はだかの勇者様‼
城島 大
プロローグ<1>
オレが勇者の物語を初めて聞かされたのは、世話になっていた児童養護施設で行われる、一年に一回の焼肉の日だった。
幼馴染の水城葵(みずしろ あおい)と肉の取り合いをしている小学生のオレの前に、突然厳粛な和服を着たじじいが訪ねてきたのだ。
「お前は伝説の勇者の“才能”を受け継いだ人間だ。人類はこの日が来るのを、1000年もの間待ち続けた」
突然そんなことを言うじじいに呆気にとられ、オレ達はしばし固まっていた。
ようやく事態を理解したオレは、箸についた肉汁を舐めとりながら言った。
「映画の見過ぎだろ」
それからが長かった。
人類は太古の昔、魔王が率いる魔物達と戦っていたこと。
その魔物達に対抗するべく、神が力を与えた勇者がいること。
そしてある日、その勇者が、「飽きた」というふざけた理由で魔王と停戦協定を結び、この2019年の現在まで、冷戦状態が続いていること。
それらをまくしたてるようにオレに説明すると、そのじじいは再び口を開いた。
「ワシはお前の実の祖父だ。不知火(しらぬい)アルト。初代勇者の血を引き、その“才能”を継承したお前の存在が魔物に知られぬよう、今まで孤児として扱い、監視してきた」
じじいは笑みを浮かべ、さも当然のことのようにこう言った。
「喜べ。お前は今日から、人類のためにその身を捧げる勇者となる」
大真面目な顔でそんなことをのたまうクソじじいに対し、オレは呆れた顔で、大きく息を吸い込み、その言葉を放った。
「ば~っかじゃありませんの⁉」
つばをオレの顔に噴きかけながら、厚化粧のばばあは、足りない身長を補うようにつま先立ちして叫んだ。
「いいでしょう。百歩譲って、あなたが言うようにわたくしのワンちゃんが小屋から抜け出し、一人で走って行って道路を渡ったとしましょう! そんな愚かな行為をわたくしのワンちゃんがするはずがないけれど、それをしていたとしましょう。そして、あなたが法外なスピードで走る車から、わたくしのワンちゃんを助けたとしましょう。そんな良識的な人間には決して見えないけれど、それをしたとしましょう」
オレは顔についた唾を拭き取りながら、ため息をついた。
話が通じないことよりも、こいつのつんざくような金切り声を聞かないといけないことの方が、よっぽど辛かった。
「それでど~~~して! わたくしの家がこんなことになるんですの⁉」
そう言って、ばばあが手で示してみせたのは、立派な二階建て住宅に突き刺さる、両断された乗用車の半分だった。
「……まぁ、成り行きというか」
「成り行き⁉ 成り行きでこんな非常識なことが起こりますか! ほら見なさい! さっきから運転手の方が、隅で震えながらうずくまっているでしょう⁉ それが勇者のすることですか⁉」
ばばあは、得意げに笑みを浮かべてみせた。
「わたくしの目を欺こうとしても、そうはいきませんよ。その腰に差した刀こそが勇者の証!」
まるで証拠を突きつける名探偵のように、ばばあはオレの刀を指さした。
別に隠していたつもりはなかったが、それを言い始めるとまた話がややこしくなりそうなので、止めておいた。
「世のため人のために“才能”を使う人類の救世主。それが勇者でしょう⁉ どうせ、自分の力を試したくてうずうずしていた新米勇者なんでしょうね。本物の勇者なら、何も壊さず誰も傷つけず、事態を収束させるはずですもの。だからわたくしは勇者制度なんて反対なんです。勇者の崇高さを理解しない有象無象がはびこることになりますからね」
オレは小指を耳に入れ、小さくため息をついた。
……めんどくせぇ。
国民の愚痴を聞くのも勇者の義務というが、そんなものに喜んで浪費されてやるほど、オレは暇じゃない。
「あ~はいはい。分かりましたよ。んじゃ、あとで市役所の勇者課に連絡いれといてください。工事費用くらいはすんなり出ると思うんで、それでチャラってことで」
「その程度で許されるとお思いですか! わたくしに与えた精神的苦痛と、ワンちゃんに罪を着せた悪辣非道な行為への謝罪が済んでおりませんわ!」
オレはキィキィとわめく歩く騒音製造機に向けて、愛想笑いを浮かべてみせた。
