11:お兄ちゃんって呼んであげようか?

「うーん……」


 始業前の教室。自席に腰を下ろした俺は、腕を組み机の上に置かれたとあるモノを穴が開くほど見つめていた。

 傍らに立つ榛名が呆れたような雰囲気を纏った視線を向けてきたのがわかったが、正直言ってそれどころではない。


 俺の机の上に置かれているのは、橙色の封筒だった。

「月守甲洋様」としっかり、間違いなく俺の名前が書かれているそれを前に、俺はとっぷり考え込んでいる。


 これを見つけたのは今朝の登校時のことだ。

 榛名とたわいのない会話を交わしながら昇降口に向かい、榛名の下駄箱に三通のラブレターを見つけて「相変わらずの人気ですなあ」なんてからかったのち、自分の下駄箱にも似たようなこれが入っていたことに気づいたのである。

 当然、今までの意趣返しとばかりに散々榛名にからかわれたが、それはともかく。


「……榛名。これをどう思う」

「どう思うも何もあるか」


 吐き捨てるように呟く榛名は、どうにもはっきりしない俺に苛立っているらしい。

 いや、わかる。気持ちはわかる。俺だって、自分宛に届いた封筒を見つけたにも関わらずとっとと封を開けない男を見たら早く開けろと急かしたくなるだろう。

 その気持ちには全面的に同意する。


「封筒のあった場所、シチュエーション、総合して結論すればそれはラブレターだよ甲洋」

「ぐ……」


 きっぱり言ってくれる榛名に、思わず言葉が詰まった。

 ああそうとも、その答えを想像していなかったわけではない。

 むしろ、多分ラブレターだろうな、と思っていたくらいだ。

 そんなものを贈られるほど女子と関わりがあるわけでもないから、なぜ、という疑問は残るけれど。


「早く読んだらどうだい? 邪魔だと言うなら僕は席を外すが」


 榛名から諭されるが、どうしてか気分はとても重い。

 この手紙が俺に読まれることを目的として贈られたものであるのは疑いようのない事実なのだから、とっとと開けて中身を拝読するのが人としての誠意だろうということは、理屈ではよくわかっている。


「わかってる、んだけどなあ」


 迷うことなんてないはずなのだが。手紙を読むだけだ。

 思うだけなら簡単で、事実、俺の心は早く読めと声高に叫んでいるんだけれども。



 ――どうしてか、脳裏に葉月の顔が浮かんでしまうのだ。



 もし、俺がこの手紙を貰ったと知ったならば。葉月はいったい何を思うのだろうか。

 家族である俺が、誰かに好意を持ってもらえたことを喜んでくれるのか。あるいは……。


 一瞬、そんな想像をしてしまう。やばいな。俺はいったい何を考えてるんだ。

 馬鹿らしい。俺が誰かから手紙を貰おうがなんだろうが、葉月には関係のないことだ。

 そりゃ家族なんだし多少は気にするかもしれないが、そもそもこの手紙を読む読まないの是非に葉月を引き合いに出す理由がない。


「フ……くくっ、傑作だな甲洋……」

「……なにがおかしい?」

「自覚がないのが一番おかしいよ……くくく」


 何を笑っているんだこいつは。

 俺はこんなに悩んでいるというのに――いや、そもそも何を悩んでいるのか自分でもよくわからないけれども――親友のはずのこいつはただ笑いをこらえきれないと言った風に腹を抱えている。


「うるさいな、読めばいいんだろう読めば」

「僕は最初からそう言っているけどね」

「わかってる、わかってますよ……」


 まったく。胸中で盛大にため息を吐いてから、俺はようやく決意した。

 どのみち、手紙を見ないわけにはいかないのだからとっとと読ませてもらおう。


 そう。それに、別にこれがラブレターと決まったわけじゃないからな。

 なんとなく言い訳がましいことを思いつつ、封筒の封を切って中身を取り出す。

 榛名も、俺の手元を覗き込むように顔を寄せてきた。

 二人揃ってそれに視線を向けて、


「…………えーっと、これは」

「手紙による愛の告白……ではなかったようだね」


 文章を読み終えたのち、榛名と二人言葉を交わす。

 封筒の中にあったのは、『放課後、体育館裏に来て欲しい』という簡単な内容のみが記された便箋だった。


「どう思う?」

「本番は体育館裏ということじゃないのか?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの榛名。

 本番、という言葉に少し固まった。まあ、普通に考えればそうなるよな。

 ……そうなってしまうのか。


 再び脳裏に葉月の顔がチラついてしまい、俺はもう一度首を振った。

 なぜか、このことはあんまり葉月には知られたくないなと思ってしまう。


「くくく……」


 表情から愉悦が滲み出て止まらない榛名の姿に少し腹が立ったが、やつがラブレターを受け取った時に取った俺の態度もこうだったのかもしれない。軽い自己嫌悪に陥りつつ、俺は再度文面に視線を落とす。


