18:天空橋家の門限は午後八時なんだからねっ

「よろこべ川藤。ビッグニュースだぞー」

「……ビッグニュース?」


 四月も終わりに近づいてきた頃の昼休み。

 山名くんと川藤くんを始めとした男子数人が窓際に集まり、よく通る声で会話を続けているのをBGMにしながら、俺はいつもの如く榛名と昼飯をつついていた。今日の弁当は葉月お手製だ。


「奥手なお前のために合コンをセッティングしてやったんだよっ。ほらもっと喜べ喜べ!」

「……山名。俺は頼んでない」

「なになに、山名たち合コン行くの? 俺も行きてえ!」


 川藤くんの肩をバシバシと叩き笑い声を上げる山名くんと、彼に叩かれた肩を擦りながらむっつりと不満げな声を漏らす川藤くん。そしてその会話に混じって楽しげな声を上げる男子たち。

 葉月謹製の玉子焼きを頬張る俺は、この昼休みのクラスメイト達の注目は彼らに注がれることになりそうだなあなどと呑気に考えていた。

 

「……へぇ、山名たち合コン行くんだ。ねえねえ、ツッキーもそういうの興味あったりするのん?」


 さて。山名くんたちの会話への聞き耳をひとまず打ち切った俺に声を投げかけてきたのは、ひょっとしたらこいつは俺の天敵なんじゃないかと最近地味に思い始めている少女、香椎伊吹である。


 香椎はいつものように親友の葉月と共に昼食をとっていて、今日はその場所を葉月の机に設定していた。そのため、俺たちとは食事の席が前後している。

 そんなポジションに位置していることに加え、俺をからかうことが趣味の節がある香椎にとっては、耳に飛び込んできた山名くんたちの会話は俺にふっかけるには絶好の話題だったのだろう。

 

 また面倒な質問を寄越してきやがった、という呆れた感情を繕うことはせず、俺は後ろの香椎に振り返った。


「それを聞いてどうするんだよ」

「ええ? 今後の参考に、みたいな?」


 俺の合コンへの興味が香椎の中で今後どんな使われ方をするのか一度聞いてみたい。セッティングでもしてくれるのだろうか。


「……月守くん、合コンに興味があるの?」


 香椎のとぼけた返答に続いたのは、少し緊張の色を孕んだ葉月の硬い声音だった。

 声の元へ視線を向けると、いつもの暖かく柔らかな視線とは違ってどこか冷ややかなそれで俺を射抜く葉月がいる。

 別に悪いことはしていないし言ってもいないはずなのに、思わず「ごめんなさい」という言葉が口をついて出そうになってしまう。


「べ、別に興味はない……です、よ?」

「ふぅん……」

「……実際のところ、甲洋は興味津々だが照れて口に出せないだけだ」

「おい榛名」


 今まで黙々とコンビニおにぎりを頬張っていた榛名が、俺の無難な返答に余計な注釈を入れる。

 抗議するもお澄まし顔で再び食事に戻るし、相変わらずその顔だけでもCMを張れそうなのが憎たらしい。毎回言ってる気がするなこれ。


 だが、榛名の注釈はある意味では正しく、ある意味では間違っていた。

 俺は合コンというイベントについて大きな興味を持っているわけではない。これは真実。


 ただ、合コンのその先に発生しうる男女の関係性の変化には興味があった。

 知り合い、あるいは他人同士の男女が互いに好感を覚えた末に、より親密になることで生まれる関係――つまりは、恋人関係。

 一般的な男子高校生を自認する身として、恋人に興味がないとは口が裂けても言えない。


 とはいえ、そんなことを考えているなどとまかり間違って榛名と香椎の前で漏らした日には、向こう一年間からかわれ続けるのが目に見えている。焚き火にガソリンを投下するような愚は犯さないよう、口をつぐんでおくことにしよう。


「なーんだ。ってことはツッキー彼女欲しいんだ」

「ぶふぉぇ」

「うわ、汚いぞ甲洋!」


 口をつぐんだ意味がねえ!