「ご聡明なあなたならご存知でしょうが、救済活動中は、勇者への損害賠償請求は認められないんですよ。つーわけで、文句なら政府へどうぞ。あ、ちなみにですが、今はドライブレコーダーの常備が義務付けられていて、事故の映像はリアルタイムで警察の交通課に流れています。その内容で救済活動は認められるはずなので、あしからず」
オレは最後に、わざと嫌味ったらしく鼻を鳴らしてやると、そのまま背を向けて歩いた。
怒りにぶるぶると震えるばばあの姿が、目に浮かぶようだ。
「そんなに勇者が偉いっていうの⁉ あなたはまるで裸の王様……そう! 裸の勇者よ‼」
ぴたりと、オレの動きは止まった。
「……あんだって?」
「あら? 教養のないあなたは知らなかったかしら? 自分が裸なのも気付かないで偉そうにふんぞり返る王様の話よ。あなたは童話に出てくるその王様にそっくり! どうせあなたの持つ“才能”だって、大したことないんでしょ?」
ぴくぴくと、オレの眉が吊り上がる。
どうやらこいつは、言ってはならないことを言ってしまったようだな。
オレは怒りを悟られないように、敢えて笑顔を振り撒いた。
「色々と不満はあるかと思いますが、すみません。友人を待たせているので、さっさと退散してもよろしいですか?」
ばばあは怪訝な様子で身体を傾け、オレの後ろにある白い軽トラックを覗いた。
そのフロントガラスは異様なくらいに真っ暗で、中は一切何も見えない。
ばばあは、ごくりと息を飲んだ。
壊滅的に察しの悪いばばあだが、さすがにこいつの異常さには気付いたらしい。
「な、なによ……。わたくしを驚かそうったって──」
プーーー!
突然クラクションが鳴り、ばばあはびくりと肩を震わせる。
オレは思わず吹き出した。
それを見て、ばばあは顔を真っ赤にした。
「もう許さない。二人してわたくしを馬鹿にしているのね! ちょっと‼ そこの車に乗っている方! さっさと降りて来なさい‼」
そう言って、ばばあは、ずかずかと軽トラックに近づいていく。
「あ~……悪いこと言わないから、そいつに関わらないほうが……」
オレは笑いを堪えながらそう言った。
「ほら、さっさと降りて来なさい! まったく、育ちの悪さが車にまで出ているわね。こんなオンボロトラックに乗って!」
ばばあが車の正面に立ち、軽く蹴った時だった。
突然、車はエンジンを一気に吹き上げ、全速力で走りだした。
「へ?」
素っ頓狂な声と共に、車はばばあと激突した。
本来なら、凄惨な事故現場が目の前に広がるところだが、この車に至ってはそうはならない。
ばばあが車にぶつかる瞬間、その身体が煙のように消えてしまったのだ。
「おいジャック。一体どこに飛ばしたんだよ」
オレがぼやくと、運転席の窓がゆっくりと開き、たくましい二の腕が顔を出した。
「安心しな。人の住処だよ。一応な」
ハスキーな男の声で、ジャックは言った。
「久しぶりに人間界に顔を出したが、何年経っても人間の醜さは変わらねえな」
「あれはこっちでも珍しい部類のやつだ。一緒にされてもらっちゃ困るね」
魔族にも悪い奴ばかりじゃないように、人間だって悪い奴ばかりじゃない。
おそらく、きっと、どこかには良いばばあの一人もいるだろう。
「言っておくがな、アルト。お前だって大概だぞ。さっきの転送代、今日の代金に上乗せさせてもらうからな」
「おいおい、金取るのかよ! お前が勝手に飛ばしたんだろうが」
「お前が俺に飛ばさせたんだろ」
「証拠でもあるのか?」
「そのにやけたツラが何よりの証拠だ」
オレは自分の顔を触った。
無意識に、頬が緩んでしまっていたようだ。
「それより早く乗れよ。さらに延滞料金を上乗せして欲しいなら、いくらでも待つけどな」
「……ったく。分かりましたよ、守銭奴の運び屋さん」
オレは荷台に乗り込み、仰向けに寝転んだ。
青い空を眺めていると、ゆっくりと車が動き出した。
勇者や魔物というファンタジーのような言葉が、現代では当たり前のように使われていることを、オレは施設を出てから初めて知った。
昔は、魔王と戦うべく神に選ばれた一人の人間を勇者として崇めたらしいが、今は違う。