「……おやおや? 何をしているのかなー月守?」

「うわっ!?」


 突如、背後からこちらを窺うような声がかかり、俺は思わず大声を出して跳ね上がってしまった。


 ここ数日で結構耳にすることが多くなったクラスメイトの声だ。

 こうやって他人を驚かせることが趣味なのではないかと思わせる程度に、最近俺は彼女に驚かされることが多い。

 手に握っていた便箋をブレザーのポケットにねじ込みつつ、俺は声のかかった方へ振り向いた。


「あはは、驚きすぎだって月守。やっほー」

「お、おはよう……香椎、天空橋」

「うん、おはよう月守くん」


 気さくに俺たちに声をかけて来たのは、クラスメイトの香椎かしい伊吹いぶき

 その後ろには、「伊吹がごめんね」と言わんばかりに苦笑している葉月がいる。二人揃って登校してきたらしい。


 香椎伊吹。彼女は、俺にとっての榛名と同じように、葉月の中学時代からの親友だという。

 俺たちと一年生の時は違うクラスだったが、葉月と話すため教室に遊びに来る姿をよく見かけた。


 ポニーテールにまとめたグレーカラーの髪の毛先をカールさせ、黒い猫目と悪戯好きそうに「にひひ」と歪んだ口元が、まさに気まぐれなネコを思わせる少女だ。

 髪と同じ色のカーディガンの袖を余らせてすっぽり手を包んでいるところもそれっぽい。

 シャツの一番上のボタンを開けていたり、小さいながらも両耳にはピアスをつけていたりと、清純派の葉月と並び立っているのが少し不思議な程度にはギャルっぽい子だが、正反対だからこそ気が合うこともあるのだろう。


「柳生もおはよ」

「……ああ」

「今日もクールだねえ」


 榛名はそんな香椎が苦手なのか、あまり目を合わせて会話しようとしない。

 けらけらと笑う香椎と、不機嫌そうに眉を顰める榛名がとても対照的だ。

 そんなことを思いながら二人を眺めていると、俺の視線に気がついた香椎がにんまり笑った。


「あららー。そんなに見つめられたら困っちゃうなぁ月守ぃ」


 とても楽しそうに嘯く香椎。


 俺と葉月はともにクラス委員になったため学校においても接点が増えたのだが、それはすなわち、葉月の親友である香椎との接点が増えることにも他ならなかった。ここ数日、俺は香椎から妙にからかわれている。


「こ……月守くん?」 


 と、なぜかいつもより低めの声でこちらを見つめる葉月。

 クラスの綺麗どころ二人の視線を独占していることで、周囲の男子たちの視線が注がれて少し胃が痛い。

 勘弁してくれといった意味を込めて香椎を睨むと、彼女はひらひらと手を振った。


「ごめんごめん、からかっただけ。……それよりさっき何隠したの? 盗撮写真か何か?」

「盗……っ!?」

「んなわけあるかっ」


 香椎はさらに俺へのおちょくりにブーストをかけてきた。

 さすがにこれは風評被害も甚だしいので必死に否定する。葉月が信じたらどうするんだ。


 というかなんで手紙を隠したのバレてんの? どんだけ目敏いんだよ香椎。

 バレたくないひと筆頭がそばにいるのであんまり話を振って欲しくはないんだけれど。


「こ、月守くん、風紀を乱すものじゃないよね?」

「ああ、それは間違いない。ただ、ちょっと……いろいろあるんだよ……男子にも……」

「そ、そっか……いろいろあるんだ?」


 食いついてくる葉月にそんなことを言って誤魔化す。どうしても、葉月には正直に言えそうになかった。


 俺たちのやり取りを眺めていた香椎が「ふぅん?」と頷き曖昧な笑みを浮かべているのが見えた。その笑みの質は榛名がさっき見せたのと同様な気がする。おいなんだよその全てわかってますよーみたいな笑み。やめてくれ香椎。


「……あ、あー、そんなことより、みんな数学の宿題やった?」

「月守話逸らすの下手だなー」

「う、うるさい」


 とはいうものの、結局それ以降手紙に対する追及はなく、俺の話題逸らしは成功したので予鈴が鳴るまで四人でたわいない会話を楽しんだ。

 数名の男子から嫉妬混じりの視線が飛んできてるのはわかったが、とりあえずは気にしないことにしよう。


 問題は……ポケットに突っ込まれている手紙だ。

 葉月の目に触れられたくなくて隠してしまったが、そもそもなんで葉月に触れられたくないのか。わからない。

 そして、それが本当に女子からの告白だった時……俺はどうするのだろう?


