プロローグ<3>
オレの目の前には、時代を感じさせる巨大な二重門があった。
その威圧感ある荘厳な門は、気楽な物見遊山に現れた人々を回れ右させるだけの迫力がある。
ここは日本唯一の特別区域、勇山(ゆうざん)学園都市への入り口だ。
初代勇者が神から力を賜ったといわれる世界樹を中心に、独自の発展を遂げたこの都市は、ここでしか使用できない地域通貨を使って、巨大な経済圏を築いている。
元々この場所は、たった一つの学園が発展し、現在の形に落ち着いたといわれている。
それが、世界最大規模の勇者専門学校、勇山(ゆうざん)学園だ。
倍率1万倍といわれる勇者資格だが、勇山学園卒業者の合格率は、驚異の100%を叩き出している。
しかし、当然それにはからくりがある。
勇者資格は、最低一年間、勇専で授業を受けることで最終試験の切符を手にすることができるのだが、この勇山学園では勇山予備校という場所を設けて、一年を通して勇山学園に入学する素質があるかどうかを計られるのだ。
そこで無事合格したものだけが、勇山学園の入学を許可される。
まあつまりは、学校へ入ること自体が試験のようなものだというわけだ。
オレは巨大な門をくぐると、近くにあった電子モニターをタップした。
「勇山学園まで」
『かしこまりました。おひとり様、勇山学園までお送りいたします』
そんな機械音声が流れたかと思うと、目の前の地面がぱかりと開き、一台のタクシーがせり上がって来た。
早速乗り込むと、前部座席には誰もいないにも関わらず、車は一人でに発進した。
街並みは日本の風景とほとんど変わらないが、その中身はほとんど近未来だ。
それもこれも、類まれな“才能”を持った勇者が、この都市に多く住み着いているのが原因だった。
無事に勇山学園に到着すると、オレはタクシーを降りた。
都市を代表する学園というからには非常に大きなものをイメージしがちだが、校舎自体は普通の高校と大して変わらない。
その代わり設備はかなり充実していて、レクリエーションには事欠かない。
全寮制ということもあり、コンビニや娯楽施設なども点在していて、学園内だけで十分生活していけるほどだ。
「ここは何も変わってねえなぁ」
見学もほどほどに、オレは学園の校舎へ入り、学長室の扉を開けた。
立派な執務机の奥で、和服姿のじじいが椅子に座っている。
長いひげをたくわえたその男の名は、不知火源内。
勇山学園の学園長であり、オレの実の祖父であり、そして、オレを勇者などというふざけた道に引きずり込んだ張本人。
この世で一番叩き斬ってやりたい人間は誰だと問われれば、真っ先に思い出す顔だ。
「おう。ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」
携帯型ゲームをプレイしたまま、じじいは言った。
「その割にはずいぶんと楽しそうじゃねえか」
「ただの暇つぶしじゃ。さっさと座れ」
言いながらも、一切ゲームを止める気配がない。
自由で無礼なのはいつものことなので、オレは気にせず来客用のソファに座った。
ちらと、部屋の端に目をやると、そこには美しい銀色の長い髪をなびかせる、絶世の美女がいた。
彼女の名は椎名彩芽(しいな あやめ)。不知火家の傍系であり、じじいの忠実なしもべでもある。
彼女はまるで秘書のような様相で、人形のように動かず待機している。
「んで? ずっと放置してた孫を、わざわざ呼び出した理由はなんだ?」
「お前、最近は魔物と仲が良いようだな」
「……魔物じゃねえ。魔族だ。間違えるな」
魔物というのは、魔力を持った動物のことで、およそ人間的な知性はない。魔の力に呑まれているため、非常に獰猛で危険な生き物だ。
対して魔族は、その外見こそ様々な違いはあれど、言語を話し、独自の文化を持った人間と変わらぬ生き物だ。
もちろん横暴な奴も多いが、良い奴もいる。
「ワシからすればどれも同じだ。それよりお前、魔界に出入りして暴れまわるのは止めろ。迷惑じゃ」
「何かと思えば、そのことか」
魔界というのは、魔族が暮らす生活圏のことだ。
基本的には次元震災によって生まれたダンジョンのことを指すのだが、震災対策が強化されつつある昨今では、人の寄り付かなくなった場所を有効活用していることが多い。
有名どころでは、富士の樹海、東北の恐山などがそれにあたる。
明確に禁止されているわけではないが、魔族の暮らす場所には立ち入らないようにというのが、人間界における暗黙の了解だ。
「お前が困るってんなら、金を払ってでもやりたいくらいだ」
「生意気なのは相変わらずだな」
「あいにくと、オレに流れるお前の血が濃すぎるもんでな」
オレはおどけてみせた。
「んで、どうする? ここで始末するか?」
一瞬で、場の空気が変わった。
