15:取られちゃいやだから

「甲洋、今日はどうする?」


 四時限目の終了を告げるチャイムが鳴った後、ようやく昼休みを手に入れた生徒たちの声や足音で騒がしくなった教室を横断してきた榛名が訊いてきた。

 昼休みという時間を利用して榛名との距離を詰めようとしていたであろう女子たちが中腰の状態のまま俺をじろりと睨んでいるのを視界の端に捉えつつ、漏れ出てきそうになる嘆息は榛名にバレないよう答える。


「今日は弁当作ってきた。お前は?」

「買ってきた」


 俺は通学カバンから弁当の入った巾着袋を取り出し、榛名へ掲げて見せた。それを受けた榛名も俺にコンビニ弁当のレジ袋を見せてくる。


 俺たちが通う東明高校には学食と購買が存在し、昼食はその二か所で購入して食べるか、家から持ってくるあるいはコンビニ等で購入した弁当を食べるか、いずれか好きなスタイルで昼食を取ることができる。

 俺はもともと自炊するタイプなので、基本は弁当派。一方の榛名は昼食購入派であり、学食、購買、コンビニをローテーションしていた。


「じゃあ教室で食うか。にしてもコンビニ飯ばっかだと体壊すぞ?」

「手軽だからいいだろう。それに僕は自炊ができない」

「いやそりゃ知ってるけど……あんま大声で言わない方がいいんじゃねえの?」

「なぜだ?」


 不思議そうに返してくる榛名には、周囲の女子が「榛名くんは自炊できないのね……」「弁当作ってきてあげたらワンチャン」などとその目を妖しく光らせながら舌なめずりをしている様子が目に入らないのだろうか。あるいは入っていても意識から遮断するような防衛本能が組み込まれているのか。

 いずれにせよ、明日以降女子のお手製弁当攻勢に苛まれそうな親友に俺は心中で手を合わせた。合掌。


「君が僕の分も弁当を作ってきてくれれば、君の懸念も解決して僕の財布も潤う。お互いを利する話だと思うけれどね」


 主がいない俺の前席の椅子を借りて座り、こちらを向いた榛名が零す。

 口の端を吊り上げそんなことを言う榛名は相変わらず憎たらしいほど絵になっているが、言っていることはひどく情けなかった。そういうことは女子に言ってやれ、女子に。

 あと、「生榛甲キタ……」などと恍惚とした表情でこちらを見てくる三つ編みお下げの眼鏡女子がいるのがすごく気になる。ものすごく気になる。なんなんだいったい。


「……別に作ってやってもいいけど、お前ピーマンとか入れたら残すだろ」

「当たり前じゃないか」

「自信満々に言うんじゃない」


 榛名はどうにもお子様舌なので、こいつの健康を考えた弁当を作ってきてやってもたぶんあんまり意味がない。

 しかし、ピーマンが嫌とか抜かすくせに榛名の顔だとそれも一つのアピールポイントになるのだから本当にイケメンは得である。ケッ!


「なんだか失礼なことを思われた気がするね」

「気のせいじゃないか? まあ食おうぜ」


 誤魔化しつつ、俺はお手製弁当を机の上に広げる。

 昨晩の夕食の残りの煮物と、今朝方簡単に作った炒め物と卵焼き、冷凍のコロッケと白米を詰め込んだ超簡単な弁当だが、自炊のできない榛名にとっては結構豪勢に見えるのか、彼は少し物欲しそうな顔をした。


「君の弁当は美味しそうだな」

「珍しいな、お前が素直に褒めるなんて」

「フ……天空橋が少し羨ま――」

「ストップ榛名」


 ニヒルな笑みを浮かべた榛名がこの教室で発するにはあまりにも致命的にすぎるセリフを吐こうとするので、思わず中腰になって榛名の口を塞いでしまった。

 不機嫌そうな榛名の視線が俺を見ていたが、不機嫌になりたいのはこっちである。教室で軽々しく俺たちの関係がバレそうになることを言うんじゃありません!


