落ちこぼれのE組<1>



「箝口令を敷くって、一体どういうことだ⁉」


学園の廊下を歩きながら、姉さんから説明されて、オレは思わず問い詰めた。


「葵は命の危険に晒された。それでなくても、学園都市に魔物が侵入した一大事だぞ! 本来ならすぐにでも全市民に通知して、厳重に対処すべき案件だろ!」

「ごめんなさい。でもこれは学園長命令なの。この都市は、実質学園長一人が牛耳っているようなもの。彼の言葉は絶対なのよ」

「……まさか、あのじじいも関わっているんじゃないだろうな」


オレの言葉に、姉さんはすぐに首を振った。


「さすがにそれはないわ。いくらなんでも、魔物を都市内に呼ぶなんて、無茶苦茶過ぎるもの」


どうだかな。

そういう常識に縛られるような人間じゃないことは、奴の血を引くオレが一番よく分かっている。


「犯人は都市内の人間だと思う。学園のシステムをハッキングしたり、試験会場に魔物を転送させるなんて、どんな“才能”の持ち主だろうと、外からでは不可能よ。……ここからは推測だけれど、おそらく魔族も関わりを持っている」

「根拠は?」

「タカ派の学園長が、魔物が忍び込んだという一大事を隠した。場合によっては、魔物に味方するような動きだわ。学園長は、魔族と、自分に近しい人間が結託している証拠を見つけて、箝口令を敷いたんじゃないかしら。魔族と人間が手を組むことなんて、このご時世では珍しくないけれど、学園長からすれば大きな恥だわ」


勇者にもその思想から色々な派閥がある。

タカ派というのは、古代から受け継がれた『魔族を滅ぼすべし』という考えを第一義にしている連中だ。

今の現状を偽りの平和と解釈している過激派などに比べれば比較的温厚だが、昔気質(むかしかたぎ)な人間が多く、大義のためという名目で暴走することも少なくない。


「確かに、それなら筋が通るな。てことは、自分の手で粛清するつもりか?」


じじいのことだから、目的が一致している部分があれば有効活用してきそうだが。


「かもしれない。学園長のお考えは、私には分からないわ」

「敵は葵を狙っている。オレの“才能”について知っている奴が犯人だ。オレの怪我についても詳しい人間なら、かなり数が絞れる」

「私も秘密裏に動いて調べてみるわ。だから若は、ひとまずこの件から手を引いて。敵の思想が分からない以上、若が狙われる可能性もある。今は自分の身を守ることを考えて」


真剣な様子で、姉さんは言った。

こういう目をしている時は、素直に言うことを聞かないとテコでも動かない姉さんだ。

オレは渋々うなずいた。

それを見て、姉さんは満足げに笑い、オレの頭を撫でた。


「ちょっとは大人になってくれたみたいで、安心したわ」

「……オレをいくつだと思ってるんだ?」


こうして頭を撫でられていると、よく子供の時に、こうやって慰めてくれたことを思い出す。

そんなことを考えていると、なんだか小っ恥ずかしくなってきて、オレは姉さんの腕を振り払った。


「……何か分かったら、すぐに教えてくれよ」

「ええ、もちろん。それじゃあ、今は組長としての仕事を全うしてもらうわよ」


ふと見ると、オレ達はE組の教室の前にいた。

話に夢中になっている間に、到着していたようだ。


「ここが、あなたが受け持つクラスよ」


オレは窓から中を覗いた。

中には、既に葵が席に着いていた。

転入試験には合格したが、クラスメートに在籍を認められなければ、正式な転入には至らない。だというのに、彼女は持ち前の人見知りを発動し、自分の席でガチガチに固まっていた。

思わずため息をつきたくなるが、青春が気を利かせて色々と話しかけてくれているようだった。


まったく。こんな様子で本当に勇者になんてなれるのかね。

ふと気づくと、姉さんが上品に手を口に当てて、にやにやと微笑んでいた。


「……なんだよ」

「いえいえ。なんだか微笑ましいなと思いまして」


人をおちょくる時は、敬語に戻る癖があるらしい。

オレは仕返しに口を開いた。


「大昔の青春時代でも思い出したか?」


姉さんはオレの頭を掴み、膝蹴りを鼻に直撃させた。


「およそ従者がやることとは思えねぇ……」


血が止まらない鼻を押さえながら、オレはつぶやいた。


「教育的指導です」


真顔で姉さんはそう言った。

今も昔も、絶世の美人と言って差し支えのないスタイルを維持しているというのに、それほど気にすることだろうか。


「若い子と日頃から接しているとね。自分の歳に敏感になるのよ」


姉さんは遠い目をしている。

肉体というよりは、どちらかというと精神の方が老け込んでいるんじゃないかと思ったが、これ以上膝蹴りを食らうと教室に入る前にノックダウンされそうなので、止めておいた。


