14:ドラマにするには攻めてるよね……

「葉月、なにしてるんだ?」


 夕食後、自室で漫画を読み終えてしまったので再びリビングへ舞い戻った俺は、ソファに座ってテレビを見つめる葉月の後ろ姿を見かけて声をかけた。


「あっ、甲洋くん。漫画はもういいの?」

「ああ、全部読み終えたから」

「そっか。じゃあ一緒にテレビ見ない? どうかな?」


 俺からの声を受けてこちらに振り向いた葉月が、にこやかに笑いながら提案してくれる。

 学園のアイドル、そして義理の妹である葉月からのそんな誘いを断る理由はどこにも存在しないので、俺は一も二もなく頷いて彼女の座るソファに腰を下ろした。


「……むぅ」


 しかし、聞こえてきたのは先ほどまで和やかに俺を歓迎ムードだったはずの葉月のちょっとだけ不満げな呟き。

 そちらを見ると、彼女の頬、白く透き通るような肌が曲線を描いて少し膨らんでいる。

 ひと月以上経過した家族経験の中で得られた知見だが、これは葉月が拗ねたとき特有の現象だった。


「葉月……何で拗ねてるんだ?」

「……えっ。甲洋くん、わたしが拗ねてるってわかってるの?」

「ある程度葉月のことはわかるようになってきたけど」 


 葉月は結構ストレートに感情表現をするタイプだ。

 基本的に穏やかで笑顔が絶えないが、ちょっとしたときに可愛く拗ねることがままあった。香椎をぞんざいに扱ったときとか。

 

「そ、そっかぁ……ある程度わかってるんだ。えへへっ……」


 と、当の葉月は、拗ねてるかと思えば、次はにへらと表情を緩ませていた。

 やっぱり感情表現が素直だ。彼女を見ていると楽しいし、何より可愛い。

 が……なんていうか、あれだな。俺は今とても恥ずかしいことを口走ったな?


 俺が自分の台詞に勝手に悶絶していると、表情を元に戻した葉月がいつものように悪戯っ子じみた笑みを浮かべて言った。


「……でも、それだったら拗ねてた理由もわかってほしいなあ」

「え? 理由?」

「そう。どう思う? どうしてわたしは拗ねてたのかな、お兄ちゃん?」


 お得意のお兄ちゃん呼びに加えて、葉月はくすりとどこか挑戦的な笑みを見せる。


「……いま考える」

「答えがわかったら、行動で示してくれる?」


 可愛らしく首を傾げる葉月。

 

 実のところ俺は彼女が拗ねた理由について、ほんのちょっと予想はついている。

 ソファに座る際、俺は人ひとり分のスペースを空けて葉月の隣に腰かけた。

 これだ。たぶん、おそらく、きっと、これがさっきの葉月の「……むぅ」の理由だ。


 けれど、俺が作り上げたそのスペースは、同年代の男子と同居中の女子高生に対して見せることのできる最大限の誠意であり、まだ風呂に入っていない自分の匂いを葉月の鼻にあまり届かせたくないという男心の表れだった。


 つまり、行動で示すのは勘弁してください葉月さん。 


「……俺、まだ風呂入ってないからさ」

「わたしもまだだよ?」

「……」


 それを言われると、俺は答えに窮してしまうんですが。


「兄妹なんだから気にすることないって思うなぁ、わたしは」

「兄妹だからこそ余計に気にするべきなのでは……」


 前から思っていることだが、葉月は兄妹もとい家族に対する距離感が近い。

 一人っ子だったがゆえの寂しさが形を変えて発露しているのだろうか?

 何にせよ、こうまでノーガードに近い形で家族への親愛を押し出されると、俺としては葉月に何も反論することができなくなってしまう。

 

 いや、そもそも、俺は葉月に反論したいのか?

 葉月が求める家族の距離感を矯正したいと思っているのか? 

 断言ができない。男の弱いところだ。

 

「甲洋くん? 難しい顔してるよ」

「……あ、ごめん。考え事してた」

「そうなんだ? って、それより答え合わせだよ!」

「答え合わせ……」

「そう、答え合わせ。正解してね、甲洋くんっ」


 ソファ上で体を半分、こちら側に寄せてきて。葉月は口元に微笑みを浮かべながら流し目を見せた。

 その細く柔らかそうな体にかわいらしさと色気を半々に同居させ、大きな期待感を湛えた瞳が俺を射抜く。


 結局、俺は葉月のそんな視線に抗うことは出来なくて、誘蛾灯に引き寄せられる蛾よろしく自ら彼女のそばへと体を寄せていってしまう。

 

「うん、正解っ」


 ぴとっ、と肩と肩が触れ合うくらいの距離に近づいたとき、葉月が声を弾ませる。

 風呂に入っていないとはいうものの、微かに石鹸の匂いを漂わせる葉月の香りと、布越しに触れ合う太ももから伝わる熱に俺は意識を奪われそうになってしまった。あかん、いけないところに熱が集まりそうになる。




