第20話 叔母からの電話

 昼休み、学食に昼食をとりに行こうとしていた時、汐里のスマホがブーブーと震えた。

 仕事中はバイブにしているため気がつかないが、たまたま手に持っていたため気がついたのだ。

 見ると、叔母の綾子だ。


『もしもし? 』

『汐里? 私よ。綾子。今、電話大丈夫? 』


 汐里は、由利香に先に学食に行っててと声をかけると、大学構内にあるテラスのベンチに腰かけた。


『どうしたの? 』

『あのね、牧田さん……覚えてる? 』


 牧田?

 いきなり名前を言われても、すっかり記憶から抹消されていて、誰だかすぐには思い出せなかった。


『牧田伸二さん、お見合いしたでしょ』

『ああ、思い出した。牧田さんがどうしたの? 』


 綾子は少し話しにくそうにきりだす。


『あのね、牧田さんのお母様から丁寧なお詫びのお電話をいただいたの。お見合いが初めてで、つい気が焦ってあなたに失礼なことをしたって。牧田さんもそれは反省なさったとかで、あなたに是非に謝りたいっておっしゃってね』

『……』


 謝るって……できれば会いたくないのだけれど。


『謝罪なんてけっこうですって言ったんだけど、あなたに謝らないと次に進めないっておっしゃるのよ。それに、牧田さん本人も私の職場に謝りにいらしてね。何があったのかわからないけど、人が変わったみたいになってたわ。ね、一度会ってあげてくれないかしら? 』

『でも……』


 部屋にまで押しかけてきて暴言を吐かれたし、いい思い出とは言いづらい相手だ。

 いくら綾子の頼みでも、どうしても尻込みしてしまう。


『実はね……、あんまり熱心に頼まれたもんだから、OKしちゃったの。ごめん! 明日の昼間、うちの事務所でって。ほら、うちの事務所なら私もいるし、他の社員もいるから、安心かなって。ね、お願い! 明日の十一時、うちの事務所にきてもらえないかしら』