ふと、教室の中が騒がしいことに気付いた。

広い教室の一番奥に目をやると、ありえない光景が飛び込んできた。


既に授業開始のチャイムが鳴っている教室で、後ろにいる二人の女子が、テニスをしていたのだ。


「よーし。春香(はるか)、いくわよー‼」


アホ毛がぴょこんと飛び出た女子が、元気よく言った。


「フフフ。春香に勝負を挑むなんて、百年早いということを教えてやる。来い、紅葉(もみじ)‼」


おさげにした髪をなびかせ、仁王立ちしたまま春香と呼ばれた女子は叫んだ。


「とりゃあ!」


紅葉が強烈なサーブを繰り出した。

勇者見習いということもあって、その速さはプロテニスプレイヤー並みだ。


「なんのっ‼」


負けじと春香も打ち返す。

怒涛の勢いでラリーが続く中、クラスの連中は何事もないかのように談笑していた。


「なぁなぁ。宿題写させてくれない?」

「お昼おごってくれるならいいよ」


談笑している二人の間を、テニスボールが豪速球で通り過ぎていくが、まるで意にも介していない。

こういう腹の据わったところは、さすが勇山学園といったところか。


オレは姉さんの方を向いた。


「いつもこんな感じか?」

「あの二人は馬鹿だから」


姉さんがオブラートにも包まずこういうことを言うということは、あの二人は相当に馬鹿なんだろう。


「さ。組長の腕の見せ所よ。うまく彼らをまとめあげてね」


そう言って、姉さんは背を向けて歩き出した。


「おい。紹介とかしてくれねえのかよ」

「生徒の自主性を重んじるのが勇山学園のモットーよ。それに私が言ったところで、どうせ止めないわ。じゃあがんばってね」


ひらひらと手を振り、姉さんは行ってしまった。


「くらええええ! スーパーミラクル大車輪‼」


紅葉が駒のように、ぐるぐると回転し始めた。


「うわっ! おい紅葉‼ あぶねえって‼ お前それ周り見えてないだろ‼」

「だいじょうぶ! 技の反動で目をつむってるだけだから!」

「どう考えても大丈夫ちゃうやろ! 良い子やからその技やめ!」

「さすがだな紅葉! よーし、春香も──」

「やらんでいい」


なんだか騒がしくなってきた。

しかし入るタイミングを計っていても、一生入れないだろう。

オレは小さくため息をつき、ドアを開けて教室の中に入った。


「あっ」


その時、紅葉のラケットがすっぽ抜けた。

高速回転するラケットが、オレの方へ飛んでくる。


「あぶなーい‼」


ガギィン‼


鋭い音と共に、ラケットは宙を飛び、紅葉の手に吸い込まれるように落ちてきた。


「おおー」


小さな歓声に気分を良くしながら、オレは刀を鞘に収める。


「いきなりハードなご挨拶だな」


一般人なら軽く病院送りになる攻撃だったぞ。


「ごめんなさい……。アタシの必殺技にあんな穴があるとは思わなくて……」

「穴しかなかったからな? 言っとくけど」


紅葉は素直に頭を下げた。

馬鹿なことは間違いないが、素直な性格のようだ。


ふと、一番隅で行儀よく座っている、黒髪で巨乳の美少女が、険しい顔で、じっとオレを見つめているのに気付いた。

さっきの動きだけで、オレの力量をあらかた理解したらしい。

かなりの手練れだ。このクラスの中では、文句なくナンバーワンの腕前だろう。


「謝るな、紅葉。いきなり入って来るお前が悪いと春香は思うぞ。フフフ。何故か分かるか? それはお前が……E組の生徒ではないからだ‼」


まるで名探偵にでもなった気分で、春香はびしりとオレを指さした。

相手を言葉で言い負かしたいお年頃なのだろう。


「春香。さすがにそれは責任転嫁にも程があるよ。まあオイラも、どうせなら女の子に入って来て欲しかったけどな。そしたらズバッとオイラが助けて、ハーレム計画の序章が始まっていたのに」


