01:よろしくね、甲洋お兄ちゃんっ

「今日から家族なんだから、仲良くしようよ」


 天空橋葉月の告白。

 体育館裏に俺を呼び出した彼女の口から飛び出した言葉は、俺を混乱させるのに十分すぎるほどの効果を発揮していた。

 

 俺、月守甲洋に家族と呼べる存在は一人しかいない。母親の月守洋子である。

 俺が物心つく前に父と離婚した母は、女手一つで俺をここまで育て上げてくれた人物だ。


 まあ、俺の母親については、いまは一旦置いて状況を整理しよう。

 誰と誰が家族になるって?

 ええっと……今日から家族になるんだから、と天空橋が言った。

 誰に対してか。彼女の眼前に立つ男……つまりは俺にだな。

 従って、天空橋の言葉を読み解くと、「わたし(天空橋葉月)と、きみ(月守甲洋)は今日から家族なんだから、仲良くしようよ」と言っていることになるな。うん。


 ……うん?


「か、家族ってどういうことですか天空橋さん?」

「ふふっ、なんで敬語なの?」


 心底可笑しそうに、しかし上品に口元を押さえて笑う天空橋。そういうところに育ちの良さが垣間見える。

 だが突っ込むところはそこだろうか? それよりもっと重要なことがあると思うんですけど。


「いや、ごめん、ちょっと思考が追いついていないっていうか……どうして俺と君が家族だよ?」

「言い回しもおかしくなってるね。ちょっと落ち着こう月守くん……じゃなかった、お兄ちゃんっ」

「お、おにっ……!?」

「あ、逆効果だった……ごめんごめん、落ち着いて甲洋くん」

「こ、こうっ……!?」

「これもダメなの!?」


 繰り返すが天空橋葉月は学園のアイドルである。所謂高嶺の花である。


 そんな遠い存在からお兄ちゃんと呼ばれたり下の名前で呼ばれたりなどしてしまって、所詮教室のモブ生徒Bくらいが関の山である一般的男子高校生の俺がその破壊力に耐えられようものだろうか。いや、耐えられない。

 いよいよもって挙動不審になる俺を見て、天空橋が何をか思案するように視線を宙に彷徨わせた。

 ちなみに指を頬に当てて考え込む仕草がとても可愛らしい。天空橋のこういうところが男心をくすぐるのだと俺は声を大にして言いたい。天空橋かわいい。


「もしかしてなんだけど、親の話、聞いてない?」

「え? 親の話?」


 親の話とはなんだろう。

 天空橋に言われ、前に母親と交わした会話を思い出してみる。


 俺の母はバリバリのキャリアウーマンであり、どっかの社長の秘書なんかをやっている関係上いろんなところを飛び回っているため滅多に家に戻ってこない。

 俺が中学生の頃は週に二、三度は帰宅していたが、高校に進学してからは月に一、二度がいいところだ。

 そのため、最後に話したのも二週間ほど前、二月の終わりくらいで……その時は確か。


『……甲洋、大事な話があるんだけど』

『ん? なんだよ母さん、改まって』

『うん……あのね甲洋、実は私、再婚を考えてるんだけど……』

『へえ。いいんじゃないか?』

『軽いわねあんた』

『そうか? だって母さんがまた結婚したいって思える相手なんだろ?』

『……まあ、そう、そうね。それは間違いなく』

『だったら俺は母さんの意思を尊重するよ。あーでも、また時間ができたら会わせてよ』

『それはもちろん。あの人も忙しいからもう少し後になるだろうけど……』


 ……そういやこんな話してたな。

 あんまり深くは考えていなかったが、そういえば母が再婚がどうのこうのと言っていたような記憶がある。


「……前に母親が再婚するとかなんとか言ってたような気がする」

「あ、それは聞いてるんだね。じゃあ話は早いや」


 ぽん、と手を打ち天空橋が笑う。

 そして改めて俺に向き直り、お辞儀をしてみせた。


「月守洋子さんの再婚相手――天空橋陽治の娘、天空橋葉月です。よろしくね、甲洋お兄ちゃんっ」

「え……。ええええええええ!?」


 俺はいよいよ自分が置かれた現実を正しく認識し、そして再度のフリーズを果たしたのだった。




 * * *




「あの、天空橋さん? ここはいったい?」

「月守くんをここに連れてくるよう、お父さんに頼まれてたんだ」

「あ、そ、そうなんですか」


 母が再婚するとは聞いていたが、連れ子がいるともその連れ子が天空橋葉月だとも俺は聞いていなかった。俺の母と天空橋の父が再婚する、なんてとびきりびっくりのニュースを受けてフリーズした俺は、天空橋に促されるまま学校を後にし、そして今までの人生で一度とて縁のなかった場所に連れてこられていた。

 

 いわゆる料亭である。


 料亭といえば一見さんお断りと聞く。入口から漏れ出てくる厳かな雰囲気が一介の男子高校生にすぎない俺には体の毒だ。ここから一歩足を踏み出すだけでも相当に難易度が高いように思える。 

 だというのに隣の天空橋は平然としているし。いや、俺が精神にダメージを受けているのは当の天空橋が隣にいるからというのもあるのだろうけど。


「さっきから固いね月守くん。もっとリラックスリラックス」

「うひゃあ!?」

「あっ、ご、ごめんね」


 言いながら、天空橋の白く柔らかそうな手が俺の背中を優しく叩く。そのこそばゆい感覚に思わず奇声をあげてしまった。

 天空橋が若干驚いたように手を引くが、正直ありがたい。急なボディタッチは童貞には毒だ。猛毒すぎる。

 こういう女子の何気ない仕草とかふれあいが数多の男子生徒を勘違いさせそして地獄に叩き落とすのだ。まして、天空橋は掛け値なしの美人である。それがこんな簡単にスキンシップしてきたら普通の男子なら速攻フォールダウンだ。

