第3話 危機一髪
「汐里さん、次はフレンチに行きましょう。美味しいフレンチがあるんですよ」
汐里の隣りをスーツの男が歩いていた。先週見合いをした牧田伸二だ。
相変わらずの甲高い声に、神経質そうな表情。何を考えているか読めない目付きはやはり変わらない。
今日で会ったのは二回目、断る理由が見つからず、でも結婚したいとも思えず、どうしたものかと思いながら会っていた。
綾子の顔をたてるのならば、あと数回は会わないといけない。
「はあ……」
次も会うのか…?
汐里の気分は重くなる。
「汐里さんは、今までお付き合いしたのは何人ですか?」
汐里は、ちょっと驚いて牧田を見上げる。
見合いというのは、そんな突っ込んだことまで話さないといけないのだろうか?
経験人数を聞いているようなものだと思うが…。
「答えないといけませんか?」
「そりゃ、お互いのことをよく知らないと、結婚なんてできませんからね」
結婚する気はないんだけど。
「二人です」
「二人もいるんですか?」
「はあ……」
「じゃあ、バ……バ……バージンではないと?」
「……」
汐里は答えなかった。
これって、お見合い断る理由になるかな?
汐里は、そんなことを考えていた。
しばらく無言で歩き、汐里のアパートの前まできた。
「あの、今日はありがとうございました」
汐里が、見合い相手と別れてアパートに入ろうとすると、なぜか牧田もついてきた。
「あの…、部屋までは送らなくて大丈夫ですから」
外階段を上がり、二階の部屋の前まできたが、鍵を開けずに帰るように促す。
「ぼ…僕は、心が広いほうだ!汐里さんが何人の男に汚されたとしても、許すことができると思う」
汚された?!
誰がよ!
汐里は、さすがに無理だと思い、ここで見合いを断ろうと決意した。
綾子さん、ごめん!さすがに無理だわ。
「あの、あなたに許されなきゃいけないようなことじゃないと思います」
「いいんだ。気にしなくて。汐里さんの汚れは、僕が清めてあげるから」
牧田は、汐里の手から部屋の鍵を奪おうとしてきた。
「ちょっと、やめてください! 」
汐里は鍵を死守しようと、必死で抵抗する。鍵を奪われそうになり、汐里は鍵を廊下から外に投げ捨てた。
「おまえ、なんてことするんだ! 」
牧田は、汐里の腕をつかんだ。汐里がとんでもなく悪いことをしたと思っているかのように表情を歪ませ、横暴な教師が一方的に生徒を怒るかのような恫喝の響きがこもっていた。
「離して! 」
汐里は怖くて泣きそうだった。
「しおりん、お帰り~」
汐里の投げ捨てた鍵をクルクル回しながら、若い男の子ががアパートの階段を上がってきた。
最初誰だかわからず、数秒してからやっと、うちの大学の学生だと思い出した。
確か名前は…秋元耀!
「秋元君! 」
汐里は、見合い相手の手を振りほどき、耀の元に走った。
「こいつは誰だ? 」
「あんたこそ誰?しおりんの友達? 」
「僕は婚約者だ! 」
「違うわ!叔母さんから言われて、しょうがなくお見合いしただけよ。断るつもりだったし」
「な…、君は僕を騙したのか?高い寿司までおごらせて、断るつもりだっただと? 」
「騙したって、お見合いはしましたが、まだお返事すらしてないじゃないですか!お金は払うって言ったじゃないですか。受け取ってくれなかったのはあなたです」
見合い相手は、唇を震わせていた。
耀は、二人の話しを聞いていたが、状況を理解したのか、汐里の腕をとった。
「なんだ、浮気したのかと疑っちゃったよ。ごめんね、この人俺の恋人。悪いけど諦めてよ。ほら、年が離れてるから、不安だったんでしょ?だから見合いなんかしちゃったんだよね。バカだな、俺は本気だよ」
「あの……」
「大丈夫。言わなくてもわかってるから。愛してるよ、しおりん」
耀は、鍵を使ってドアを開けると、汐里の腕を引っ張って中に入る。
見合い相手の目の前でドアを閉め、覗き穴から廊下を見ていた。
ドタドタと階段を走って下りる音がし、耀は覗き穴から顔を外した。
「階段下りてったよ」
「あの、なんであなたが? 」