 俺の内心を見透かしたかのような香椎の質問に思わず噴き出してしまいそうになった。

 というかちょっと噴き出したので榛名が凄い目で俺を睨んでいた。ごめん。


「あっはははっ、その反応は黒っつってるようなもんじゃん。彼女欲しいんだツッキー。へぇ、ほーん?」

「そうなの、こ……月守くん?」

「えー? どんな子が好みなのさ? この伊吹さんに言ってみ言ってみ? 協力してあげちゃうよぉ?」

「ま、まさか同じクラスの子……いやむしろ後輩の子なんじゃ……!?」


 なんだこの食いつき。女子は恋バナが好きだと聞いたことはあったが、いくらなんでもノリノリすぎるだろこの二人。


「ばか、やめろ香椎。天空橋も乗らないでくれ」


 香椎には強く、葉月には努めて柔らかく。

 これ以上この話題を広げないでくれという思いを込めてそう言うと、二人はそれぞれ渋々ながらも押し黙った。

 まあ、二人の瞳は明らかに不満気だったし、可能なら根掘り葉掘り聞いてやりたいという欲が全く隠せていなかったが。


 しかし、恋バナなんて俺の領分じゃない。

 今までにそんな存在がいたためしもないし、誰かに恋心を抱いたことも……多分、おそらく、きっと、ない。

 男女の関係がステップアップすることへの興味こそあれ、俺の恋愛観そのものを話題の中心に据えるのは不得意だ。

 

 それに何より、葉月の前でそういう話題を口に出すのはすごく躊躇われた。

 自分の色恋じみた話を彼女の耳に入れたくないというか、女に飢えているような印象を抱かれたくないというか……要は見栄を張りたいのか?

 わからない。何なのだろう、これは。

 葉月の前でそういう話題に発展しそうになると、前に香椎から体育館裏に呼び出された時と同じような謎の焦燥感が全身を走り抜ける。

 もちろん、そんなことを口に出せようはずもないのだけれど。


「……とにかくだ、俺は合コンに興味はない」

「合コン、にはね? うんうん、わかった。わかりましたよ、あははっ」

「全然わかってねえだろ香椎お前」


 香椎の中では完全に自分の中での答えが決まってしまったらしい。

 もうこの女は放っておくことにして、俺は自分の弁当へと向き直った。

 振り向き際に見えた葉月の瞳が少し不安げに揺れているのが少し気になったが、彼女お手製の弁当を口に運んでいく中で、その光景は徐々に意識から消えていった。


 ちなみに、おにぎりを頬張る榛名の視線が俺を揶揄する気満々だったのが癇に障ったことを追記しておく。




* * * 



 

「柳生ちゃん、月守ちゃんにお願いがあります!」


 放課後の世界史準備室。

 俺と葉月、そして暇つぶしに部屋にたむろしていた榛名と香椎の視線を一身に浴びる珍客、その名は山名くん。


 言わずと知れた二年B組のムードメーカーにして中心人物でもある彼が、つい先ほど、なぜかクラス委員の城たるこの部屋を訪れた。

 そして部屋に入るなり、きっちり九十度の角度をつけてお辞儀をし始めたのだ。

 根元までバッチリ金色に染め上げられたボリュームのある頭頂部がよく見える。


「合コンに参加してください!」


 そして、彼の口から飛び出してきたお願いに、俺たちは全員固まってしまった。

 この謎の依頼に関する答えを求め、葉月、香椎、榛名に視線を向けたが、返ってきたのは等しく「わけがわからない」という戸惑いの表情だった。多分俺もみんなと同じ顔をしていると思う。