 勝手に約束をしてしまった綾子には呆れたが、綾子にとって牧田は仕事上の客になるのだから、断りにくいのはしょうがないのかもしれない。


『わかった。外で会うのは嫌だけど、綾子さんのとこならいいよ』

『ありがとう、助かったわ! じゃあ明日』


 通話は切れ、汐里はスマホを閉じた。


 ああ、気が重い……。


「しおりん、こんなとこで何してるの? 」


 肩を叩かれて振り返ると、耀がにこやかに立っていた。

 テラスの向こう側では、女友達が耀を待っている。汐里を見つけて、テラスに上がってきたらしい。


「ああ、ちょっと叔母さんと電話をね……」

「ね、明日だけどさ、サークルの集まりが入っちゃって、会えなくなっちゃったんだよ。でも、夜……いや夕方には帰るけど」


 耀は声を潜めて言った。

 大学は汐里の職場であるから、付き合っていることは内緒にして欲しいと、耀には話してあった。

 学生と付き合っていることがバレたら、上司に何を言われるかわからないからだ。


「そうなの? 」


 耀の女友達の視線をグサグサと感じながら、汐里は微妙な笑みを浮かべた。

 親しげにはできないし、距離の取り方が難しい。


「私も、叔母さんに会わないとだから。じゃあ、お昼行ってくるから、またね」

「学食? 俺も行こうかな? 」

「彼女達待ってるよ。ほら、怪しまれるから行って」

「大丈夫なのに……。じゃ、今日の夜遊び行っていい? 」

「わかった。いいよ」


 耀は素直にテラスを下りて行った。

 女友達のところに行くと、そのうちの一人が耀にベッタリくっつく。

 腕を絡ませ、身体を耀に押し付け、わざとらしく楽しげに笑っていた。

 その子は、明らかに汐里をバカにしたような視線をむけ、耀を引っ張るように歩いていった。


 正直、気分は良くないが、付き合っていることを隠してと頼んだのは汐里だし、耀に女友達が多いのは理解しているつもりだ。

 自分よりも、彼女達の方が耀と並んでいて自然に見えるような気がして、複雑な心境になる。


 汐里は重い腰を持ち上げ、由利香の待つ学食へと足を向けた。



 その夜、耀は飲み会が入ってしまったと、汐里のアパートにきたのは夜中の十二時を過ぎてからだった。


「しおり~ん、ただいま! 」


 玄関を開けると、かなりお酒の匂いをさせた耀が汐里に抱きついてきた。


「お帰り、ご機嫌だね」


 わずかに香水の香りがする。耀のものではなく、甘いフローラル系だ。まあ、あれだけ女友達がくっついているのだから、残り香くらいはつくだろう。


「首……」

「首? 」


 汐里はティッシュを持ってきて耀の首を拭いた。

 ティッシュには、ピンクの口紅がつき、その下の皮膚が赤く鬱血している。


 キスマーク……だよね。


「ああ、罰ゲームで雫につけられたんだよ。拭いたんだけどな」

「キスマークついちゃってるけど」

「マジで? どこ? 」


 耀が鏡の前にキスマークを確認しに行く。


「ほんとだ。へえ、あんなんでキスマークってつくんだね」


 あんなのと言われても、見ていた訳ではないので分からない。

 汐里は嫌な気分になりながらも、このくらいで文句を言うのは大人気ないよな……とも思う。


「お風呂入んなよ 」


 それでも、つい口調がきつくなってしまう。

 耀は、どうしたんだろう? というような表情を浮かべたが、言われるままにユニットバスへ向かった。


 一つ一つ説明しないとわからないんだろうか?

 逆だったら、嫌な気分にはならないんだろうか?

 お酒を飲んだ時のノリもあるだろうし、先輩から言われたら断れないっていうのもわかる。

 それでも、キスマークをつけて帰ってくるのは、やっぱりナシじゃないのかな?


 汐里は、文句など言って面倒な女だと思われたくないという気持ちと、嫌だというのはわかって欲しいという気持ちで、モヤモヤが爆発しそうになる。


 耀が風呂から上がると、上気した肌によけいキスマークが目立った。耀を見ると、どうしても視界に入ってしまい、イライラしてしまう。


「し・お・り・ん」


 耀は甘えたように汐里を抱きしめ、耳にキスをした。頬にキスし、鼻にキスし、瞼にキスし、顔中に優しいキスを降らす。


 あまりの甘々ぶりに、イライラが悲しみに変わっていく。

 耀のことが好きだという気持ちが溢れるほど、せつなくて苦しくなる。


 つい、ポロッと涙が流れてしまった。


「しおりん?! 」


 耀は、ビックリして汐里の顔を両手で挟んだ。


「なんで泣いてんの?」

「……わかんない? 」

「えっと……、遅く帰ってきたから? 」

「そんなんじゃ、泣かないよ」

「もしかして……これ? 」


 耀は、自分の首を指差した。


「だって、これは罰ゲームだよ?

 変なやつじゃないし 」

「じゃあ、もし逆だったら? 私がつけられて帰ってきたら、嫌な気分にならない? 」

「イヤだ……。ヤバい、想像しただけで無理! 」


 耀はギューッと汐里を抱きしめた。


「ごめん! そうだよね。もししおりんに他の男が触ったら、ぶちギレちゃうかも……。逆だったら絶対イヤだ」


 どうやらわかってもらえたらしい。

 汐里は耀の首に抱きついた。


「まあ、女友達と遊ぶなとは言わないけど、やっぱりキス以上のことはしてほしくないし、できれば個室に二人っきりみたいなシチュエーションは避けてほしい。わがままかな? 」

「全然! 逆に嬉しいよ。ヤキモチやいてくれるくらい、好かれてるってことだもんね。あのさ、俺鈍感だから、イヤなことあったらすぐ言って」


 汐里はコクリとうなずいた。


「ねえ、俺のことキライにならないでね? 軽率だったって、猛省してます」


 シュンとしてしまった耀に、汐里は甘いよなと思いながらも、もういいよ……と許してしまう。


 その夜、もちろん耀は汐里のアパートに泊まっていった。初めての初々しい耀はすでになく、成長半端なかった。その面ではかなり優秀というか、勉強熱心というか……。

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