「ああ、バイトの帰りでさ、そこのコンビニで立ち読みしてたんだ。そしたら、しおりん達が帰ってきたのが見えて、彼氏かな?って思ったんだけど、トラブってるみたいだったし。外に出てみたら、なんか投げ捨てたみたいだったから、拾いにいったの」
「……そう。ありがとう。助かりました」
「そんじゃ、あまり長居すると、狼さんになっちゃうから」
耀は、出ていこうとドアを開けたが、すぐに閉めた。
「どうしたの? 」
「さっきの奴がまだ表にいる。コンビニのとこ」
「嘘? 」
「買い出しのふりして、コンビニ行ってみる? 」
汐里はうなずいた。
「その前に部屋着に着替えたら?いつまでもスーツじゃおかしいでしょ」
「部屋着って?」
寝間着じゃ変だし、ジャージもちょっと…。
汐里は、Tシャツにジーンズのスカートを箪笥から引っ張り出すと、トイレに入って着替えた。
そして、耀の後に続いて部屋を出た。
「ほら、手つなご」
汐里は怖さもあって、耀の手をとる。
二人が部屋から出て、階段を下りて行くと、確かに見合い相手がコンビニの影から覗いていた。
「気がつかないふりして」
耀が汐里の耳元で囁いた。
耀は、わざと楽しそうに大学での講義の話しをし始め、コンビニに入ると、飲み物やらお菓子やらを買った。
そのまま、見合い相手には気がつかないふりをしたまま、また二人で部屋に入った。
「ストーカーかよ。コワッ! 」
「どうしよう? 」
「ま、ほっとけばそのうち帰るんじゃない?しばらく付き合うし」
耀は部屋に入ると、テーブルに買ってきたものを並べた。
そして、かろうじて表通りが見える窓に近寄ると、窓の外を見てカーテンを閉めた。
「あいつ、この窓が見える場所に移動してたよ」
「ええっ? 」
見るのも怖い。
「ちょっと、叔母さんに電話してみる」
汐里は、スマホから綾子に電話した。
『汐里、どうしたの?今日牧田さんとお寿司じゃなかったっけ? 』
『綾子さん?あのね、この前のお見合いなんだけど、お断りしてほしいの』
『やっぱ、駄目?もう一回くらい会えないかな? 』
『あの人怖いよ。今も、部屋に押し入ろうとしたり、部屋の外で見張ってたり……』
『やだ、大丈夫? 』
『うん、たまたま知り合いが通りかかって、助けてくれた。でも、今も表にいるみたいで』
『わかった。牧田さんに電話してみる』
電話がきれた。
「叔母さんが…、お見合い持ってきた人なんだけど、お断りの電話してくれるって」
「そっか、じゃああいつが帰るまで、宴会しよ。コーラでね。でも、その前に……」
耀は、汐里のことを窓際に横を向いて立たせると、なぜか自分も二~三歩離れた所に立ち、こんなもんかなとつぶやきながら、腕を前に伸ばす。
「なにしてるの? 」
「いや、この距離だと、カーテン越しに見たら抱きあってるように見えるかなって」
芸が細かいわね。
「仕上げは……」
耀は電気をパチンパチンと消し、豆電球だけにした。
「ちょっと」
「大丈夫、慣れれば問題ないよ。ほら、飲もう」
耀は、スマホをテーブルに置き、明かりがわりにする。
それから、お酒ではなくコーラで乾杯し、ポテトチップをつまみに、耀がほぼ一人で喋った。
耀は話し上手で、汐里は時間も忘れてしまうほどだった。
二時間ほど喋った後、耀はこっそりと窓から外を見た。
「うん、見えるとこにはいないな」
「ほんと? 」
「たぶん。じゃあさ、これ俺の電話番号。あとラインIDね。しおりんのも教えて。もしなんかあったら電話ちょうだい。うちからなら、走って十分くらいだからさ。すぐくるよ」
汐里は、抵抗なく番号とIDを交換する。
すでに耀に対して苦手意識はなく、面白い子という印象に変わっていた。
耀は立ち上がると、玄関に向かった。
「じゃ、鍵閉めてチェーンかけてね」
「わかった。ありがとね」
耀は、手を振って出ていった。
汐里は、言われた通り鍵を閉め、チェーンをかける。
窓から外を見ると、耀が通りを歩いて行くのが見えた。見送っていると、耀が振り返り大きく手を振った。汐里も小さく振り返した。
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