プロローグ<2>




オレはリビングの長テーブルに座った。

葵が久しぶりに昼食をごちそうしてくれるというのだ。


「ちょっと待っててね。すぐに終わるから」

「おう」


包丁の小気味良い音が、台所から聞こえてくる。


「結局、まだここを使わせてもらってんのか」

「うん。もうみんな出て行っちゃったけどね」


特に寂しそうな様子もなく、葵は言った。

昔から彼女は人見知りをするタチで、あまり人と関わろうとしないところがあった。

……その割に、オレに対しては異様なほどに大胆なようだが。


先程の葵の裸体を、オレは思い出した。


「大きくなったな」

「……変な意味に聞こえるのは、私の気のせいかな」


しばらくすると、味噌汁の臭いが漂ってきて、オレは大きく息を吸い込んだ。

椅子はごつごつしているし、部屋が狭いせいで、満足に足も広げられない。

なのに、ここに座っているだけで落ち着くし、居心地が良くてたまらない。

実家に帰省するというのは、こういう感覚なんだろうなと、オレは思った。


「おまたせ~」

「待ってました! さっさと食おうぜ──」


葵の方へ振り返り、オレは硬直した。


そこには、裸エプロンをした葵がいた。


「ごはんがいい? それとも……、わ、わ……」


葵は、かあっと顔を赤くし、上目遣いにオレを見つめた。


「私が……いい?」

「秘儀、駿河渡りー‼」

「きゃああああ‼」


オレの秘儀がさく裂し、葵は裸エプロンのまま、駿河問いの恰好でベランダに吊るされた。

オレはメガホンを取り出し、スイッチを入れる。


「えー、みなさんご覧ください。こちらが、昼食時に幼馴染を誘惑した痴女の姿です」

「いやあああ! 見ないでえええ‼」


オレは葵をそのまま放置し、早速昼食を堪能することにした。


「お、うまい。腕を上げたなー」

「アルトォ! お願いだからほどいてー! ああ! ご近所のおばさんが汚物を見るような目でこっちを見てる! いつも挨拶する人なのぉ‼ もう許してぇ‼」


葵が泣きそうな声で叫ぶので、さすがにかわいそうになり、解放してやった。



「うぅ……。もうお嫁にいけない……」


オレの向かいの席に座り、意気消沈した様子で葵は言った。


「ていうかお前さ。誘うなら照れるなよ。こっちまで恥ずかしくなる」

「だ、だって……。こんなこと、したことないし……」


耳まで赤くなりながら、葵は下を向いた。


「じゃあするなよ」

「だ、だって……すす、好きだし」

「何が?」

「アルトのことが」


なるほど。

しばらく見ないうちに変態プレイに目覚めたのかと思ったが、一応理由はあったらしい。


「そりゃあれだ。長年離れ離れになっていた幼馴染に再会した喜びを、脳みそが勘違いしてるだけだ」

「ち、違うよ! 私、ホントにアルトのこと好きだもん!」

「じゃあごめんなさいだな」

「即答⁉ もうちょっと考えてくれてもいいじゃん!」

「オレは痴女に興味ねぇ」


ぐうの音もでないらしく、葵はしおれた花のようにしょげ返った。


「だって……それくらいしか、思いつかなかったんだもん……」


消え入りそうな声でつぶやく葵を見て、オレは小さくため息をついた。

葵は元々、臆病で引っ込み思案で、けれどこれと決めたら変えない頑固で一辺倒な性格だった。

男性経験がない中で、自分なりに考えた結果なのだろう。


「お前、今はもう高3だっけか」

「アルトも同じでしょ」

「もう学校なんて通ってねえし、覚えてねえよ。自分の年齢なんていちいち数えても意味ねえしな」

「おじさんみたいなセリフ」


ほっとけ。

オレは心の中で悪態(あくたい)をつきながら、味噌汁を飲んだ。


「……アルト。なんだかワイルドになったね」

「そうか? 前からこんなだろ」

「今まで何してたの?」

「別に何も。適当にぶらぶらしたり、金稼いだり、自由にやらせてもらってるよ」


本当のことを言うのは止めておいた。

魔族に囲まれて非合法なことばかりやってましたなんて言ったら、泡を吹いて卒倒しそうだ。


「そっちはどうなんだよ。学校はうまくやってんのか?」


まるで、ぎくりという音が聞こえてくるかのように、葵の肩が震えた。


「う、うん。お嬢様学校だから、みんな大人しくて。やっぱりそういうところの方が、私には合ってるみたい」

「ほー」


オレは固定電話が置かれた書類棚に目をやった。

重要な書類や郵便物は、いつもその棚に入れてある。


