第36話 とりあえず決着?

 最初に動いたのは耀で、牧田達の間に割って入ると、汐里の腰に手を回した。


「いやね、さっきまで汐里さんと飲んでいたんだけど、彼女が泥酔しちゃって、たまたま通りかかった美麗たんが、汐里さんと親しいからって……」

「美麗たん? 」

「いや、さっき名前を聞いてね。いや、僕も酔いが回ってるみたいで、ろれつがちょっと」

「そうですわ。たまたま私は通りかかりましたの。ほら、さっきまでそこの佐々木さんとお食事をしていて。さ…佐々木さんと耀君が今一緒にいるというのは、これからおデートだったのかしら? 」


 美麗も回らない頭を振り絞り、汐里にダメージを与える作戦に出たらしい。


「気安く俺の名前を呼ぶな」


 耀の声は低く、怒気をはらんでいた。いつも温和な耀からは想像もできない声音に、美麗の笑顔も凍りつく。

 まさか、雫が全部話したのか?!と、雫に厳しい視線を向ける。自分の悪事は棚上げし、他人を責める意味がわからない。


「酷いわ佐々木さん! あんなに協力してあげたのに! 」

「協力? 自分のためじゃん。ああ、全く報われない努力だけどね」


 雫の嫌味に、美麗は顔を怒りで赤くする。


「ああそうだ。あんたさ、さっき酔っぱらってベラベラ喋ったじゃん? あれ、後ろの席で耀も聞いてたからね。あと、念のためほら、録音済みだからさ」


 雫はボイスレコーダーを取り出すと、適当に巻き戻して内容を再生する。


「ああ……」


 美麗の赤い顔が、一気に蒼白になる。


「ちなみに……」


 耀は、汐里のポケットからもボイスレコーダーを取り出す。


「こっちも録ってました」


 少し前、牧田と美麗が汐里をラブホに連れ込む相談をしている会話が流れる。


「これ、強姦未遂ですよね? 」

「いや、本当にヤるつもりは……」


 牧田もしどろもどろ否定する。


「もしこの先俺らに関わるつもりなら、これを証拠に警察行きますから」


 牧田の頭の中に、今までのエリート人生が崩れていく音が響く。それを振り払うように頭を振ると、悩むことなく叫んだ。


「関わらない!絶対だ!約束するから、警察だけは……」


 大学も、就職も、今まで親の敷いたレールの上を走り、一度も脱線しなかった。経歴だけなら、誰もが羨むエリートを自称している牧田だから、こんなとこで全てを失うわけにはいかなかった。


「幸崎さん、君は俺のことが好きなの? 」


 耀の感情を押し殺したような淡々とした声に、美麗はうなずきかけて、グッと唇を噛んで俯く。

 何せ、自分から告白する気は元からないのだ。

 だからこそ、今までも裏で耀の恋愛を潰し、回りをうろちょろし、声をかけられるのを待ったのだから。いつか、必ず自分のことを好きになるはずだと、確固たる信念を持って。


「じゃあ、やっぱり嫌いなんだ」

「そんなわけない!! 」

「なら好き? 」


 美麗は渋々うなずく。

 本当は、耀に声をかけられ、また以前のように親しく話すようになり、ロマンチックなシチュエーションで耀から告白を受けるはずだった。


 この状況で、いまだにそれを信じている美麗は、おめでたいを通り越して狂気すら感じる。


「そう……。ありがとう」


 ため息交じりの耀の言葉に、美麗の顔が上気し、期待に満ちた表情で耀を見上げる。目が潤んで、誰が見ても見惚れてしまうような美少女っぷりだ。

 普通の男なら、ドギマギして今までの何もかも忘れて美麗の手を取ったかもしれない。


「でも、ごめんね。今までも、これから先も、幸崎さんのこと好きになることはないから」

「えっ? 」


 美麗の耳に、想像だにしない言葉が響いた。最初は理解できなかった。まさか、この自分が?! ……という思いだ。


「だからね、俺は君のことは好きになることはない。彼女がいるからとか関係なく、君と付き合うことはないから」

「い……意味がわからないわ」


 耀は大きなため息をつく。


「あのね、こんなこと言いたくないけど……ストーカーするような子とは、怖くて無理なんだ」

「私の何がいけないの?! 何でも合わせるわ! この格好だって、耀君が昔麻友に可愛いって言ったメーカーの服だわ。お化粧だって、ケバいのよりはナチュラルがいいって聞いたわ」

「まあ、ごちゃごちゃしてるのは好きじゃないよ。でも、その人に似合っていればいいと思うし。だから、雫みたいにパッと見派手でも、似合っていればいいと思うし、しおりんみたいにシックなのも、似合ってるからいいよね。だからってタイプとか、そういうんじゃないんだよ」


 美麗はブンブンと頭を振り、わからない! わからない! と叫ぶ。

 耀は困ったように汐里を見た。

 感情は抑えてなるべく穏便に、子供に言い聞かせるように話してみたが、美麗には通じているように見えない。


「だーかーら、耀はあんたのこと大嫌いって言ってんの! 」

「そ……そんなわけないわ! 」

「いい加減悟りなよ。馬鹿な女はより嫌われるよ」


 雫は遠慮ない。ボイスレコーダーをひらつかせ、美麗に詰め寄る。


「これは犯罪。ストーカー規制法に触れるの。わかる? つけ回したり、待ち伏せしたりしたらダメなの。あんたは耀に気持ちを伝えて、結果無理なんだから、すっぱり諦めなさいよ」

「……無理」


 美麗の中には耀と付き合う一択しかなく、自分が多少突っついたくらいで別れるのなら、それは本当の恋愛じゃない。いつか自分と本当の恋愛をするはずだと信じて揺るがず、間違った信念を振りかざして常に自分を正当化してきた。