ほんの少し戦闘をほのめかしただけで、息苦しいほどの重圧がのしかかる。
さすがは、勇者の中でもマスターと呼ばれる実力者の二人だ。多少鍛えた程度の人間なら、眼力だけで倒せるだろう。
椎名彩芽が、十字に差した腰の青龍刀に手をかける。
が、それをじじいが手で制した。
「お前がどう思っているかは知らんが、ワシも鬼ではない。これでも孫を思う気持ちは、ほんの一欠片くらいは持っておる。いくらお前が気に食わんからといって、そんなことはせんよ」
どうだかな。
オレと同じで、こいつは息を吐くように嘘をつく。信用できたものじゃない。
「さっきも言ったように、お前が魔界で暴れるのは迷惑だ。お前がどうなろうと、伝説の勇者の直系であることに変わりはないからな」
その敢えて含んだ言い方に、オレは舌打ちした。
「だが、止めろと言って止めるような素直な性格でもあるまい。だから今日は提案をするためにお前を呼んだ」
「提案?」
「お前が卒業したこの勇山学園。ここに戻って来い」
オレは思わず鼻で笑った。
「おいおい。また一年、勇者になるための授業を受けろってか? お断りだね」
「そうじゃない。お前も知っているだろ? 勇山学園では、それぞれの組を仕切る組長が、生徒に勇者の心構えを教えることになる。そしてその組長は、同世代の高校生が抜擢されることに決まっている」
「……おい。まさか」
「そのまさかだ。お前には組長として、一つの組を受け持ってもらう。つまりはまあ、教師としてお前を雇う、ということだな」
あまりに突然の勧誘に、オレは開いた口がふさがらなかった。
このじじいは、会えばいつも突拍子のないことを言ってくる。
「馬鹿じゃねーの? なんでオレがそんな七面倒くさいことをしなきゃならねえんだよ。他を当たれ」
「ワシと初めて会った時も、お前は同じことを言っていたな。懐かしい」
オレは立ち上がった。
下らない思い出話に花を咲かせるつもりはない。
「じゃーな。長生きせず、さっさと死んでくれることを祈ってるよ、じじい」
さっさと歩き、オレがドアの取っ手を握った時だった。
「そうそう。葵ちゃんは元気だったか?」
ぴたりと、動きが止まった。
「まさかあんな美人に成長するとはなぁ。こんなことなら、子供の時からつばをつけておくべきだったと後悔しとるんだ」
「……てめぇ。葵に何をした?」
じじいは、きょとんとおどけてみせた。
「別に何もしとらんよ。ただ、彼女は勇者に興味があるようじゃったからなぁ。知り合いのよしみで、勇山学園への入学資格を特別に手配して──」
オレの刀が、じじいのゲーム機を両断した。
「あいつに手を出すならお前を殺す」
机に突き刺した刀に力を込め、オレは冷徹に言った。
じじいの鋭い目が、オレをにらむ。
「“才能”も使えない身体で粋がるなよ、小僧」
オレとじじいは睨み合った。
その瞬間、突然床から無数の武器が飛び出し、オレの周囲を取り囲んだ。
椎名彩芽の“才能”、『アームマスター』だ。
身動きが取れないオレの首元に、青龍刀が静かに突きつけられる。
「武器を捨てなさい。じゃないと、あなたを斬らないといけなくなる」
椎名彩芽は冷たい口調でそう言った。
しばらくの間、オレは机の上でじじいを睨んでいたが、やがて刀を収めた。
床から突き出した武器が全て引っ込むのを確認してから、机から飛び降りる。
「まったく、野蛮な奴じゃなぁ。別に危害を加えたわけでもあるまいし──」
「学園長。出過ぎたお言葉で恐縮ですが、少々お戯れが過ぎます。“才能”がないとはいえ、彼は千年に一度といわれた逸材。挑発も程々に」
頭を下げる椎名彩芽の進言に、じじいは含んだ笑みを浮かべてみせた。
「ふっ。まあ、そういうことにしておいてやるかの」
長く伸びたひげを触りながら、じじいはオレを見つめた。
「言っておくがな、アルト。ここに入学するというのも、勇者になりたいというのも、葵ちゃんの意思じゃ。そしてこの学園は、自由と力を何よりも尊重しておる。“才能”の有無にもこだわらず、本人の能力を見定め、場合によっては法律さえも捻じ曲げる。それができてこその勇山学園よ。だからワシの推薦などなくとも、葵ちゃんがその意思を示す限り、いずれここを目指すことになったのじゃよ」
そんなものは詭弁だった。
事情を全て知っているなら、どんな理由があろうと止めようとするのが正常な人間だ。
「あいつが今まで平凡に生きてこれたのは、あいつが一般人だったからだ。こっちの道に一度入れば、勇者としての矜持で静観していた奴らが動き出す。この世で最もタチの悪い奴らが、葵に憎しみの全てをぶつけることになるんだ。そのことはてめえもよく知ってるだろうが!」
「さてな。何度も言うように、決めるのは葵ちゃんじゃ。だがまあ、お前の言うことも一理ある。実際、ここで二人でにこにこ笑いながら話し合っていた時も……」
