転入試験<4>



オレと青春は、細長い道をひた走り、とうとう洞窟の最奥に到着した。

その開けた場所には、既に葵がいた。

ひとまず無事であることにホッとするも、すぐにそうも言っていられない状況であることを理解する。


葵の目の前には、大きなドラゴンがいたのだ。


「な、なんやあれ⁉」

「A級危険生物に該当する魔物だ」


獲物が増えたのを喜んでいるのか、ドラゴンが大きく吠える。

突風のような風に、思わず手で顔を覆う。

声だけで洞窟内部が震え、パラパラと小石が落ちてきた。


瞬間、巨体とは思えぬ速さで、鋭い爪を持った手が葵を襲った。

すんでのところで避けるが、爪が腕に当たり、一筋の傷ができる。


「な、なんで怪我すんねん! この空間では、バーチャルによる直接的なダメージは、体力減少にしかならんはずや!」

「バーチャルじゃないってことだろ」


次元震災と同じような現象を、個人で引き起こせる魔族は少なくない。

オレの友人である運び屋のジャックも、それを使ってあらゆる場所へ自在にワープすることができる。

仮に人間でも、“才能”次第ではドラゴンを特定の場所に転送させることも可能だろう。


その時、ドラゴンが大きく口を開けたかと思うと、灼熱の炎を葵に向けて吐き出した。

葵は間一髪のところでそれを避けるも、バランスを崩し、大きく転倒してしまう。


「葵‼」


オレが彼女に駆け寄ろうとした時だった。


「来ないで‼」


オレは思わず止まった。

ゆっくりと立ち上がるも、身体は見るからにぼろぼろだ。


「私はこいつを倒して勇山学園に入る! 勇山学園に入って、勇者になって、そしてアルトの右腕の代わりになる! だから──」

「もういい‼」


オレは思わず叫んだ。

先程から、ずっと痙攣している右腕を押さえながら。


「あれはお前が悪いんじゃない! だから、そんなこと思わなくていいんだ! オレの“才能”がなくなったのも、怪我で戦えなくなったのも、お前が罪悪感を覚えるようなことじゃない!」



あの日。

オレは、人間界でテロ活動を行う魔族との戦いの前に、施設へ顔を出した。

じじいに身柄を拘束されても、一年に一回の焼肉の日は、どんな手段を使っても抜け出して、オレは葵と同じテーブルを囲った。

あの日も、オレはいつものように葵と喧嘩をしながら飯を食って、仕事に出かけようとした。

その玄関先で、葵がオレの雰囲気が違うことを感じ取り、心配そうに見つめていた時、オレは嘘をついた。


「大したことじゃねえよ。ちょっとしたヤボ用を済ませたら、またすぐに帰ってくるから」


その結果、葵はオレを迎えに行くために外出し、偶然、魔族との戦闘に巻き込まれた。

オレがうっすらと覚えているのは、魔族の攻撃から葵を庇ったこと。

そして、血塗れになったオレに、葵が泣きながら叫んでいたことだった。



「葵。お前の願望も、オレへの愛情も、全部罪悪感からくる幻想だ。だからお前は、こんな危険な領域に立ち入る必要はないんだ」


葵がオレのことを考えてくれればくれるほど、オレは自分の無力さを噛みしめた。

オレが強ければ、葵をこれほど苦しめることはなかった。

オレに“才能”があれば、葵が危険な道に進むこともなかった。


だからオレは逃げた。

無力な自分を認めたくなくて、葵の前から姿を消した。


葵が勇者を目指すのを止めるのは、葵のためじゃない。

そうすることで、葵を自分の手の届くところに置きたかっただけだ。

向き合う勇気もない癖に、自分の都合で、葵を縛りたいだけだ。


「……オレは自分勝手な人間だ。お前のことを考えているフリをして、結局、自分のことしか考えていない。だから葵。お前がオレに対して何かを思う必要なんて──」

「やっぱり、アルトは何も分かってない」


ぼそりと、葵は言った。


「アルトが私の前からいなくなってからね。私の身体を、原因不明の震えが襲うようになったの。酷い時は呼吸も難しくなって倒れちゃうから、病院で看てもらって。でも、心因性のものだって言われるだけで、カウンセリングを受けても全然治らなかった」


初めて聞く話だった。

そんな大事な時期に、オレは葵の側にいてやらなかったのか。


「学校にも行けなくて、私は自分のベッドで、ただひたすらにアルトに謝ってた。私のせいでアルトの未来を壊しちゃったから。私や、勇者の立場を捨てたのは、私がそうさせたんだって。……でもね。ある日、ふと違う考え方をしてみたの。私がやっちゃったことは、もう取り返しがつかない。なら、壊しちゃったアルトのものを、私が全部作り直そうって。そう思った途端、ずっと悩んでいた震えが、嘘のように止まったの」


葵は、努めて明るく言った。


「その時ね。私は分かったの。私の望みは、アルトと一緒にいることだって。アルトと肩を並べて、本当の意味で一緒にいることなんだって。アルトが苦しんでいるなら、その苦しみを取り除いてあげたい。アルトの腕が動かないなら、その代わりになってあげたい。アルトに夢があるなら、その夢を叶えてあげたい。“才能”しか見てくれない世間をぶん殴りたいのなら、私が代わりにぶん殴ってあげたい」


