統一戦<4>
稲葉は風音の猛攻を凌ぎながら、校舎の中を逃げ回っていた。
一対一なら自信はあるが、春香と千早の援護が地味に鬱陶しい。
彼女達はルール上、稲葉には攻撃できないが、防御はできる。風音に対する攻撃を代わりに受けられ、その隙に攻撃されるというやり取りを、先程から何度も繰り返していた。
立ち止まっていると、稲葉が動けるルートを狭めるような配置につかれる。
体力の消耗は気になるが、走り回って相手を翻弄しながら戦う他、選択肢はなかった。
しかし、その作戦が功を奏した。
風音はともかく、春香も千早も、稲葉の足に追いつかなくなっていたのだ。
C組は、日頃から授業で体力増強のための鍛錬を毎日こなしている。
それを真面目に取り組んでいた稲葉は、体力と走りには自信があった。
「そんなに春香と戦うのが怖いのかぁ⁉」
息を切らしながら、負け惜しみのように春香が叫んだ。
「逃げる? 違うわ。私の“才能”は、ちょっと距離が必要なのよ」
滑るようにブレーキをかけ、稲葉は立ち止まった。
相手の体力も削られ、距離も十分。
そろそろ頃合いだ。
稲葉は薙刀を上に掲げたかと思うと、突然舞いを踊り始めた。
「稲葉流薙刀術、神楽」
三人が、呆然と美しい舞いに見惚れていた時だった。
風音が、ハッとした。
「二人とも下がってください!」
「はぇ……?」
「あら……」
二人は、静かに倒れ込んだ。
ただ踊っているだけに見えたが、風音は天性の直感で、その攻撃を感知し、ぎりぎりのところで刀で防ぐことに成功していた。
「私の“才能”は『気配を殺す能力』。舞いによって既存のパターンを刷り込み、思い込みと目の錯覚を利用して、攻撃の瞬間を文字通り消し去る技よ。初見でよく避けられたわね」
「……お二人を先に攻撃していなければ、危ないところでした」
稲葉は鼻で笑った。
「三人のコンビネーション。一週間みっちり練習しましたって様子がひしひしと伝わってきたわ。つまりあの二人を倒せば、他の味方は雑魚同然。そして一対一なら、あなたに負ける気がしないわね」
稲葉は首をかしげてみせた。
「さて。他にもお仲間を呼んでくる?」
風音は刀を構えたまま、じりと後ずさる。
風音はそのまま後ろへ飛び、背を向けて逃走した。
「今度はあなたが逃げる番ってわけ? 上等!」
稲葉はそれを追いかけた。
風音の足は速いが、持久力なら自信がある。
どこかで必ず追いつくチャンスがある。
その時を逃さず、一気に仕留める。
持ち主の心情に呼応するように、稲葉の薙刀が、きらりと光った。
◇◇◇
稲葉は体育館の前まで来ていた。
彼女がここに逃げ込んだのは間違いなさそうだ。
出入口は稲葉がいるこの場所しかない。
完全に、風音を射程に捉えた。
稲葉は慢心しないよう、ゆっくりと慎重に中へ入った。
ふと、横にあるシャワー室に目がいった。
新しくシャワー室が作られたことで、今はもう使われていない。
自分の記憶が正しければ、奥に人が出入りできる程度の小窓があったはずだ。
風音がここを通ったのだとすれば、体育館の中を探索していたらおめおめと逃げられることになる。
仕方なく、稲葉はシャワー室に入った。
シャワーが床を叩く音が聞こえる。
中は湯気が充満し、周りが見えづらくなっていた。
使用されていないシャワー室に、水が通っているとは思えない。おそらくこの時のために、わざわざ水を通したのだろう。
罠か。
しかし稲葉は鼻を鳴らし、シャワー室の扉を閉めた。
「視界を押さえた程度で勝てるとは思わないことね」
慎重に気配を探知する。
どうやら、二人の人間がこの部屋に潜んでいるようだ。
仮にアルトと風音が襲ってきても、この距離なら十分対処できる。
「さっさと来なさい。組長の手を煩わせなくとも、私がケリをつけてやる」
ゆっくりと姿を現わしたのは、風音でもアルトでもなかった。
そこにいたのは、上半身裸でシャワーを浴びていた、各務とゼロだった。
「ひっ‼」
思わず、稲葉は後ろの壁に引っ付くように後退した。
引き締まった筋肉の上を流れる水に、おぞましさで、ぞっとした。
水着を履いているとはいえ、男性に触れることもできない稲葉にとって、その光景は悪夢でしかなかった。
「なな、何をしてるのよあなた達は⁉」
「なにって、シャワー浴びてるだけだぜ?」
髪をかきあげながら、各務は言った。
その時に飛んだ雫が、稲葉の足元に、ぴちょんと音をたてて飛び散った。
