第35話 居酒屋での牧田

「お待たせしました」


 半袖の青白ストライプのシャツに、ジーンズというラフな格好で現れた牧田は、個室に入るなり汐里のすでに酔っぱらったような姿を見てニヤリと笑った。


「ごめんなさい、先にいただいてます」

「いや、いいんですよ。焼酎ですか? 」

「はい。牧田さんが芋焼酎お好きみたいなので、ボトルで頼んじゃいました。最初はビールにします? それとも焼酎の水割り? 」

「じゃあ、水割りにしましょうか。汐里さんも水割りですか? 」

「いえ、ロックで」


 牧田は、グラスに氷を入れると、焼酎(実際は水)をグラスの四割、水(実際は焼酎)を残り六割入れてかき混ぜずに口をつける。

 一瞬眉を寄せるが、自分の黄金比に間違いがあるわけないと、少し指で氷を混ぜた。いつもより濃く感じるのは、空腹のせいだろうと思い込む。


「マドラーいりますか? 」

「いや、混ぜるなんてナンセンス! 焼酎を先に入れることで、対流が起こっていい塩梅で飲めるんですよ」


 実際には後にいれたのが焼酎だし、焼酎の量も多いしで、濃くて当たり前なのであるが、牧田は自分の舌よりも持論を優先させているようだった。


「あの写真、耀君には話しをしたんですか? 」

「怖くて話せてないです」


 ピンク色に染まった目元(実際は化粧)を伏せるようにし、汐里はうつむいて、テーブルの下のスマホで耀にライン通話をタップした。また、会話録音用のボイスレコーダーでも録音する。

 それがうなだれて全てを諦めきった姿に映ったようで、ご機嫌に焼酎を煽り、最初のを濃く感じた牧田は、今度は焼酎三水七の割合で水割りを作ってみる。この場合は無論、焼酎のロックに近くなる。


「まあそうですよね。話さない方がいいです。喧嘩の種になるだけですから。で、汐里さんは耀君と別れようと考えているとか、書いてありましたが……? 」


 牧田にしてみれば、汐里と耀が別れるのは困るのである。もちろん、麗しの美麗のために、二人を破局させるべく手伝いはしているが、こんなに簡単に別れてしまっては、自分が美麗と一緒にいる理由がなくなってしまう。それは断固として阻止しないといけない。

 ゆえに、今回汐里から飲みに誘われたことは、美麗には伝えていなかった。独断でこの場所にいるのである。


「ええ……。でも、まだ信じたくない気持ちもあって」

「そうでしょうとも! 男の浮気なんて、若い時は当たり前ですよ。男なんて、猿みたいなもんですから。浮気の一つや二つ、三つや四つ、どーんと構えておかないと」

「そんなに浮気されたら嫌です」

「いいじゃないですか? 帰ってくるのは自分の所。そう思っていればいいんです。これからも、まだまだありますよ。それでもしぶとくしがみついてればいいんです」


 まだまだあるって、まだ何か仕掛けてくるつもりなんだろうか?


 汐里に仕掛けてくるのか、また耀にハニートラップを仕掛けてくるのか……。想像するだけでウンザリする。全く、冗談じゃない。


「そう……ですね。やはり別れたくない気持ちも強いです」

「それでいいんですよ! あなたみたいなおとなしめな女性は、なかなか次なんてないですからね。浮気なんて見て見ぬふりがいいでしょう」


 なんか、今までになく……というか、ノリがお見合い当時の牧田寄りになっているのは気のせいだろうか?


 気がつくと、牧田はデキャンタの水(焼酎)をほとんどあけており、何やら目付きも据わって見える。

 こちらもこちらで酔っぱらった様子だった。

 そこへ、テーブルの上に置いていた牧田のスマホが着信を知らせてガタガタ鳴った。

 チラッと見ると、『美麗たん』(たんっていったい……)と名前が画面に表示されている。


「失礼」


 牧田は、ノロノロとスマホに手をやると、個室から出て行く。ただ、あまり頭が働いていないのか、席から離れることなく、襖のみ閉めた状態で電話に出た。汐里は、襖側にボイスレコーダーを置き、電話をしている牧田の声をそのまま録音する。


