19:すぐそばにいるんだ

「おー、月守ちゃん! こっちこっち!」


 山名くんの要請を受けて彼主催の合コンに参加することになった俺は、駅近くの繁華街にその足を向けていた。


 彼からメッセージで指定されたカラオケ店へ向かうと、店の入り口付近に立つ山名くんがこちらに手を振っているのが見えた。その傍には、元々の参加者であった川藤くんと学食の奢りに釣られて参加を決めた榛名が控えている。どうやら待ち合わせ場所に到着したのは俺が最後らしい。

 

「ごめん、遅くなって」

「あーいいのいいの。まだ時間はあるからさ」


 一度帰宅して荷物を置いてきたため到着が遅くなったことを詫びると、山名くんは笑って腕時計を指差した。時刻は十七時半。

 合コンは十八時からの開始なのでまだ少し時間がある。しかしながら、合コンなど月守甲洋史上初めてのイベントである。若干痛みを訴え始めた感のある胃を制服の上から擦っていると、川藤くんの申し訳なさそうな声が耳に届いた。


「……月守、柳生、山名の無茶ぶりに付き合ってもらってすまない」


 スポーツ刈りで精悍な顔立ちをしている川藤くんはその長身と相まって普段は結構な威圧感がある。が、今はその眉を下げ、申し訳なさそうな曇り顔を見せていた。ストレートに感情を表しているのが微笑ましい。

 彼との会話はこれが初めてに近いのだけれど、自分の友人のことも絡めてこちらを気遣ってくれる言葉には素直に好感を覚える。

 というか元々、川藤くんについては春休みにモールで出会ったときの葉月への応対などからちょっと親近感を覚えていた。葉月の前でちょっとぶっきらぼうになっちゃうところとか。偶然休日に葉月と出会ったらああなっちゃうよね普通。わかるわかる。


「山名くんが話を持ってきたときは少し驚いたけど、俺も二人と話してみたかったし。感謝してるよ」

「そうか……ありがとう月守」


 俺の言葉に礼を述べてから微笑む川藤くんは男でも少しハッとするくらい男前で、思わず感嘆が漏れた。これは間違いなく合コンでも人気だろう。

 女性人気が出ないわけがない榛名。明るく人好きのする山名くん。男前のスポーツ青年の川藤くん。そして俺。


 今夜、俺は女性人気という名の驚異的な格差社会を見せつけられることになるかもしれない。強く生きよう、月守甲洋。


「おっ。早速川藤と仲良くなってんじゃーん。いいねいいね月守ちゃん。その調子で女の子も口説いちゃおーぜ!」

「いや、女の子を口説くとかは別に……」

「あまり甲洋をからかってくれるなよ山名。初心なんだ」

「あれ、そうなの? 月守ちゃん普通にモテそうなのに」


 肩に手を回してくる山名くんが社交辞令ながらなかなか嬉しいことを言ってくれる。

 合コンという戦場に立つ前に味方を鼓舞する――なるほど山名くんはこう見えて中々戦術に長けた名指揮官のようだ。さすがはクラスの中心人物と言ったところか。ノリが軽いながらもその言動の端々には他者への気遣いが見え隠れしている。

 とはいえ、俺に女子を口説くとかそんな大それた真似が出来るわけはないので、今晩は大人しく料理と飲み物に手を出しつつみんなの空気を壊さないように努めさせてもらおう。

 あと俺をいじれると見るやすぐさま参戦してくる榛名、お前いつか絶対倍返しだからな。


 その後、俺たち男性陣は先にカラオケに入ることとし、後にやってくるであろう女性陣たちを待つことにするのであった。




 * * *




「みんなノッてるかー!?」

「月守くんもノってるー!?」

「えっ!? あっ、お、おー!」

「……ぶふっ! 月守硬すぎ!」


 モニタの前、少しだけ開けたスペースで、マイクを握りしめた山名くんと合コンの参加者の女の子がテンション高く声を上げた。

 いきなり名前を呼ばれたので驚いたが、どうにか無難に返答できたはずだ(と思いたい)。

 隣に座っている子が吹き出した気がするが気のせいだろう。そういうことにしたい。


 合コン開始からおよそ一時間。

 山名くんが呼んだ女の子たちはこの近辺の他校の女子生徒たちで(東明高校の生徒じゃなくてよかった)、客観的に見てかなり可愛い子たちだった。

 男四人に対し女四人。全員が揃ってから簡単に自己紹介した後、あとは流れでみたいな勢いで合コンが始まった。

 歌を歌ったり、雑談に興じたり、ホットスナックを摘まんだり。合コンという特殊なイベントの雰囲気が俺を硬くさせるのか、正直めちゃくちゃ緊張している。


「ねーねーミカちゃんデュエットしよーぜ!」

「するするー!」


 合コンの発起人でもある山名くんは慣れているのか持ち前のトーク力で女の子とのコミュニケーションを難なくこなし、あまつさえ女の子と肩を組むとか簡単なスキンシップをいとも簡単にこなして見せている。流石と言わざるを得ない。