 授業中、ずっと考えてみたけれど……答えは出なかった。 




* * *




 放課後。体育館裏。目の前には女子生徒。


 かつて経験したことのあるシチュエーションだが、かつて経験したことがあるゆえに、俺の心はかつてないほどに凪いでいた。

 あるいは、目の前に立つ少女が理由だろうか。いや、どちらかというとその線の方が強いな。

 なんかもう全てが面倒くさくなるというか。ここに至るまでの俺の葛藤はなんだったんだ、みたいな虚無感が押し寄せてくる。


「……俺を呼び出したのは香椎か?」

「そだよん」


 ひらひらと手を振りながら、眼前の少女は口の端を吊り上げ答えた。

 葉月の親友、香椎伊吹。

 手紙にある通り、放課後、鉛を仕込んだかのように重たい足と重い気分のまま体育館裏へと足を運んだら、そこには彼女が立っていたのである。その猫を思わせる姿を視界に捉えた時点で、ずっと張っていた俺の気持ちは抜けた。


「ありがとねー、わざわざ来てもらって」

「告白じゃなさそうだな……」

「うん、そう。ごめんね。告白がよかった?」


 香椎が立ってた時点でそうだと思ったけども。

 けらけら笑う彼女の態度に、俺は静かに胸を撫で下ろす。


「逆に安心したよ。何に安心したのかはうまく口に出せないけど」

「あっはは、そうなんだ? そりゃあたしも手紙出して正解だったかな。でも悩ませて悪かったと思ってるよ。この通り!」


 顔の前で合掌し、香椎がそんなことを言う。

 器用に片目を閉じてウインクして見せるあたり、あんまり悪いと思っていない気がするな。

 というか悩んでたのバレてるんかい。

 

「出して正解……。どういうことだ?」

「ちょっと確かめたいことがあって。でもある程度解決した。だからこの話はここでおしまい」


 なんという自分勝手な理論だろうか。

 唯我独尊を地で行く香椎の言動に軽い頭痛を覚えたが、香椎にこれ以上の他意がないというのならば、話を終わりにしても俺にデメリットは何もない。なので頷いた。


「……わかった。気になるところはあるけど、香椎が気まぐれなのはいまに始まったことじゃないしな。忘れる」

「おー、短い付き合いとはいえあたしをよく理解していらっしゃる」

「そりゃどうも。それじゃ俺、はづ……天空橋を待たせてるから行くよ」


 二人の頑張りの甲斐もあって、あれだけ汚かった世界史準備室は十分な清潔さを取り戻したのだ。

 今ごろ葉月は部屋で一人、千葉教諭から渡されたクラス委員の仕事に勤しんでいるに違いない。早いところ合流して手伝わなければ。

 そう考えて踵を返した俺の背中に、香椎の声がかかる。


「天空橋ねえ……あたしの前では葉月って呼んでもいいんじゃない? もう家族なんでしょ?」

「えっ」


 俺と葉月の関係、知ってるのかよ! 

 思わず突っ込みそうになったが、俺も榛名に話しているのだから葉月も香椎に話していないわけはないか、と思い直す。


「知ってたのか」

「葉月から聞いたよ。お兄ちゃんって呼んであげようか?」

「香椎にそう呼ばれる義理はないな」


 少し冷たい感じになってしまったが、そう返すと香椎は愉快そうに笑った。やっぱり榛名の笑みとダブる。


「じゃあツッキーにしよ」

「じゃあ、ってなにがじゃあなんだ……」

「ああ、そうそう。あたしのことは伊吹でもブッキーでもいいよん」


 もともとわかっていたことではあったけれども……やっぱり人の話聞かないなこいつ!


「そんじゃ今後ともよろしくね、ツッキー。クラス委員室にも遊びに行くからさ」

「えぇ……来るの……?」


 香椎が来たらロクな事にならない気がする。延々俺に絡んで来て仕事が進まなさそうだ。

 そんな俺の不満げな表情を見てなお、香椎はその笑みをより深いものにする。


「あっははは、葉月と二人きりが良かった?」


 満面の笑みの香椎に、俺は何も返さなかった。

 何かを返してもすぐにからかわれるのがオチだ。


 どうにも厄介なのに絡まれたかなあ、なんて残念な気持ちとともに、俺の放課後は過ぎて行った。

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