13:ふぅん……欲しかったの?

「くっ……相も変わらずお可愛らしい……」

「が、画素の一つ一つが神々しさを放ってるように見える……」

「家宝にしたいね……」


 世界史準備室での仕事を終え、香椎と下校するという葉月と別れてひとり二年B組の教室に戻ってきた俺が目にしたのは、午後五時近くになってなお教室の一角にたむろするクラスメイトたちだった。


 どこか感動に打ち震えたような声を漏らす彼らは机の上に何かを広げているようだ。彼らが何を見ているのか少し気になったので、クラスメイトとの交流を図るという意図も込めて俺は彼らのもとへ足を運んだ。

 ひょっとしてエロ本だったりしないだろうか。クラスメイトで回し読みとかそういうの少し憧れちゃうな。


「……おーい、三人とも何見てるんだ?」

「えっ? う、うわっ、月守」

「あっ、つ、月守クン……」

「……やあ月守くん」


 予期せぬ闖入者からの挨拶に、三人が動揺を見せる。

 こちらを向いた三人の顔を見て、俺は自分の頭に入っているクラスメイトの名前リストを照らし合わせた。


 まず、俺からの声掛けに一番動揺したのは恰幅のいい体格をした大場おおばくん。続いて肩を跳ね上げて視線を彷徨わせたのは小柄な小村こむらくん。最後、眼鏡をきらりと光らせて机の上に広げていた何かをさっと隠したのは二人の中間の体格をした中堂なかどうくん……だったはずだ。


 ていうか「うわっ」って驚かれるとさすがの俺も少し傷つくぞ。クラスメイトなんだから仲良くしようよ……。


「奇遇だね。こんな時間まで月守くんが残っているなんて」

「うん。まあクラス委員の仕事が終わったからこれから帰るけど」

「ク、クラス委員……!」

「くっ……!」


 俺が中堂くんからの問いに答えると、大場くんと小村くんが悔し気な声を漏らした。


「落ち着くんだ大場、小村。月守くんは確かに憎いが彼には感謝すべき点もある」

「いや待って中堂くん。俺きみらに憎まれてるの?」

「あっ。すまない。つい本音が」

「本音!?」


 ろくに話したこともないクラスメイトに憎まれるって俺はいったい前世でどんな悪行を積んだの? 衝撃の事実に打ちのめされてブルーな気持ちになってしまう。


「い、いや、君がクラス委員に立候補してくれたのは感謝しているんだ」

「クラス委員に立候補……」


 いつかどこかで、そう、葉月に訊いた言葉が脳裏にリフレインする。

「きっとみんな、甲洋くんに感謝してると思うよ」

 葉月はそんなことを言ってくれたっけ。目の前の彼らはそのことに感謝はしている、けれど。


「……それはそれとして、は、天空橋と一緒にクラス委員になったことは羨ましい」

「「「その通り」」」

「正直者だな」


 真剣な顔で頷く三人に思わずツッコミを入れてしまう。


「お、俺たちは天空橋さんのファンだから、月守が憎い……」

「彼女と二人だけの時間を過ごせる月守クンが憎いんだ……」

「クラスメイト相手に臆面もなく憎いってよく言えるな……」


 彼らは天空橋ファンクラブの会員であり、俺が葉月と一緒にクラス委員になったことが気に食わない。ただそれだけなのだ。

 いや……気持ちはまあ、わかるけど。


 わかるのだが、俺は決して葉月と示し合わせてクラス委員に立候補したわけではない。


「まあ、それならそれでいいけど。じゃ、俺は帰るからごゆっくり」


 予想はしていたことではあるけれども、勝手な感情をぶつけられてる気もして、感情がささくれ立つ気がした。

 さっきまでは仲良くできないかなあ、と思っていたんだけれど。もうその気はなくなった。

 とはいえ、それを表に出してもしょうがない。これ以上彼らと話していると余計なことを口に出してしまいかねないので早く帰ろう。

 そう思って素早く踵を返した俺の背中に、「待ってくれ月守くん」という中堂くんの声がかかる。


「なんだよ?」


 ああ、ダメだ。少し対応が乱雑になった。


「いや、ごめん……どうしたの中堂くん」

「違う。謝るのは僕らのほうだ。明らかに今のは僕たちが悪い。ほら、大場、小村」

「す、すまない、月守……」

「ごめん月守クン……」

「申し訳ない、月守くん。僕たちは君に嫉妬している。それで勝手なことを言った」


 天空橋ファンクラブの三人が揃って折り目正しく頭を下げてくる。

 さっきの発言から急にこれで、ジェットコースター的な流れに頭と心が付いていかない。

 

 天空橋葉月は学園のアイドルである。

 そんな彼女と仲を深めたいと願わない男子がいるはずもない。うーん、榛名は微妙か?

 とにかくそれだけ男子人気のある美少女と比較的長時間一緒にいられて、何なら二人だけの仕事もこなすうちに距離を縮めることができるかもしれない、そんな役職につける男子がいたら――。

 まあ、そりゃ俺だって、彼らと似たような気持ちにはなるだろう。彼らはそれをつい表に出してしまっただけ。それを自覚して謝罪もしてくれているのだと思えば、少なくとも感情のささくれは少し解消された気がした。


「もういいよ……。俺も同じ立場だったら多かれ少なかれ同じこと思うだろうし」

「本当にすまない。天空橋さんが絡むとこうなるのが僕たちの悪い癖だ」

「わ、悪かった、月守……」

「ごめんね……」


 恐縮しきりの大場くんと小村くんを見ていると、いよいよ気勢が削がれていく。

 謝るくらいなら最初から胸の内に秘めておいてくれよと思わないでもないが、葉月が絡むと過激派になってしまう気持ちも確かにわからないではないのだ。仮にだが、葉月に彼氏が出来たなんて話を聞いたら俺も荒れるかもしれない。


 このまま放っておくと延々と謝り続けてそうな三人なので、俺は一度大きく嘆息して再び彼らの元へと歩み寄った。


「もうわかったから謝らないでいいって。謝るくらいならお詫びに」

「じゅ、ジュース買ってきましょうか月守クン……」

「あ、明日の昼飯、おごればいいか……?」

「だから落ち着こう。別にカツアゲしたいわけじゃない。さっきの言動を申し訳なく思うなら、お詫びと言っちゃなんだけどさっき三人が何を見てたのか教えてくれよ」


 そう言って笑いかけると、小村くんと大場くんは安心したように肩を撫でおろし、中堂くんへ視線を向けた。

 先ほどからの一連の流れを見るに、中堂くんがこの三人のまとめ役というかリーダー役なのだろう。

 二人の視線を受けた中堂くんは一瞬何かを逡巡したが、小さく頷いたのち制服のポケットからはがきサイズの何かを取り出した。写真だ。


「僕たちが見ていたのはこれだ」


 そう言って机の上に広げられた写真たち。

 俺はそれらに視線を落としたのち、静かにスマホを取り出した。


「おい! 何をするつもりだ月守くん!」

「通報」

「ち、違うぞ月守、これは断じてイリーガルな代物じゃない」

「そ、そうだよ落ち着いて月守クン!?」


 俺の短い呟きに焦った大場くんに後ろから羽交い絞めにされ、正面からは小村くんに抱き着かれるような形で動きを封じられてしまう。

 ええい、男にこんなに距離を詰められても嬉しくもなんともない! いやそれよりも!


「はづ空橋の写真ばっかり!」

「はづ……?」

「今はそんなことよりこっちの出どころだ!」


 中堂くんが取り出したのは、被写体が葉月の写真たち、およそ十枚。

 友人と中庭で談笑する葉月や、ジャージに身を包み運動に興じる葉月、音楽室のピアノを奏でる葉月、学園内のあらゆるシチュエーションの葉月が映り込んだそれは、誰がどう見ても天空橋ファンクラブが盗撮やらかした末の作品にしか思えなかった。


 クラスメイトだとか家族だとか関係なく、さすがに盗撮は看過できない。

 彼らには神妙にお縄についてもらおう。


「落ち着くんだ月守くん……! これは正当な理由をもって撮影されたものだ!」

「犯罪者はみんなそういう」

「か、完全に疑われている……!」

「今までの流れで疑われないと思ったのか中堂」

「ついに呼び捨てになった!? いや、しかし説明だけはさせてもらおう……!」


 愕然とした顔で冷や汗を流した中堂は、ごほんと咳払いをしたのち、少しずり落ちてきた眼鏡をくいっと持ち上げた。


「いいかい月守くん、僕たちは卒業アルバム作成委員会なんだ」

「卒業アルバム作成委員会?」


 聞いたことはあるが、詳しい活動内容は知らない委員会だ。

 俺が問い返すと、三人は俺を納得させるべく言葉を選んで話し始めた。


「そ、卒アルは高校での思い出を残す大事な存在だろ?」

「それに、生徒にしかわからない日常の一コマってあるじゃない?」

「だが、高校生活は三年間あって、それは長いようで短いからね。そういう空気感を大事にするため、卒業アルバム作成委員会は卒アル用の写真を日常的に撮影することを許可されている」

「つまり……お前らはその委員会のメンバーで、その写真は委員会活動の中で撮影したものだと」


 俺の質問に、三人が勢いよく首を縦に振った。


「……でも、は……天空橋の写真しかなくない?」

「そこは、あれだよ……。僕たちは天空橋さんのファンクラブだから、どうしても優先順位が」

「職権乱用じゃねえか!」

「あ、あるから! 他の生徒の写真もちゃんと撮っている!」


 中堂は慌てながらデジカメを取り出して、写真のプレビューモードを俺に見せてきた。いくつかコマ送りされていく写真たちには数多くの生徒たちが映っていて、他の生徒の写真もちゃん撮っている、という彼の自供が嘘でないことを伝えている。


「……なるほど。わかったわかった。三人は卒アル作成委員会のメンバーで、その職権を乱用して天空橋の写真を撮っていただけである、と」

「職権乱用なのは否定してくれないんだな月守くん……」

「天空橋が撮りたくて委員会に入ったところあるだろ」

「それはもちろん」


 三人が力強く頷いたので、俺は思わず脱力しそうになる。


「まったく……。俺みたいに誤解するやつがいるかもしれないから、あんまり教室で鑑賞会するのはお勧めしないぞ。あと、印刷するなら他の生徒のもちゃんと印刷しなよ」

「ああ……そうだね。忠告痛み入るよ月守くん」


 中堂が神妙に頷いたのを見て、俺は先ほどまで彼らに感じていた苛立ちが消えているのを感じていた。話してみると意外と面白い奴らかもしれない。

 葉月の写真ばかり撮っているのは、義理の兄として少しだけ気に食わないところもあるけれど。


「な、中堂。提案がある」

「なんだ大場」

「こ、この写真……月守に譲渡しないか」

「うん、いい考えだと思うよ大場クン!」

「ふむ……」

「は?」


 そんな中、俺を拘束から解いた大場が中堂へ謎の提案を寄越す。

 小村は大場の提案に同調するし、中堂はといえば何か考え込むように口元に手をやり唸っている。

 いや、譲渡ってなに。どういうことなの。


「そうだな……。お詫びと男の友情の証として君に託そう、月守くん」

「いや、待って。何を託すって?」

「て、天空橋さんの写真だ」

「ボクたちが見る限り、月守クンも立派な天空橋さんファンだもんね」

「月守くんが言う通り、特定個人の写真だけを印刷している状況は望ましくない。だからこの天空橋さんのスナップショットはすべて君に譲渡する」

「待って。話が読めない」


 何でそんなことになってんの。


「い、いいから受け取れ月守!」

「天空橋さんの写真はウチの男子なら大抵持ってるから! 月守クンだけじゃないよ! 安心して!」

「初耳なんだけど!」

「これで僕たちと君は共犯者……おっと、きみと友情を深めたいという僕たちの思いを受け取ってほしいな月守くん」

「おい、今本音が漏れてたぞ!?」


 ――なんて、放課後の教室で中堂ら三人と騒ぎつくした俺は、結局彼らから葉月のスナップショットを押し付けられて帰宅することになったのだった。

 彼らとのバカ騒ぎがちょっと楽しかったのは否定できない。チョロいなぁ、俺は。



* * *



「ただいまー」

「あっ、おかえり甲洋くんっ」


 自宅の玄関にたどり着いて帰宅を知らせると、廊下の向こうから葉月がパタパタとこちらに駆けてきた。

 家に帰ったら葉月が迎えてくれる立場にあることを先の三人に伝えたら、いよいよもって殺意を抱かれかねないな、なんて思わず苦笑してしまう。


「どうしたの、甲洋くん?」

「自分が幸せ者だなって思っただけだよ」

「よくわからないけど、それは良いことだねっ」


 葉月のおかげだけどね。

 喉元まで出かかった言葉はとりあえず飲み込んで、俺はローファーを脱ぐべく前傾姿勢をとった。

 

「あっ」


 と、そんな体勢をとってしまうものだから、はらり、と胸元からハガキ大のブツがするりと抜け落ちていく。あいつらに胸ポケットに突っ込まれたあれが。

 止まってくれ、という俺の願いもむなしく、たちは廊下を滑って葉月の足元まで辿り着いてしまった。


「甲洋くん、何か落ちたよ」

「はっ、葉月、それは……」

「なぁに……? って……」


 足元の写真を拾い上げ、その中身を確認してしまった葉月の目が大きく見開かれる。

 そりゃそうだろう。なんてったって自分が被写体の写真ばかり数枚が、同居中のクラスメイトの胸元から零れ落ちてきたのだ。


 正直言って、引かれても仕方がない。

 ていうかなんで俺は胸ポケットに入れたままにしてたんだ。通学カバンに移す手間さえ惜しんでなければ葉月に見つかることもなかったっていうのに!

 いやそもそも悪いのは胸ポケットにあれを押し込んできたファンクラブ三人組なんだけど!


 そんな現実逃避をしていても、もう起こったことはどうしようもない。

 葉月は拾い上げた写真に視線を落としたまま、こちらを見ようともしなかった。

 俺は恐る恐る、葉月に話しかける。


「あ、えっと、葉月さん……これには深くはないけど理由があって……」

「甲洋くん……どうしたの、これ?」

「そ、卒アル作成委員会にもらいました」

「ふぅん……欲しかったの? わたしの写真」


 顔を上げてこちらを見やる葉月の瞳が、悪戯めいた色を湛えている。


 欲しかったのか、と言われると、そういうわけではないのだけれども。

 ただ、中堂たちが葉月の写真を広げているのを見ると、こう、言い知れぬ棘みたいなのが心に刺さったというのもまた事実ではあって。最終的に俺の手にこの写真が収まったことに確かな満足を感じている自分もあり。

 煮え切らないな、月守甲洋。結局……、


「総合すると、欲しかった、のかな……」

「そこは断言して欲しいなぁ」

「……欲しかったです」


 よろしい、と葉月が笑顔で頷く。


「……でも、甲洋くんが望むなら、いつでも撮らせてあげるのに」

「えっ」

「それこそ、どんなところだって、どんなポーズだって、ね――」

「は、葉月……!?」


 言いたいことだけ言って、くるりと踵を返してリビングへと向かう葉月の背中に思わず声をかけてしまう。

 そうすると、彼女は顔だけをこちらに向け、その赤い舌をちろりと出しながらこう嘯いた。


「――なんちゃってっ」


 ああ、うん、いつものね! いつもの! 心臓に悪いよね!

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