統一戦<9>
葵と雪江の周りには、張り詰めた空気が漂っていた。
雪江は、一切衰えることのない鋭い眼光で、葵をにらみつけている。
「なぁ。やっぱりもう止めないか? これ以上は無意味だろ」
「無意味? こやつを殺せるというだけで、わらわが動くには十分過ぎる」
その憎しみに満ち満ちた声音に、葵はたじろいでいた。
「そもそも、そなたがこやつを庇うこと自体がおかしいのじゃ。こやつのせいで、そなたは小汚い魔界で隠れ潜み、日の光に怯えて暮らすハメになったというのに」
「……え?」
葵は目を丸くし、オレの方を見た。
オレは思わず舌打ちした。
よりによって、一番最悪なタイミングでばれてしまった。
「そんなことも知らんかったのか? 元々、アルトの存在は人間界においても最重要機密事項だったのじゃ。自分達を滅ぼせる存在を魔族に知られれば、どうなるか分かったものじゃないからの。だから勇者という資格があるということ以外は、その家名すらも隠してきた。本来なら勇者になるうえで登録しなければならぬ“才能”に関するデータも、アルトのものだけは排除されておる。それ故に、アルトは表舞台で活躍することはできない。下手に有名になれば、パンドラの箱を開けようとする者が必ず現れよるからな。仮に民間企業に勤めようとも、勇者の資格があることは、少し調べればすぐに分かる。故に“才能”がなくなり、不知火家の庇護が受けられぬアルトは、裏社会で生きる他に術がなかったのじゃ」
葵は愕然としていた。
現在のオレの立場がどれほど危ういものか、自分の想像を遥かに超えていたのだろう。
「何も知らず、何の力も持たず。それでよくも、アルトを支えるなどと吠えられたものじゃ。この統一戦でアルトが敗北すれば、今度は勇者の資格をはく奪される。それどころか、“才能”のないうぬを学園に入れた咎で、刑事罰を科せられるかもしれぬというのに」
「ま、待ってよ! 私は正式な試験で入学した! 学園長もそれを認めてくれたんだよ⁉」
「阿呆が。そんなものは抗弁じゃ。学園長にとって、アルトはもはや邪魔者でしかない。アルトはあまりにも、不知火家の秘密を知り過ぎておる。伝説の勇者の直系遺伝でなくなった今、アルトはいつ爆発するかも分からぬ爆弾なのじゃ。これを機会に正式に勘当し、人間界での発言力を完膚なきまでに潰すつもりなのじゃろう。それでもアルトはその秘密を誰にも話せない。何故ならそんなことをすれば、うぬの身が危険になるからな」
「……私、が」
「うぬは最初から利用されていたのじゃ。うぬが下らぬ夢を見たせいで、アルトは勇者という一縷の希望すら奪われようとしておる。アルトからすれば、とんだ疫病神じゃ!」
葵の息が、荒くなっていた。
先程までの激しい動きに比べ、指先一つ動かしていない。
なのに、息を切らしながら肩を上下させていた。
「私は……アルトを助けたくて。アルトの夢を叶えたくて。そのために、アルトの片腕に……」
「そうやってうぬの自己満足に付き合わされている間、どれほどアルトが苦しんできたと思っておる!」
かたかたと、葵の手が震え始めた。
それに気付き、葵は自分の手を押さえた。
しかしその震えは、押さえようとすればするほど、激しさを増していく。
「な、なんで……? 止まって! 止まってよ‼」
ふいに、雪江が鉄扇を振り上げた。
放たれた風がまともにぶつかり、葵は地面を転がった。
思わず刀を取りこぼし、遠くへと転がっていく。
うつ伏せに倒れた葵は、なんとか立ち上がろうともがいている。
「あの時、死んでおればよかったのじゃ。うぬが死んでおれば、多くの人間が幸福になった。アルトが苦しむこともなかった。今ここで、死んで詫びるのじゃ」
その言葉に、葵の目から涙がこぼれた。
立ち上がろうとしても、両手が震えて言うことを聞いてくれない。
ぼろぼろと流れる涙が、止まってくれない。
「う……うぅ……‼」
とうとう葵は、立ち上がるのをあきらめてしまった。
地面に倒れ、手で顔を覆い、肩を震わせて泣いていた。
無理だ。
その様子を見て、オレはそう判断した。
葵はもう戦えない。
かといって、他に雪江を押さえられる奴はいない。
……オレ以外には。
鶫の一撃で、右腕は完全にマヒしてしまっている。
たとえどんな策を用いても、この状態で勝てるはずがない。
余裕の表情で笑っている雪江の背後。
その奥にある木の幹が歪んで見え、そこに光学迷彩を解除したアリヤが現れた。
その手には、オレのものとなる義手があった。
オレが自分の腕を斬り落とせば、あとは彼女がうまくやってくれる。
そうすれば、オレは組織の犬となる代わりに、身体を蝕むこの傷から解放されて、雪江を倒すことができる。
「転入試験の時」
オレの静かな言葉に、雪江は高笑いをぴたりと止めた。