 だから、犯罪だと言われても、全く罪の意識も起こらなければ、自分をかえりみて反省もしない。


「ダメだよ、この子」


 雫も呆れて……というか、美麗のターゲットにならないで良かったと心底思った。

 あまりに面倒くさい。

 同じ言語を話しているとは思えなかった。


「あの……幸崎さん」


 汐里がおずおずと声をかける。


「耀君のこと好きなんだよね? 」

「そうよ。だから、あなたはさっさと別れなさいよ。年増はしつこいわね」


 可愛いげもへったくれもない言い方に、汐里は一瞬言葉を失ったが、いつも仕事で学生の話しを聞くように、とりあえず話しに寄り添う。


「確かに私はあなた達より年上だし、私には耀君はもったいない彼氏だと思う」

「そうよ! 地味な事務職の女が、なんの努力もしないで耀君の彼女顔でそっくり返って、本当にあり得ないわ! 」

「そうだね。幸崎さんは、耀君の好みをリサーチしたり、耀君のために自分磨きしてきたんだよね?」

「当たり前じゃない! 」

「それって、耀君に好かれたいからだよね? 」

「そうだって言ってるでしょ! 」

「でもさ、幸崎さんのしたことって、耀君を不愉快にすることだってわかるかな? 」

「そんなの、私が何かしたくらいで別れるような薄っぺらい感情、早く分からせてあげた方がいいじゃない! 」

「うーん、まあ、薄っぺらいかどうかは、誰にもわからないよ。時間を重ねて深みがでたかもしれないし。その前に幸崎さんが潰しちゃったわけで」


 美麗は、汐里となんか話したくないと、わざとそっぽを向く。


「仮に、耀君がその薄っぺらい感情に気づけたとして、幸崎さんには感謝できないんだよ。別れるって、どちらかというと負の感情が大きいよね。それに関わった幸崎さんは、耀君にとって良い思い出にならないから」

「そんなこと……」


 美麗は唇を噛む。


「耀君をずっと見てた幸崎さんならわかるんじゃない? 耀君って外見とかで好きになったりしないじゃない? 幸崎さんみたいに、色々策略を練るような女の子が好きかな? 大人の男の人を顎で使って、女性を襲わせようとする女の子って、耀君に好かれると思う? 」

「……」

「うん、俺はそういう女の子は好きになれない。どんな理由があっても、俺を振り向かせたいからとかあっても、このボイスレコーダーにあるようなことをする女の子は、これから先も絶対に好きになれない」


 もう、当たり前のことをしつこく説明しても、美麗の心に響くとは思えなかった。


「あの……、美麗たんをこれ以上追い詰めないで」

「は? 」


 追い詰めたも何も、全く理解してくれない美麗に、優しく説明しただけだが……。


 牧田は美麗の肩に手を置くと、美麗を自分の方に抱き寄せようとし、美麗に思いっきり拒絶される。


「ああ、わかった! もしさ、あんたがやったようなことを、この男があんたにしたら、この男のこと好きになる? 」

「絶対ない! 気持ち悪過ぎる!! 」


 考える間もない拒絶の言葉に、牧田はショックを隠せずふらつき、美麗はそんな牧田に冷たい視線を送った。


「それと同じだよ」

「な……な……な……」


 牧田と同類扱いされ、美麗は言葉も出なくなる。

 雫は良い喩えした! と、満足気に微笑む。


「だって、元から好かれてないのはわかんでしょ? あんだけ近くに座ってても、挨拶すらされないんだから。そんな相手にさ、恋人との仲を邪魔されて好きになるって、どんだけマゾだよって話しじゃない? あんたが即答するのと同じくらいあり得ない話しだと思わない? 」

「……」


 耀が自分を好きになることはないと、色んな人から言われて、美麗は納得も理解もできないが、自分がやってきたことが知られてしまった今、すぐに自分に対して良い感情を抱かないだろうということはわかった。


 時間が必要だわ……。


 美麗は、時間がたてばリセットできるはずと思ったのか、とにかく今は引き下がるしかないんだと理解する。


「わかりました。もう、こんなことしません。それでいい? でも、私はいつまでも耀君のことが好きだから」

「……答えられないけど? 」

「未来はわからないわ」


 もう、ここにいる誰もお手上げ状態だった。


「ストーカー行為はしない、その他犯罪行為もしないって約束できる? 例えばしおりんにしようとしたみたいな」

「耀君に嫌われる行為ならしないわ」

「嫌われること間違いないよ」


 美麗は、わかったとうなずく。


「じゃあ、牧田さんも二度と俺達には関わらないで下さい。とりあえず今回は警察にはいきませんから。でも、二人共次はないと思って下さい」


 もうこれ以上話してもどうにもならないと思った耀は、汐里の手をひいて美麗達から離れる。

 後ろから雫もついてくる。


「ね、三人で飲みいかない? 」

「まあ、雫には今回協力してもらったし、それもいっか? しおりんはいい? 」

「うん、行こう」


 美麗のことで毒気を抜かれたのか、今の雫は耀を狙っていた以前のねちっこい感じはすっかりなく、サバサバして話しやすかった。


「しおりん、これから大変だね」


 雫も、すっかり汐里のことをしおりん扱いだ。


「えっ? 」

「だってさ、あいつ、絶対諦めないっしょ? うん、あんなんがついてくるなら、あたしは耀はパスだわ」

「何だよ? 何か、俺がフラれた感じじゃん? 」


 納得いかないと顔をしかめる耀の背中を、パシンッと雫が叩く。


「まあいいじゃん! ほら、飲むべ飲むべ」


 酒豪の雫に、そこそこ酒が強い耀。今日は泥酔覚悟だ! と、居酒屋の暖簾をくぐった。

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