オレの視線に気付いた葵が、慌てて棚へと向かう。

が、既にオレは机を飛び越え、棚の中にあった書類を奪取していた。


「か、返して! 私のプライベート的なアレだから‼」


葵の顔をむんずと掴み、ばたばたと両手で扇いでもらっている間に、オレは書類に目を通した。


『検査の結果、残念ながら、“才能”があるとは認められませんでした』と書かれた書類が、何枚も見つかった。

さらに、勇者専門学校への編入希望の書類と、その落選結果もずらりだ。


「……どういうことだ?」

「え、ええと……その……。高校、辞めちゃった♪」


葵が、「てへっ」と、小さく舌を出してみせる。

オレは小さく笑い、彼女の両頬を思い切り引っ張った。


「いたたたた‼」

「てめえ~‼ オレの断りもなくなに勝手なことしてやがんだ‼ あそこにお前を入学させるの、けっこう大変だったんだぞ‼」


勇者のツテを使い、金を使い、なんとか葵を、特別な資格がないと入れない学校へ編入させたのだ。

勇者ほどではないにせよ、そこを卒業できれば将来は安定した道に進める。

学もなく、金もなく、頼れる肉親もいない葵が、一発逆転できるチャンスだったというのに。


「……あれか。学校の奴らにいじめられたとか」

「いじめられてはないけど、友達はできなかったかな。やっぱり育ちがぜんぜん違うし。まあでも、元々一人は好きだし、それは全然問題なかったんだけど……。ただ、その……学校の規律が、ね」


もじもじと身体をくねらせる葵を見て、オレは全てを察してため息をついた。


「……辞めさせられたのか」


葵が入学した高校は、歴史も古く、礼節を重んじる学校だ。

故に、中には時代錯誤な規律も多くある。

その一つが、女子生徒による武道の嗜(たしな)みを禁じるという規律だ。

いわく、女性は男性より三歩下がって歩き、常に男を立たせなければならない。故に男性よりも強いなどというのは言語道断、ということらしい。


馬鹿馬鹿しい規律だが、これがあるからこそ葵をその学校に入れたのだ。

しかしそれが裏目に出たことは、葵の鍛えられた身体を見れば、すぐに分かった。

オレに遠慮して、大人しくしてくれるだろうとタカをくくったのが間違いだったらしい。


「……校長に電話を入れる。なんとか説得するから、お前も土下座して謝れ」

「やだ」


つんと、葵はそっぽを向いた。

ひくひくと、オレの眉が吊り上がる。


「……あのな。ガキのわがままで人生を棒に振るなって言ってるんだよ」

「私、アルトと同い年だもん」


ぶちりと、何かが切れた。


「今時学校辞めて勇専(勇者専門学校)に入ろうとするなんて、ガキ以外の何物でもねえだろうが! 大物ユーチューバーになりたいとかほざく小学生と同じレベルだぞ!」

「私だってちゃんと将来のこと考えてるもん! アルトは口出ししないで!」


ここまでしてやっているのに、“口出し”と言われたことに、オレの怒りのボルテージはさらに上がった。


「だいたい、“才能”のない奴が勇者になれるわけねーだろ‼」

「な、なれるもん!」

「ほー! じゃあなってみろよ。勇者になるための条件として、法律にもきちんと明記されてるけどな。読めないならオレが音読してやろうか? ええとなになに? 『勇者の資格を有する者の条件として──』」


スマホで法律を音読していると、葵がぶるぶると拳を震わせていることに気付いた。

下を向いた彼女の顔から落ちる涙が、床を濡らす。


「私の気持ちなんて、何も知らないくせに……」


葵は涙を拭い、キッとオレを睨みつけた。


「アルトなんて……大っ嫌い‼」


気付けば、オレは外に追い出されてしまっていた。

壊れるんじゃないかと思うくらい、勢いよくドアが閉められる。


オレはそのドアの前に座り込み、盛大にため息をついた。


『私の気持ちなんて、何も知らないくせに……』


そう言って泣く葵の姿が、なかなか頭から消えなかった。


「……知らないわけないだろ」


お前がどれほど切実に勇者を目指しているのか、オレは誰よりも理解している。

でもだからこそ、オレは反対しなくちゃいけないんだ。


スマホを取り出して時間を見る。

幸いなことに、ちょうど出掛けなければいけない時間だった。

オレは立ち上がり、施設をあとにしながら、ぼそりと言った。


「……夢なんて、持たない方が幸せだってのにな」


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