07:わがままを一つ、言ってもいいかな?

「甲洋くん、何してるのー?」


 春休みの終わりが徐々に近づいてきたある日の晩。

 リビングの巨大なテレビの前に蹲り、俺はテレビから伸びるケーブル類を弄っていた。

 そんな俺の動きを気にしたのか、背後からやってきた葉月が不思議そうに問いかけてくる。確かに、女の子はあんまり触らないかもな、こういうところ。


「ちょっとゲーム機の接続をさせてもらおうかなと思って」


 必要になるケーブル類やコンセントは確保し終えたので、後ろに立つ葉月へと振り返りながらそう答える。

 俺も男子高校生であるし、人並みにゲームは嗜む。当然というかなんというか、一緒に遊ぶ相手は例によって榛名だ。


 いまこうしてゲームの準備をしているのも、認めるのはちょっとあれだがあいつのためである。

 昼間、榛名から「天空橋との同棲生活は刺激的なようだね、何よりだよ」などというメッセージが届いたのだ。

 これを長年の親友経験から培った榛名語訳フィルターに通すと、「葉月ばっかり構ってないで僕を構えよ」という意味に変わる。だって何も言うことなかったらあいつメッセージなんて送ってくるタイプじゃないもんな。


「ゲームかぁ。誰かとやるの?」

「榛名とやるつもりなんだけど……テレビ借りてもいいかな?」

「うん、構わないよ。そもそもこの家にあるものは全部家族のものじゃない?」


 そうやって笑い返してくれる葉月に礼を言って、俺はテレビの下から引き出して来たケーブル類と、脇に置いていたゲーム機の接続を始めた。後ろの葉月は興味を引かれるものでもあったのか、いつの間にか隣に移動してきている。

 じーっと手元を見られるから少しやりにくいが、文句を言うようなことでもない。ぱぱっと接続を終え、俺はテレビとゲーム機の電源を入れた。

 ゲーム機のロゴが画面上に表示され、起動が無事に終わったことを確認してホッと一息。


「甲洋くんってゲーム好きなの?」


 俺が一仕事終えたと判断したのか、今まで黙っていた葉月が訊いてくる。


「うん、好きだな。葉月はやるのか?」

「全然。やったことないや」

「女子はそうかもなあ」


 ゲームをやる女子もいるにはいるのだろうけど、教室で新発売のゲームがどうこうみたいな話に花を咲かせる女子を見た記憶はなかった。教室で見かけた葉月も、もっぱら昨晩のドラマやアイドル、ファッションなどの話題を楽しんでいたはずだ。