「美麗たん、どうしたの? 」


 相手は幸崎美麗らしい。


「えっ? よく聞こえない? どうしたの? なんかろれつがおかしいけど。………うん、うん。えっ? 次のターゲットは佐々木雫? 何で? まだ、汐里は彼氏と別れていないよ。……うん、そう。実は、今汐里と飲んでるんだ。高田馬場で。」


 しばらく沈黙というか、たぶん美麗が喋っていたんだろう。牧田は黙ったままで時間が過ぎる。

 いつ牧田が部屋に戻ってもいいように、汐里はボイスレコーダーを手元に隠し、ジッと襖を見つめる。


「雫がそんなこと……。それじゃ、たぶん耀君の二股だよ。間違いない。こっちはまだ継続中だから」


 はい?

 何がどうしたらそうなるの?


 雫と美麗の会話を知らない汐里は、戸惑いながらも二股はないから! と、頭の中で突っ込みを入れる。


「こっちは、かなり飲ませてるから、たぶんもうすぐ潰れるはず。ああ、今度こそは連れ込んで、決定的写真が撮れるよ。じゃあ、汐里が潰れたら連絡するから、駅前辺りで待ってて」


 決定的写真?連れ込む?

 それは、つまり……。


 襖が開く雰囲気がしたので、汐里は慌ててボイスレコーダーをポケットに入れると、机に突っ伏して泥酔したふりをした。


「汐里さんお待た……、潰れたか」


 牧田は、汐里の前にドカッと座ると、自分のグラスを飲み干した。


「クソッ!! 夏バテかよ? いやに今日は回りが早い」


 牧田は、汐里の頭をツンツンと突っつくと、酒臭い息を汐里に吐きかける。嫌悪感に鳥肌がたちながら、汐里は必死に逃げ出したい気持ちを抑える。


「さてと、汐里さーん、起きてますかー? 泥酔してますねー? 」


 牧田はベルを鳴らし、席で会計を済ませると、麻衣子の腕を肩にかけ、立ち上がらせた。

 荒い息が汐里の横でハアハア言い、汐里は自力で歩きたいのを我慢して、牧田に寄りかかるようにして歩を進める。

 もしこれが本当に泥酔していたら、たぶん汐里の荷物やら何やら忘れ物沢山だったことだろう。嫌悪感の捌け口として、鞄の痕が掌に残るくらいしっかりと握り締めた汐里は、たまに目を開いては場所を確認する。


 高田馬場の駅近くまでくると、牧田は汐里を壁にもたれかからせ、スマホを耳にしてイライラと足を鳴らす。どうやら、美麗が何回かけても電話に出ないらしい。


「美麗たん?! 何してるのさ?駅の近くにいるけど。えっ? 寝てた? 何でさ? 」


 しばらく待つと、赤い顔をした美麗がよろける足取りでやってきた。


「風邪? 大丈夫? 」


 まさか自分が酒を飲んでいるとは思っていない美麗と、素面ならその匂いから気がついただろうが、自分もベロベロで美麗が酒を飲まないと思い込んでいる牧田は、お互い泥酔一歩手前であることに気がついていない。


 そのためか、汐里が泥酔していると思い込んでいる二人は、汐里の前でこれからラブホに汐里を連れ込む相談を始める。


 壁にもたれて聞いていた汐里は、すぐ近くに耀と雫がいることを確認した。

 二人は、そろそろと牧田と美麗の後ろから近づいてくる。それを薄目で見ていた汐里は、耀が二人の真後ろについた瞬間、しっかりと両目を開いた。

 最初に汐里が牧田達を見ていることに気がついたのは牧田だった。

 驚いたように二度見し、美麗に教えようと口を開きかけた時、牧田の肩に耀が、美麗の肩に雫が手を置いた。

 思ってもみなかった場所からの衝撃に、牧田は思わず飛び退る。

 美麗は、遅い動作で後ろにいる人物を確認する。

 耀の顔を見て、美麗の酔いは一気に覚め、表情が硬直した。

 五人が無言の状態で睨み合い、周りの雑踏も聞こえないほど、凍りついた時間が流れた。

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