を前に、ルクレツィアは引っ掛かりを覚えた。

 以前、兄に言われた事だ。


「……あのペンダントは、身に着けた一人にしか効果がないと聞いています。リヒト様はどうやって中に入ったのですか」


「わざわざ様付けとは、ええ、よほど大切に育てられたのですね。――分かりませんか? 中に入れた理由」


「魔王の子だって聞かされて、すぐに思い至る奴はそう居ねぇだろ。……俺はな、人間だよ、オマエと同じくな」


 ルクレツィアは、頭をガツンと殴られた様な感覚に陥った。

 魔王が人の子を育てるなど聞いたことが無い、だがその存在が目の前に。


「魔王の子が人間……――っ! だから養い子とっ!!」


 リヒトはパチパチと手を叩き嗤った。


「裏切り者、なんてくだらない事言うなよ? なんたって俺は本当の親の顔も知らねぇし。育ててくれたのは魔王様達、魔族だ」


「これで理解できたでしょう。リヒト様が何故ここに居て、貴女をこんな目にあわせているか」


「………、復、讐――」


 ルクレツィアは愕然となった。

 魔族が、自分達人間と同じ感情を持つ事実を。

 兄が命を奪った因果が、巡って来ている事実を。

 呆然自失と少女に、リヒトは語りかけた。


「悪い、なんて言わねぇがな。オマエの兄は強くてな、正面からぶち殺せないのさ」


「貴女はね、ありきたりな戦争の悲劇に巻き込まれてるのよ。肉親の罪が不条理に襲いかかって来てるだけ、――存分に嘆き悲しみ、憎しみなさいな」


「ま、そうした所で俺のやる事は何一つ変わらねぇがな」


 ぶっきらぼうに出された言葉は、悲しみと怒りと、そして親への愛に満ちて。

 瞬間、ルクレツィアの心を強く打った。


(ああ、この方は――――)


 その怒りは正当なモノである。

 その悲しみは、真っ当なモノである。

 その愛は、正しいモノである。


 戦争という意味。

 命を奪う事の意味。

 何一つ、何一つともルクレツィアは知らずに生きてきた。

 流されるままに、幸せに、生きて。

 生きてきた、だけだった。


「ごめんなさい……ごめんなさいっ……」


 涙ひとつ、流れて。


「おいおい、オマエが謝るのかよ」


「わたしはっ……、お兄様がっ……ごめんなさいっ、ごめんなさいっ………」


「……ッ!! 謝るんじゃねぇ! バカにしてんのかッ! オマエの罪じゃねぇ事で謝るんじゃねぇッ! 謝罪するぐらいならッ! 今すぐ親父を生き返らせてみせろッ! みせろってんだよォ!!」


「―――ぁ、苦しっ――ぃ――――――」


 激情のままに、リヒトはルクレツィアの白く細い首を両手で締めた。


「リヒト様、お気持ちは分かりますが抑えてください。殺してしまいますよ」


「…………チッ。嗚呼、そうだ。殺しては元も子もない。コイツは大切な、――復讐の道具だからな」


「ゲホっ、ゲホっ、――――ごめん、なさいっ………」


 咳き込みながら謝罪を続けるルクレツィアに、リヒトは苛立ちながら告げる。


「オマエに罪の意識があるんならな……俺の道具になれ。勇者を苦しめ絶望に堕とし、――殺す為の」


「それは、……そんな事をしたって」


「魔王様は生き返らない? それとも悲しむと言うつもりですか? では聞きましょう。――大切な存在を奪われた者は、その想いは何処へ行けば良いのですか? 心優しいお嬢様なら、さぞや立派な答えが帰ってくるのでしょうね」