 というか、月守ちゃんって俺のことなのだろうか。


「山名くん。状況が全然見えないんだが……」

「お願いしまっす!」

「聞いてねえ……は、天空橋、頼む」


 部屋にいる全員を代表して口を開いてみるも、山名くんはただ頭を下げているだけ。埒が明かない。

 お手上げ、の意味を込めて両手を上げ、俺は葉月に話を聞いてくれるように頼んだ。葉月の言葉なら素直に聞いてくれるだろうという打算を込めて。

 頷いた葉月が山名くんの元へ寄り、優しく声をかける。


「あのね、山名くん。まずはいったん顔を上げてくれる?」

「おっけーわかったよ天空橋ちゃん!」

「調子のいいやつ……」


 香椎が呆れ顔で零したが、俺も同じ意見だった。

 葉月の声を聴いた瞬間に顔を上げるとはなんて現金なやつなんだ山名くん。でも気持ちはすごくよくわかる。

 続けて葉月の「まずは順を追って話してくれる?」という優しい声音――ただし何故だか俺にはどこか冷たさも感じられた――を受け、山名くんはその饒舌を披露し始めた。


「あのさ、もしかしたら昼休みに聞こえてたかもしんねーけど、今晩おれたち他校の子と合コンすんのね? そんで、おれと川藤は間違いなく参加できんだけど、他に参加見込んでた奴らが軒並み用事とか部活で来れなくなっちゃって。もうこうなったら柳生ちゃんと月守ちゃんに頼むしかねえ! って、そういう覚悟で来ました!」


 どういう覚悟? それになんで俺? 

 いや榛名はわかるけど。あいつめっちゃ顔良いから女子受け凄いだろうし。


「榛名はなんとなくわかるけどなんで俺?」

「月守ちゃん、昼休みに合コンに興味があるとかないとかの話してたっしょ? じゃあ呼ぶっきゃないかなって!」

「んなっ……」


 口角を上げて見せた山名くんに思わず言葉が詰まる。

 山名くんたちは山名くんたちであれだけ賑やかにしていたのに、俺たちのやり取りが聞こえてたっていうのか。地獄耳かよ。


「新たな出会いを求めていっちゃおうよ月守ちゃん! いやむしろ来てください主催がおれなんでこっちの人数足りないと困るんですほんと」

「いや、俺は……」

「僕はパスだ」


 山名くんからの押しにたじろぐ俺を横目に、榛名がきっぱりと拒絶の意思を見せる。こういうところがハッキリしているのが榛名の美点だ。


「えぇ! 柳生ちゃんが来てくれたら絶対間違いないのに!」

「だから嫌なんだ」


 聞きようによってはかなり傲慢にも聞こえる一言だが、榛名の顔立ちの端正さは並大抵のものではない。榛名が合コンに参加するとなれば、間違いなく相手の女性陣のテンションは上がるだろう。

 だが、榛名はそういう流れや空気をこそ嫌う。学内ですら散々そんな空気に見舞われているのだ。わざわざ外でまでそんな雰囲気に巻き込まれたくはないだろう。


 昼休みに話していた通り、俺は合コンに興味はない。それに、合コンに行くだの行かないだの葉月の前で話すのは気が乗らない。

 わざわざ俺たちを頼り(?)に来てくれた山名くんには少し悪い気もするが、俺自身、そして榛名のためにも断りを入れるのが吉だな。

 

「悪いけど山名くん、俺もことわ――」

「オッケー柳生ちゃん、合コン来てくれたら、学食を一週間分おれが奢るよ。どう?」

「な、に……? 学食一週間分? ……ひと月はどうだい?」

「ひと月!? 意外と欲深いね柳生ちゃん。二週間ならいける!」

「二週間……。二週間か。フ……まあ、それならいいだろう」


 おいおいおい何を絆されてんの榛名さん! お前食い物で動くような人だったっけ!?