 三十秒ほど口を塞いでいたらやつの右手が俺の手を軽くタップしてきたので拘束を解く。


「ぷはっ……おい、少し揶揄っただけなのに過剰反応しすぎじゃないのか?」

「過剰反応しすぎて悪いことはない」

「君は大して目立たない存在だからあまり問題ないと思うが。誰も君には注目していないだろう」

「ストレートすぎる。泣くぞ」

「だが事実じゃないか。彼女たちじゃあるまいし……」


 言いながら、榛名は自分の左後ろ――教室でいう右側前方のスペースへと視線を向けた。そこには頭文字が『か』で始まる香椎伊吹の席が存在する。

 そして、多くの高校生が友人と連れ立って食事をするこの昼休みの時間、香椎の席周辺には葉月を始めとしたクラスの女性陣仲良しグループが固まって会話と食事にその花を咲かせているのだった。


 少し遠くから見ているだけでも、彼女たちが葉月を中心として盛り上がっているのがよくわかる。

 箸を止め、皆に笑顔を振りまいている葉月に少しの間見惚れてしまっていると、榛名がわざとらしく咳ばらいをした。


「甲洋、君も見過ぎだ」

「なっ……いや、俺は」

「これでは僕が口を滑らせる前に、普通にバレてしまうんじゃないかな?」


 厭らしい笑みを浮かべる榛名に「うるさい」と不機嫌な声を返した俺は、葉月たちの姿を視界に入れないよう弁当箱へと視線を落とし、食事を再開することにした。

 だが不思議なもので、視界を閉ざすと途端に耳がその代わりをしようと躍起になって働き始めてしまう。


 つまり、どうしても耳が葉月たちの会話を捉えてしまうのだ。意識すればするほどそれは顕著で、もはや自分にはどうにも止められない段にまで来てしまっていた。



「そういえばさ、今日のはづきんの弁当っていつもとちょっと違くない?」

「あ、それ思った」

「うーん、確かに違うね。どったの葉月?」


 葉月を中心に食事を続ける女子たちの一人が、弁当箱の中身について疑問を投げかける。それを受けた周りの女子もその中身を見比べて始め、やっぱり最初に質問を投げた子と同じ結論に至ったのか葉月に問いかけていた。


 そんなやり取りを耳にして、俺は冷や汗を流す。

 何を隠そう、今日の葉月の弁当を作ったのは俺だ。


 しかも、葉月の分も弁当を作ったのは今日が初日。

 初日にして、俺の弁当は女子たちの目ざとい視線に見事に引っかかってしまったというわけだ。なに、なんなのあの子たち鋭すぎない?


「そんなにいつもと違うかなあ?」

「うん、なんだろう、なんか若干物足りないっていうか」

「色かな……。色合いが微妙に単調かも」


 女子たちの容赦ない指摘に、俺は緊張するのと同時に感服していた。

 確かに、今日の弁当は茶色が多めの中身になってしまっている。

 そこは今朝方弁当を葉月に渡す際にも申し訳ないと謝罪したのだが、彼女は笑って「甲洋くんが作ってくれたんだもん、何だって嬉しいよっ」と返してくれたのですっかり頭から抜け落ちていたのだけれど。

 

「なんか男が作った弁当の気配がする……」

「ええっ!? はづきんに男!?」


 ごちん、と音がする。

 その音は、自分が机に頭を激突させた音だということに気づくのに数秒かかった。正面の榛名が声を殺して爆笑しているのがわかる。ちくしょう。


「あっはは、葉月に男かぁ……ふーん、なるほどねぇ……」

「ちょ、ちょっと伊吹?」

「ええ、ええ、わかってますよ葉月さん。あたしにはお見通しってね」


 顔を伏せたままでも、香椎がどんな表情でそんな言葉を語っているのか容易に想像がついた。すべてを見透かしたような、それこそ榛名と同じような笑顔を浮かべて俺と葉月を交互に見ている……そんな気がする。


「えっなに、伊吹、なにか知ってるの?」

「はづきんに男とかショックで人が死ぬよ?」

「それは言いすぎじゃないかなあ……」

「言いすぎじゃないって。ほら絶対みんな聞き耳立ててるもん」

「ショック死するなよ男子どもー」


 けらけらと笑う葉月周りの女性陣。

 俺と榛名以外にも当然教室には多数の生徒が残っていて、そのほとんどが食事を続けながらも彼女らの会話に耳をそばだてているのだった。

 かくいう俺も、色々な意味でショック死しそうだけどな。主にすべてが露見した時のことを考えて。


「……伊吹のせいなんだからね」

「ごめん、ちょっと軽率だった。でもいずれは言うっきゃないことなんじゃないかなーって……だめ?」

「駅前のクレープ、伊吹の奢りね。……確かに、このお弁当は私が作ってきたわけじゃないよ」


 葉月の台詞に、「きゃー!」と盛り上がる女子。「マジか……」と愕然とする男子たち。教室の話題の中心はまさに葉月の弁当を作った人間は誰か、というところにシフトしようとしていた。