「いやね、ほんと、噂の柳生くんに会えて感激してるんだよ?」

「噂?」

「東明にはとんでもないイケメンがいるって話。ねね、写真撮っていい?」

「あ、あ……まあ、いいだろう」


 やはり事前の予想通り、榛名は女の子たちの視線をまず一瞬で攫い切った。とはいえ基本は塩対応なので、目の保養と割り切った子が殆どだが、辛抱強くアタックを続ける子が榛名の隣に陣取っている。

 しかし、あれでもめちゃくちゃ喋ってる方だな榛名。口ではどうのこうの言いつつも義理堅い男ではあるので、合コンの幹事たる山名くんの評判を落とさないようある程度は無難に女の子の応対をこなすつもりなのだろう。


「川藤くん筋肉すごーい! スポーツか何かしてるんでしょ?」

「……ああ、バスケ部だが……」

「えーそうなんだ! 今度の大会っていつ? 見に行きたい!」

「……次、は五月半ば……だな」


 川藤くんはやっぱりその全身から発せられるスポーツ青年オーラで女の子の心をがっちりキャッチしていた。若干口下手で奥手気味なところがイケイケな彼女の琴線に触れたのか、結構な勢いで迫られてはタジタジになっている。


「月守さっきからきょろきょろしすぎじゃない? ウケる」

「え、あ、そうかな……ごめん」

「あっはは! なんで謝んの?」


 そして俺はと言うと、周りの男性陣たちの観察に勤しみすぎていたせいで隣の女の子(ユイと言った)に苦言を呈される始末である。場慣れしてなさすぎてやばい。

 何これどうやって話題広げればいいんだ? 山名くんを見ててもよくわかんないし。めっちゃ困る。


「その自信なさげなところ勿体無いよー月守」

「は? え? あ、そう……?」


 ユイ……さんの口から飛び出してきた評に意表を突かれ、思わずどもる。

 テーブルの上に並んだ皿からフライドポテトを摘まんだ彼女が、ひらひらとその先っぽをこちらへ向けながら言葉を続けた。


「アタシたち、今日の男子はみんなレベル高いなーってビックリしてんだから」

「あ、ああ……? それはどうも……?」

「だからそーいうとこだって月守! あはは!」


 ユイさんがケラケラ笑いながら俺の背中をバシバシと叩く。唐突な接触に思わず体が跳ねそうになったがそこはどうにか堪え……堪えられたよな? 自信がない。

 めちゃくちゃ挙動不審で女慣れしていない怪しい存在になってないか今の俺。いや女慣れしていないのは事実なんだけど。

 まあ……ともかく。どうもユイさんは俺のことを褒めてくれているらしい。そこは素直にありがとうと言っておきたいところだ。

 そう思って感謝の念を伝えると、ユイさんは目をまん丸にした後にまた笑った。ひとしきり笑った後、彼女が続けざまに口を開く。


「……月守ってさ。今フリーなん?」


 ……はて?

 彼女の言うフリーとはいったいなんのことだろう。とっぷり数秒考え込んだ後、俺はその意味に思い当たる。

 俺たちのような高校生の話の流れで出てくる「フリー」という言葉が持つ意味は則ち、お付き合いしている人がいるかいないか、ってことだよな。そうかそうかなるほどね。それを聞いてどうするんだ。


「いや、いないけど……」

「へえ、いいじゃん。だったらさ、アタシと付き合わない?」

「…………はい!?」


 彼女の口から飛び出してきた、全く予想すらしていなかった言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 いきなりなにを言い出すんだこの人!? どういうことなの!?