 返す言葉が見つからず、悲痛な表情で沈黙するルクレツィア。

 リヒトはその胸ぐらを掴み、悪辣に微笑む。


「勇者を殺す為にも先ずはお前には苦しんで貰う。アイツが動揺して隙をみせれば重畳、そうでなくても盾にしてやるからさ」


「喜びなさい、最後には貴女の愛する兄の手で殺して貰うのです。――なんて幸せな死でしょうか」


「せいぜい、アイツが妹の死を悲しまない冷酷非道でない事を祈っとけよ、カカカッ、アハハハッ!! 嗚呼、アイツが絶望する顔が目に浮かぶようだッ! ハハハハッ――――」


「あ、ああっ、そんなっ――く、狂って……」


 今この時、ルクレツィアはリヒターテと呼び親しんだ。

 親しもうとした人の、本当を目の当たりにした。


 きっとこの人は、兄が魔王を殺したその時に狂ってしまったのだろう。

 この存在を野放しにしてしまえば、ルクレツィアだけでなくプラミア達でさえも。


「――――っ、わたしに出来る事ならなんでもしますからっ、ど、どのような責め苦も辱めも受けますからっ、どうか、どうかプラミア義姉様達だけはっ!!」


「謝罪の次は自己犠牲ですか。そんなのだから、今の状況があるのですよ? ふふっ、もし次の生があるなら覚えておいた方が宜しいかと存じ上げますわ」


「ははッ、馬鹿だなオマエ。全員、俺のモンにするに決まってるだろうが。さしあたって、王女達の弱みを吐いて貰うとして――」


 リヒトは立ち上がり、その後ろにカラード控える。

 ――虹色の瞳、煌々と輝いて。

 途端、ルクレツィアは喋れなくなった。


「魔王が子、リヒト・バースキンが命を下す」


 ひとつ。


「オマエは俺を嫌えば嫌う程、――愛する」


 ふたつ。


「オマエは勇者への愛を喪わない、だが愛すれば愛する程に、俺の事を強く思い出す」


 みっつ。


「オマエは俺の行為を無条件で受け入れる、そして、触れられる度に快楽が産まれるだろう」


 よっつ。


「オマエは今夜知った事を、俺との全てを俺とカラード以外の誰にも伝えられない」


 いつつ。


「オマエに絶望は赦さない」


 ルクレツィアは声無き悲鳴を上げた。

 暴力を振るわれた方が、まだよかった。

 こんな、こんな――。


「ああ、もう喋っていいぞ。体も自由にしていい」


「――っ!! 最低っ! 貴方という人は最低の存在ですっ!! 他人の心を悪しきざまに歪めるなんて」


「ふふッ、いいのか? 俺を罵る度に俺への愛が芽生えて成長するぞ?」


「…………っ!? 卑怯者ぉっ! 貴方なんてっ、――ぁ……、くぅ、あ、貴方なんてっ!! 絶対に愛しなどしませんっ!」


 ルクレツィアの全てが憎悪に染まる。

 だが、言いようのない胸の高まりが、言葉から勢いを少しづつ削って行くようで。


「さて、その威勢がどこまで持つかな。――じゃあ、そろそろ始めようか」


「始めるっ!? まだ何かするつもりですかっ! もう十分でしょう!!」


「だから貴女は弱いのですよ。――喜びなさい、リヒト様のお情けが得られる事を」


 お情け、カラードの言葉にルクレツィアは戦慄した。

 温室育ちのお嬢様だが、それ故に将来の夫の為に知識を教えられている訳で。


「近づかないでっ!? 近づくなら舌を噛みますっ!」


「おっと、では自傷、自死を禁じる。――オマエは生きろ」


 リヒトは魔眼で刻みつける。

 そして、彼女の手を掴むとベッドへ投げ飛ばした。


「きゃ――」


「リヒト様、お召し物を」


「あいよ」


「…………っ!?」


 ネグリジェを脱ぎ去ったリヒトの裸体、当然、男の象徴がある訳で。

 それを直視してしまったルクレツィアは、恐怖に怯え自分の体を抱きしめる。

 リヒトはその光景に、舌なめずりし。


「勇者を籠絡出来る様に、俺が仕込んでやるよ、――――精々、善い声で鳴くんだな」


 暫くして、哀れな少女の華が散った。



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