「でもわたし、ちょっと興味があるかも」

「へえ、ほんと?」

「家族の好きなものは気になるよね」


 にっこりと、葉月。

 たとえそれが見知らぬものであっても、家族が好きなものだから興味を持って接してみようとする彼女の態度には好感を覚える。

 家族のことを理解するためなら、葉月はいつだって真摯で一生懸命なのだ。

 だから、俺は彼女に報いたいと思うし、彼女のその姿勢を見習いたいと強く思う。


「……だったら今度、一緒にやろう。協力して遊べるゲームもあるから」

「本当? 楽しみだな」

「うん。その代わり……といっちゃなんだけど、今度葉月の好きなドラマとかも教えてくれ」

「え……あ、うんっ、もちろんだよ甲洋くん。おすすめがいっぱいあるんだっ」


 どれがいいかな、ラブコメディかな、なんて。

 楽しそうに悩む葉月を見ていると、自分の提案が間違ったものでなかったとわかって嬉しくなる。

 やっぱり、葉月は楽しそうにしているのがよく似合う。天空橋葉月に一番似合う表情は笑顔に違いない。




* * *




 テレビの前のソファに腰掛け、ゲーム機に接続したヘッドセットを装着する。


『天空橋は放っておいていいのかい?』


 ヘッドホン越しに届いた第一声は、こちらを揶揄するような榛名のアルトだった。

 放っておいていいのかいって、その言葉そっくりそのまま返してやろうか。お前こそほっぽったら泣くだろ。


 だが、そんなことを言ったところで否定してくるしより面倒な返答が戻ってくるだけなのでここはスルー。

 さっき葉月は風呂に行ったので、それをそのまま榛名に素直に伝えてやる。


「葉月は風呂行った」

『葉月! ははは、これは傑作だ。まさか君が、あの天空橋を、葉月と!』


 榛名が返してくる声音は、愉悦が漏れ出てると言わんばかりのそれだ。

 榛名がそう言う気持ちもわからないではない。かたや学園のアイドル。かたや凡庸なクラスメイトA。俺たち二人は、ついこの前まではさしたる接点もなかった間柄なのだ。

 それが名前で呼び合う関係になっていたら驚くのも当然といえる。


「いろいろ取り決めがあったんだよ。二人きりの時は名前で呼ぶとか」

『……僕が思っている以上に仲が深まっているようだな。驚きだ』

「一年前はどうであったにせよ、今はもう家族だからな」


 言いながら、俺は両手に握ったコントローラーで画面上のキャラクターを操作する。

 榛名とプレイしているのはつい先日発売されたばかりのハンティングゲームだ。

 適当にミッションを受注して、榛名が同じミッションを受注するのを待つ。


『フ、家族ね……。そういえば君、苗字は変わるのか?』

「いや、変わらない。変わったら学校で面倒そうだろ?」

『「天空橋葉月、学生結婚か」なんてゴシップが飛び交うかもしれないね』


 想像しただけで呻きそうになる。やっぱり天空橋甲洋じゃなくて月守甲洋のままでいた方がよさそうだ。

 それに、学生結婚がどうのこうのってのは榛名の冗談としても、俺が葉月と家族になったというのはあまり他者に知られたくはない。


「……関係が知れたら葉月に近づくためのダシにされそう」

『どうだろう?』

「将を射んと欲すればまず馬を射よって言うじゃん?」

『…………』


 俺がしみじみ呟くと、ヘッドセットの向こうの榛名は沈黙を返してきた。おい。なんで黙るんだよ。


『甲洋……君、なかなか自惚れが強いタイプだったんだな……』

「……恥ずかしくなるから素に戻るのやめてくんない?」

『今度から君を天空橋の馬……ああそうだ、ちょうど良い。ペガサス月守と呼んであげよう』

「俺が悪かったから。やめて」


 そんなやりとりを続けているうちに、榛名がミッションを受注した音が聞こえてきた。あちらの準備が整ったらしい。

 フィールド移動しますかと尋ねてくるポップアップに了承を返すと、画面がローディング画面に切り替わる。


『いいじゃないか。ペガサス月守……くくく……格好いいよ』

「やめてくれません?」


 ちくしょう榛名の野郎め。見てやがれ。泣いても遅いぞ。


 長めのロードが終わり、ミッションスタート地点に俺と榛名、二人が操作するキャラクターが表示される。


「よっしゃ隙ありィ!」


 これ幸いとばかりに、俺は自キャラを操作して榛名のキャラクターに殴りかかった。一撃が重い俺のキャラの攻撃を受けて、榛名のキャラの体力がごっそり減る。

 このゲームはハンティングゲームなので大きなモンスターを狩るのがメインの楽しみ方なのだが、プレイヤーキャラ同士で潰し合うこともできる。俺と榛名はこの楽しみ方も結構好きだった。


『甲洋、貴様……!』

「ククク……隙があるのが悪い!」

『ほう、そう言うかい。だったら!』


 俺の重戦車タイプのキャラに対して、榛名が操作するのは遠距離攻撃主体のキャラクターだ。

 奴のキャラは身軽な動きで俺のキャラから距離を取って、チクチクと射撃攻撃で体力を削ってくる。

 まったく! 操作している本人の性格が滲み出てやがる!


「榛名てめえ! 卑怯だぞ!」

『これが僕の間合いなんだから仕方がないじゃないか?』

「くっそ……」


 鈍重な俺のキャラでは、榛名のキャラに対する有効な手段があまりない。それこそ先ほど放った不意打ちくらいだ。

 いや、あるいは乱戦に持ち込むと言う手があるか。近距離攻撃手段を持たないので、榛名のキャラは乱戦にめっぽう弱い。

 俺がモンスターのヘイトを集めてそのまま榛名になすりつけてやれば、おそらくあいつは為すすべなく沈んでいく。


 よし、そうと決まれば善は急げだ。

 俺は自キャラの体力をささっと回復し、スタート地点から離脱した。目指すは大型のモンスターだ。


「甲洋くん、お風呂上がったよー……って、ヘッドフォンしてるから聞こえてないのかな……?」

『おや……逃げるのか甲洋。仕方ない、いたぶってあげよう』

「できるもんならやってみやがれ」

「邪魔したら悪いよね……でも……」


 俺も榛名も、一度対人戦に移行したら決着がつくまで全力で戦い抜くタイプである。

 奴が俺のキャラを追って安全なスタート地点から出てくるのは想像の通りだった。

 幸い、このミッションで本来討伐対象とされているのは遠距離キャラ殺しの超性能ホーミング突進を持つモンスター。榛名の天敵。うまくヘイトをコントロールすれば、俺を追ってきた榛名を見事に轢死させられるはずだ。