葵はこちらを向き、にこりと笑った。


「だって私は……アルトのことが好きだから」


その時、ドラゴンの巨大な腕が振り下ろされた。

直撃は避けたようだが、葵の身体は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「葵‼」


オレは駆けつけようとしたが、今度は青春に腕を掴まれた。


「いかなる理由があろうと、転入試験で誰かが手助けしたら、受験者は失格や。行ったらアカン」

「離せよ。お前の相手をしている時間はねえ」

「今のアンタなら、俺でも倒せる。そんな身体で助けに行く方が無茶や」

「関係ねえよ」


青春に掴まれた腕の痙攣は、一層酷くなっていた。


「俺だって勇者を目指す人間や。その夢に賭ける気持ちはそれぞれ違うかもしれんけど、根本のところは同じやと思ってる。だから葵姉の気持ちは、痛いほどよく分かる。アンタはあの言葉を聞いて、なんも分からんかったんか」


オレはしばらく黙ったが、青春の腕を払った。


「あいつが何を考えていようとどうでもいい。馬鹿な真似をしようってんなら、止めるだけだ」


青春はオレの胸倉を掴んだ。


「アンタはついさっき会ったばかりの俺を信じてくれたやろ! だったら葵姉のことも信じてやれや!」


その怒声に気圧されて、オレは言葉をつぐんだ。


オレは葵の方を見た。

身体はぼろぼろで、足取りもおぼつかない。

今すぐに倒れてもおかしくない状況で、しかし葵は、欠片も諦めていなかった。


逃げる元気もないと判断したのか、ドラゴンが再び口を開けた。

炎を吐き出して、ケリをつける気なのだ。


オレが再び駆けようとした時、それに気付いて足を止めた。

葵が、地面に両腕を突き刺していたのだ。


「ぬううううう……‼」


ビキビキと音をたてて地面に亀裂が広がっていく。

ドラゴンの口内が徐々に明るくなっていき、一気に炎が噴射された。


「があああああああ‼」


掛け声とともに葵が腕を振り上げると、大きく地面が隆起した。

その地面が、盾のように炎に立ちふさがる。

炎の勢いに押されながらも、葵は必死で隆起した地面を支えた。


ビキビキと隆起の根元にヒビが入り、バキンと割れる。

一気に葵に圧力がかかるが、彼女は一歩足を前に出すことで、踏みとどまった。


「どおおおりゃあああああ‼」


地面が陥没するほどの勢いで地面を蹴り、岩を盾にしたまま走る。

炎を防ぎながら、ドラゴンの懐まで一気に迫る。

そのまま突っ込めば、無防備な腹に一撃を入れられる。


バチィン‼


そう思った瞬間、ドラゴンは岩を抱えていた葵を、まるでハエを叩き潰すように両手で挟み込んだ。


「葵‼」


ドラゴンの頬が、わずかに緩む。

が、それはすぐに怪訝な表情へ変わった。


目の前にある巨大な岩に、徐々に亀裂が入っていく。

小さなヒビが、クモの巣のように一気に広がったと思うと、そこから葵が飛び出した。


「くらええええええ‼」


がら空きだったドラゴンの腹に、葵の拳が突き刺さった。

その巨体が浮き上がり、ドラゴンは口から血反吐を吐いたかと思うと、壁に叩きつけられ、ぐったりと倒れ込んだ。


その衝撃で抉れた壁から、一つの小さな宝箱が葵の目の前に落ちて来た。

葵が肩で息をしながらそれを拾うと、バーチャルでできた洞窟は姿を消し、いつものスタジアムに戻った。


「……本当に、倒しやがった」


ふらりと、葵の身体が倒れる。

瞬時に走り、オレはその身体を受け止めた。


「無茶し過ぎだ、馬鹿」

「へへ……。ちゃんと……見てくれた……?」


そう言ってはにかんでいるのは、弱くて臆病な昔の彼女ではなかった。

自分のやりたいことを見つけて、ちゃんと自分の足で歩む、立派な女性だ。


「……今からそんなで、この先だいじょうぶなのか?」

「え……?」

「言っておくが、オレの指導は厳しいぞ」


別に、全てを許容したわけじゃない。

オレはオレの夢をあきらめたわけじゃないし、自分の片腕なんて必要としていない。

だが、あんな姿を間近で見せられ、ほんの少しだけ思ってしまったのだ。

葵が夢を持つというのなら、応援くらいはしてやってもいいんじゃないかと。


オレはハッとした。

無防備だったオレの頬に、葵がキスをしたのだ。


「ばっ! なにしやがる‼」

「え? だって、認めてくれるってことでしょ? 私のこと好きってことじゃないの?」

「誰もそんなこと言ってねえ‼」


オレは自分の頬を思い切りごしごしと腕で擦った。

くそ。完全に油断していた。

こいつは調子に乗らせるとロクなことがない。


ふと見ると、青春が腕で顔を隠していた。


「ほら見ろ。お前が変なことするから、また青春が──」

「う、うぅ。ぐすっ」


……泣いていた。


「……なに泣いてるんだ?」

「いや、よかったなぁと思って……」


青春は涙を拭いながら、震える声でそう言った。

共感能力が高いというが、当人二人を置いてのこの号泣っぷりは、むしろ共感できていないのではないか。


「よし決めた! 俺、二人のこと応援するわ!」

「ホント⁉ ありがとう‼」

「いや、別にいらねえんだけど」


だいたい、何を応援するというんだ。


「大丈夫や。たぶんウチのクラスは全力で組長を辞めさせようとするやろうけど、ちゃんと応援するから。めっちゃ陰湿かもしれんけど、応援だけは欠かせへんから!」

「そこは止めろよ」


オレは思わずため息をついた。

しかし、言ってしまったからには、葵のことに責任を持たなければならない。


(ついさっきまではさっさと辞めたかった組長の座を、今度は全力で守らないといけなくなったわけか)


組長としての学園生活。

オレにとっては未知の領域だが、少なくとも、退屈だけはしないで済みそうだ。



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