「よっしゃあ! じゃああとは月守ちゃんだね!」

「甲洋。親友として僕を一人だけ合コンに行かせはしないと信じている」

「頼むよ月守ちゃん! おれと川藤と柳生ちゃんを助けると思って!」

「う……」


 再度山名くんに頭を下げられると、断る気持ちが徐々に萎びてくるのを感じてしまう。

 腹の中はどうあれ、こちらを頼ってきた相手に断りを入れるのは俺の大の苦手とするところなのだ。


「甲洋。僕の昼食がかかっている。いや、財布か」

「月守ちゃん。おれの信頼もかかってるんだよー」

「ぐっ……」


 榛名の要請も、山名くんの懇願も、直接は俺に関係するものではないと頭ではわかっているのに、いざ眼前で頼み込まれると撥ねつけることができない。


「それにさ、月守ちゃんも柳生ちゃんも普段あんま絡まねーし、仲良くなるための足掛かりってことでどう? ね? ねっ?」


 そんなことを言われるとますます弱ってしまう。基本的に俺はチョロい男なのだ。

 たとえその場の方便だったとしても、仲良くなりたいと言われて嬉しくならない人間ではない。


「あっ、都合良いこと言ってるって思ったかもしんねーけど、二人と仲良くなりたいのはほんとだよ? おれの夢はクラスのみんなと仲良くなることだから!」


 ダメだ。俺は弱いチョロい男だ。

 何の邪念もなさそうに笑う山名くんを見ると、その口から出てくる言葉のすべてを信じたくなる。いや、むしろもう信じ始めているのだろう。

 人好きのする笑みを浮かべる山名くんの力になりたいと思ってしまうし、自分を誘ってくれたその思いに報いたいと思ってしまう。


 だから、俺は頷いた。


「わかった……参加するよ」

「よっしゃ! ありがとー月守ちゃん!」

「君は親友甲斐のある男だぞ、甲洋」


 素直に喜んでくれる山名くんと榛名を前に、自分の選択が間違っていなかったという確信を得る。

 うん……合コンには興味はないけど、男友達との友情を深めるっていうのは、青春っぽくてなんかいいな! いや、むしろいいよな!

 

 そのままの勢いで俺と榛名は山名くんと連絡先を交換し、「場所とかはすぐ送るから!」と手を振りながら世界史準備室を出て行く彼の背中を見送った。主催だけあってもう準備にとりかからねばならないらしい。


 いやでも、なんかあれだな。久々に男友達が出来たような感覚……悪くないな。

  

「ふぅん……行くんだね、合コン」


 なんて、一人でちょっと浮かれていた俺だったのだが。

 やがて背後からかけられた言葉に、思わず背筋が粟立った。

 振り向くまでもない。声の主は先ほどから口数少なく俺たちのやり取りを見つめていたであろう――葉月だ。


「あ、いや、葉月さん、これは……」


 別に悪いことはしていない――いやもちろん昼間の言動と真逆の動きをしているから悪いと言えば悪いけど――はずなのに、思わず悪事が露見したような気分になる。

 ゆっくり葉月のほうへ振り向くと、彼女はじっとこちらを見つめながら静かに口を開いた。


「……合コンに参加するもしないも甲洋くんの自由だけど」

「じ、自由だけど……?」

「あえて言うなら」

「……あ、あえて言うなら?」


 なんだ、何を言われるんだ……。

 甲洋くんの色ボケくんとか言われたらショックで寝込みそうだぞ!?

 恐る恐る、葉月が次に紡ぐ言葉を待つ。



「……天空橋家の門限は午後八時なんだからねっ」



 ふいっ、と視線を逸らした葉月の言葉に俺は思わず固まり……。

 


 ……そして、どうしようもないほどに彼女が可愛く思え、仕方がなくなってしまうのだった。


 ちなみに、俺たちのやりとりを眺めていた香椎が非常に不愉快な笑みを浮かべていたことが癇に障ったことを追記しておく。香椎も榛名も似た者同士が過ぎるんじゃないのか?

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