「答えを知っている僕は実に心に余裕がある」

「……それはよござんすね」

「ひどい顔だな甲洋。実に愉快だ」


 榛名、てめえ……。


 榛名が女子に言い寄られまくって本当に困ったときは絶対そばで腹を抱えて笑ってやろうという、ほの暗い決意を秘めながら、葉月の背中に視線を向けた。

 盛り上がる友人たちに苦笑しつつ、この雰囲気を作り上げた香椎に少し頬を膨らませて見せる葉月。彼女のことだから、いきなり俺たちの関係を表にすることはないと信頼しているが、果たして。


 ていうか、いま香椎と目が合った。めちゃくちゃ愉悦を抱えた瞳でにんまり笑うその姿を見るに、完全に葉月の弁当を作ったのが誰かわかっているって感じである。

 あいつもいつか絶対ぎゃふんと言わせてやりたい。


「それでそれで! 葉月が作ったわけじゃないなら!?」

「ほんとに!? 彼氏!?」

「あ、あはは……圧が凄いよ二人とも。残念だけど彼氏じゃないよ」

「残念だけど!?」


 ごちん。二度目の頭蓋墜落。


「言葉尻を捉えただけで過剰反応しすぎだ」

「……お前は当事者じゃないからそんなことが言えるんだ」

「当事者じゃないからね。いくらでも言わせてもらおう」


 この男は本当にいい性格をしていると思う。


「このお弁当を作ってくれたのは……」

「作ってくれたのは!?」

「……わたしのお兄ちゃんだよ」

「お兄さん!?」

「はづきんに!?」


 葉月に兄がいる。その報は聞き耳を立てていた教室の生徒全員に広がり、そしてやがてざわざわと大きなざわめきを作り出した。

「お兄ちゃん」「天空橋さんに」「あの妹の兄っていったい」「どれだけのイケメンなんだ……」「お義兄さん……だと!?」……思い思いの感想を口々に述べ合うクラスメイト達。でもね、ごめんねみんな。そのお兄さんは俺なんだ。

 葉月の兄だからいったいどんな完璧存在なんだって期待しちゃうかもしれないけど、俺だ。月守甲洋だ。絶対言わないし言えないけど。


「そう。お兄ちゃん」

「ちょい待ち、はづきんのお兄ちゃんってことは相当なイケメンじゃないの!?」

「うん。わたしはそう思ってる」


 ごちん。三度目。


「ぷっ……くくっ……」

「……気を使われている……」

「……まあいいから続きを聞いてみようじゃないか? ん?」


 俺も教室にいるのだから、葉月は気を使ってくれているのだろうけれど。

 たとえお世辞だとわかっていたとしても、そういう質問に対してノータイムで頷かれると恥ずかしさが勝る。お世辞だとわかっていたとしても!(重要)


「葉月のお兄さん、料理作ってくれるんだ」

「そうだね。家事はふたりで分担してるから」

「へー、いいな。うちの馬鹿兄貴なんて家事なんかやったこともやるつもりもないよ……。優しいお兄さんなんだね」

「うん、すごく優しいよ。自慢のお兄ちゃんなんだ」


 ごちん。四回。

 そろそろ額が割れるかもしれない。


「こいつは驚いた」

「…………なにが」

「いや、なんでもないが……くくっ」


 喉を鳴らす榛名を見ていると、とても何でもないようには思えない。

 しかしいくらお世辞だとはいえ、葉月は少し褒めすぎだ。気を遣ってくれているとわかっているのに舞い上がってしまいそうになるし、何よりこのままだと俺の心が持たない。


「葉月も認めるイケメンで、しかも優しいかぁ。じゃあ紹介してもらおっかなー?」

「それはダメ」

「えっ? はづきん?」

「わたしのお兄ちゃんを、みんなに紹介は出来ません」

「へぇ、なんでよ葉月ぃ?」


 煽るように香椎が問う。


「決まってるでしょ? ――取られちゃいやだから」


 ごちん。五度目のフォールダウン。

 恥ずかしそうに、しかし毅然と答えた葉月の言葉が耳に届くのと同時、俺の心は死んだ。(約二週間ぶり二度目)



 そして、この昼休みの一件があったのち、「天空橋葉月はブラコンである」という噂が学園中を駆け巡ったことに俺はひたすら戦慄するほかなかった。

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