「甲洋くーん……あー、やっぱり聞いてない……」

『ほら甲洋。そんな鈍足じゃあ僕からは逃れられないんじゃないのかい?』

「豆鉄砲で俺の体力を削れるかよ」

「……むぅ」


 チクチクと背後から榛名の射撃攻撃を受けているが、自キャラの体力に問題はない。

 しかし、もうそろそろモンスターを見つけられてもいいはずなのだが。そう思って画面をいじくり回していると、ようやくお目当のモンスターを発見することが出来た。

 よし、榛名との距離も問題ない。このままあのモンスターを挑発して超突進を引き出し、榛名になすりつければ、榛名はきっと息絶える。完璧な計画だ。


「甲洋くーん……」

『……ん? あっ、甲洋、まさか君……!』

「ははは! 柳生榛名破れたり!」

「…………もうっ」


 今更気づいたか榛名め。

 ……いや、あいつのことだしお互い全部わかった上でのじゃれ合い感は否めないけど。

 だが、あの榛名をうまく嵌めてやったぜという楽しい気分のまま、俺はモンスターのヘイトを引くアイテムを使用した。

 対象モンスターが雄叫びをあげ、突進の予備動作に入る。

 俺はその突進を直前で回避するために気合をふにょんと入れてコントローラーを握り……え? ふにょん?


 一度画面から目を逸らし、右を見る。

 何もない。

 左を見る。葉月がいた。


「うえ!? 葉月!?」

『え? 葉月?』


 なぜか、俺と同じくソファに腰掛けた葉月が、ぴとっ、と俺にくっついている。

 風呂上がりだからかその髪は少し濡れていて、シャンプーとボディソープの爽やかな香りが鼻腔を抜けて行った。


 え? いや、なんで? っていうか距離近い! なんでこんなに近いんだ!?

 というかさっきのふにょんって俺の左腕が葉月と触れ合ったのかこれは? いつの間に?

 ところで葉月のピンク色のパジャマはとてもかわいいのだけれど、少し胸元が緩いような気がするのであんまり男子に近寄らないほうがいいと思います俺としては!


 そんなこんなで混乱している俺をジト目で見ながら、葉月がつまらなそうに口を開く。


「……甲洋くん。いいんだよ、続けても」

「えっ」

「わたしの声に気づかないくらい楽しいんだもんね、ゲーム……」

『おや……修羅場か』


 ヘッドセットのマイクが葉月の声を拾ったのだろう。

 榛名の声が聞こえてきたがお前は黙っていろ。

 しかし、葉月のこの物言い。もしかして……。


「……あの、葉月さん。もしかして結構前から話しかけられてました?」

「わりと話しかけたけど、甲洋くんはずーっとゲームに集中してました」


 やってしまった。

 榛名を倒すことに意識を傾けすぎるあまり葉月の呼びかけをガン無視してしまうとは、痛恨の極みだ。


「ごめん葉月、ちょっと榛名との会話に盛り上がっていたというか……」

『おいおい、僕を引き合いに出すのはやめないか』

「とにかく、悪かった……」


 画面上の自キャラがモンスターに轢き殺されているのが見えたけれど、そんなことはどうでもいい。

 葉月には笑顔が似合うと、さっき俺は再確認したばかりではないか。

 彼女をないがしろにして悲しませるなど、あってはならない。

 俺は頭を下げ、葉月に謝罪する。少し自分が情けなくなった。


「あっ、こ、甲洋くん、違うの。そんな深刻に考えなくていいのっ」

「え?」

「ちょ、ちょっと拗ねちゃったというか……えと、あの……わたしこそ、ごめんね?」


 言って、葉月もまた俺に頭を下げた。

 なぜだか二人して頭を下げ合うという謎の光景が出来上がってしまい、妙な沈黙が場に流れる。


『……何をやってるんだ、君達は?』


 呆れたような声をかけてくる榛名に対し、俺は返す言葉を持たない。

 俺だってなんでこうなってるのかわからないよ。


 やがて、俺と葉月はどちらともなく笑い出し、どちらともなく顔を上げた。


「なんだか、おかしいね」

「まったくだ……」

「ただね、甲洋くん……わがままを一つ、言ってもいいかな?」


 葉月のわがまま。彼女の口からそんな言葉が出てくるとは。ぜひ聞かせてもらおうじゃないか。

 俺は了承の意を込めて頷き、続きを促す視線を向ける。


 それを受けて、葉月は俺の頭からヘッドセットを取り外し胸元に抱えた。

 そして、俺の耳元に口を寄せ、静かに囁く。


「あのね、甲洋くん。出来ればでいいんだけど。ゲームもいいんだけど……家族を……わたしも優先してもらいたいかな、って……」

「……え、と」

「な、なんちゃって……あははっ」


 そ、そうだよな。なんちゃってですよね! いつもの! かわいいよねこれ! なんちゃってね!


『ああ、はいはい……ご馳走様……』


 心底呆れたような榛名の呟きが、なんとも言えない空気に支配された我が家のリビングに溶けて消えていった。

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