「ひゃあっ‼」
稲葉が慌ててドアを開けようとするも、何故か閉まっていて動かなかった。
「な、なんでよ! さっきは開いたのに‼」
「フッ。無駄だ。俺の邪眼に支配されたこの空間から、お前は決して逃れることはできない」
「イクが改造施して出られなくしてるだけだろうが。こっぱずかしいこと言ってんじゃねぇ」
部屋から出られず、目の前には上半身裸の男が二人。
稲葉は精神的に追い詰められていた。
「さあて。こっちから攻撃はできないが、精神的ダメージは受けてもら──」
「粛清‼」
稲葉は滅茶苦茶に薙刀を振り回した。
「うわあっ‼」
タガが外れた全力の攻撃に、二人は慌てて逃げ回る。
殺傷能力がないとはいえ、まともに当たれば大怪我は免れない。
「ちょっ、待て待て! 本気でシャレにならねぇ‼」
「死ね死ね死ねぇ‼ 汚らわしい男共め‼」
稲葉の横薙ぎの一振りが、二人を吹き飛ばした。
壁に叩きつけられ、二人はぐったりと倒れ込む。
ガードしたとはいえ、しばらくは起き上がれないだろう。
稲葉は肩で息をしながら、二人をにらみつけていた。
彼らが再起不能になっていることを確認すると、ようやく彼女は落ち着きを取り戻し、大きく深呼吸した。
ふいに、ガチャリとドアが開く音がした。
一瞬で薙刀をそちらへ向ける。
そこにいたのは青春だった。
「タ、タンマ!」
そう言って、青春は両手を挙げる。
「ほら、服着てるやろ⁉ 俺はここの連中がやられたら回収する役で、なんもする気ないから!」
稲葉は青春をにらみつけながら逡巡していたが、武器も所持していない彼の姿を見て、ため息と共に武器を下ろした。
「そうみたいね。……あなたは」
「へ?」
稲葉は頭を屈めた。
その瞬間、空気を切り裂く鋭い音と共に、稲葉がいた場所に斬撃が飛んできた。
青春の後ろで、刀を振り下ろした風音が驚愕している。
「あなたの“才能”は研究済みよ」
青春の真横から、薙刀が風音へと伸びて来る。
風音は瞬時に敵のリーチを把握し、後方へ下がった。
「甘い‼」
稲葉は思い切り薙刀を突き出すと、そのまま柄を離した。
弾丸のように放たれた薙刀が一気にリーチを伸ばし、風音の横腹に直撃した。
薙刀の石突の部分を掴みながら、稲葉は言った。
「あなたは強いけど、圧倒的に経験不足だわ」
風音はその場で倒れた。
「ふぅ。まったく。あんな小細工で私から隙を作ろうなんて、100年甘いわよ」
稲葉は余裕の表情で、慌てて風音を介抱する青春を素通りした。
これで、E組の生徒を一気に五人倒したことになる。
紅葉も除くと、まともに動ける人間は四人だけだ。
相手の選手はアルト一人だけだし、これで一気に優勢に傾いた。
「にしても、ブザーが遅いわね」
そう稲葉がぼやいた時だった。
ぽんと、誰かが肩に触れた。
「ん?」
後ろを見ると、青春が苦笑しながら、片手で合掌していた。
「ごめんな、騙して」
ビーーーーー
『稲葉深月選手は脱落となります。ただちに専用の控室まで移動してください。脱落した時点で、相手チームへの攻撃は反則となります』
そのアナウンスに、稲葉は目を丸くした。
「はあああ⁉ ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なんで私なの⁉ というか、風音さんは⁉ 確実に一発当てたはずよ‼」
「ええとその……つまりは、登録したんは最初から、風音ちゃんやなくて、俺やったってことで」
稲葉は開いた口が塞がらなかった。
「な、何でよ⁉ だって、風音さんが端末を操作して登録を……」
「俺のIDをあらかじめ教えてたんや。んで、風音ちゃんはそのIDを打ち込んだ。別に、本人が登録せなあかんとは言われてへんしな」
稲葉は思考停止したように固まっていた。
「……だ、代表者が前に呼ばれた時、あなたは──」
「一緒に出てたやろ? 応援してる体で」
稲葉は口をぱくぱくさせていたが、声は出ていなかった。
「それと……アルトから伝言があるんやけど」
「……なに?」
落胆した様子で、稲葉は力無く聞いた。
「ええと……『お前もな』、だそうで」
稲葉は風音を、経験不足と一蹴した。
もしもその発言まで読まれていたのなら、まさしくアルトの手の内で踊っていたことになる。
稲葉はそれを聞き、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます