12:でもね、妹も大事だと思わないかな?

「はい、お待ちどうさま」


 ある日の夕飯時。俺はお手製の唐揚げをたっぷり乗せた大皿をリビングのテーブルへ載せた。

 既に席に着き、メインディッシュが運ばれてくるのを待っていた葉月が、その目を輝かせる。


「甲洋くんが揚げたんだよね? 美味しそう」

「ありがとう」


 邪念なく純粋にこちらを褒めてくれる葉月に、こちらも嬉しくなってしまう。


 葉月との二人暮らしが始まって、家事は分担しようという話になってからひと月近く。

 料理も当然家事のうちに入るので、分業のはずだった……のだが。

 俺の生来のずぼらさあるいは葉月の料理好きのゆえか、何かと葉月にばかり料理を作ってもらってしまっていたので、今日ばかりは俺が作ると言ってキッチンを使わせてもらった。

 母子家庭だったこともあり、こう見えても俺は一通りの家事はできる。

 料理も嫌いではないし、葉月にはいつもお世話になっているぶん、気持ちを込めて作った晩飯を食べてもらいたいという気持ちがあった。


「昨日からタレに漬けてたからいい感じになってると思う」

「楽しみだなぁ」


 そう言う葉月をあんまり待たせても申し訳ない。

 既に白米や味噌汁も揃っているテーブルを確認し、俺も定位置である葉月の正面の席に座った。

「いただきます」の声を同時にかけ、俺たちはそれぞれ今晩の夕食に箸を伸ばす。


「さっそく唐揚げもらっちゃうね?」

「どんどん食べてくれ。なんならおかわりもある」

「あはは……食べすぎるとそれはそれでピンチなんだけど……」


 苦笑いしながら俺謹製の唐揚げを箸で摘んだ葉月が、口元にそれを運んでいく。

 可愛らしく口を開けて、もぐ、とひと噛み。あんまりじっと見つめすぎるのも失礼なのでここら辺で視線を外すが、葉月からの評価は気になる。

 なんせ彼女の料理も相当に美味しいのだ。美味しい料理を作ってくれる葉月の舌に適う唐揚げが出来上がっていれば良いのだが。


「……おいひい」

「え?」


 くぐもった葉月の声に目を向けると、彼女は慌てたように口内の鶏肉を飲み込んでから笑って見せた。


「すっごく美味しいよ、甲洋くん!」

「おお……そう言ってもらえてよかった」

「外はパリッとしてる中はジューシーだし。美味しい唐揚げが食べれて幸せだよっ」


 よかった。俺の唐揚げは葉月に満足いってもらえたようだ。

 葉月に褒めてもらえると、本当に嬉しくなってしまう。


 今日の晩御飯は、こうして和やかに終わる――と、その時の俺は思っていたのだ。この時までは。





 ブーッ、ブーッ、と、テーブルの上に置いていた俺のスマホが断続的なバイブで何かしらの着信を知らせたのは、俺たち二人が食事に手をつけてから十分後くらいのことだった。


「着信?」

「だな」


 首を傾げる葉月に、俺は頷いて答える。

 言外に見なくていいの? と問うているようでもあったが、今は食事中だし、何より誰からの着信かはなんとなくわかっている。

 わざわざいま相手をする必要もないな、と判断し、俺は食事に戻った。


「どうせ香椎からだろうし、後で返すよ」


 香椎に体育館裏に呼び出されてから数日経つ中で、なぜか俺は彼女とメールアドレスを交換させられ、頻繁にメッセージを交わす仲になっていた。

 といっても、俺から香椎にメッセージを送ることはまずなく、向こうから一方的にメッセージが飛んでくるだけなのだが。


 香椎から届くメールの内容は「葉月とよろしくやってる?」だとか「葉月元気?」だとか「葉月を襲っちゃダメだぞ☆」などの、とにかく葉月を絡めた文章の数々である。

 他に聞くことないのかよと問いたくなるが、葉月の親友をあまり無碍に扱うのもどうかと思って、「仲良くやってる」「元気」「そんなことするわけない」などと、簡潔ではあるがわりとまめに返信している。少し自分を褒めてやりたい気分だ。

 どうせいま届いたのも「葉月の手料理は美味いか〜?」みたいなメッセージなのだろう。今日の料理担当は俺だと言ったらどう返してくるのか少し気になる。


 そんなことを考えつつ軽く嘆息して正面を見ると、葉月が何かを思案しているような面持ちでその箸を止めていた。


「葉月? どうした?」

「……甲洋くんって、最近伊吹と仲良くなったよね」

「え?」


 葉月が少しだけ硬い声音で呟いた台詞に、思わず聞き返してしまう。

 香椎との仲が良いか悪いかで言えば……まあ、悪くはないのかもしれないが、良くなったというのはどうだろうか。一方的に俺が香椎にからかわれたり絡まれているだけなので、友達になったかと言われると微妙なところだと思う。


「仲良くっていうか、絡まれてるだけだと思うけど」

「絡まれてる……」

「あいつ、葉月が心配なんじゃないかなあ」


 葉月はとても優しくて良い子であることは学校中の皆が知っていることだろうけれど、その親友である香椎は、きっとそれを誰よりも強く感じているのではないだろうか。

 だからこそ香椎は、そんな葉月が何処の馬の骨とも知らない俺と家族になり、同棲していることを心配し、俺の動きを牽制あるいは観察しようとしているのでは……なんて勝手に考えているのだが。

 

「あいつ……」

「……あの、葉月さん?」


 しかし、俺のそんな推論に対し、葉月は何の反応も返さない。

 というより、どちらかというとかなりどうでもいい部分を気にしているように聞こえる。おかしいですね。


「な、なにか怒ってるのか、葉月?」

「あ、ううん……怒ってはいないよ。ごめんね」


 知らないうちに葉月を怒らせていたらどうしよう。

 そう思って問うた俺の言葉を、顔を上げた葉月が手を振り否定する。その表情に怒りの色は読み取れない。


「ちょっとね……拗ねてるだけ」

「拗ね……?」


 自嘲げな笑みを浮かべる葉月の姿に、俺は首を傾げることしかできなかった。


「親友の伊吹と、家族の甲洋くんが仲良くしているのは嬉しいの。これは本当だよ」

「うん」

「でも甲洋くん、学校じゃわたしとは表立って仲良くできないのに……伊吹とは仲良くできるの……なんかズルいなぁって」


 ズルい……のだろうか?

 そもそも俺と香椎はそこまで仲が良いわけではない。ただ、葉月から見ればそうなのだろう。

 自分の視点と他者からの視点は違うものな。そういうものか。


「……はい。というわけで甲洋くん」


 少し考え込みそうになった俺の思考を現実に戻したのは、ぽん、と葉月が手を叩いた音だった。

 そちらを向くと、花が綻んだような満開の笑みでこちらを見る葉月が目に映る。


「甲洋くんには……伊吹を構ったのと同じくらい、わたしのことも構う義務があると思いますっ」


 ででーん、と効果音がつきそうなほど自信満々に胸を張る葉月。

 相変わらず彼女が背中を逸らすと、凶悪なバストが視界を占領しそうになるので、ゆっくりと視線は外しておく。


 そして、葉月が言い放った言葉をゆっくりと脳裏で噛み砕き……俺は脳裏にクエスチョンマークを掲げまくった。

 香椎を構ったのと同じくらい葉月を構う義務ってなに……?

 

「友達は大事だよね。うん。でもね、妹も大事だと思わないかな?」

「え……?」

「ここにおあつらえ向きに晩御飯があるよね。ありがたく使わせてもらおうと思います」


 にこっと笑った葉月の笑みはいつもと変わらず魅力的なのだが、そこに若干の邪気というか、何か良からぬものを感じてしまう。

 おかしいな……さっきまではただただ純粋な葉月の笑顔がそこにあったはずなのに……今はなぜこんなことに?