魔物による人間への侵攻がなくなって久しい今では、勇者は人気ナンバーワンの国家資格になっていた。
いわく勇者とは、『魔物との決戦に備え、有事の際には人々を導けるよう、日々鍛錬を怠らず救済活動に従事する者』らしい。
だが、もはや魔物が攻めて来るような事態が起こらないことは、今時、子供でも知っていることだった。
そしてそれは、政府のお偉方も十分に理解していた。しかし政治というのは面倒なもので、どんな状況でも、常に最悪を想定していなければならない。
その最悪が起きた場合に備えて一定数の勇者を確保するためにも、この国家資格保有者には、多くの優遇措置を施している。
国に申請して受理された武器の所持。交通機関、公共機関の無料利用。その他の資格の代用などなど。数え上げればキリがない。
そんな絶対的特権のためか、一言で勇者といっても、その活動は人によって様々だ。
そしてその多様な生き方に適用するように、勇者資格によってできることは今現在でも増え続けている。
好きなことをしていても金に困らず、何をしていても咎められない。
そんな自由が許される唯一の資格であることが、なりたい職業、不動の人気ナンバーワンを誇る理由だった。
もちろん、勇者になるためには血のにじむ努力と、何よりも才能が必要になる。
特に戦闘能力は、魔物との戦いに備えている以上、必須項目だ。
そして勇者になるためには、戦闘能力以外にも、決して欠かせないものがあった。
それは──
「着いたぞ」
声が聞こえて、オレは上半身を起こした。
そこには、こじんまりとした養護施設があった。
昔に比べて少し古びているし、中庭にある遊具はほとんど撤去されている。
しかし……
「変わってねぇなぁ」
思わずそんな言葉が口に出るくらい、この場所は変わっていなかった。
辺りに漂う空気を吸っているだけで、幼少期に戻った気分にさせてくれる。
オレが荷台から飛び降りると、ゆっくりと窓が開き、二の腕が顔を出す。
運転席の間近にいても、車の中は真っ暗で、その腕以外は何も見えなかった。
「色々と世話になったな、ジャック」
「ああ。お代はいつものように口座に振り込んでおいてくれ」
「つれねぇなぁ。友人が一人旅立つんだぜ? 長い付き合いだし、最後に顔くらい見せてくれよ」
「いつも見せてるだろ」
ジャックは、ばんと車を叩いた。
「これがオレの顔だ」
それだけ言うと、ジャックは腕を引っ込め、ゆっくりと車を発進させた。
車の前に、うす暗い膜のようなものが現れる。
このゲートを使って、人や物を運ぶのが、ジャックの仕事だった。
「今度会ったら、友情の証として一仕事タダにしてくれよ!」
窓から中指を突き立てながら、車はゲートを通って行った。
ゲートが閉まるのを確認してから、オレは施設の中へ入った。
鍵を使ってドアを開け、慣れた足取りで狭い廊下を歩き、リビングに入る。
長テーブルに吹き抜けの台所。ここで頻繁に行われたおかずの争奪戦に想いを馳せ、オレは襖の奥にある和室に入り、仏壇の前に座った。
仏壇の前に飾られている、朗らかな笑顔の中年女性。お世話になった、ここの施設長に手を合わせると、オレは自分の部屋へと向かった。
二階にあるオレの部屋は、きちんと片付けられていた。
ベッドには枕も布団もあるし、埃一つない。
オレが帰って来ると分かって、掃除してくれた奴がいるらしい。
「ま、あいつしかいないけどな」
オレはベッドに大の字になった。
心地良い疲労が全身にしみわたる感覚に、思わず息をつく。
「もう戻って来ることはないと思っていたけどな」
思わず、そんなことをつぶやいた。
先程のばばあとのことを思い出す。
悔しいが、あいつの言う通りだった。
本当の勇者なら、あれくらいの事態、損害を出さずに収束させることだってできたはずだ。
実際、昔のオレだったら、簡単にそれができた。
裸の勇者と言われた時、あれほどの怒りに駆られたのは、きっと自覚があったからだ。
……いや、そんなものなくても、嫌でも思い知らされる。
何もしていなくても疼いて仕方ない身体の傷が、絶えずオレに語りかけるのだ。
お前はただの、裸の勇者なのだと。
勇者に必要不可欠なもの。