 だが、俺と天空橋は期せずして家族となったのだ。そこの線引きは大事だ。全然嫌じゃないしむしろ嬉しい節もあるけど、だが嫌でも接点は増えるだろう。心しておかねばなるまい。


「……よ、よし、行こうか」

「うん、行こう」


 天空橋は家族、家族です。

 そう自らを律すると心に決め、俺は料亭への歩を進めた。

 よく知らない料亭でのマナー等は隣の天空橋の動きを見よう見まねしてどうにかやりきり、そのまま流されるようにお座敷へと通される。


「あ、来たわね甲洋」

「やあ、甲洋くん。葉月。待っていたよ」


 果たしてその部屋で待っていたのは、我が実母たる月守洋子と、ナイスミドルという言葉がこれほど似合う男もいないだろうと思わせるほどに渋イケメンなおじ様であった。

 目元が天空橋そっくりだ。間違いなく天空橋の父親である天空橋陽治さんだろう。


「遅くなってごめんなさい、二人とも」


 ぺこり、と天空橋が二人に頭を下げる。

 しかし、遅くなったのは俺がフリーズしたり料亭の前でうだうだしてたりしたせいであって天空橋は悪くない。


「いや、謝らなきゃいけないのは俺の方です。ちょっと色々びっくりしてたもので……すみません」


 隣の天空橋に並ぶように頭を下げる。

 二人揃ってしばらく頭を下げていると、愉快そうに笑う陽治さんの声が耳に入った。


「頭を上げなさい二人とも。別に大して待ってはいないよ」

「は、はぁ……」


 そう言われて顔を上げると、優しそうに微笑む陽治さんの顔が目に入った。

 歳は四十を過ぎたくらいだろうか。いくらか顔にしわが刻まれてはいるが、まだまだ若さを失っていない精悍そうな顔立ちだ。

 あの天空橋の父親だけはあると思わせる容貌で、俺もこんな風に歳をとりたいと思わせる風格があった。


「別に怒ってはいないから、葉月ちゃんも甲洋も座って。ね?」

「はい、洋子さん」


 母さんの言葉に従い、俺と天空橋は二人に向かい合うような席に腰を下ろした。

 隣の天空橋からふわりといい香りが漂ってきて、思わず背筋を伸ばしてしまう。


「……さて、まずは自己紹介をさせてもらおうかな。私は天空橋陽治と言います」


 俺たちが腰を下ろしたのを見届けたのち、陽治さんが切り出した。

 

 陽治さんはそれから俺の母親との出会い――母はこの天空橋陽治さんの秘書を長年勤めていたらしい――から、再婚に至るまでの経緯を語った。

 時間が取れずに俺と顔を合わせる機会が少なかったことや、突然の再婚になって驚かせてしまったことを何度も謝罪されたが、それは別に構わない。

 そこはコミュニケーション不足だった俺と母が責められるべき部分であり、陽治さんに非はないからだ。


「……とはいえ母さん。再婚するとは聞いてたけど連れ子がいて、しかもそれが天空橋とは聞いてないぞ」

「驚くかなと思って」


 ちろり、と年甲斐もなく舌を出す母親に対し、俺は呆れ顔以外のエモーションをとれなかった。


「わたしは前々から聞いてたんだけど……洋子さんに口止めされてて。ごめんね?」


 申し訳なさそうに天空橋が詫びるが、悪いのは母であって天空橋ではない。

 

「同い年の連れ子同士で学校どころかクラスも同じだし、仲が悪かったら事だなとは思ってたのよ。でも話を聞く限りそうでもなさそうじゃない?」

「そもそも天空橋を嫌う方が難しいと思うけどな」

「そりゃあんたは嫌ってないかもだけど、葉月ちゃんがあんたを嫌ってる可能性はあったでしょうが」

「いやそうだけど」


 言い方ってものがありませんかお母さん。


「わ、わたしは月……甲洋くんのこと嫌いじゃありませんからねっ」

「あはは、よかったわね葉月ちゃんがそう言ってくれて」


 天空橋が他人を悪し様に言うなんて思っちゃいないから、そこは想像の範疇だ。

 こうやってすかさずフォローを入れてくれるところが天空橋の優しいところだよな、なんて俺は心中で頷いていた。



 まあ、そんなこんなで俺の新しい家族との初顔合わせはつつがなく進行した。

 一気に増えた家族に驚きつつ、同時に嬉しさも覚える。

 陽治さんは頼りになる男って感じだし、きょうだいの天空橋は……なんといっても可愛いのだ。

 彼女と家族になって喜ばない男はいないだろう。

 もちろん、家族になったからといって一気に距離が近くなるかといえばきっとそうではないのだろうし、さっきも心に決めたように、変な勘違いはしないように自制せよと肝に命じておかねばならないけれど。


「ところで我々も晴れて家族になったわけだし、みんな一緒の家に住もうと思ってはいるんだが……あいにく私も洋子さんも長期の出張が入ってしまってね。甲洋くんにも葉月にも悪いが、当分二人で暮らしてくれるかな」


 だが、そんな俺の決意も吹き飛ばしてしまうような衝撃の一言が陽治さんの口から発せられてしまうのだった。


 ……え? それって天空橋と同棲するってことですか?

 隣の天空橋をちらりと見ると、よろしくね、とにこやかに微笑んでいた。


 あの、天空橋さん。なぜあなたは乗り気なんでしょう?

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