「それじゃあ……」

「ん……?」


 言いながら、葉月が右手に握った箸で唐揚げの一つを摘んだ。

 この流れで唐揚げを食べるのだろうか? そんな危機感がなさすぎる俺の考えは、次の彼女の言葉に、哀れにも一蹴されてしまった。


「はい、甲洋くん。あーん」


 俺の口元に伸ばされる葉月の腕。差し出される唐揚げ。そして彼女が紡いだ言葉。

 それが意味するところを理解しようと俺の頭は高速で回転を始め……答えを弾き出そうとする。

 いや、まあ、頭を回転させるまでもなくそのままだこれ。

 いやいやいやいや、あーんって……。 


「は、葉月!? それは恋人とかがやるやつなんじゃ……!?」

「大丈夫。兄妹がやってもおかしくないよ、お兄ちゃん」


 こともなげに言い放つ葉月は完全に肝が座ってしまっているらしい。

 瞳が揺れるようなこともなく、表情は動揺の色一つも見せはしなかった。

 ただ、なんか乱心しているような気がするのは気のせいだろうか。葉月さん大丈夫?

 

「それとも……わたしにあーんってしてもらうのは嫌かなあ……?」


 目を伏せ、声を震わせる葉月。


 女の子にあーん、なんてしてもらうってのは世の男子にとっては垂涎の夢シチュエーションなのだが。

 ちょっと流れが急というか……もっと余韻が欲しいというか……前ぶりが欲しいというか。心の準備がね、必要じゃないかと思うんですよね。

 しかし、悲しげに呟く葉月を前に、そんな言い訳をつらつらと並び立てることが出来るほど俺は非情にはなれないし、男の欲を捨てきることは出来ない。


「嫌じゃない。むしろ嬉しい」

「やったっ。それじゃあ、あーん、だよっ」


 再び口元へやってくる唐揚げ。もう逃げる気持ちは消え失せている。


 というかよくよく考えれば、あの天空橋葉月が手ずから「あーん」をやってくれるわけで。

 こんな夢のようなシチュエーションが目の前にいきなり転がってきて、それを享受しないなんて真似をする男がいるのだろうか。

 答えは否。ありがたく、その幸運を全身全霊を持って受け入れさせていただくのが男として当然のあり方というもの。


「はい、あーん」

「あー……ん」


 ぱくり、と一口で葉月の箸から唐揚げを奪い取り、もぐもぐと咀嚼する。

 うん、我ながら上手く出来ている唐揚げだ。自分で言うのもなんだが美味しい。


「あははっ、ちゃんと食べてくれたね。ありがとう甲洋くん」


 目の前の葉月がとても嬉しそうに笑っているのも、唐揚げの美味しさを数段上のものにしている気がする。


「……いや、俺こそ、なんかありがとう」


 赤く染まっているのを自覚しながら頬をかき、俺は葉月に礼を言う。 

 結構恥ずかしいもんなんだな、「あーん」って。

 いい経験をさせてもらいました。……それに、これで葉月の機嫌が良くなるんだったらwin-winだし。


 幸福感と恥ずかしさが同居する中で再び視線を葉月に戻すと、彼女が何かを期待したような瞳でこちらを見ているのに気がついた。


「甲洋くん」

「な、なんでしょう?」

「なんでしょうって……次は甲洋くんの番じゃない?」


 ……。

 …………。


 ……………………え?



「葉月、パードゥン?」

「次は、甲洋くんの、番じゃない?」

「えっと、次って……」

「――わたしにも食べさせてくれるよね? あーん、って……。……ね?」



 そこに逃げ場はなかった。

 小さく首を傾げて微笑んで見せた葉月の表情は、とても蠱惑的で、抗いがたい魅力を放っている。

 俺は、葉月の要望を聞き入れざるを得ないのだと即座に悟ったのであった……。

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