身長の低い、見るからにかわいい子が、鼻息荒く言った。

何故か溶接面を頭に被っていて、スカートを履いている。

素人なら間違えるかもしれないが、オレには分かる。こいつは男だ。


「ウチの馬鹿が喧嘩売って悪かったな。で、E組に何か用か?」

「春香は馬鹿じゃないもん!」


春香が馬鹿丸出しの悪口を浴びせるのを、耳にピアスをした素行の悪そうな男は、一向に無視している。


無駄に騒がしいが、確かに姉さんが言うように、悪い奴らではないらしい。


「あいにくだが、オレも今日からこのクラスの住人でな。お前らを指導することになった、組長の椎名アルトだ」


その途端、騒がしかった教室が、ぴたりと静かになった。


「……え、えと……さっき謝ったのなし!」


紅葉はそう言うと、逃げるように自分の席に座った。


「おいおい。さっきまでの無駄に元気なお前たちはどこに行ったんだ?」


ちょっとした挑発をしてみるも、反応はなかった。

それぞれ、自分の席に座ってゲームをしたり漫画を読んだり、好きなことをし始める。うるさくしないだけマシだが、まともに授業を受けているとは言い難い。


ちらと青春を見ると、わざとらしく咳払いをしていた。

……まったく。使えねぇ統括だ。


「そんなに組長が嫌いなら、さっさと辞めてやろうか?」


先程までまるで反応しなかったクラスの連中が、ようやくオレの方を見るようになった。


「ただし、オレにも世間体というものがある。オレとの勝負に勝ったら、潔く組長の座を降りてやるよ。その代わりオレが勝ったら、授業中はオレの言うことを聞いてもらう」

「……けっ。んなもんに乗るメリットはねえな。すぐにそっちから辞めたがるようになるからよ」


不良少年が、ガラ悪く机に足を乗っけながら言った。

オレは電子手帳で、その男の名前を確認する。


「えーっと……各務恭弥(かがみ きょうや)君ね。要するに各務君は、オレが怖いわけだな?」

「あぁ⁉」

「別にいいぜ、それなら。これだけの人数がいながら、たった一人の組長相手に敵前逃亡ってわけだ。まあ仕方ないよなぁ。お前らが束になってかかっても、組長であるオレには敵わないんだからな」


青春が、必死で口元に人さし指を掲げて、黙るように指示してくる。

葵は、おろおろと辺りを見回していた。

クラスの空気が、面白いように冷たくなっていく。


その時、バンと春香が立ち上がった。


「もう怒ったぞ! そんなに言うなら勝負だ‼」

「馬鹿、春香! 乗せられるな! こいつの思うつぼだ‼」

「なにぃ! 春香をウツボ呼ばわりするとは! 許せん‼」


まったく話が噛み合っていなかった。


「ちなみに勝負内容はクイズだ。オレの出す問題に答えられたら、お前らの勝ちにしてやるよ」

「クイズ⁉ やろうやろう! きっと楽し……じゃなくて、勝てるよ! きっと‼」


紅葉が、目をキラキラさせながら立ち上がった。

馬鹿が二人もいると、誘導するのも楽だな。


「おいてめえら。前に話したこと忘れたんじゃねーだろうな」


各務が二人を睨むと、彼女達はしょんぼりと落ち込みながら席に着いた。

どうやらクラスを軟化させるためには、この不良少年をどうにかする必要があるようだ。


「まあまあええやんか、各務」


青春が、各務の肩を組んだ。


「勝てば無条件で組長を追放できるねんで? いくら俺らが力合わせても、二回も組長を辞めさせるとなったら、それなりに手間がかかる。ここは一発、勝負してみてもええんちゃうか? 負けたとしても、他の方法で辞めさせればええだけやしな」

