エピローグ
統一戦から一週間が経った。
魔族が人間界に侵入してきたということで、しばらくはそのニュースで持ち切りだったが、それも有名俳優の不倫騒動で、一瞬にして過去のものとなった。
果たして、今回の件が人間の意識をどう変えたのか。
おそらく、何も変わっていないだろう。
一度平和ボケになった人間は、そう簡単には変わらない。だが、それでいいんじゃないかとオレは思う。
平和ボケは、人類が築き上げた幸福の象徴だ。
一部の力を持った人間が支えてさえいれば、国民達は、せいぜい平和ボケして、今日の晩飯のことでも考えていればいい。
きっとそんな日常を守るのが、現在の勇者の仕事なのだ。
E組の連中は、約束通り退学を免れた。
オレも幸か不幸か、E組の組長を続けさせられている。
オレ自身、面倒でしかなかった組長の仕事だが、今は、あいつらが卒業するまでくらいは、続けてもいいかと思っている。
オレは一人、屋上で寝そべって風に当たっていた。
今は授業中だが、真面目に授業をするのは面倒くさかったので、隠れた組長を見つける訓練という体(てい)でサボっている。
「みーつけた」
良い感じにまどろんでいたオレは、ゆっくりと目を開けた。
そこには、しゃがみ込んでオレを見下ろす、葵の姿があった。
「先生が授業をサボるってどうなの?」
長い付き合いだけあって、どうやらオレの意図は全て理解しているようだ。
「オレは常識に縛られない男なんだよ」
「言ってることはカッコイイけど、やってることはただのダメ人間じゃん」
オレは無視して、再び目を瞑った。
しかしすぐに目を開け、間近に迫っていた葵の顔をむんずと掴んで押しのけた。
「ごほうびくれるって言ったじゃん……」
葵が、子供のように唇を細めてみせる。
その様子を見て、オレはとうとうごまかしきれないと悟り、大きくため息をついた。
「……オレは、お前の愛に応えられない」
真面目な話だということを理解してくれたのか、葵は黙って聞いていた。
「オレはお前が嫌いじゃないし、そういう関係になることを、想像しなかったわけでもない。だが、やっぱりどこかで考えてしまうんだ。お前がオレに対する気持ちは、オレに対する負い目からくるものなんじゃないかってな」
葵が口を開くのを、オレは制止した。
「分かってる。違うって言いたいんだろ? 実際、そうなんだと思う。だがこれは、お前の問題じゃないんだ。お前が悪いんじゃない。全部、オレの弱さが原因だ。“才能”もない、満足に戦えないオレは、一人の人間に本気で好きになってもらえる自信がないんだ。だから……悪い」
最高にカッコ悪い断り方だと思う。
だが、これが素直な気持ちだった。
カッコ悪くても、もしかしたら葵が傷つくかもしれなくても、素直に気持ちをぶつけてくれる彼女に、オレが示せる唯一の誠意だった。
ぶん殴られるのも、オレの前から葵が消えてしまうことも覚悟しての告白に、オレはガラにもなく緊張していた。
葵の顔も満足に見られず、寝たフリをするように目を瞑っていた。
「いいよ、別に」
そんなオレに、葵はあっけらかんと言ってみせた。
「私はいつまでも待つから。一生、その気持ちが変わらなくてもいい。その間に、アルトが別の人を好きになってもいい。私はアルトを縛らない。アルトが大好きで、独り占めしたい気持ちはあるけど、私はそれ以上に、アルトに幸せになってもらいたいから。……アルトの言う通り、アルトの幸せを願うこの気持ちは、たぶん負い目からきてるんだと思う。自分の、アルトを好きって感情にも、負い目が入り込んでいないとは、私自身、とてもじゃないけど言えない」
葵は、ゆっくりとオレを見つめた。
「でもアルト。これだけは覚えてて。たとえアルトがどうなっても。私がこの先、どうなっても。私がアルトを愛していることは、この先、ずっとずっと変わらない」
それはオレにとって、都合の良い夢だった。
しかしその言葉に、確かに、オレは救われた気がした。
「と、いうわけで。はい、ごほうびちょうだい♪」
「……お前、話を聞いてなかったのか?」
「聞いてたよぉ。でもそれとこれとは別でしょ? 約束なんだから」
そう言って、葵は目を瞑り、求めるように唇を尖らせた。
その様子を見て、オレはため息をついた。
「公衆の面前でそういうことをする趣味はねえ」
その言葉に、葵は目をぱちくりしていた。
やがて、ゆっくりとドアが開き、青春達が顔を出した。
「あちゃー。やっぱばれてたかぁ」
「だから言ったんだ。この境界にいる限り、オレの行動は全て組織の連中に監視されているとな」
「あーあ。どんなディープキスするんか、興味あったのになぁ……」
「ディープキスは確定なの⁉」
せっかく静かだったのに一気に騒がしくなった。
これでは眠りたくても眠れない。
オレは仕方なく身体を起こした。
「ねぇねぇアルト~。ちゃんと見つけたんだからごほうびちょうだーい」
甘えた声で、紅葉がオレの身体を揺すってきた。
「そんな約束してねえぞ。つーかお前、アルトじゃなくて組長様だろ。ったく。結局オレのことを組長って呼んだの、あの時だけじゃねえか」
「だってアルトはアルトだし」
その言葉に、葵はうなずいた。
「そうだね。アルトはアルトだね」
どういう意味だよ……。
「それで紅葉。お前はこれからどうするんだ? 勇者にはならないんだろ?」
「んー……確かにそうだけど、学校は辞めないよ。アタシはまだ、みんなといっしょにいたい。みんなと、アルトからいろんなことを教わりたい。それが、今のアタシのやりたいこと!」
それを聞いて、オレは苦笑した。
ついこの前まで、周りに振り回されてばかりだった奴が、言うようになったものだ。
オレはすっくと立ちあがった。
「仕方ねえな。そんなに言うなら、授業でもしてやるか」
「あ、やっぱ今はいいや」
「なんでだよ! 完全に今そういう空気だっただろ⁉」
「いやー、実は良い金もうけの話があってな? 前に魔族が攻めてきた時に、無理やり次元が開けられた影響か、ここらへんに新種の魔物が住みついとるらしいねん。しかるべきところに持って行ったら、賞金なんと100万ゴールド!」
「よし。今日からその魔物を見つけるまで授業はなしだ」
「さっすがアルト! 組長とは思えないね!」
オレ達は早速、作戦を考えながら、屋上をあとにした。
これからもしばらくは変わらない、日常を謳歌するために。
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