 俺が絶句したままユイさんを見つめていると、彼女は再びポテトを摘まんでニカッと笑った。


「さっきも言ったけど月守結構イケてるし。悪くないかなーって」

「いや、その……俺は別にそういうつもりで来たわけではなくて」

「アタシも結構イケてる方だと思うけど。不満?」

「えぇ……不満とかそういうことでもなくて……」


 突然降って湧いた話に俺の思考が追いついていない。いやそりゃ確かに目の前の彼女は可愛いし、もし付き合える……なんてことになったら毎日楽しいだろうなとも思うけれど。

 合コンは出会いの場であるわけで、最終着地点がそういうところに向かうのは間違いなく正しいことではあるのだろう。だが今回の俺にそんな意思は全くなくて。


 いや、結局全ては言い訳か。

 こういう話に及ぶ度、俺の脳裏には必ず一人の少女が現れる。この合コンに誘われた時からそうだった。いや、あるいはもっとその前、香椎から手紙で体育館裏に呼び出された時からだろうか。


 彼女はほんの少し前からよく話すようになった少女で。

 俺と義理の兄妹という特殊な関係になった少女で。

 この歳になってできた俺の新しい大事な家族の一人で。

 もしも俺に恋人ができたら、きっと彼女は祝福してくれるだろうけれど。

 だけど、俺に恋人ができたことを祝福してくれる彼女の姿を見たくはない、なんてことを考えてしまう。


「……あー、俺は、その」

「好きなコがいる?」

「うぇ!?」


 好きなコ。

 ユイさんの放った言葉に、俺の心臓は再度跳ねた。


 好き……好きってつまり、恋愛感情を抱いているってことか?

 俺はこの脳裏に浮かぶ少女……義妹、天空橋葉月に、そんな思いを抱いているのか?


 ユイさんからの言葉に愕然としながらも、しかし、俺は今まで頑なに考えようとしていなかった己の感情に気付きを覚え始めていた。


 誰にでも優しくて、いつも笑顔で、たまに少しのわがままを見せて。

 悪戯じみた笑顔で俺をからかってきて、家族への親愛の情を見せてくれて。

 なんでもないようなことでちょっとだけ拗ねて見せるけれど、そういうところもすごく可愛くて。


 葉月と共に過ごした時間はまだまだ短い間だけれど、そんな短いふれあいの中で俺は彼女のあらゆる面に惹かれていった。


 合コンに来る前、俺は葉月にそれを知られることに妙な焦燥感を覚えた。

 その時は思い当たる節はなかったのだが……今ここで、ようやくその理由にしっくりきた。

 他の女の子に言い寄られても、首を縦に振らなかった理由だってそうだ。


 俺には好きなコがいる……全てはそれが理由か。


「いや……そうだ。俺は、葉月が好きなんだ」


 確認するように口に出してみて、その恥ずかしさに思わず頬に血が集まるのを感じた。

 俺は何をしみじみ言ってるんだ。いや普通にありえないくらい恥ずかしいな!?


「……ちぇー、月守が一番チョロそうだったのに靡かないか」


 隣で俺のどちゃくそ恥ずかしい呟きを聞いていたユイさんが唇を尖らせる。


「チョロいのは否定しないけど言い方ってものがありません?」

「あはは、冗談冗談。てか、やっぱ好きなコいるんじゃんか月守」

「ああ……うん、そうだね。言われてようやく気づいたよ」


 葉月は家族で、義妹なわけだから、この感情を素直に伝えるのは少し難しいかもしれないけれど。

 俺、月守甲洋が、天空橋葉月という少女に強く惹かれていることに、もはや疑念を挟む余地はない。

 きっかけは些細なことかもしれないが、自分の感情に整理をつけられてすごくスッキリしている。


「しかも相手は天空橋葉月って?」

「えっ」

「ここいらの男が葉月っつったら一人しかいないっしょ? 結構難しいトコ攻めんじゃんか月守」


 ニヤリと笑ったユイさんが三たびポテトを摘み、今度は俺の口めがけて押し付けてくる。


 他校の生徒も、やはり葉月について色々と聞き及んではいるのだろう。東明高校のアイドルで、芸能人ばりのルックスとスタイルを持つ超高校生級の美少女。俺みたいな一般男子高校生が彼女に惹かれてはそして撃沈して行く様を、彼女もまたよく知っているのかもしれない。


「ここで知り合ったのも何かの縁だし、心の中で応援しといてあげる。ガンバ」

「……うん。ありがとう、ユイさん」


 ポテトを摘んだ後の指をちろりと舌で舐めながら薄い笑みを見せた彼女に、俺も静かに頷きと笑顔を返した。

 ひょっとすると彼女は、色々な意味で、俺にとっての恩人と言えるかもしれない。




 * * *




「早く帰ろう……」


 あの後も合コンは続いたが、時刻が二十時に差し掛かりつつある頃に俺は会場を辞した。

 家に妹が待っているため早く帰らなければならない旨を伝えると、真実を知っている榛名を除く面々は快く俺を送り出してくれた。ちなみに榛名は多分このまま二次会に連行されていきそうなので、明日登校した時にめちゃくちゃ文句を言われそうだ。