「……ちっ。お前がそこまで言うなら乗っかってやるよ」


渋々といった様子で、各務は言った。

青春が、こっそりとウインクしてみせる。

オレは他の生徒に気付かれないように、人差し指を1本立てた。

ナイスアシストに免じて、経験値1ポイントプラスだ。


「それでは早速、問題!」


紅葉が身体をうずうずさせながら、熱い視線をオレに送っている。


「ヤマアラシのメスは、時々棒を前足で掴んだまま歩くことがあります。さて、どうしてでしょうか?」


しんと、先程とは違う静寂が訪れた。

紅葉が、元気よく手を挙げながら立ち上がる。


「はいはい! 怪我をしてたから‼」

「ぶぶー。違います」

「え~、難しいなぁ」


うーんと考え込みながら、座って腕を組む。


男性陣が、ひそひそと相談していた。


「これってさ。……アレやんな? こう、ムラッときた時に一人でやるやつ」

「間違いないね。オイラの豊富な保険雑学の知識がそう告げてる」

「じゃあ、イク。お前言えよ」


河渕衣久(こうぶち いく)は、黙って溶接面で顔を隠した。


「アカン。こいつ閉じこもりやがった」

「ちっ。あの野郎、最初からこれが狙いだな。たとえ答えが分かっても、思春期特有の女子の目線を気にする性質が、オレ達に答えを躊躇させてしまう。まさに二段構えの難問。これじゃあうかつに手が出せねぇ……!」

「時々思うねんけど、各務って結構ノリ良いよな」


その時、まるで深淵から響き渡るような邪悪な笑みが聞こえて来た。


「な、なんや? この恥ずかしい地の文は」

「クックック。お前達。どうやら、オレの力を借りたいらしいな」


そこには、手のひらで顔を隠す男がいた。


「ゼッ君! まさかアンタならこの問題に答えられる言うんか⁉」

「ゼッ君じゃない。ゼロだ。この世で七人しかいないと言われるナンバーズの中でも幻の──」

「よしやれ、ゼッ君! イクの仇を打ったれ‼」


ゼロはやれやれと立ち上がり、片手を掲げてその言葉を口にした。


「答えは……孤独なる虚無の訪れ(アローンバスター)」

「何言ってんだお前?」


ゼロは座った。


「カッコつけて登場した挙句それかい!」

「やめとけ。中二病にマトモな思考を期待したオレ達が馬鹿だったんだ」


男連中は先程の解答で弾を出し切ったのか、各々が葛藤を抱えたまま沈黙していた。


「男性陣は全滅みたいねぇ」


ぱたぱたと足を振りながら、紅葉が言った。


「むむむむぅ」

「春香は唸ったまま動かないし……。ねぇ、葵さん!」

「はえっ! わ、私⁉」


突然話を振られ、葵は甲高い声をあげた。


「うん! 葵さんはわかる?」

「ええと……さ、さぁ。分からないや。ごめんね」


オレは首を振る葵を見て、にやりと笑った。

葵なら知識も度胸もあるだろうが、今回は利害が一致している。

答えることはあるまい。


「風音はわかる~?」


クラスで一番の手練れである風音に、今度は話を振る。


「ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「分からなくてごめんなさい」


どうやら謝るのがクセのようだ。

実力は高いが、精神面では不安要素あり、といったところか。


「ウチ、分かるよ」


そう言って、そばかすの女子が、すっと手を挙げた。


「……飯縄千早(いいづな ちはや)だな。言ってみろ」

「マ──」

「ちょっと待てぃ‼」


思わず青春が立ち上がり、それを制止した。


「男に夢を見させてくれるのが良い女ってもんやろ!! ここでそんな言葉を口にしたらアカン!!」

「でも、分かっちゃったし……」


すっと、先程まで溶接面で顔を隠していたイクが立ち上がった。


「青春の言う通りだね。その言葉だけは、彼女に言わせたらダメだ。オイラ達が男の夢を……彼女を守るんだ!」


ちらと、二人は各務を見た。


「……けっ。下らねえな。組長を一人辞めさせられるんだ。それを止める理由なんて──」

「マス──」

「負けだあああ‼ オレ達の負けだあああ‼ これでいいんだろクソッタレ‼」


肩で息をしながら、各務はヤケクソ気味に叫んだ。

オレは、ふっと笑った。

多少危ない部分はあったが、勝ちは勝ちだ。


「なら、約束通り授業中はオレの言うことを聞いてもらおう。……だが、その前に敵だったお前達に一つだけ。お前達の、勝利を捨てても女子の尊厳を守ろうとしたその行動。……尊敬するぜ」

「ふっ。彼女もいない健全な男子高校生の貞操、舐めんなや」


堂々と言ってのける青春に合わせて、男性陣はどことなくキリッとした表情をしてみせた。


オレは思った。

E組の生徒は馬鹿しかいねえな、と。


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