それは非凡な戦闘能力と、“才能”と呼ばれる特殊能力だった。
元は勇者とその仲間達に、神から与えられた力だと言われている。
その人智を超えた力は、時を経て交配を重ねることで、多くの人間に芽生え始めた。
そのため、平等に与えられたはずの“才能”には優劣が発生し、その代わり多岐に富んだ“才能”がはびこることとなった。
その中でも、特に強い“才能”を持つと言われているのが、神から直接力を与えられた、魔王を討伐せんとした7人の英雄、その直系だ。
特に、最初に神に選ばれた伝説の勇者は、人間にとって特別な意味を持つ。
何故なら伝説の勇者の“才能”は、魔物という存在をこの世から消滅させるほどの力を持っているのだから。
直系の子孫は、英雄の“才能”をそのまま受け継ぐ可能性を秘めた者達だ。
だが、伝説の勇者の“才能”を引き継ぐものは、初代の勇者以降、一人として現れていない。
そして千年を経た現代、初代勇者の“才能”の持ち主として、このオレ、不知火アルトが選ばれたのだ。
ふと気付けば、オレはガキの頃の姿に戻っていた。
周りを見渡すと、大の大人たちがオレにへりくだり、愛想笑いを浮かべていた。
「アルト様! 今日は最高級の牛肉を用意させていただきました」
「うおー! 超うまそう‼」
「アルト様。絶世の美女をご用意させていただきました」
「うおー! かわいいー! 胸でけー!」
「あのー。それでアルト様」
美女に囲まれ、肉を貪り食うオレに、大人たちは頭を下げた。
「どうかアルト様の“才能”で、魔物どもを一掃してくださいませんか!」
「仕方ねーなぁ。んじゃ、ぱぱっと潰してやるか」
そう言って、オレは手を掲げる。
が、いつまで経っても“才能”は現れなかった。
「……あり? おっかしいなぁ」
何度も挑戦するが、それでも“才能”が現れることはない。
周りにいた大人たちの顔が、急にじじいの顔に変わった。
「……アルト。何故帰って来た?」
「え? だって──」
「“才能”のない奴など、この世界にはいらん‼」
「どわあっ‼」
オレは思わず起き上がった。
汗を噴き出し、肩で息をしている。
そこがオレの部屋のベッドだと分かり、ようやくさっきのが夢だと悟った。
「……驚かせるなよ」
思わず大きくため息をつく。
そこで初めて、自分の右手が、妙にやわらかいものを掴んでいることに気付いた。
ふと顔を向けると、オレの隣に、裸の女が眠っていた。
うなじほどの短い髪。整った目鼻立ち。モデルのようなプロポーション。
そんな美女の胸を、オレは触っていたのだ。
「んん……」
女は、艶めかしい声をあげている。
オレは混乱する頭を落ち着かせ、いったん冷静になった。
冷静になり……触れていた胸を揉んだ。
「んひゃあああ‼」
バシィンと凄まじい音がして、オレの頬にビンタがさく裂した。
オレの首が九十度回転している間に女は飛びのき、顔を真っ赤にしながら胸を手で隠して背中を向ける。
「なな、なんで揉むの⁉ そこは『い、いやこれは違うんだ!』とか言って赤面するところでしょ!」
その凡人的発想に、オレは頬に紅葉をつけながら、ふっと笑った。
「お前、ライトノベルの見過ぎだぞ。そんなものは二次元の幻想だ。健全な男子が、うら若い乙女の胸を押し付けられたんだぞ? そんなの……、揉むに決まってるだろうが‼」
「なんで自信満々なの⁉」
ぶつくさと文句を言いながら、後ろを向いて服を着始める。
自分で脱いでおいて「こっち見ないで」と命令する辺り、鬼畜度が凄まじい。
「葵」
オレは彼女の名前を呼んだ。
「……なに?」
少しつっけんどんな物言い。
まだ少し根に持っているらしい。
「ただいま」
オレがそう言うと、葵は両手でオレの顔を引き寄せ、服を着た姿で満面の笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
それを見て、オレは思わず頬を緩ませた。
幼馴染の眩しい笑顔が見れただけでも、わざわざ帰って来た甲斐(かい)があるというものだ。
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