泣きじゃくっていた葵の声も、止まっていた。
「お前が、オレに伝えてくれた気持ちはうれしかった。だが同時に、残酷だとも思った。お前の気持ちを受け入れることは、オレにとって、自分自身をあきらめることになるから。誰よりも強かった自分を。間違った価値観で動く世界をぶん殴れる力を、否定することになるから」
オレは正直な気持ちを話し、深く息をついた。
「覚悟は、きっとずっと前からできていた。探していたのは、きっかけだけだったんだ」
だから……
オレは自分の刀を振り上げ──
それを、葵の目の前にある地面に突き刺した。
「立てよ」
オレは言った。
「立てよ! 勇者になるのがお前の夢なんだろ! オレの腕の代わりになるのが、お前の夢なんだろ⁉ だったら立て! こんなところで泣いてうずくまってるんじゃねぇ‼ お前の才能を、お前自身があきらめるな‼」
葵はぼろぼろと泣いていた。
とめどなく流れる涙でぐしゃぐしゃになった顔で、オレを見ている。
そんな彼女を、オレはまっすぐに見つめてやった。
たとえお前があきらめても、オレはあきらめない。
そんな思いを込めて、ただひたすらに、オレは葵を見つめていた。
彼女は涙をぬぐった。
震える手で、オレの刀を掴む。
それを支えに、弱弱しい身体で、ゆっくりと立ち上がった。
「愚かな。この状況で、わらわに勝てるはずがない」
「確かに、こいつじゃ無理だ。だが、こいつがオレの腕になるのなら、どんな奴だろうと負けはしねぇ。お前に見せてやるよ。伝説の勇者の再来といわれた、オレの力をな」
「アルト……」
ふと、葵は何かに気付いたように、自分の手を見た。
彼女の震えは、いつの間にか止まっていた。
「……何を言っておる? こやつにそんな代わりが務まる力がないことは、そなたが一番よく分かっているであろう?」
「さて、どうかな」
伊達に今まで、教師として生徒を教えてきたわけではない。
感情にムラがあり、すぐに拗ねてしまう子供のようなこいつらをコントロールする一番効率的な方法を、オレは知っていた。
「葵。もしも勝てたら、ご褒美にキスしてやるよ」
葵は、何を言われたのか分かっていないのか、きょとんとしていた。
それに対し、雪江は驚きと怒りで目を見開いている。
「キ、キスじゃと⁉ アルト……! そなた、わらわという者がいながら、こやつとそういう関係に……、っ‼」
葵の斬撃を、雪江は鉄扇で受け止めた。
そのあまりの力に、雪江の身体が後ろに押されていく。
「な、なんじゃこやつ……! どこにそんな力がっ‼」
葵は、強引に刀を振り下ろした。
その衝撃で、雪江はたたらを踏んで後退する。
「アルトとキス……。アルトとキス……」
ぶつぶつとつぶやきながら、葵は雪江と対峙する。
雪江は忌々し気に歯噛みした。
「うぬ如きがわらわから婿を掠め取るだと? そんなこと、断じて認めん‼」
「葵! そのまま無理にでも突っ込め‼ 雪江の“才能”は遠距離専用だ! 近接戦闘なら、お前にも十分に勝機はある‼」
オレの命令通り、葵は恐れを知らぬ特攻で、雪江にぴったりとくっついた。
風を操るには、鉄扇を振らなければならない。しかしそれをさせる隙を与えぬ葵の猛攻に、雪江は苦戦していた。
しかし、そのままやられている雪江ではない。
すぐに鉄扇で刀を弾き、隙をついて大きく離れる。
慌てて葵が駆けだした時、突然雪江は急展開し、オレの方へと突進してきた。
「なら、最初に司令塔を叩くまでじゃ‼」
一瞬でオレへと肉薄し、妖艶に笑ってみせる。
「愛の鞭じゃ。加減してやる故、許してくれ」
「構わねえよ。どうせお前の攻撃は当たらない」
「は? うぐっ‼」
葵の突きが、雪江の横腹に直撃した。
一瞬で吹き飛び、壁に叩きつけられると、砂煙が一気に舞った。
「私、アルトのサインに気付いたよ⁉ 偉い⁉」
「馬鹿。あれくらい普通だ」
雪江の死角から指示を出し、彼女の行動を先読みして伝えておいたのだ。
雪江はオレを攻撃する時、必ず手加減しようとする。その隙を突けば、一撃を食らわせられる確率は比較的高いという判断だった。
とはいえ、本当にうまくいくとは思わなかったが。
「じゃ、キスして♪」
んー、と唇を近づけてくる葵から、オレは身体を引いた。
「まだ勝負はついてねえだろ」
「え? でも──」
その時、舞っていた砂塵が一気に吹き飛んだ。
悠然と立つ雪江の身体には、球状にうごめく風のシールドがある。
「こんな雑魚相手に披露するのは少々もったいないが、特別に見せてやろう。わらわが持つ絶対防御、『志那都(シナツ)』じゃ」
雪江は風に囲まれた状態で、悠然と鉄扇を自分に煽っていた。
「さて、第二ステージといこうかの」
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