じじいは、大きく頬を歪ませた。
「その顔を、苦痛に歪めたくてうずうずしていたほどじゃ」
鳥肌がたつほどの怒りが、オレの身体に広がった。
しかし、ギリギリのところで踏みとどまり、オレは暴走せずに済んだ。
そんなことも知らずに、じじいは小さく息をついている。
「今でもワシは夢に見る。お前があんな小娘を庇ったりしなければ──」
「それ以上さえずったら斬る」
オレは本気だった。
これ以上こいつの戯言を聞くくらいなら、返り討ちに遭う前に、片腕だけでも斬り落とす覚悟だった。
だが、さすがにオレの気迫に気付いたのか、じじいはこれ以上挑発するようなことは言わなかった。
「ちなみに、葵ちゃんの勇山学園への入学資格は認めたが、試験はきちんと受けてもらう。彼女が編入するとすればお前のクラスになるだろう。当然、組長は立ち合いを許されるぞ」
じじいは、にこにこ笑っている。
全てこいつの手のひらの上か。
しかし、そんなことはどうでもいい。
こいつに一矢報いることより、葵を守ることの方が、何百倍も大事だ。
「……組長の件、引き受けてやる」
「よろしい」
オレの返事を当然のことのように受け取り、じじいは引き出しからもう一台の携帯型ゲーム機を取り出した。
まるで、オレに壊されることを予知していたように。
……本当に、いちいち気に障るじじいだ。
オレは肩をいからせながらドアまで歩き、思い出したように振り返った。
「昔、オレに言ったよな。初代勇者が責任を放棄しなければ、現代まで魔物をはびこらせることはなかったはずだって。オレは昔話には興味ねえし、自分に流れる崇高な血とやらも、鬱陶しいとしか思ってねえ。だが、てめえに振り回される人生を歩んだおかげで、初代勇者の抱いていた気持ちが、なんとなくだが理解できたよ」
オレはじじいを指さした。
「魔物も責任も知ったことか。オレの夢はガキの頃から変わらない。オレの夢は、オレのささやかな日常をぶち壊したてめえの首を、すげかえてやることだ」
「ふっ。“才能”もないくせによく吠える」
「“才能”なんざ必要ねぇ。それをこの学園で証明してやるよ」
それだけ言って、オレはドアを開けた。
「お前が教えるのは、最高峰の逸材が揃う勇山学園の生徒だ。“才能”がないことを知られたらどうなるかは、言うまでもあるまい。この学園で、生徒を騙しながら、せいぜい思い知るがよい。“才能”もない裸の勇者には、地位も名誉も、存在しないということをな」
下らない物言いを遮断するように、オレはさっさとドアを閉めた。
◇◇◇
「大変申し訳ありませんでした! 若」
手続きについて説明すると申し出た椎名彩芽は、部屋の扉を閉めた途端、オレに向かって深々と頭を下げた。
「別に、姉さんが謝ることじゃねえだろ」
「ですが、先程の学園長の発言は、あまりにも理不尽です。水城さんのことも、私は黙って見ていることしかできませんでした。彼女がどういう想いで編入してくるのかを考えると……」
「そういう風に思ってくれるだけで十分だよ」
実際、彼女が内心憤っているのを感じたからこそ、じじいに飛びかからずに済んだのだ。
椎名彩芽は、右も左も分からなかったガキのオレに、唯一優しく、そして対等に接してくれた女性だった。
突然現れた武術も知らない子供を白い目で見る大人たち。辛い修行。知り合いも、友達になれるような同世代の子供もいない。
そんな中、世話役としていつも側にいてくれた彼女を、オレは実の姉のように慕っていた。
「にしても、元気そうでよかったよ」
「それはこちらのセリフです。手紙も寄こして下さらないのですから、どれだけ心配していたことか」
「あ~。そういうの、めんどくせえからなぁ」
「若らしいですね」
そう言って笑う姉さんの顔を見て、オレは昔を思い出した。
二人きりの時は、いつも馬鹿な話をして、姉さんを笑わせていた。
オレの黒歴史の中で、唯一楽しかった思い出だ。
「……酷いことを聞いても構いませんか?」
「ああ」
「……後悔は、していらっしゃらないのですか?」
それが何のことを言っているのか、オレにはよく分かった。
「……オレもじじいと同じだ。あの日のことは何度も夢に見る。止まらない汗と傷の痛みで、夜中に飛び起きることも珍しくない。でもな。そうやって飛び起きた瞬間も、オレは一度だって、後悔したことはない」
それは紛れもない本心だった。
自分の“才能”と引き換えに葵を助けられたことは、裸の勇者であるオレに、唯一残っている誇りだった。
だからこそ、オレはこの誇りのために命を賭けられる。
たとえ葵に嫌われようと、彼女を守り抜くことが、オレの使命なのだ。
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