「二十時過ぎちゃったか」


 繁華街を早足で進みながら腕時計を確認すると、時計の長針はその頂点をすでに少し過ぎてしまっていた。

 天空橋家の門限は午後八時だと語った葉月の言葉が果たして本気か冗談なのかはわからないが、できることなら彼女の言う通りの時間に家に戻りたかったのが本音だ。

 そこには葉月を失望させたくない……ひいては葉月に嫌われたくないという俺のちっぽけな希望が混じっているのは否定できないが……それはともかく。


 繁華街を抜け、会社帰りのサラリーマンや先ほどの俺たちのように夜まで遊んでいた学生たちでごった返す駅前広場を横切ると、自宅のマンションはもうすぐだ。

 遅れを少しでも取り返そうとさらに早足でマンションのエントランスへと足を向けた俺は、その入口のすぐ脇によく見知ったシルエットを捉えた。


「えっ、葉月?」


 天空橋葉月……俺がこの瞬間、もっとも会話を交わしたい相手がそこにいた。


「あっ、甲洋くんっ」


 俺の声が聞こえたのか、こちらを向いた葉月はぱあっとその顔を輝かせてパタパタとこちらに駆けてくる。

 その姿に、俺はどうしようもなく胸の内が熱くなる気がした。一気に体温が上がるようなこの感覚。やはり俺は、葉月に恋をしてしまっているらしい。


「……ふぅ。おかえりなさいっ」

「あ、ああ、ただいま……。でもなんで外に?」

「甲洋くんを待ってたんだ」


 こともなげにそう言う彼女に対し、俺は二の句を継げなかった。


「ほんとは家で待ってようと思ってたんだけどね」

「……俺が二十時に帰ってくる確証もないのにわざわざ?」

「ふふっ、確かにちょっと過ぎてるね」


 くすくすと笑って、葉月は自分の腕時計を指差した。

 長針は2を指しているから、都合十分のオーバーか。


「でも、甲洋くんだったら二十時半までには帰ってくるってわかってたから」

「どうして?」

「甲洋くんはわたしの言ったこと、絶対忘れないって信じてるし……なんて」


 えへへ、とはにかんで笑う葉月に対し、俺は思わず自分の思いを全てぶちまけてしまいたい衝動に襲われた。なんの邪念もなくこちらを信頼してくれる彼女に対し、愛しい思いが抑えきれそうにないのが本当にまずい。


「……そ、そうか」

「うん。……それじゃ、家に戻ろっか」


 くるりと踵を返した葉月の背中に続き、俺はエントランスをくぐった。

 葉月が呼吸するたびに揺れる亜麻色の髪を視界に捉えながらその艶やかさに思いを馳せていると、エレベーターホールで呼び鈴を押した葉月が、こちらを向かず、少しだけ硬さを孕んだ声で問うてくる。


「と、ところで甲洋くん……合コンはどうだった、の?」

「どう、って?」

「……どういうことお話ししたのかなー、とか」


 こちらを向いてはいないので、葉月の表情を伺い知ることはできない。

 俺はどのような言葉を彼女に返そうか少しだけ考え、そして少しの本音を返すことにした。


「隣に座った女の子に、もしよかったら付き合わない? って誘われたよ」

「えっ!?」

「でも断った。……俺には、好きなコがいるから」

「そ、そっかぁ、よか…………えっ、好きなコ!?」


 ばっ。

 思わずそんな擬音がつきそうな勢いでこちらを振り向いた葉月はひどく驚愕した顔をしていて。

 もしここでその相手が君だということを伝えたら、一体どうなってしまうのかと思わずにはいられなかった。

 とはいえ……葉月は義妹で、今は大事な家族の一員なのだ。

 全てが壊れてしまう可能性を孕む告白などできようはずもない。


 だから今は、半分だけの本音を伝えさせてほしいと願った。

 燻るこの思いをずっと心のうちに抱えたままでは、どうにもおかしくなってしまいそうだから。


「すぐそばにいるんだ。好きなコが」

「え……。すぐ、そばに……?」

「そう。おっと、エレベーターがきた」


 甲高いベルが鳴り、ホールへの到着を知らせたエレベーターのドアが開く。

 こちらを向いたままの葉月をエレベーターに押し込むようにその肩に触れたけれど、そこから俺が抱えたこの熱が彼女にそのまま伝わっていきやしないか、それだけが少し不安だった。いやむしろ、伝わってくれたほうがいいのか。熱に浮かされた頭じゃ、妙なことしか考えられないな。


 兎にも角にも。俺には好きなコがいる。そしてそのことを、いつかしっかりと葉月に伝えたい。

 今晩は、そんなことを心に決めた夜になった。

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