* * *




「…………そういえば、何か見ようとしてたんじゃなかったか?」

「あ、そうだった。甲洋くん、前にドラマのおすすめを教えてほしいって言ってたじゃない?」


 確かに言った。あれは春休みだったか。

 葉月には俺のおすすめのゲームを教えるので、逆に葉月からは俺におすすめのドラマを教えてくれないか、なんて話をしたのだ。


「昨日始まったドラマがあるんだけど、せっかくだから甲洋くんと一緒に見たいなって思って録画だけしておいたの。これ、一緒に見ない?」

「ということは、葉月はまだ見てないのか?」

「うん。一緒に見ながら感想を言い合えたら楽しいだろうなって……だめかな?」


 すぐ隣にいる葉月が、俺を見上げるようにしながら首を傾げる。

 その動きに連動してさらりと流れた彼女の細く美しい亜麻色の髪から僅かにシャンプーの香りが漂い、少しドキリとする。


「……むしろ、こっちからお願いしたいくらいだよ」

「ほんと? やったっ!」


 俺の答えを受けた葉月は晴れやかに破顔した。

 俺はとことん葉月の笑顔に弱くて、自分がこの笑顔を作り出す一助となったと考えるだけで幸せな気分になれる。


 俺がそんなことを考えているさなか、葉月は丁寧な手つきでテレビのリモコンを操作して、録画リストから新番組の表記が踊るドラマの一話を選択していた。


「『シスターカプリチオ』……? なあ葉月、これどういう話なの?」

「漫画が原作だって伊吹が言ってたよ。あと詳しい内容は調べないほうが絶対楽しいから調べるなって伊吹が」


 香椎がねえ……。


 香椎伊吹は天空橋葉月をとても大切に思っているのと同時、俺を揶揄うことが大好きな人種である、と俺は考えている。

 そんな奴が葉月にそう言うのだから、内容の面白さは信頼してもよさそうだ。

 ただ、視聴前に下調べするななどと、あえてそんな忠告を残すところにどうにも信頼しきれない部分がある。


「甲洋くんとドラマを一緒に見れるの、楽しみにしてたんだっ」


 ただ、俺の懸念は葉月のそんな一言で霧散した。

 そうまで言ってもらえて、余計なことを考えるなんて無駄だ。葉月の希望に沿って、彼女と一緒にこのドラマを楽しもうじゃないか。


 


 さて。

 シスターカプリチオの簡単なあらましはこうだ。

 どこにでもいる平凡な会社員の男性。彼には大学生の妹がいる。

 互いに成人してもなお仲のいい彼ら兄妹は、家事の分担や水道光熱費の折半、通勤通学の便利さを鑑みて、同じマンションの一室で同居していた。

 兄は普通に妹を家族として可愛がっているだけだったが、妹は兄を異性として見てしまっていて、若干そこが不穏。

 とはいえ、そんな妹も一線を越えるような度胸はなくて、彼らははたから見ればただの仲良し兄妹。

 未だに兄離れ妹離れのできない兄妹を若干あきれ気味に、それでも温かく見守る両親や友人たち。

 

『お兄ちゃん……わたしもう、無理だよ……』

『無理? 無理って何が……』


 ……しかしある日、彼ら兄妹に実は血の繋がりがないことが判明してしまう。

 その日から、妹は今までずっと抑えつけていた兄への恋心を止められなくなってしまって――。


『もう、恋心が抑えきれないの……!』

『ちょ、待っ……!』


 画面に映るヒロインが頬を上気させ、切なげな吐息を漏らしながら兄を押し倒している。目を白黒させた兄は彼女を引きはがそうと手を伸ばすが、逆に妹に腕を掴まれ馬乗りの体制へと移行され、さらに自由を奪われてしまう……。

 

 そんなシーンを前にして、俺と葉月は揃ってフリーズしていた。


「…………」

「…………」

『お兄ちゃん……』


 だいたい、映画でもドラマでも、何らかの映像作品を見ているとき。

 キスシーンとかが混じってくると家族と一緒にそれを見るのって少し気恥ずかしいものだ。

 それがベッドシーンならなおのこと。今画面上を流れてるのはベッドシーンではないけれど、実質ベッドシーンに到達五秒前くらいのシーンである。


「…………」

「…………」

『お兄ちゃん……っ!』

 

 部屋に流れているのは、ヒロインの切ない声。俺と葉月は無言。

 ヒロインが自らの服に手を掛け始めた段になって、俺はいよいよ画面を直視できなくなった。


 俺は視線をそっとテレビから外し、リビングのほかの家具に彷徨わせる。

 耳に届くセリフからするに、さすがに濡れ場まではいかないようなので少し一安心。いや全然安心じゃないけどな!


 隣の葉月は身じろぎする気配もない。葉月みたいな女子高生はあまりこういうのに羞恥を覚えないのだろうか? わからない。

 葉月は真剣に画面を見ているのかな、なんて考えて、俺はふと視線を隣に向けてしまった。


「あ……!」

「っ……!」

『んっ……!』


 瞬間、目と目が逢った。

 俺たちは示し合わせたように、ほとんどノータイムで視線を外し合う。


 ――やばい。恥ずかしい。いたたまれない。


 画面上のヒロインは服を脱ぐことはあきらめ、まるでマーキングでもするかのように兄へ体を擦りつけている。漏れ出る吐息がスピーカーを通じて俺たちの耳に届いた。

 未だに葉月と触れ合ったままの太ももの熱がさらに熱量を増す。


 ――うん、これは、あれだ。ちょっと離れないとだめかもしれない。


 そう思って身じろぎしたら、


「ひゃぁっ!?」

「う、うわ、ごめん!」

『好き、好きなの、お兄ちゃんっ』


 太ももに気を取られていたせいで、触れ合っていた肩が強く擦れたらしい。

 葉月の悲鳴に動転してしまい、俺も挙動不審になってしまう。


 ヒロインが変わらず兄への愛を囁き続けているのがちょっと憎い。

 ドラマの登場人物に何を言っているんだと思わずにはいられないが、間違いなくいまの俺の本音だった。


『落ち着け……俺とお前は兄妹じゃないか……』


 兄が妹を諭すその台詞に、俺は少し胸を撫でおろす。よかった。そのまま説得してやってくれ。


『でも、血は繋がってない……!』


 でもってなんだ、でもって。


『……ねぇ、お兄ちゃん。血が繋がってない妹とは、結婚できるんだよ――?』


 熱に浮かされたような表情でそんなことを囁き、妹は兄の口元へ唇を落とす。

 そんなカットシーンでシスターカプリチオ第一話はエンディングを迎えた。


 最近流行りの男性アーティストが歌うエンディングテーマをバックに、羞恥心といたたまれなさから解放された頭でぼんやり考える。


 なんだこのドラマ。

 思っていたより……いや、思っていた以上の劇物じゃないか。香椎が勧めるだけはある。


 やがてエンディングテーマも終わり、次回予告が流れてドラマは終了。

 葉月が緩慢な動作でリモコンを操作してテレビの電源を落とした。

 

「…………」

「…………」


 俺も葉月も口を開かない。

 いや、開けないが正しいか。


「……す、すごかったね」


 少し無言の時間が続いたあと、控えめな声で葉月が言った。

 声を潜めるようにしているのは、恥ずかしいからだろうか。恥ずかしいんだろうな。だって俺も恥ずかしかったもの。


「ああ、すごかったな……」

「そ、そうだよね……設定が……」


 葉月がそう呟き、俺を見上げた。

 天空橋葉月。今までに俺が見たどんな女性よりも優しく、かわいい少女。学園のアイドル。義理の妹。……。


 俺を見つめる葉月の瞳がどこか潤んでいるように見えて、俺の心臓は跳ねた。柔らかそうな唇は桃色で……。

 いやいやいや、いま俺は何を考えた! 落ち着け月守甲洋!!


「義理の兄妹の恋愛なんて、ドラマにするには攻めてるよね……」

「うぇっ!?」


 そして、何の気はなしであろうが、葉月がドラマの設定を反芻するように呟いたそのフレーズに俺の心臓が二段ジャンプした。たぶん俺の体も飛んだ。


「えっ、甲洋くんどうしたの……。あ……!?」


 自分の失言に気が付いたのか、葉月が目を見開いたのち、その頬を真っ赤に染める。

 あのドラマの設定は、登場人物の年齢など細部こそ違えど、一番大事な設定はまるきりそのまま俺たちと同じである。

 

 ――今更だけど、義理の妹と一緒に義理の兄妹の恋愛ドラマを見るってどうなんだ。


「あ、あ、あ、の……えっと、あ、あれはドラマだもんね!」

「ああ、ドラマだからな! ファンタジーだよな!」

「ファ、ファンタジーも悪くないけどね!?」

「うん、悪くは、ない……かな!」

「えっ!?」

「……えっ!?」

「あっ、あー! それより、お洗濯しなきゃだね!? ねっ、甲洋くん!?」

「そ、そうだなっ! 洗濯は大事だもんな! じゃあ俺掃除しようかな!?」


 このままここにいると、なんだか変な雰囲気になりかねない。


 俺と葉月は弾かれたようにソファから立ち上がった。

 体と体の接触がなくなったことで、長い間跳ねまわり続けていた心臓がようやく少し落ち着きを取り戻したように感じる。


「すぅ……」

「ふぅ……」


 お互いに二メートルくらい離れて、俺たちは一緒に深呼吸した。

 その後、ちらちらとお互いの様子を伺いつつ、しかし視線は合わせないようにしながら会話を続ける。


「こ、甲洋くんも、続き、気になるよね……?」 

「あ、うん……」

「じ、次回も……一緒に見よっか」

「は、葉月がよければ……」

「うん……わたしは大丈夫……」


 今日と同じような感想を抱いて、また恥ずかしさでどうにかなるに違いないのに。

 俺はシスターカプリチオの次回放送を葉月と一緒に見ることを約束して、逃げるようにリビングから退散したのであった。

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